水妖と人間
少女は、奇跡的に肩の脱臼と左足の捻挫だけで済んだ。体中にある赤黒い痣と無数の切り傷が気になったが。
包帯で固定をして痛み止めを飲ませたら、彼女は幾分顔色が良くなったようだ。
少女---リムは、「ありがとう」と小さく呟くと、これまでの転末を話してくれた。
人と水妖。
この地で、異なる二つの種族は手を取り合って暮らしてきた。
森と湖の国と呼ばれる由縁。
この美しい景観は水妖と人間が長い時間をかけて、共に作り上げてきたのだという。
「・・・でも」
いつからだろう。
その関係にヒビが入り始めたのは。
始まりは、些細なことだった。
ある年のこと。
暑い夏の日。とある村で奇病が流行った。症状は発熱から始まり、次第に体の水分が抜けていき最後には干からびてしまうというもの。どれだけ水を飲ませても駄目だった。病は徐々に広がり、国全体にその症状を訴えるものが現れた。
「病気は、夏が終わったら収まったんだけどね」
患者に共通するのは、湖の水を飲んだ人。誰かが言い出したのだ。水妖達が湖に毒をまいたのではないか、と。
私たちは何もしてないのに、と少女は涙を流す。
随分と酷い言いがかりだと思いながらライトは話を聞いていた。
隣から「人間なんて、そんなものだ」と無機質な呟きが聞こえたのは、気のせいだろうか。
「戦争が始まった。私たちは人間に狩られて、数が減って。・・・だからね、この国を水の底に沈めて人間に復讐するの」
止まない雨を降らせて、この国を沈める。
深青の瞳に不穏な光が宿った。
ぞくり、と背筋が凍る。すぐに少女は優しい笑みを浮かべ、彼に言った。
「だからね、勇者さんは早く逃げた方がいい。・・・あなたは人間だけど、いい人だもの。死んでほしくないわ」
「でも・・・」
彼女たちの事情は分かる。
でも。このままじゃ、たくさんの人が死んでしまう。放ってはおけない、と思った。
「・・・自業自得、だな。それだけのことをされたんだ。好きにしたらいいだろうよ」
ずっと沈黙を通していたイリアが初めて口を聞いた。
「イリア?」
「ただし。・・・よく覚えておけ。『殺し』はどんな理由があろうと悪だ。責任は、全部自分に返ってくる」
殺すなら、殺される覚悟を。誰かの幸せを奪うなら、お前も幸せになれない。その覚悟があるなら、百人でも千人でも殺せばいいさ。
彼女はそれだけ言うと、ひらひらと手を振って踵を返す。
「あ、待って!・・・ごめんね。それじゃ、お大事に」
呆然と立ち尽くす少女を残し、慌てて彼女の背中を追いかけた。
* * * *
「イリア!」
後ろ姿に呼びかけると、彼女はゆっくり振り返った。
「・・・話はもう終わったのか?」
「そうじゃ、なくて」
「面倒事はご免だからな。一秒たりともあの場にいたくない」
論点が微妙にズレている気がするが。
いや、そんなことじゃない。
こんな国さっさとおさらばだな、と呟いた腕を掴んだ。
「俺は、やっぱり放っておけない」
「・・・お前は勇者だろう?」
すっと深緑の瞳が剣呑さを帯びた。チッ、と舌打ちをしてライトを睨めつける。
「お前の仕事は魔王を倒すこと。お人好しも大概にしろ!---いいか。この世界はお前が思うほど綺麗じゃない。その甘さが命取りだ。いい加減、少しは切り捨てる覚悟をしたらどうだ!?」
「・・・っ、そんな覚悟が必要なら、勇者なんか辞めてやる!」
困ってる人は放っておけない。
傷付いた人がいれば、誰であれ手を差し伸べる。
この信念を曲げるつもりはない。勇者であることがそれの妨げになるのら、勇者でなくたっていい。
「・・・勝手にしろ」
長い沈黙の後。
重たいため息が聞こえ、イリアはそう言った。
どうやら、しばらくは付き合ってくれるらしい。目も合わせず、すたすたと前を行く彼女の後を追いかけた。