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第二章 第六話


 辛辣な言葉を受けた私は、ヴォルフラム隊長とヤマトさんの前から逃げ出すように走り去っていた。

 そうして彼らの姿が見えない場所まで走って来て、ようやく私は自分の胸が心臓の鼓動以外の理由で痛むことに気付いていた。

 この頬を流れているのは……涙だろうか?


 ──だとしたら、コレって失恋の痛み、ってヤツ?


 ふと、私はそんなことを考える。

 走りながらも……そんなことを考えられる自分はまだ余裕があるな、なんて考えつつ。

 そうして無我夢中で廊下を走り、角を曲がったその時だった。


「~~~っ!」


 眼前にあったのは、純白の『卵』外作業服姿の人影。


 ──『トリフィド』っ!


 ソレと出くわした瞬間、今さらながらに私は気付く。

 ……今がまだ戦闘中だったということを。

 ヤマトさんを助け出したところで一旦休憩を取ったところで気が抜けていたらしい。


「あぁああああああああああああっ!」


 慌てて手に持っていた小銃を構え、無我夢中で放つ。

 幸いにしてその『トリフィド』は本当の『トリフィド』……中身に人のいない水風船の方だったようだ。

 そして……出会い頭だった分、生身である私の反応の方が早かったらしい。

 私の放った銃弾は、『トリフィド』の身体に数個の穴を穿ち……『トリフィド』は真紅の液体をまき散らして床へと倒れて動かなくなっていた。

 

「……ふぅ、ふぅっ、助、かった」


 恐怖で荒くなった息を鎮めながら、私はそう呟く。

 呟いてから、気付く。

 ……別に撃つ必要なんてなかったことに。


 ──このまま、捕まってしまえば、それで……


 不意にそんなことを考えた私だったが……

 すぐに首を左右に振ってその考えを頭から放り出す。


 ──だって、もう、無理だもの。


 ……そう。

 この『へび卵砦』に来る前だったら……あの【死神】ヴォルフラム隊長に出会う前ならそれでも良かったかもしれない。

 そうしてどんな形であれ、結婚して旦那を手に入れて、人並みの幸せを手に入れて満足していただろう。

 ……だけど。

 私は、もう、出会ってしまったのだ。

 あの私の理想が体現したかのような男性と……ヴォルフラム=ヴィルシュテッターと。


 ──だから、もう無理。


 その瞬間、私は『農場』にあるという楽園生活を全て見限っていた。

 どんなに幸せに思える生活よりも、今日出会ったばかりの、まだ良く知らない男性一人との未来の方が大事だと思えるのだからしょうがない。

 若気の至りとか、その場の勢いとか、そういうものかもしれないけれど。

 少なくとも私は……この感情に全てを賭けることにしたのだ。


 ──そう、自分で決めたのだ。


 そう決心すると、心の中は随分とすっきりしていた。

 さっき隊長の前から逃げ去ったあの嫌な気分もどこかへ消えている。

 ……『トリフィド』に銃弾をぶち込んだ所為か、それとも走ったお蔭だろうか?

 兎に角、私は心機一転した気持ちでさっき走った道を戻る。

 自分自身の決心と、これからもよろしくという言葉をヴォルフラム隊長に伝えるために。

 そうして、私が二人のいた部屋の手前まで来た、その時だった。


「戻ってこないね。

 ……やっぱりさっきのアレは、言い過ぎたんじゃない?」


 そんな【眼鏡】さんの声が私の耳に入って来る。

 どうやら自分のことを言っているようだと気付いた私は、そのままドアにへばりついて、中の様子を窺い始めた。

 私がそんな妙な行動をしているのは……入るタイミングを失ってしまった所為かもしれないけれど。


「別に、何も問題はない。

 むしろ隠し事をしていた方が、後々に致命的な問題を招いただろう。

 ま、補充兵の募集手続きが面倒ではあるがな」


 【眼鏡】さんに向けてのヴォルフラム隊長の言葉は、相変わらずクールなままで……私のことなんて本当に歯牙にもかけてないのが分かる。

 それは、やっぱりちょっと悔しくて悲しくて情けなくて……


 ──このまま逃げ去るなんて、とんでもない。


 私にそんな、更なる情熱を燃え上がらせていた。

 自分でも知らなかったけれど、私という女は恋愛ごとに関しては、どうやら酷く執念深い性質らしい。

 ……結局のところ、『プリムラ卵』出身者特有の気質は、私にも受け継がれている、ということなのだろう。

 私がそうして驚いている間にも二人の男性は話を続けていた。


「だから、彼女を残しておけばよかったんだよ。

 大体、補充兵が来てたとしても……誰が【死神】と組んでくれるって言うんだい?」


「……五月蠅い。

 もう過ぎたことだろう?」


「大体、一人では『歩砲』にも乗れないじゃないか。

 あの『大空襲』の精神的外傷(トラウマ)で……戦場に出ないと眠れない体質、まだ治らないんだろう?」


「……酒を飲めば眠れる。

 気にする必要はない」


 不意に。

 本当に不意に、何気ない声でヤマトさんがそう告げた言葉に、私は固まってしまっていた。

 ……『大空襲』。

 恐らく……開戦当初の、この【トレジャースター】歴史上最悪最低の大虐殺のことだろう。

 各地にあった二十八個の『卵』の内、七個が崩壊。

 言葉で言うだけならただそれだけの出来事でしかないが、実際は大参事以外の何物でもないだろう。

 何しろ……この【トレジャースター】という惑星は、居住可能な惑星に分類されてはいるものの、『卵』の外は砂嵐が吹き荒れ、昼間は七〇度、夜間はマイナス五〇度という地獄なのだ。

 水と食料を生産するプラントも、電力がなければどうしようもない。


 ──もしそんなところに生身の人間が放り出されたら?


 ヴォルフラム隊長の部屋があれだけ荒れ果てていて……酒やつまみのゴミに埋もれていた理由が今さらながらに分かってしまった。

 アレは、彼が苦しんで苦しんで、必死に眠ろうとしたその戦いの跡なのだ。

 そう考えてみると、あの汚部屋も受け入れる覚悟が決まると言うか、そう汚いものだとは思えなくなってくるから不思議なものである。


「けどさ、あの態度って【死神】らしくないよね。

 ボクはヴォルフラムだったらもっと楽しむと思っていたのに」


「……楽しむ、だと?」


 私の中で一つ心境の転機があった間にも、二人の会話は続いていた。

 私は相変わらず気配を消したまま、その会話に耳を傾ける。


「そう。

 いつ背後から狙われるか分からない。

 キミが常に言っている『最高にスリルある戦場』じゃないか。

 いや、日常生活でさえスリル満点で毎日良く眠れるんじゃないかな?

 ボクが保障するよ?」


「……んな保障、要らん。

 確かに背中から狙わるような日々ってのは、よく眠れそうだがな」


 ヤマトさんの声に隊長は怒鳴り返しながらも、私の眼にはその唇が若干吊り上っているように見えていた。

 何処となく楽しそうなその表情は……もしかしたらその『スリル満点の日常』とやらを楽しもうと思っているように思えてしまう。


「けど、ま、これで良かったのかもね。

 ……やっぱり誰もが、自分が望んだ職に就ける方が良いから、ね」


「……そうだな」


 ヤマトさんのその言葉に、ヴォルフラム隊長は手の中の銃器を眺めながら頷いていた。

 その表情は私のところからは窺えず……彼がこの傭兵という職業について何を思っているのかを読み取ることは出来なかった。


「そう言えば、彼女には言わなかったね。

 ……『金髪』さん、農場でそれなりに暮らしているって。

 ヴォルフラムが呑んでいる天然ものの酒、彼が貰っているってのに……」


「……五月蠅い。

 んなことを言えば、アイツが『農場』へと行く確率がますます高くなるだろう。

 もしアイツが向こう側につけば、否応なしに銃口を向けなきゃならなくなるから、な」


 その言葉に、私は思わずため息を吐いていた。

 だって……ヴォルフラム隊長の言葉は、紛れもなく私を気遣っての言葉だったのだから。


「……意外と考えているんだね、【死神】隊長」


「だから、五月蠅いぞ、てめぇ」


 どうやらヴォルフラム隊長は「隊長」と呼ばれるのには慣れてないらしい。

 と言うか、【眼鏡】さんにそう呼ばれるのは苦手らしく……どうもかなり前からの友人関係なのかもしれなかった。

 その二人の仲を見た私は、ちょっとだけ歯噛みする。

 何と言うか……二人の間からはみ出て隠れている自分の姿が、そのまま彼との距離感のように思えてしまったのだ。


「そう言えば、【ドジョウ】のヤツもそろそろ動き出して……もう掃討も終わる頃だな」


 ふと、【死神】隊長は軍票(ドッグ・タグ)を眺めながらそう呟いた。

 どうやら時間を計っていたのだろう。


「……呆れた。

 だから、ボクを助けて此処に籠っていたのかい?」


「水風船どもを潰しても疲れるだけで面白くないからな。

 ……新兵の訓練くらいが関の山だ、あんなの」


 銃器をいじりながら、ヴォルフラム隊長はそう軽く呟く。

 その言葉に……私は気付く。

 今日の彼は、少なくともこうして銃器を手に走り回ったあの戦闘の全ては、その言葉通り私に付き合ってくれていた、ということに。


 ──そう、かぁ。


 どうやら彼は無愛想で口が悪い人ではあるけれど、その心の底は優しい気遣いに溢れた良い人らしい。

 私をこの戦場から追い出そうとしたのも……私には戦場なんて似合わないという気遣いだったから、なのだろう。

 そう信じてしまった以上、信じられる材料を見つけてしまった以上、私にはもう此処にいる理由なんてなかった。

 ……するべきことを、見つけたのだから。


「んじゃ、俺はこれから酒でも呑んで寝る。

 この状況でもつまみくらい、食堂にあるだろう。

 ……この戦闘の処理は、まぁ、任せた」


「たまには隊長としての仕事をしたらどうなんだい?

 ボクにばっかり事務処理させてないでさ……」


 ヴォルフラム隊長とヤマトさんはそんな言葉を交わし合っていて……どうやらあんまり時間に余裕はないらしい。

 私はさっき走った廊下を再び走り出す。

 弾痕と『トリフィド』の残骸と外から吹き込んだらしい砂に汚れた廊下はもう無茶苦茶で凄まじい有様だった。

 だけど、動いている『トリフィド』はもういないらしく、隊長が言っていたように既に掃討は終わっているらしい。

 つまり、この戦いは私たち『へび卵砦』の勝利に終わった、ということだろう。

 私はそのボロボロの廊下を走り抜けると、そのまま『隊長室』へと走り込む。

 走った直後で息も荒いまま、私は袖をまくりあげると……


「さて、と。

 じゃ、この部屋、いっちょ片付けますか」


 気合を入れて、そう叫んでいた。

 ……そう。

 この汚部屋は、ヴォルフラム=ヴィルシュテッターが精神的外傷(トラウマ)と戦ったその痕跡である。

 言うならば、彼の血や汗と同じなのだ。

 である以上……その戦った汗や血を拭い去るのは、彼の相棒であるこの私の役割に違いない。

 そう決意してしまえば、後は簡単だった。

 酒瓶は酒瓶で適当にまとめる。

 棄てるべきゴミはまとめて廊下を掃除していた掃除ボットの前へと放り込む。

 服は選択しなきゃならないから、比較的綺麗なものは畳んでおく。

 どうしようもないカビとキノコが生えているヤツはカテゴリー『ブラック』にトリアージするしかないけれど。

 そうして大方のゴミの分類が終わり、隊長室の床が見えてきた頃……


「……何じゃ、こりゃ」


 室内に入ってきたヴォルフラム隊長は部屋の変わり様を見てそんな声を上げていた。

 ……まぁ、無理もない。

 一時間前まで奥まった辺りは床も見えないほどグチャグチャだった部屋が、一応それなりの体裁を整えていたのだから。


 ──実際は、まだ室内用掃除ボットも走らせていないんだけど。


 つまり、床の埃も取れていないし、カビやキノコ跡なんかも幾らでもあり……とても綺麗になったとは言えない有様である。

 それでも……【死神】の異名を持つヴォルフラムにとっては凄まじい違いだったらしい。

 いや、もしかしたら彼は「私がこの部屋にまだいる」ということにこそ驚いていたのかもしれない。

 兎に角、あれだけの銃弾の中を平然とした顔で走り抜けた【死神】隊長は、口を大きく開けて信じられない物を見たかのように硬直してしまっている。

 そんな彼の姿を見て、私は軽く微笑むと……


「あ、お帰りなさい、隊長」


 これから同室で暮らす相棒に向けて、そう告げたのだった。


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