第五章 第一話
『へび卵砦』へと帰還した私たちを待っていたのは……命令違反による罰則でもなければ、剣山からの砲撃を成功させ勝利を導いた功労者への賞賛の声でもなく。
……ただ一枚の解雇通知だった。
「どういう、ことですかっ?」
あの『農場』の壊滅を目の当たりにした翌日。
このデータ主流のご時世に、未だに大事な契約関係では書類を残す風習は残っていて……雇用という私の人生を左右するには酷く薄っぺら過ぎる、その紙切れを受け取って視線を向けるや否や。
「答えて下さい、ヴォルフラム隊長っ!」
私は思わず大声で眼前の……隊長室で椅子に座ったままの隊長を怒鳴りつけていた。
男性が控え目で大人しい女性を好む傾向にある以上、こういう態度を向けることは、あまり好かれないというのを承知した上で……それでも私はこの一枚の紙切れを受け取ることに、納得がいかなかったのだ。
とは言え、私の激昂をヴォルフラム隊長は予期していたらしい。
気分を害した様子はなく……むしろ私の剣幕に対して好意的な笑みを僅かに浮かべ、呟く。
「別にお前だけじゃない。
我々第三部隊……いや、他の連中も大幅に解雇されることになったのだ。
人員削減、という名目でな」
何の感情も見せずにそう呟く彼の腕の中には、ひしゃげた軍票が握られてあった。
……どうやら【死神】と呼ばれる彼は、私以上の激昂をして、周囲のモノに私以上の怒りをぶつけたらしい。
よくよく見てみれば、彼の机の上には見慣れない紙切れが散らばっていて、そこには請求書と書かれた文字がある。
さり気なくその書類へと視線を向けると、その請求内容は机やドア……どうやら解雇通知を受け取ったところで大暴れしたらしい。
「……そんなっ!
あんな『卵』ごと潰すような敵兵器が迫っている中、人員削減なんてっ!」
隊長の返事に納得出来なかった私は大声を上げる。
私たちの『へび卵砦』は、眼前に刃物を突きつけられているような状況なのだ。
守りを固めるのが当然で……戦力を減らすなんて自殺行為としか思えない。
だけど……
「ま、体の良い降伏宣言、だな。
上の連中はどうやら『アレ』……『工場』の連中が作り出した機動兵器『歩柱』に対抗して多大な犠牲を払い、この『へび卵砦』を維持するよりも、この星から撤退した方が、損害が少ないと判断したらしい。
……この前、一番人件費のかかる第一の連中が賃上げストをしたからな」
眼前に座る【死神】ヴォルフラムの口から出て来たのはそんな……冷静極まりない、敗北を受け入れる声だった。
とは言え、先日の戦場で私たちが見た光景が正しいならば、あの『歩柱』とかいう軌道エレベーター型兵器は、降伏した後の『農場』を破壊し尽くしているのだ。
……降伏しても、意味があるなんて思えない。
そう分かっているのに……その【死神】らしくない一言に、私は何故か抗議の声すら浮かばず……怒りが鎮火してしまう。
「ま、軍備を縮小して『工場』の連中に降伏することで、出来るならば「少しなりともおこぼれを貰おう」って寸法らしいな。
……経営陣とかいう連中の考えそうなことだ。
降伏しても助かるかどうかなんて、分かりゃしないってのに……」
私は、肩を竦めながら他人事のように呟く隊長のその言葉を、ただ黙って静かに聞いていた。
……怒りは別に鎮火した訳じゃなく、未だに私の中でくすぶっている。
だけど……さっきまでの理不尽に噛み付こうとした怒りとは打って変わって、胸の奥から湧き出て来た、どんよりとしたこの昏い感情は……
「だからこそ、真っ先に一番の戦力である『歩砲』部隊を解体するという暴挙に出……」
その感情の湧き上がるままに、私は隊長の言葉を遮るように口を開いていた。
「隊長は、それに従うんですか?」
「……軍人にとって、命令は絶対だ」
感情に任せた私の叫びに返ってきたのは、そんな……彼らしくもない、冷静で模範的な軍人としての回答だった。
それに納得出来なかった私は、再び口を開く。
「ヴォルフラム=ヴィルシュテッターはそれでいいのかって聞いているんですっ!」
「……取りあえず、食事でも摂って来い。
お前は冷静さを失っている」
私の問いに再度返ってきたのは、答えるのも面倒だと言わんばかりの、全くやる気のない命令だった。
その命令と、鬱陶しい虫を追い払うような仕草に、私の怒りはついに頂点へと達する。
その怒りのまま、私は彼が手渡してくれた解雇通知をその場で破り捨てると……
「失礼しますっ!」
そう怒鳴りつけて隊長室を……私たちの愛の巣だと思い込んでいた部屋を飛び出す。
「何だってのよ、あの隊長はっ!」
怒りに任せ大股で通路を練り歩きながら、私はそう怒鳴りつけていた。
その権幕に脅えたのか、それとも私の表情が凄まじかったのか……通路ですれ違う男性の誰もが脅えた顔をして私から遠ざかって行く。
だと言うのに……私がこの『へび卵砦』に来た理由が遠ざかっているにも関わらず、私はその有象無象を一切気にもかけなかった。
ただ怒りのままに、通路をまっすぐに進む。
向かう先は……隊長の言葉通りの食堂である。
──まずは、食べないと。
──身体が、資本なんだからっ!
……そう。
隊長の態度は気に入らないし、『工場』とかいうらしい敵の無茶苦茶なやり方にも、『歩柱』による一方的な虐殺にも腹が立つ。
腹は立つが、幾ら怒っていても、昨日の戦場からパンの一欠けらも食べていないことに変わりはなく……私の身体は栄養を欲していたのだ。
──今日の気分は、コレよっ!
そのまま食堂のフードメーカーを操作して、この不味いフードメーカーが作る料理の中でも一番不味いと評判のレーションを選び、乱暴にトレーへと乗せると……人のいない適当な席へと座る。
そのまま何の感慨もなく『ソレ』を、スプーンで口の中に押し込む。
……相変わらず、エグ味と苦味と奇妙な食感が、食欲を霧散させることこの上ない。
だけど、そのままお腹にズシリとしがみ付いたような怒りに任せ、不味いレーションを次々に口の中へと押し込み続ける。
──大体、あの隊長はっ!
そうして苛立ちのまま、水を飲むことでレーションを胃の中に流し込むという、凄まじく下品な食べ方を続けていると、すぐにお腹は張ってきた。
このレーション、味と反比例する形でカロリーや栄養素はあるという話だから、多分、食事はもう必要ないだろう。
そうしてお腹がようやく膨れた私は、ふとため息を一つ吐いて……
──あれ?
ふと、我に返る。
──何故私は、あんなに怒っていたの?
冷静に考えてみれば、別に解雇されるのは悪いことじゃない。
命がけの戦場に出る必要がなくなった訳だし……正直な話、『プリムラ卵』の悪評が広がっていて誰も私に近づいてこないこの『へび卵砦』にこれ以上居座っていても、生憎と亭主どころか彼氏すらも見つけることは不可能だろう。
……勿論、隊長に対する未練はある。
あるけれど……同じくらい、彼との未来が期待出来ないとも理解している。
格好良くて物静かで、無愛想で物臭で私生活もろくに出来ない社会不適合者。
幸せな生活や穏やかな暮らしの中では眠ることすら出来ず、酒に溺れるばかりのアルコール中毒者。
そんな彼だからこそ、戦場では誰よりも生き生きとしていて、優雅で繊細に『歩砲』を乗りこなし、器用に銃器を使いこなし、誰よりも戦いを望む……戦争中毒者。
──ああ、だから。
そうして隊長の姿を脳裏に浮かべたことで、私はさっきの……昏い怒りの正体を理解した。
──コレは、失望の怒りだ。
つまり……私は隊長に格好良くいて欲しいのだろう。
アルコール浸りの日常生活はもうどうでも良いから……せめて、戦場だけは。
──変な、話だけど。
私はただ……あのヴォルフラム隊長に、ただ一目惚れをしただけなのに。
自分の頭の中で描いていた、戦場で肩を並べる男性という妄想にそっくりだっただけ、なのに。
そして今でも私は……結婚生活や幸せな家庭という望みを捨ててなくて、肝心のヴォルフラム隊長はその「結婚生活」にも「幸せな家庭」にもそぐわない社会不適合者と分かり切っている筈なのに。
──だけど。
だけど、どうやら私は……「ただ誰かと結婚して幸せな家庭を築く」という、この『へび卵砦』に来る前の夢ではもう満足が出来なくなっているらしい。
そうだとしたら、私は一体、何を……
そうして私が空になったトレーを前に思索に耽っていた、その時だった。
「よっ、元気か、【鬼火】の嬢ちゃん」
「あの【死神】と一緒だったんだろ?
……よく生きていたな」
不機嫌極まりないオーラを放っていただろう私へと、躊躇なくそう話しかけて来る二つの人影があった。
その二人はもういい加減見慣れてきた顔の……【タンポポ】さんと【ハゲ】さんである。
「……それはこっちの台詞ですよ。
敵にやられて『棺桶』漬けになったのに……無事だったんですか?」
「ああ?
怪我一つしてねぇよ。
あんなのは『棺桶』の誤作動で、俺たちは負けてねぇ。
ありゃ不意を突かれただけだっつーに」
「大体、『棺桶』漬けになっても、特殊な溶液に浸ければすぐに治るのさ。
今の時代、脳さえ無事なら再生治療で回復出来るからな」
私の問いに二人は笑いながらそう答えてくれた。
【ハゲ】さんは口を尖らせながら負け惜しみを叫び、【タンポポ】さんは必要もないうんちくを垂れ流している。
……相変わらず、私の好みとはかけ離れている二人である。
「そう言えば、お二人も解雇、されたんですか?」
「あ~、まぁな。
一応、まだ三日くらいは軍属だがな」
「……所詮は傭兵稼業。
またすぐに次の職場を見つけるさ」
私の問いに、二人は僅かに沈んだ声でそう答えてくれた。
彼らの言葉に嘘はなさそうで……どうやら私たち『へび卵砦』第二機甲師団第三部隊は本当に解散してしまうらしい。
三日くらい……と言うのは解雇通知が適用されるまでの猶予期間、なのだろう。
私は解雇通知の一行を読んだところで破り捨ててしまったから、そこまで詳しい内容は知らなかったけれど。
「……それより、だ。
てめぇも、よく無事だったな?」
「確かに……あの【死神】と同じ『歩砲』に乗っていたん、だよな?
絶対に二人して爆散すると思っていたんだがな」
まるで私の、いや、私たち二人の生還が不思議と言わんばかりの二人の言葉に、私はちょっとだけ腹を立てていた。
だって、あの『歩砲』は私が操縦している訳じゃなくて……
「あの隊長が操縦しているんですよ?
そう簡単にやられる訳ないじゃないですかっ!」
私の口からは自然と……そんな抗議の声が溢れ出ていた。
他のことは兎も角、ヴォルフラム隊長の戦場においての技量だけは、誰にも馬鹿にされたくなかったのだ。
……だけど。
私の怒声を聞いた二人は……何故か、笑い始めたのだ。
「な、な、な、何がおかしいのよっ!」
「そりゃ、逆だ。
アイツが操縦しているからこそ、死ぬかも知れないんだよ。
何故アイツに【死神】なんて物騒な二つ名がついていると思っているんだ?」
「……え?」
【タンポポ】さんのその言葉に、私は固まってしまう。
確かに私は、ヴォルフラム隊長の二つ名に何故【死神】なんて不吉な名前がついているのか……一度も聞いたことがなかった。
あの同乗者を気遣うことなく発揮される、凄まじいまでの運転技量と、そして自ら望んで過酷な戦場へと足を踏み入れる、自殺志願者とも言える戦争中毒の所為かと思っていたけれど……
「……想像もつかねぇか?
あの戦闘技量、勘の良さ、戦術眼……クソ忌々しいが、全てにおいて優秀なアイツと、一緒に組もうなんて人間が【金髪】のヤツ以降、誰一人としていねぇのは何故だと思う?」
……言われてみれば。
私を小馬鹿にしたような【ハゲ】さんの態度が少し腹に据えかねたものの、彼の言葉そのものに間違いは一つもなかった。
何しろ、ここは戦場なのだ。
……一発の砲弾で、一瞬の判断ミスで命を落とす、過酷な場所である。
幾ら『棺桶』という延命システムがあると言っても、当然のことながら『棺桶』が確実に命を保障してくれる訳もなく……【タンポポ】さんの言うとおり、爆散して脳を損傷してしまえば、それで終わりなのだ。
……そんな死と隣り合わせの場所にいるならば、誰だって生存率を1%でも上げたいと願うのが当然の心理だろう。
──だけど、あの隊長は組む相手がいない。
彼らの問いに対し、私は返す言葉を持たなかった。
そして私は……彼のことを、【死神】という二つ名を持ったヴォルフラム=ヴィルシュテッターのことを、もっと知りたいと思っていたのだ。
そんな私の気持ちは、顔に出ていたのだろうか?
【ハゲ】さんと【タンポポ】さんの二人は私の顔を見て肩を軽く竦めると……
彼が【死神】と呼ばれるようになったその顛末について、口を開き始めたのだった。




