異世界11
そうして、私、長崎楓が呼び出されたのだという。
……はい?
「そのハンカチはジロー様のではなく、カエデ様のだったのですね……」
ジロー様が肌身離さずお持ちになっていたのも、そうだったのですね、とミア姫は無理矢理微笑んで言った。
そうって、何だ。そうって、どうなんだ。いや、私と山田くんを交互に見てあきらめたような笑顔はやめろ、それは誤解だ。
私の眉間の皺がより深くなったのを見て、姫は怒っていると思ったようでまた深々と頭を下げた。いやいい、そのニホンジンのような最終兵器DOGEZAはやめてほしい。
「私が全て計画して、全て実行したのです。姫は何もご存じなかったのです!」
悲鳴のようなランスの声。召喚術に長けていたランスは、魔王の障気が薄れた今、本人をそのまま呼び出すことは出来なくとも、せめて夢混じりにでも召喚したかった。姫に今一度「戻る気はない」と告げて貰えればあきらめることも出来るのではないか、と。
最初私が夢として現れたときは偶然だと思った。魔王が居なくなった現在、欠けていくその世界を埋めるがごとく、世界は何かを引きずり込もうとしている。それに紛れて意識混濁で現れる異世界人はいるかもしれない、と王国の生き字引である曾祖父が言っていたらしい。
再び現れたときには多少の違和感があった。二度も同じ人間が現れることがあるのだろうか。聞こうにも曾祖父はすでに亡い。
隊長が言った。
「もし明日も来るのであれば、姫の愛を拒絶したジロー殿の気持ちを聞いて欲しい」と。
三度来たらそれはもう偶然ではない。必然だ。
しかしもはや後戻りは出来なかった。召喚措置をしておいてあったハンカチを確認しに王宮の神殿に向かったところを、怪しんでいた隊長に見つかりフルブッコにされた。それが昼間の話である。
「同じ人間が二度も夢混じりで現れる時点でおかしいと思わない未熟者だから、ジロー殿の足下にも及ばんのだ、お前は」
氷点下の声で隊長はランスを突き放した。情けない、と言わんばかりの表情にいっそう項垂れるランスだった。
「あとはカエデ殿の考え次第だ。半殺しにするもよし、窓から突き落とすもよし、死ねと一言言い置いて帰るもよし」
選択肢もうちょっと穏やかなものにしてよ!
引きつる頬を隠しつつ、私は言った。
「いやその……それをどうこう言う以前に……」
何より一番疑問に思っていることが一つあった。
「ハンカチって……なに?」
「え!??」
その場にいた全員が驚いたように声をあげた。あろうことか山田くんも、目をまん丸にして私を見ている。
「え、ちょっと、長崎さん……忘れたの?」
心なしか一番衝撃を受けているのは山田くんだった。
「現実の世界で菜々美さんと一緒に帰ったとき、ハンカチくれたよね!?」
……。
……やばい全然思い出せない。
山田くんと会ったのは、昨日のアイス屋の前に一度だけ、菜々美と彼氏と私の4人で出かけたというか、学校帰りの菜々美のアイス屋めぐりに付き合わされたことくらいだ。夏だったので特にアイスに不満は無かったからほぼ忘れていたが。
んん?? ハンカチ?
そういえば、あげた気がする。アイスが垂れて汚れたから、はいって渡した……あれ、そういえば山田くんだったような気がする。
洗って返すねって言われたけど、すっかり忘れてた。
「忘れてるわけないでしょ、山田くん。アイス屋さんだよね!」
数秒沈黙した後の私の爽やかな声は疑わしげな視線で黙殺された。
「まあ……全然いいんだけど」
ハクセイがポンポンと肩を叩いてきたのを反射的に殴り倒した山田くんは視線を逸らした。多分今私は勇者様の心にクリティカルヒットの攻撃を繰り出したような気がする。
「あの日そのまま異世界召喚されたから、現実世界の繋がりは俺の制服と長崎さんのハンカチくらいしかなかったんだよ」
自分以外の人間と現実世界で触れあった記憶は、ほんの少し前だというのにもうそれこそ夢の中のようなおぼろげな記憶になってしまった。だからこそ固執した。戻るんだ。魔王を倒して現実に戻って、ハンカチを洗って返さなくちゃいけないって。
実際に魔王を倒して、ハンカチを洗って干している最中に神殿長が「勇者殿大変だ! 異世界に帰る穴がふさがりかけている!」と慌てて追い返され、気づいたときにはハンカチを忘れてしまっていた。
どうやって謝ろう、と話すチャンスをうかがっていると菜々美からのアイスの誘いがきたのだという。
「こんなことになるとは思わなかったけど、実際には俺のせいでもあるんだよ」
山田くんは目を伏せて、申し訳なさそうに言った。
山田くんからも、半殺しでも窓から突き落としてもいい、と申し出があったが死ねとの一言は出来れば勘弁して欲しそうな顔をしていた。先ほど既に精神にクリティカルヒットしたからだろうとみている。
えーと、とりあえず。
全員が私の沙汰を待っていた。私の望み? もちろん半殺しでも窓から突き落とすことでも、死ねと言い置いて去るような死体が4つ出るようなことでもなく。
「とりあえず……こっちの世界に来たのは、山田くんと一緒に階段を落ちたからだということを理解して貰った上で、帰って良いですか?」
異世界最大のピンチを乗り越えることであった。