異世界7
私にこの部屋に隠れているように伝えた後に、山田くんは振り返った。
「あ、一つだけ注意してほしいことがあるんだ」
注意深く部屋の扉の向こう側の音を聞きながら、真剣な目で伝えてくる。
「この世界で死んだら、多分現実世界でも死ぬから、注意して」
「え?」
それは聞いてない。全く聞いてない。
「死んだ人間を生き返らせる魔法はないからね?」
そう言って扉を蹴り開けると、山田くんは外に飛び出していった。
「な、なんだお前は! ぐわっ!」
「アニキ!! てめえよくも……!! ぎゃーー!」
隠れている私の耳には、物が倒れる音と悲鳴、時には刃物が擦れるような金属音、そして大きな物が倒れる音が続けて聞こえてきた。今までずっと夢だから、痛みがないからと安心してた自分がいたが……こっちで死んだら死ぬ? 嘘でしょ!?
……死なないよね? 山田くん!
勇者様だもんね、強いよね!?
勇者だって万能じゃない、と呟いた山田くんがフラッシュバックして、私はぶるぶると首を振った。
早く帰ってきて、一緒に帰ろう!
一緒に現実に帰って、寒空の下アイスを食べに……いや、普通に暖かいラーメンでも食べに行こう!
心臓がドキドキと早鐘を打っている。騒音が消えてから数分経ったというのに、山田くんは戻ってこない。
不安になってそっと扉の外をのぞいた瞬間、後ろから肩に手を置かれた。
「っきゃーーー!」
「な、長崎さん、シー!」
思わず悲鳴をあげたが、そこにいたのはどこから手に入れたのか長めの剣を手にした山田くんだった。
「出ちゃダメだって言ったでしょ」
めっ、と叱る山田くんだったが、ほっとした私は思わず涙目になってしまった。途端に慌てる山田くん。
「え、あ、ごめん、怒ってないよ! 危ないから心配で! えっと、ごめん!」
慌てて山田くんは自分のポケットを漁るが、ハンカチがないことに気づいたのかしょぼんとした。私も同じくスカートのポケットを漁ったが無かった。
「いや、私の方こそ……ごめんね、静かになったからちょっと心配になっちゃって」
「ああ、えっと。他の人が駆けつけて来るかもしれないから、念のため少し様子見してたんだ。今近くには人はいないみたいだけど、まだ数人いるような気配もあるし、裏口から逃げようか」
うん、と頷く私。とりあえず落ち着いたら話そう。夢のことも他の皆のことも。
「ハンカチをさ」
山田くんが言う。
「持ってなくて……ごめんね」
「??」
むしろ私がハンカチを持ってないことの方が女として問題な気がする。今日ポケットに入れたはずなのに。
「さ、行こうか」
気をとりなおした山田くんの笑顔に誘われるようにして、私は山田くんの手を取った。
* * * * * * * * * *
破竹の勢いとは正にこのことか。
裏口から出るまでの間に、二人ほどチンピラのような青年に出会ったが、さっくりと山田くんが倒していた。殴りかかるチンピラをさらっとかわしてみぞおちを殴り、悶絶するその後ろから長剣の柄で頭を殴って気絶させていた。格が違う。今ならトヘロスでも覚えていればノーエンカウントで行けるのではなかろうか。
「……山田くんトヘロス覚えてない?」
「残念ながらないよ!」
笑って彼は裏口の扉を蹴り開けた。まぶしい日の光が差し込んで、思わず目をつぶる。
目をあけると外は明るく、葉の緑が目に入った。森の中のようだった。
「行こう、長崎さん」
「うん!」
山田くんと走って出て行ったところで、一度建物を振り返った。大きめの木造の建物で、一見普通の外見だというのに。奴隷売買か……。
平和になっても世界は美しくなんかない。魔王がいなくても、今までの生活が忘れられない人はいるし、魔物じゃなくても人を殺す者もいる。
「山田くん」
「うん?」
立ち止まった私を待っている山田くんは首を傾げた。ふと、聞いてみたくなった。世界が平和になってもこの世界が嫌いなままだと思う、といった山田くんを思い出して。
「まだこの世界のことは、嫌い?」
「……いや」
急に聞かれた私の言葉に、彼は少し考えた後に首を振った。
おっと、そうだ。逃げないとだった。さくさくと青い葉を踏みながら、足早に山田くんに駆け寄ると、山田くんの左手が私の右手を掴んで、歩き出した。
「嫌いでも好きでもない、が正解かな。大切な人がいる場所が俺にとっては大事な世界だから」
父や母や友達や、好きな人がいる世界が。
「全員こっちにいるなら俺、多分こっちの世界でも構わずに住むんじゃないかな」
そう言って笑った。一度戻ったからこそわかる。どちらの世界も理想郷ではない。ただ、元の世界に戻る、というそれだけが魔王を倒す原動力になったのではないだろうか、と思っている。
私は笑い返した。
「そっか……いいね、職業勇者様だもんね、就職先の懸念はないね!」
「え、魔王いないし勇者廃業じゃ……っていうか、長崎さん、なんで知ってるの!?」
トヘロス=ドラクエ(RPGゲーム)の弱い敵を出現しないようにする呪文。念のため。




