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第四章 第三話


 隊長の口からその過去を聞かされ……三日が経過していた。


 ──どうしよう。


 私は未だに結論を出せず……こうして『へび卵砦』に在籍したまま、食堂で不味いと評判の料理をスプーンで掻き回していた。

 私の中の冷静な部分は、このまま此処にいても良いことなんてないのは理解している。

 何しろ私が狙っているヴォルフラム隊長は精神的外傷(トラウマ)による戦場依存症で、戦場に出なければアルコールの力を借りないと寝ることすら出来ない有様なのだ。

 そして……私と同郷の先輩方が仕出かしてくれた負の遺産の所為で、『プリムラ卵』出身者の私に色目を使ってくる男性なんて、この『へび卵砦』には一人もいないということも。

 加えて言うならば、私たちが敵対している『農場』では、女性は男性を好きに選んで結婚する権利を与えてくれるらしいことも知っている。

 つまり……私がこの『へび卵砦』にいる意味なんて、もう何処にも存在していないということなのだ。

 ……だけど。

 だけど、そう私の中の冷静な部分が訴えているというのに。


「……どうしようかなぁ」


 私は、未だに迷っていた。

 今のままの生活を、何の潤いもない筈のこの最前線での生活を断ち切る決断が下せないのだ。


「……何がだ、アドリア=クリスティ」


「い、いえっ!

 何でもありませんっ!」


 つい口から零れた呟きを、【死神】ヴォルフラム隊長に聞き咎められ……私は慌てて首を左右に振って誤魔化していた。


「さっさと食え。

 ……美味くはないが、口に入れなければいざという時に困るぞ?」


 ヴォルフラム隊長の声を聞いて我に返った私は、慌ててトレーの上に乗ってある緑色のゼリーを口に入れる。

 ……はっきり言って彼の言葉通り、美味しいものじゃない。

 ビタミンやカロチンなど、人間の身体に必要な栄養素を当分と一緒に摂取できるこのゼリーは、一言で言えば甘苦くてエグいという、訳の分からない味をしている。


 ──確かに、コレは酷い。


 あまりの不味さに私は思わず眉を顰めていた。

 あれだけの汚部屋で酒浸りの生活を続けていた、戦争以外には無頓着極まりないあのヴォルフラム隊長が、干し肉や缶詰など、酒のつまみばかりを口にし続けている彼が「新しいフードメーカー購入の予算を」と愚痴るのも納得してしまう味である。

 この基地へ着任してから七日間ほどが経過したが……そのたった二十回ほどの食事の間に、私は十分、この『第二機甲師団』のフードメーカーは凄まじく品質の悪い代物だと思い知らされていた。


「ま、安心しろ。

 三年間喰ってきたが、今日のは久々に会心の出来だ」


 彼の言葉に嘘はなかったのだろう。

 周囲を見てみれば、確かにベテラン傭兵である【ハゲ】さんや【タンポポ】さん、その他の男性たちも凄まじく嫌な顔をしながらそのゼリーを口に運んでいる。

 今回の食事は、この不味いフードメーカーに慣れている彼らをしても、食が進まないほど酷い味らしい。

 そんな「酷い味」を、ヴォルフラム隊長は「会心の出来」と称したのだから……もしかしたら私が上の空なのを気にして、慣れない冗談を投げかけてくれたのかもしれない。

 ……だけど。


「……はぁ」


 宇宙船の事故ほどに珍しい隊長の気遣いに対しても、私の口からはそんな生返事しか出てこなかった。

 この三日間、訓練を続けたことで、この【死神】という二つ名を持つ隊長との連携はかなり上手くなってきたと思う。

 私生活も彼の服を洗濯して、彼の汚したゴミを片付けて、彼のためにお酒を酌してあげて……同じ部屋で寝泊まりするのも、少しずつ慣れてきたと思っている。

 ……だけど。

 やはり私は『プリムラ卵』の人間で、男性との結婚生活というものに、結婚して平穏無事に子供を育てるような生活への憧れが捨てきれないのだ。

 だから、戦争中毒である彼との将来は期待できない以上、こんな生活をしていても無駄で……


 ──そう分かっているのに、この生活を捨て切れない。


 その二律背反に、私はこうしてずっと悩み続けているのである。


「……なぁ、アドリア=クリスティ。

 もし、ここにいるのがイヤだったら……」


 そんな私の態度を見咎めたのだろう。

 いや、彼は私の悩みが何かさえも見抜いていたのかもしれない。

 だからこそヴォルフラム隊長がそんな……私にとっては致命的な決別を意味するだろう一言を口にしかけた。

 ……その時だった。

 突如、食堂中に甲高い警報音が鳴り響く。

 その警報音はいつもより遥かに凄まじく……耳と頭が痛くなるほどの音量だった。


「~~~敵襲っ!

 第三部隊、全員第一種戦闘配備っ!

てめぇらっ! さっさと『歩砲』に乗り込みやがれっ!」


 その音を聞いた途端、ヴォルフラム隊長は珍しく慌てたような叫び声を上げていた。

 隊長の叫びが食堂に響いた途端、周囲の席で食事をしていた隊員たちはすぐさま立ち上がり、食事への未練もなく食堂から走り出ていく。


「え、あ、え?」


 そんな中私は、その警報音の意味すらも理解出来ずに、ただ狼狽えることしか出来なかった。

 さっきまでの自分の悩みに答えが出ていないことや、こうしていきなり戦闘態勢に入ることに慣れていない所為もあるのだろう。

 ……だけど。


「アドリア=クリスティっ!

 とっとと着いて来いっ!

 悩みが何なのかは、後で聞くっ!」


「は、はいっ!」


 そのヴォルフラム隊長の一喝によって、私は悩みも何もかも吹っ飛んで来た。


 ──今は、それどころじゃないっ!


 そう心を切り替えた私は、眼前の食べかけの食事を放ったまま立ち上がり、そのまま口を手で拭うと……

 先を走るヴォルフラム隊長の背中を追いかけ、廊下を全力で走り抜けたのだった。




 格納庫は相変わらずの状況だった。

 鋼鉄の屋根に覆われた広い空間の中に、所狭しと並んだ『歩砲』の群れの間を、搭乗員と整備員と、そして整備用のボットが走り回っている。

 既に数機の『歩砲』が出陣しているのに、格納庫の中はそれほど砂が積もっている様子もなく……

 どうやら今日はあまり砂塵が濃くないらしい。


「こっちっ!

 副砲の弾が入ってないぞっ!」


「バッテリーが半分以下だっ!

 何やっていたんだよ、てめぇらっ!」


「無茶を言うなっ!

 下手なてめぇがぶち壊すから手一杯だったんじゃねぇかっ!」


 格納庫内は喧騒に満ちていて……搭乗員や整備員の怒号と、走り出した『歩砲』のタイヤが地を滑る音がやかましい。

 そんな喧騒の中を私は駆け抜け、ヴォルフラム隊長が乗り込もうとしている『歩砲』へと駆け寄る。

 周囲は砂とオイル、急発進した『歩砲』のタイヤが焼ける匂い、整備用のオイルの匂いに満ちていて……私の緊張を嫌が応でもかき立ててくれていた。


 ──これから、また、戦場に出るんだ。


 その事実に私は息を大きく吐き、緊張を吹き飛ばす。

 とは言え、【死神】ヴォルフラム隊長の操縦に身を預けるのだ。


 ──だから、怖いことなんて、何もない。


 そう念じながらシートに身を預け、ベルトで身体を固定する。

 ……だと言うのに。

 ヴォルフラム隊長に命を預ける覚悟は出来ているのに……

 それでもベルトを締める指先が震えてくるのは……やはり、これから向かう先がたったの一発で命が失われる戦場だから、だろう。


「……あんまり無茶しないでよ、【死神】ヴォルフラム。

 いつもいつもいつも、何処か壊してくるんだから」


 ふと全天方位モニタをチェック中に、突如ウィンドウが表示され、【眼鏡】ことヤマトさんがそんな小言を零す。


「やかましい、アホ【眼鏡】。

 それを直すのが、てめぇの仕事だろうが」


 そのヤマトさんの小言を聞いた隊長は、心配してくれていた筈の相手に向けて、そんな罵声を返していた。

 だと言うのに、ヤマトさんは軽く笑って片手を上げ、ヴォルフラム隊長もそれに親指を突き上げることで答える。

 ……慣れ親しんだ間柄だから、だろう。

 その二人の掛け合いに、私はふと笑みを浮かべる。


 ──こういう関係って、良いな。


 そんなことを思いつつ……ふと気付けば、私の手はいつの間にか震えを忘れていた。


「じゃ、行くぞ、アドリア=クリスティっ!」


「は、はいっ!」


 そして、私たちの乗った『歩砲』は隊長の操縦に従って動き始める。

 胴体部から突き出た四本の足が砂煙を上げているのを全天方位モニタで眺めつつ、私はシミュレーターでもう慣れた武装チェックを開始する。


 ──88mm主砲、五〇発。

 ──15mmガトリング、二〇〇〇発。


 どうやら【眼鏡】さんは補給物資も少ないと言うのに、私たちの……いや、多分【死神】隊長の乗るこの『歩砲』は優先的に補給をしてくれたらしい。

 実際、前回の戦闘であれだけ被弾していたにも関わらず、隊長の操る『歩砲』の動きに淀みはなく、エネルギーも満タンらしい。


「……相変わらず、良い仕事しやがる」


 機体内音声がポツリと、そんな呟きを拾ったのは……多分、気のせいじゃないだろう。

 何だかんだでヴォルフラム隊長は、あの優しげな整備班を信頼しているのだ。

 そうして進み始めた私たちの『歩砲』と並んで、四機の『歩砲』が追尾してくる。


 ──これが、第二機甲師団、第三部隊。


 私の所属する部隊の、『歩砲』が全て出揃ったことになる。

 ……ちなみに、この部隊に配属されてからの一週間、どの機体ともシミュレーターで手合わせをした経験はあるけれど、全員が全員、凄まじい腕の持ち主だった。

 私と【死神】隊長のコンビが彼らと対戦した結果は、ほぼ五分五分。

 ……あのヴォルフラム隊長の操縦に肉薄するほどの腕を各自が備えているのだから、それはもう精鋭部隊と言っても過言ではないだろう。


 ──である以上、私たちに負けはない。


 私は心の中でそう呟きつつ、前方へと視線を戻す。

 うっすらとした砂塵の向こう側には、風食によって出来た、酷く尖った形をした岩山が何十も連なって突き出していた。


「……剣山」


 シミュレーターで見たことのあるその景色は、まさに『剣山』としか表現出来ない有様だろう。

 とは言え、シミュレーターで見た景色が現実と同じであれば……その針の後ろに『歩砲』が隠れることが出来るくらい、一本一本のスケールがとんでもなく大きな岩石地帯だったりするのだが。


「……こっちに、敵が?」


「いや。敵は西側から……まっすぐにこちらに向かって来ている。

 だからこそ、俺たち『歩砲』は岩山を迂回して急襲をかけるって作戦だ」


 その隊長の呟きを聞いて、私は敵が来ているらしき西側へと視線を向けていた。


「~~~っ!」


 まだ敵は遠くてその全貌すらも窺うことは出来ない。

 ……だけど。


 ──もの凄い、砂煙。


 今日は風が殆どなく砂塵が薄いと言うのに、まるで竜巻が訪れるかのような砂煙がこちらに向かって来ているのが分かる。

 敵の総数は分からないが……あの砂煙の大きさを見る限り、凄まじい数の大部隊がこちらに向かっている、っていうのがまだ着任して一週間足らずの私にも見て取れる。


「……砦は大丈夫ですよね?」


 その大攻勢を目の当たりにして思わず私がそう呟いたのは、あの『へび卵砦』に……あの隊長室にまだ未練がある所為だろう。

 片付けをして洗濯をして寝て起きて……私が望むようなラブラブな記憶なんて欠片もない部屋だけど。

 それでも……やっぱりこの数日間は過ごした部屋なのだ。

 この三日間で何度も何度も出て行こうと考え続けていたというのに、私の中にはどうやら若干の愛着が芽生えているらしい。


「……ああ。

 第一、第二の『歩砲』も配備されているからな」

 

 そんな私の葛藤に気付くこともなく、隊長は素でそう答えていた。

 その言葉にふと気になって背後を振り返ると……砂塵の隙間から『へび卵砦』が見える。


「……凄い」


 私の視界に入ってきたのは、『卵』の前面に十機ほどの『歩砲』が控えていた。

 その背後には第一歩兵師団らしき『卵』外作業服を着込んだ人々が整列して並んでいる。

 その陣形の左右に展開しているバイク部隊は、第三機動師団の面々で……機動力を生かして遊撃を仕掛けるための配備だろう。

 ……どうやら『へび卵砦』には総員出動がかかっているようだった。


「……こりゃ、デカい戦争になるな」


 モニタの端のウィンドウに映った【死神】隊長は、そんな物騒な台詞を……どう見ても楽しそうな笑みを浮かべながら呟いていた。

 戦争中毒者の彼にしてみれば、こういう大一番は最高の娯楽に違いない。


 ──相変わらず、無茶苦茶だっ!


 彼の楽しそうなその呟きに内心でそう悲鳴を上げたところで、突如、モニタに新しいウィンドウが開き、【タンポポ】さんの顔が映し出される。

 どうやら今日は砂塵が薄い所為か、少し離れたくらいなら無線通信が可能らしい。


「おい、勝手に持ち場離れて良いのかよ!」


 そんな【タンポポ】さんの言葉を聞いて、今さらながらに私は気付く。


 ──そう言えば、さっきの作戦、誰から聞いたのだろう?


 突如鳴り響いたサイレンを聞いて、私たちは食事も途中で放り出して慌てて出撃していた。

 ……考えてみれば、隊長が誰かから命令を受けた様子がない。

 つまり、この迂回して横腹を突く作戦は……


「先日、上の連中からは「好きにしろ」というお達しがあった。

 俺たち第三部隊は戦場では自由裁量が許されるらしい」


 どうやら、【死神】隊長の指揮はよほど信頼されているらしい。

 こうして敵の大侵攻に備えてなければならない状況であっても……これほど自由に行動することが許されているのだから。

 そう考えた私の頬がちょっとだけ緩む。

 ……だと言うのに、次は【ハゲ】さんの顔が映し出されたウィンドウが飛び出て来て、私の良い気分を台無しにしてくれた。


「って、おいおい。

 あのお堅い総務部の連中がそんな不条理を許すなんて、あり得るのか?」


「先日、『お前らに下手な命令を下しても、ただ戦場が混乱するだけだ』との有り難いお言葉を頂いた。

 ……てめぇらが無茶ばかりするから、んな小言喰らったんだよ、この馬鹿共っ!」


 【ハゲ】さんの声に答えた隊長の返事は、酷く不機嫌なものだった。

 その声を聞いた私は……彼が隊長職を嫌っていることを思い出していた。

 ……前線で戦いたいという欲求を除いても、彼はどうやら管理職そのものが嫌いな体質らしい。


「何言ってやがる。

 一番無茶苦茶なのはてめぇだろうが、【死神】がっ」


「てめぇの無茶で、俺たちが何度死にかけたことか、畜生っ」


 どうやら私の初陣で単機突撃をやらかしてくれたヴォルフラム隊長の無茶苦茶は……彼ら第三部隊の隊員たちから見てもやっぱり無茶苦茶だったらしい。

 眼前のモニターの中、二人がかりで責められている隊長を見て、私は思わず笑みを浮かべていた。

 だけど、すぐに気付く。


 ──その無茶苦茶に、私は、また巻き込まれるんだ。


 その事実に私は思わず青褪めていた。

 そうしている間にも……私たち第二機甲師団第三部隊、五機の『歩砲』は岩山が並んでいる辺りへとたどり着いたらしい。


「さて、そろそろ無駄口は御終いだ。

 てめぇら、喋ると舌を噛むぞ?」


 隊長のその言葉に口を閉じ直した私は、真正面にまで来た、まるで剣山のようにも見えるその風化岩地帯へと視線を向ける。

 剣山……と一口に言っても、全てが希少金属を含む砂嵐によって奇妙な形に風化した岩々であり、その針の一本一本が一定の大きさでもなければ、足元に巨大な尖った岩が転がっていたりする。

 つまり……『歩砲』で走るのにはあまり向かない地形なのだ。

 勿論、『歩砲』に四本の脚があるのは……こういう地形でも運用できるよう、汎用性を高めた結果ではあるんだけど。


「……こりゃ、揺れそう、ですね」


 その酷い悪路を前に、思わず私の口からはそんなため息が零れ出ていた。

 私の受けた訓練は、まだ射撃と基礎操縦が基本で……こんな酷い場所を走るような訓練なんて受けていない。

 だからこそ……眼前に広がる、赴任初日のような醜態を晒しかねない光景に、私は思わず怯んでしまっていたのである。


「ははっ! すぐに慣れるさっ!

 さぁ、突っ込むぞっ!」


「は、はいっ!」


 ──生きて、帰れますようにっ!


 何故か酷く機嫌の良さそうな隊長の号令に叫びを返しつつも、私は内心で思わずそう呟いていた。

 そんな私の悲鳴に気付くこともなく、【死神】ヴォルフラム隊長は楽しそうな笑みを浮かべたまま、『歩砲』を剣山の中へと突き進ませて行くのだった。


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