第8話 先生は、点数より先に平均点を言った
第八話です。
返却の日は、分かりやすい。
教室の空気が、
最初から重い。
誰も騒がない。
誰も笑わない。
机の上が、
やけに片付いている。
(来たな……)
先生は、
答案の束を抱えて入ってきた。
紙の重みが、
そのまま現実の重みに見える。
「じゃあ、
テスト返します」
淡々。
いつも通り。
その“いつも通り”が、
一番怖い。
先生は、
いきなり配り始めない。
まず、
前に立ったまま言う。
「今回の平均点ですが……」
――来た。
平均点。
この言葉が、
先に来るということは、
心の位置を
先に決めさせるということだ。
(高いのか……
低いのか……)
「六十七点です」
……低くない。
思ったより、
低くない。
(ということは……)
私は、
胸の奥で
静かに息を吐いた。
(全体的に、
そこそこ難しかった)
(でも、
壊滅ではない)
つまり、
“考えた生徒”は、
生き残っている。
――その中に、
私はいる。
先生は続ける。
「極端に悪い人は、
そんなにいません」
――ほら。
(極端に悪くはない)
これは、
慰めの言葉であり、
同時に、
“極端によくもない”
という宣告でもある。
だが、
私はそこを
深く考えないことにした。
(大丈夫)
(私は……
極端ではない)
先生が、
答案を配り始める。
前の席から、
一枚ずつ。
規則正しく。
(来る……)
一枚進むたびに、
心拍数が上がる。
前の人が、
答案を受け取った。
一瞬、
表情が動く。
(……どうだ)
分からない。
顔に出さないタイプだ。
次。
また次。
(落ち着け……)
私は、
机の上を見つめた。
何も書いていない机が、
やけに広い。
先生が、
私の前に立つ。
一枚、
置かれる。
……赤い。
赤は、
ある。
だが、
多すぎない。
(……悪くない)
ゆっくり、
紙を引き寄せる。
点数を見る。
七十台。
(……あ)
悪くない。
悪くないどころか、
平均より、
ちゃんと上。
(ほら)
私は、
胸の奥で、
小さくうなずいた。
(やっぱり……)
だが、
すぐに気づく。
赤の付き方が、
妙だ。
(……あれ?)
間違えている場所が、
偏っている。
四択。
二択で迷ったところ。
似た名前。
似た出来事。
順序。
(全部……
私が一番、
考えたところだ)
逆に、
最初に
“簡単だ”と思った問題は、
ほぼ合っている。
(……どういうことだ)
私は、
ページをめくる。
また、
同じ。
考えたところ。
悩んだところ。
消して、
直したところ。
――そこだけ、
赤い。
(くっ……)
点数は、
確かに悪くない。
だが、
落とし方が、
気に入らない。
(これは……
運が悪かった、
わけじゃない)
先生は、
教室全体に向けて言う。
「全体的に、
よく書けていました」
――よく。
また、
その言葉だ。
よく、
とは何だ。
正解、
とは違う。
満点、
とも違う。
(でも……
否定ではない)
先生は、
さらに言う。
「ただ……
細かいところで、
もったいない人が
多かったですね」
――細かいところ。
来た。
(それ……
全部、
私のことじゃないか)
細かいところで、
悩むな。
迷うな。
流れを見ろ。
先生が、
ずっと言っていたことだ。
だが、
私は思う。
(細かいところで、
悩まなかったら……
私は、
何をしていたんだ)
考えた。
流れを見た。
慎重に選んだ。
……はずだ。
隣の友達が、
答案を見ながら言った。
「意外と取れてた」
私は、
小さくうなずいた。
「……うん」
だが、
その「取れてた」は、
どこか違う。
(取れた、
けど……)
先生は、
黒板に、
いくつかの問題を
書き始めた。
「特に、
ここですね」
……来た。
あの問題だ。
似た人物。
最後の二択。
先生は、
淡々と解説する。
「ここは、
〇〇が成立した“時点”で、
すでに
△△が行われているので……」
……時点。
(時点……?)
私は、
答案を見下ろす。
自分が選んだ理由は、
流れ。
象徴。
全体像。
(時点……
そこまで、
見ていなかった)
先生は、
続ける。
「流れは大事ですが、
基本を押さえた上で、
考えることが
前提です」
――前提。
胸が、
少しだけ
重くなる。
(前提……)
私は、
勝手に
前提を飛ばしていた。
流れ、
という言葉に、
酔っていた。
先生は、
こちらを見ない。
誰も見ない。
ただ、
説明している。
だが、
その言葉は、
確実に
私に刺さっていた。
(私……
考えすぎたのか)
いや、
違う。
考えたこと自体は、
間違っていない。
……はずだ。
だが、
考える前に、
やることがあった。
答案を、
もう一度見る。
赤丸。
赤線。
(ここ……
最初は、
合ってた……)
直して、
間違えた。
……やはり。
先生の声が、
頭の中で
重なる。
「見直しは、
大事です」
――くっ。
見直した。
確かに。
だが、
その結果が、
これだ。
点数は、
悪くない。
だが、
私は、
なぜか
納得できていなかった。
(これは……
勝ちじゃない)
負けでもない。
だが、
何かを
取りこぼしている。
先生は、
最後に言った。
「次は、
もう少し
シンプルに
考えてみましょう」
シンプル。
その言葉が、
やけに遠く感じた。
私は、
答案を閉じた。
(……まだだ)
まだ、
終わっていない。
何かが、
決定的に
ズレている。
それを、
私はまだ、
言葉にできていなかった。
⸻
次で完結です。




