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ほぅ、と切ないため息を漏らすのはミア姫だった。
世界は平和になり、魔王は倒された。しかし何故だろう、気分が重い。
理由はもちろん分かっていた。
「好きです、ジロー様。どうかこの地に留まりずっと一緒にいてくださいませんか」
地上の宝を全て集めたよりも美しい姫の言葉を、勇者は首を振って断った。
「姫の気持ちは嬉しいけど、俺は帰ってしなきゃいけないことがあるんだ」
しなければいけないことは、何だったのだろう。もう終わったのか。もし終わったらこちらの世界に留まってくれるのだろうか。
考えてもしかたがないことばかりが頭に浮かんで、消えてくれない。
ほぅ、ともう一度ため息をつくと、ミア姫は中央神殿に向かった。そこで偶然ランスに出会う。
ランスは中央神殿長の息子であり、定期的に父を手伝い副神殿長として対応に出ていた。
「ミア姫、本日はどうなさったのですか?」
曖昧な笑みで、姫は「祈りに参りました」と言う。己の心の弱さを、神に懺悔したかった。ランスは姫のために神殿の一室を開放し、案内した。
「この部屋にはミア姫以外入れませんので、どうぞ心の落ち着くまでいてくださって構いません」
ランスに「……ありがとうございます」と呟くように感謝の言葉をかけると、早速ミア姫は神様の像に向き合った。ローブのような長い布を身にまとった唯一神の姿がそこにあった。優しい、しかし凛々しいとも言える微笑みを浮かべた神様の像は、じっとミア姫を見つめるように少しうつむいている。
神様はどう仰るだろう、私の浅ましさを聞いて。
ミア姫は両手を組み額に当てた。そうして小さな声で懺悔する。
「ジロー様に、会いたいのです……」
あきらめきれない、その情けなさが声を震わせた。
最初はただの憧れだった。魔王を倒して下さるという、その勇気に感謝したし、手伝えることがあるのならばと国内を飛び回り、そうして知った古代の魔法、王女の祈り。
魔王からの魔法攻撃の9割を削減するというその魔法を、魔王と戦う直前勇者にかけにいった。長い試練の果てに得たその魔法は、強大すぎて王女の命を確実に削り、死へと導くはずであった。死ぬ直前に勇者が唯一の完全回復アイテムを使わなければ。
せっかく役に立つためにきたというのに、大切なアイテムを使わせてしまい、ミア姫は動揺した。それ以上に動揺していたのが勇者だった。
「……姫が死んだらこの国は、姫を心の支えにしている騎士達は、それこそ絶望の淵へ落とされることになるんだよ」
命とは人のために死ぬものじゃなく、共に生きるためのものだと。
あなたの命で魔王に勝ったってちっとも嬉しくない、と。
深く謝罪し、そして改めて感謝した。焼け付くほどの想いと共に、この人に出会えたことを感謝した。
勇者が魔王を倒し、そして元の世界へ戻ってから、息が止まるほどその思いが辛い。
「ジロー様……」
唯一残していった勇者のハンカチを手に、神様に祈る。
この思いがいずれ和らいでくれることを。
* * * * * * * * * *
姫が神殿に通って二週間。ある日、ランスは言った。
「ジローの残したものは何かありませんか?」
魔王の障気が残っている内に、異世界へと送り返さないといけない。既にもう異世界への扉は小さく、人間が行き来するのは無理だろうとのことだった。
ミア姫は戸惑った。これだけでも持っていたかった。でも。
「……これを」
おずおずとハンカチを差し出した。神様は私を試しておられるのだ。ジロー様へのこだわりを捨てられるかを。そう思った。
ランスはうやうやしくそれを受け取ると、王宮内にある神殿へと向かった。
姫はなぜ神殿はここにもあるのに王宮にいったのだろうと思いながらも、その日も神殿で祈りを捧げた。
その日、ランスは異世界への扉を開けたという。ハンカチを送り返すためではない、勇者をもう一度呼び出すために。
本人の持ち物である、ハンカチを使って。