涙と新たな決意
紅樹たちは破軍の遺跡からグンハ村まで戻ってきた。
宿屋に向かうために大通りを歩いていく。
村にあった時計を見ると時刻は夕方だった。
「いやぁ暴れた、暴れた」
ザンは肩を回しながら言った。
「さすがに、連戦はきつかったな。おかげでボロボロだぜ」
十数体のモンスターの攻撃を掻い潜って逃げてきたので、三人ともボロボロだった。
「うあー……」
アリスは魂が抜けたような表情だった。
「大丈夫か? アリス」
紅樹が心配そうに言う。
すると、アリスは烈火のごとく怒りだした。
「大丈夫じゃないわよ! なによ、いきなり抱えたかと思ったら、人のことさんざん振り回して。マジで死ぬかと思ったわよ!」
モンスターの火炎弾やら、電撃を回避するために、かなり激しく動き回った。そのせいで、抱えられていたアリスは右に左に文字通り振り回されて、さんざんな目にあったのだった。
涙目になりながらポカポカと紅樹を叩く。
「す、スマン。悪かった」
流石に非があると認めて、平に謝る。
「それと、逃げてる最中に私のお尻や胸を撫でたでしょ」
三白眼で睨む。
「いや、その、あまりにもさわり心地が良かったものだから、つい」
「この変態!!」
怒りの拳を見舞う。
その攻撃が腹部にクリーンヒット。思わず紅樹はうずくまる。
「遺跡のときは何もなかったから、少し油断した私がバカだった」
拳を震わせて悔しがる。
「ケケケ。紅樹もバカだな。あんな洗濯板と魅力の欠片もないケツ触って、ぶん殴られてやんの。ロリコンってのは損な生き物だねぇ」
ザンは可笑しそうにケタケタ笑った。
その瞬間、アリスに顔面を打ん殴られた。
「うごぉおお。拳の軌道が見えなかった」
ザンは顔を抑えて呻く。
「アンタたち何? マジで私にケンカ売ってるの?」
殺意の波動を漲らせるアリス。
「「まてまて、悪かった。謝るから許してください」」
二人は大慌てで謝る。
はた目から見ると、大の大人が少女に必死で謝っているというシュールな光景だった。
「全く。ふんっ」
アリスの怒りは収まらないが、とりあえず許された。
三人は十字路に差し掛かる。ザンは立ち止まった。
「っと、悪りぃ。村長に報告することがあるから一旦、別れるわ」
「そうか。ローズへの連絡はどうする?」
「どうするも何も、紅樹。お前、ローズの連絡先知らねぇだろ」
「いや、それもそうだけど、よくよく考えてみるとアイツと連絡付くのか?」
「まぁ大丈夫だろうぜ。事務所に連絡入れてみて出なかったら、ケータイに連絡してみるよ。とりあえず夜にでも、お前らの宿に行くわ」
そういうと、ザンは去って行った。
紅樹とアリスは再び歩き出す。
「ローズさんって人に連絡付くと良いな」
アリスは呟く。
「まぁ、ローズも世界中を飛び回ってるからな。事務所に戻ってることを願うしかないな」
そうこうしていると、宿屋に着いた。
部屋に入り荷物を下ろすと、アリスはベッドにばったりと倒れた。
「あー、疲れた」
「やっと人心地ついたな」
紅樹もホッと息をついた。
アリスはベッドに倒れたまま動かない。
そんな彼女に紅樹は声をかけた。
「アリス、先にシャワーを浴びるといい。寝るのはその後だぞ」
「うん。分かった」
ムクリと起き上がると、ふらふらした足取りでシャワールームに向かう。
シャワールームに入る際、紅樹を睨んだ。
「ちなみに覗いたりしたら、ぶん殴るからね」
「オーケー。それは、覗けという合図だな」
我が意を得たりと言わんばかりに頷く。
「違うわよ。マジで覗くなって言ってんのよ。バカ!」
シャワールームの扉が勢いよくしまった。
「う~ん。からかい甲斐のある子だなぁ」
しみじみと紅樹は言う。
刀を置いて、近くにあった椅子に座ると、今日の出来事を思い返す。
「悪魔か。今の俺じゃ倒せないかもな」
ググラガと名乗った悪魔は、かなりの強敵だった。直接戦ってはいないが、纏う気配や、立ち振る舞いでその力量は推し量れた。
「偽神とはレベルの違う再生力だったな」
偽神と違い、悪魔に弱点はほとんどない。ザンが放った銀弾が有効とされているが、ググラガに関してはあまり効果がないように見えた。
あの悪魔を倒すためには何が必要か。紅樹は自分の手元にある刀を見る。
自分の愛刀を引き抜き、刃を確かめた。
「刃こぼれは無いな。相変わらず手入れ要らずの名刀だ」
部屋の灯りで刃が光る。まるで「当然だ」と語っているかの様だった。
「当然だというなら、もう少し融通が利いても良いんじゃないか?」
当然帰ってくる返事はない。人間しか斬れない刀を鞘に戻す。
「どこかで違う刀を調達するか……」
そこまで考えて首を横に振った。
「いや、それは無いな。この刀を手放すことは出来ない」
荷物を奪われようが、谷や川に落ちようが、絶対に手放さなかった愛刀だ。この刀を手放したとき、自分は自分でなくなる。紅樹はそんな気がしていた。
「とはいえ、どうしたもんかな」
あれこれ考えを巡らす。たっぷり五分考えて結論。
「いっそ、二刀流にしてみるか」
右手に魂狩りを持ち、部屋に備え付けてあった箒を左手で持つ。
「むっ。はっ。とう!」
「う~む。しっくりこないな。足で持ってみる?」
左足の指を器用に使って箒を振る。
「やっ。ほっ。とや!」
「何やってんの?」
変人を見る目でアリスが立っていた。
「え、いや今後の戦闘考察をしてたんだが、おかしかったか?」
「箒で遊ぶアホにしか見えなかったよ」
辛辣な言葉で断じた。
「そうか。まぁ戦闘方法は今後の課題だな」
ゴホンと咳払いして、箒を元の場所へ戻す。
「さて、それじゃシャワーを浴びるかな。もちろん覗いて構わないよ」
爽やかな笑みで紅樹は言った。
「誰が覗くか! 変態!」
「はっはっは。照れるな、照れるな」
「誰が照れてるか!」
アリスの怒声を背中に受けて、紅樹はシャワールームに向かった。
十分後、タオルを首からかけて出てくる。
「や~さっぱりした」
ボロボロになった服を脇に抱えている。
着替えた姿は着流し姿。ボロボロになった服と色違いだった。
ボロボロの服を広げてみる。穴が開き、布が切れ、ぼろ雑巾のようだった。
「やっぱ捨て時かな。お気に入りの服だったけどなぁ。どこかで一着新しい服を買わないと」
惜しむようにゴミ箱に捨てた。
アリスの方を見ると、ベッドに腰掛けて暗い顔でうなだれていた。
「大丈夫か?」
紅樹は心配して声をかけた。
「うん。大丈夫じゃない」
泣きそうな声で否定する。
「シャワー浴びて、一息ついたら急に悲しくなってきた」
アリスの目から涙がこぼれる。
「お父さんの事、考えたら、やっぱ整理できないっていうか、なんだろう、泣くよりやることあるのに、涙が、とま、止まらない」
ついに涙があふれ出した。
「泣くことの方が先だと思うぞ」
紅樹は優しい声で言う。
「でも、泣いたって始まらないでしょ」
「いや、泣いてから始まるんだ。泣いて、泣いて、泣きまくって、泣き疲れたら寝て、それから前に進めばいい」
「そっか。じゃあ泣いていいのかな?」
「泣けばいいさ。涙を拭くハンカチの準備は万端だ」
紅樹はアリスの隣に腰かけて、ハンカチを取り出す。
そして、安心させるような穏やかな顔でアリスに微笑んだ。
それが切っ掛けになって、咳を切ったように泣き出した。
「うわあああああああああああああああああああああああああああああああああああ」
隣にいる紅樹にしがみついて、胸に顔をうずめて大泣きする。
「会いたくて、勇気出して家を出たのに、あんまりだよ! なんでよ。なんでなのよ」
「やっと手がかりが見つかったのに。追いつけると思ったのに。わあああああああ」
気を張って耐えていたが、やはりまだ少女。父親が死んだという事実には耐えられなかった。さらに母親も以前に死んでいる。天涯孤独。この言葉がアリスの頭の中で明滅する。
「親戚も、お祖父ちゃんも、お祖母ちゃんもいない。私、一人ぼっちになっちゃっだあああああああああああああああああああ」
しがみついた袖を握りしめる。悲痛な声が響く。
紅樹はその叫びを、泣き声をじっと無言で受け止める。
「ひっく、ひっく、ひっく、ひっく」
そしてアリスは引き攣ったような声を出して、泣きやんだ。
紅樹の胸から顔を上げる。
目は真っ赤、鼻水も垂れていた。
「ほい。ハンカチ」
差し出されたハンカチで鼻をかむ。
「あり、がとう。何か服汚しちゃった」
涙と鼻水で紅樹の服は濡れていた。
「いやぁ、美少女のなら歓迎だよ。うん」
「変態。バカ。最低」
ひとしきり非難すると、ため息をついた。
「疲れた。こんなに泣いたの初めてかも」
「そうか。で、どうだ気分は?」
「スッキリはしない。まだ悲しい。でも、うん。なんか大丈夫になった」
弱弱しいが、ニコリと笑った。
「それは重畳。じゃあ、顔を洗ったらいい。それで美人顔に戻る」
「なによそれ。ロリコン」
紅樹の言うとおりに、顔を洗いにいった。
洗ってきてから言う。
「紅樹って本当に優しいよね。なんていうか安心する」
「当然だ。可愛らしい御嬢さんに優しくするのは紳士の務めだ」
えっへんと胸を張る。
「まだ会ってそんなに経ってないのに、泣き顔とか恥ずかしい所見られたなぁ」
照れたように言う。
「気にしない。気にしない。泣いたところも魅力があって良いよ」
「よく、そんな恥ずかしいこと言えるよね」
「そうか? 本当に思ったことを言ってるだけなんだが」
どこが恥ずかしいのかさっぱりと言った風に不思議な顔をする。
「そう。でも私を守ってくれるし、なんか格好いいよね」
とびっきりの笑顔で笑う。
「良い笑顔だ。それが出来れば大丈夫。今後ともよろしく」
紅樹は右手を差し出す。
「うん。こちらこそ、改めてよろしく」
アリスはその手を握る。
互いに笑って、なんだかいい雰囲気になる。
「おーい。そろそろ良いか? お二人さん」
急に声がした。
「え?」
部屋の入口にザンが立っていた。
「まだだ。もう少し待て。せめてキスくらいは」
紅樹は握った手を引っ張ってアリスを抱き寄せる。
「ちょ、キスって」
「あー、手短に頼むぜ。待ちくたびれた」
「だそうなので、早速」
アリスに顔を近づけていく。
「誰がするか! 変態!」
近寄る顔面に拳を見舞った。
「アウチ!」
見事にクリティカルヒットして紅樹は沈んだ。
「ひっひっひ。気をつけろよ、嬢ちゃん。そいつ、マジで変態という名の紳士だかんな」
「変態という名の紳士って。最低じゃないの」
「失礼なこというな。俺は至って真面目だ」
「余計に質が悪いわ!」
もう一発殴った。
ザンは部屋に入ってきて、近くの椅子に座る。
「でもまぁ、こいつは絶対に女に襲い掛かることはしねぇけどな」
「え? そうなの?」
不思議そうに尋ねる。
「ああ、せいぜい手を握るかキスくらいまでだぜ。だから未だに童貞なんだよ」
「童貞は関係ないだろう。それに、俺は少女が好きなだけで、汚すのは信条に反する。少女には常に優しく紳士たれだ」
紅樹はドヤ顔で語る。
「はぁ。ダメだこりゃ」
アリスは頭を抱える。紅樹に対する好感度がガクッと下がった。
「それはそうと、ザンはいつから居たの?」
「え? 『可愛らしい御嬢さんに優しくするのは紳士の務めだ』つっていい感じにイチャついてた辺りかな」
「いや、イチャついてたわけじゃないんだけどね。まぁいいや」
アリスは泣き顔を見られなかったのでほっとした。
「なんか、あったのかよ」
ザンは紅樹に訊いてくる。
「いや、何もない。それより連絡はついたのか?」
紅樹は話題を変えた。
ザンは懐からメモを取り出して答える。
「応。丁度、事務所に帰っていたようだぜ」
「そうか。で、ローズは何だって?」
「ああ、訊きたいことは大方話した。スターレインについては調べておくってさ。んで、ググラガについては聞きたいことがあるから、事務所来いってよ」
メモしたことを読み上げる。
「事務所ってどこにあるの?」
「六大陸に一か所ずつある。ザン、今アイツはどの事務所に居るんだ?」
「イカレタ大陸の双子都市『マイド・オオキニ』の事務所だとよ」
「マイドか。同じ大陸だが、ここから近いのか?」
「それも含めて今後の活動については……」
ザンは何かに気が付いたのか、ちらっとアリスに目を向ける。
「へ?」
その時、アリスのお腹がぐーっと鳴った。
「飯食いながら話そう」
「あははは。よくわかったわね」
恥ずかしそうにお腹を押さえる。
「いやあ、そろそろ晩飯だし、腹の虫が鳴くような音が聞こえたからな」
ザンはシシシと笑って立ち上がった。
「美味い店知ってんだ。付いてきな案内するぜ」
「あ、待ってよ。準備するから」
アリスは荷物を持つ。
「あ、そうだ」
何か思いついたように紅樹を見た。
「ねぇ紅樹。『少女には常に優しく紳士たれ』なのよね?」
「ん? そうだけど、それがどうかしたか?」
アリスは悪戯っぽい目をして言った。
「じゃあ、奢ってくれる? お願い」
可愛くねだってみる。
「う~ん。まぁそうだな。良いだろう」
紅樹は頷いて了承した。
「やった! ありがとう」
アリスはガッツポーズした。
「ゴチになりまーす」
ザンまで乗ってきた。
「いや、お前には奢らんぞ」
「なんでだよ。この流れだと奢る流れだろ」
「趣味嗜好が真逆のお前に奢る筋合いはない。自分で払え」
紅樹はバッサリと切り捨てる。
「んだと! 年上の魅力が分からねぇとはな。お前とはみっちりと話し合う必要がありそうだぜ」
「それはこっちのセリフだ。お前には懇切丁寧に少女の素晴らしさを説いてやろう」
お互いににらみ合う。
「はいはい。そんなことよりお腹空いたから早く行こうよ」
アリスは二人の背中を押して部屋を出る。
「おっと、急に押さないでくれアリス」
「ちょ、意外と嬢ちゃん力が強いな」
男二人は驚きつつ押されていく。
「何食べに行くの? 私お肉が良い」
「狩人の村だからな。上手い肉があるぜ」
「ほう。それは楽しみだな。その地で美味しいものを食べる。それも旅の醍醐味だ」
「飛び切り高い肉頼んでやろーぜ」
「だから、お前には奢らないって言ってるだろう」
やいのやいのと言い合いながら三人は食事に向かった。
アリスはそんな会話を聞きつつ、自分の気持ちが楽になったのを感じた。
「もう大丈夫」
そうアリスは小さく呟いて、前に進む決意を新たにするのだった。