第2話 先生は「全部覚える必要はありません」と言った
第二話です。
翌日の社会科も、日本史だった。
連続で来ると、覚悟が決まる。
覚悟というより、警戒心だ。
先生は、相変わらず普通に入ってきた。
普通すぎる。
普通であることが、すでに作戦なのではないか。
くっ……。
「はい。昨日の続きです」
昨日の続き。
つまり、昨日張られた伏線の回収が始まるということだ。
私は、机の上に教科書を置きながら、心の中で身構えた。
先生は黒板に、何も書かない。
チョークを持っているのに、書かない。
書かないという選択。
これはもう、明確な意思表示だ。
「昨日話した“流れ”、覚えてますか」
来た。
確認。
しかも“覚えてますか”。
(覚えているかどうかを問う、ということは……
覚えている前提、ということではあるまいか)
誰も答えない。
沈黙。
この沈黙は、怠慢ではない。
警戒だ。
全員が様子を見ている。
いや、私だけかもしれない。
先生は少しだけ間を置いて、続けた。
「全部覚える必要はありません」
――まさか。
いや、待て。
今、何と言った?
全部覚える必要はない?
必要はない、ということは、
覚えること自体を否定しているわけではない。
しかし、“全部”を否定した時点で、
覚えなくていいものが存在する、という宣言でもある。
(どれだ……?)
私は教科書を開いた。
ページの端から端まで、全部が怪しく見える。
覚えなくていい部分。
でも、覚えなくていいと言われた部分は、
だいたい覚えておかないと困る。
先生という存在は、そういう存在だ。
「大事なのは、考え方です」
出た。
考え方。
便利な言葉ランキング上位。
具体性ゼロ。
無限に深読みできる。
(考え方……)
(つまり、答えより過程……?)
(いや、過程を見せろとは言っていない……)
(だが、過程を理解していない答えは、評価されない……?)
先生は、私の内心など知る由もなく、淡々と続ける。
「テストは、理解しているかどうかを見るものです」
――くっ。
理解。
理解とは何だ。
説明できることか。
再現できることか。
それとも、先生と同じ考えに至ることか。
(同じ考えに至る、が正解だとしたら……
私は今、かなりズレている気がする)
先生は教科書のあるページを開いた。
「ここ、特に覚えなくていいです」
……まさか。
来た。
明言。
覚えなくていい、と言った。
これは強い。
だが、強すぎて逆に疑わしい。
(覚えなくていい、と言われた場所は……
覚えなくていい“ように見せかけて”、
覚えていると差がつく場所ではあるまいか)
私はページの端に、そっと指を置いた。
覚えなくていい、と言われた場所ほど、
指で押さえてしまう自分がいる。
隣の友達が、安心したようにため息をついた。
「よかった、そこ出ないんだ」
私は、その言葉を聞いて、逆に不安になった。
“みんなが安心する”という状況が、
テストで安全だった試しがない。
先生は、黒板の前で一度立ち止まった。
「細かいところで迷うより、
大きな流れを掴んでください」
また流れ。
昨日から何度目だ。
これはもう、偶然ではない。
(細かいところで迷うな……)
(つまり、迷った時点で、
先生の想定から外れている……?)
私は昨日の自分を思い出した。
年号で迷い、人物で迷い、
二択で固まる未来の自分が、
すでに見える。
(いや、まだだ)
(今なら、修正できる)
先生は、時計をちらっと見た。
「今日はここまででいいでしょう」
……でいい。
でいい、ということは、
本当はまだあるが、今日は出さない、という含み。
(出さない=テストで出す、ではあるまいか)
チャイムが鳴る。
先生は、教科書を閉じて言った。
「考えすぎなくていいですからね」
――くっ。
それを言われた瞬間、
私は確信した。
(考えすぎている生徒が、
“正解に一番近い”)
考えすぎるな、と言われて、
考えないでいられるほど、私は素直じゃない。
先生が教室を出ていく。
背中は昨日と同じ。
同じなのに、意味が違って見える。
(先生……
あなたは、
私に考えすぎるなと言いながら、
考えさせている)
私は勝手に納得し、
勝手に悔しくなり、
なぜか少し腹が立った。
まだテストは始まっていない。
だが、選別はもう始まっている気がする。
たぶん。
いや、きっと。
私はまた、
一段深く、
先生の術中に入った。
誤字脱字はお許しください。




