第三章 第一話
「じゃ、俺はシャワー室へ行ってくる」
「ぁ……は、はいっ」
私がこの部屋で暮らし始めてから三日間が経過していた。
そんな声と共に振り替えった私は、あの日から数えて五度目になる硬直を味わう羽目に陥っていた。
──は、はだ、裸っ!
何しろ、振り返った先では【死神】ことヴォルフラム隊長が下着のみという恰好で突っ立っていたのだ。
たったの三日間で異性の裸に慣れるハズもなく、私は完全に硬直したまま……それでも僅かな理性を持ってその姿を網膜に焼き付ける。
軍服をその辺りに脱ぎ散らかした彼は、今や黒のトランクス以外に身に付けるものは何もなく……いや、胸に軍票のみが残されている姿である。
そして……その無駄なく引き締まっていながらも、筋肉質と言うほどではない、筋力よりも敏捷性を重んじているだろう身体は、あちこちに銃痕や縫跡などの傷跡が残っていて、それがまさに戦士という雰囲気を増すのに一役買っている。
呆けたままそんな彼の姿を見つめていた私は、顔の熱さによって強制的に我に返っていた。
──や、やばっ。
それに気付いた瞬間、私は慌てて顔をヴォルフラム隊長から背ける。
何しろ……こんな真っ赤に染まった間抜けな顔を彼に見せる訳にはいかない。
そうして私が背中を向けている内に、ヴォルフラム隊長はさっさと部屋を出て行ってしまう。
私の不審な行動など、気にした様子もなく。
その後ろ姿に目を向けて……私は大きなため息を吐いていた。
──失敗、だったかも。
この隊長室に私が住みついてから三日間。
私は既に五度もこういう光景……早い話がヴォルフラム隊長の半裸に出くわし、その度に硬直していた。
だと言うのに、彼は一向に裸を見られることに頓着する様子もなく、私が必死に隠れて着替えている姿に目を向ける訳でもなく。
「……何か、違うんだよね……」
思わず私はそう呟いていた。
あの三日前……この部屋に住みつく決心をしたあの瞬間は、この部屋に留まることが人生の全てであり、最高の選択肢だと思えたものだ。
異性と同室で暮らすなんて夢のような展開で、そうして彼のお世話をしていく内に、愛情が芽生えてくると期待して……
──だけど。
だけど、何かが違うのだ。
確かにこの状況は嬉しいし、彼の半裸姿に毎回毎回心臓が止まるような思いをしているのもまた事実である。
異性に対する好奇心を抑えられない私にとって、文字通り垂涎ものの素晴らしい状況である。
なのに……彼の態度は異性と同居をしている男性の行動とは全く思えない。
「男性って、あんなものかなぁ」
行動全てが無雑作というか、素のままというか……こちらを全く意識していないと言うか……異性と思われてないと言うか。
そんな不毛な考えを、私は首を左右に振ることで頭から追い出し、彼の脱ぎ散らかした服へと視線を向ける。
「また、こんなにして……」
相変わらず、無雑作というか雑と言うか。
彼の脱ぎ捨てた軍服を拾い集め……洗濯するための自動洗濯用ボットを呼び出すために軍票を操ろうとして……
彼の服から、汗の匂いと、それからまた別の彼自身の匂いが鼻腔をくすぐり始めたのだ。
──あ、ぁ……
私はその匂いに惹きつけられるかのように、彼の軍服……特に一番肌に触れていただろうシャツに顔を埋め……
「何をやってるんだ、私はっ!」
ふと我に返ると、理性を総動員して彼のシャツから自分の顔を引き剥がす。
自分の姿があまりにも女を捨てているような気がして……だからこそこのままじゃいけないと判断したのだ。
そのまま軍票を操作して洗濯用ボットと掃除用ボットを呼び出す。
腰ほどのまでの高さの円筒形のボットが洗濯用ボット……洗濯物の運搬・洗濯・乾燥までを自動で行ってくれる優れもので、踝までの高さの半球形ボットが掃除用ボットである。
どっちもこうして操作一つで何もかもやってくれるものだから、そう手間もかからない。
これら全てを手作業でやっていた頃とは全く時代が違うのだ。
──そう言えば、隊長って生活無能力者を自称していたけれど。
あれほど凄まじい戦闘能力を誇る彼が、本当にこんな簡単なことも出来ないのだろうか?
まぁ、人には得手不得手というものが存在するのは分かるんだけど。
とは言え、あの無雑作っぷりは何とかして欲しいものである。
掃除洗濯の類はもう慣れたけれど、三日間も過ごして全く何の欠片も進展が見られないというのはちょっと……
──だけど、もう隊長しかいないんだよね。
この『へび卵砦』内全てに私の悪評……いや、『プリムラ卵』の悪評が出回っていて、他の男性たちは恐れをなしたのか私に声をかけてこようともしない。
勿論、そんな意気地のない男性なんてこちらからお断りしても構わないんだけど……その所為で私はこの戦場にいる限り、隊長との仲を進展させる以外の選択肢がない。
だと言うのに……その肝心の隊長は私を異性としてすら見てくれてないという有様で。
「……ふぁ」
ふとそんなことを考えていたら欠伸が零れてしまう。
思い返してみれば、この三日間は殆ど寝ていない。
一日目は隊長と……ヴォルフラムという一人の異性と一つ屋根の下、二人きりで一夜を過ごすというその事実に興奮、もとい緊張して一睡も出来なかった。
夜まで彼が酒を飲み続けた結果、アルコールの匂いの漂う部屋の中……彼の寝息、衣擦れ、寝返りでソファが軋む音……そういう音がする度に私は震え驚き硬直と弛緩を繰り返し。
緊張の所為か身体中から汗が吹き出し続け……汗の匂いを気にした私は夜中に下着を五回も替える羽目になり……。
……結局、その努力は何の意味もなかったけれど。
二日目の晩は少しだけ眠れた。
一度は確かにうたた寝をしていたんだけど、彼の足音が近づく音で目が冴えてしまい、動揺を悟られないように、声を出さないように指を噛んで息を押し殺し……
昨夜の内に五着の下着を「良い方」から順に穿いたことを後悔しながら、その瞬間に備えて覚悟を決めて。
結局、彼はトイレに向かっただけで……一度目覚めたらもう飲まないと眠れないらしい隊長が、酒の力でぶっ倒れるまで、私は硬直し続け……そして気付けば朝だったのだ。
──昨夜はもっと酷かった。
【眼鏡】ことヤマトさんに貰った、『夜の営み』を勉強するための、男女が絡み合うムービーを手にじっくりと勉強していたら……気付けば夜が明けていたのである。
勿論、『卵』の中だから、朝なんて『卵』内部隔壁に設置されてある電灯が点いたというだけに過ぎないんだけど……
「……もう、流石に、無理」
自業自得に近いとは言え、流石に眠気が我慢できる限界値を振り切っている。
そのまま私はベッドに倒れ込もうとして……ギリギリのところで意思を総動員し、重力加速度から身体を引き離す。
……このまま眠ったら、制服が皺になってしまうから、脱がないといけない。
私は半ば睡魔に敗北しつつある脳みそでそう考えると、感覚がほとんどなくなった手で黄土色の軍服を脱いでいく。
──あ、でも。
そうなると、シャワー室から出てきたヴォルフラム隊長に寝顔を思いっ切り見られてしまうかも。
一応、そう寝相も酷くないし、涎で枕を濡らすような眠り方をした覚えもないんだけど。
──それに……今日こそは……
もしかして、その、『もしかする』かもしれないから、下着を替えることにする。
どれにしようかと一瞬だけ悩むものの、今の意識では一番目立つ色……つまり少し子供っぽいけれど、ピンク色に自然と手が伸びた。
眠気ギリギリのところで意思を総動員しながら下着を替えるという荒業を行った私は、もうその時点で限界を迎えていた。
流石に下着のみで寝転ぶなんて、狙いが露骨過ぎるなんて眠気の中で考えた私はシャツに手を伸ばした、と思う。
とは言え、そう考えたところでもう私の意識は完全に暗闇の中へと沈み込んでしまったのだった。




