8.親子の時間
「お父様、ちょっとデビュタントのドレスのことでお話があって」
夕食の席で、セレスティアは慎重に口を開いた。父はサラダを食べかけている手を止め、「どうしたんだい?」と尋ねる。
「実はドレスをお願いしていた『ハレイロ』が破産寸前で……ドレスを作ることができなくなったの」
「なんだって?」
父は目を丸くした。
「でも、お金は無事に返ってきたから!安心して」
セレスティアは慌てて付け加えた。
悩んだ末、余計な心労をかけたくないので、父には嘘をつくことにした。お金が返ってきたとあれば、そこまで心配しないはず……と思ったのだが。
「お金の問題じゃないよ。ティアがあんなに楽しみにしていたのに」
「お父様……」
「ティアにはこれまで我慢ばかりさせてきて、初めてドレスを仕立ててあげられるはずだったのに…。しかも『大好きなお店なんだ』って張り切ってただろう?こんなに直前になって、許せないよ」
温厚な父が珍しく、息巻いているのでセレスティアは戸惑った。まさかここまで怒るなんて。
「その仕立て屋が難しいなら、図案をもらって今からでもドレスを作ってくれる他の仕立て屋を探して……」
このままでは思わぬ方向に話が転がりそうなので、セレスティアは慌てて止めた。
「それなら大丈夫よ!デビュタントは、お母様のドレスを着ていくことに決めたわ」
「なんだって?セリーナの?」
「ほら、お母様がデビュタントで着たっていう白百合のドレスがあったでしょう?」
「たしかに母さまのドレスは大切に置いてあるけれど……」
父は少し考え込む。
納得してくれたかと思いきや、今度は険しい顔になった。
「でも駄目だよ。王国の四家である白薔薇ティエラの娘が、デビュタントで白百合のドレスを身につけるなんて」
カユラ王国では、貴族は花の象徴をもつ。ティエラ家は白薔薇、バーレー家はひまわり、母の出身のリリエル家は白百合といった具合だ。
そしてカユラ王国では、薔薇は特別な花といえる。王家の象徴は"金の薔薇"であり、薔薇に連なることを認められているのは、建国に寄与した4つの家門だけなのだ。
そんなカユラ王国のデビュタントでは、成人する貴族子女は自身の家門の花を模ったドレスを纏うのが通例である。白薔薇のティエラが、わざわざ家格の低い家門の花を纏うことはまずない。
それでも、母が亡くなっているという事情を加味すれば非常識とまでは言われないだろう。
むしろセレスティアは、回帰前に父が亡くなった後には、母のドレスを着て行けばよかったとひどく後悔したものだ。
「今回ドレスが仕立て上がらないと知って、考えたの。私やっぱりお母様のドレスが着てみたい。お母様の想いも背負って成人したいの」
「でも……」
できるだけ明るく、無邪気に聞こえるように、セレスティアは言った。
「それに、お父様はデビュタントで白百合のドレスを着たお母様に一目惚れしたんでしょう?私もそんな素敵な出会いがしてみたくて。これも何かの縁だと思うのよね」
「……ティア」
父は恥ずかしそうに、咳払いをした。
「そこまで言うなら分かったよ。それにティアがあのドレスを着てくれたら、セリーナもきっと喜ぶよ」
「お父様、ありがとう!」
「でも、ティアはセリーナよりも背が高いんだよ?」
「なら私に合うように、少しだけ修繕するわ」
「もちろんさ。もともと仕立てに使う予定だったお金は、気にせず自由に使っておくれ」
「ありがとう」
父が納得してくれたようで、ほっとする。セレスティアは慎重に、このまま次の話題に入ることにした。
「ところでお父様、最近よく眠れている?なんだか顔色が悪いわ」
「そうかな?」
「この前、本で読んだけれど、夜に眠れないのは心臓の病に繋がりやすいんですって。一度お医者様に診てもらった方がいいと思うの」
「心臓?なんともないよ。それに医者だなんて」
「お母様のドレスを着ることになったから、お金も少し浮いたし」
「あれはティアの成人のためのお金だ。僕のために使うなんてできないよ!」
「……お父様が元気でいることは、私のためになるわ。実はもう、アーノルド先生にうちに戻ってきてほしいってお願いしたの」
「ヴァンに?でも彼は研究が」
「枯熱病の治療法は糸口が見つかったみたい。アーノルド先生ならお父様も安心でしょ?」
「彼の腕は確かだけど……」
「私にとってお父様は、かけがえのない家族よ」
だからお願い、と父の目を見つめる。
「……ティア、ずいぶん大人っぽくなったね」
一瞬ドキッとして思い直す。
(4年分、大人なことを言っているんじゃないわよね。もうすぐ成人するからよね)
父は席を立ち、体温の高い腕で抱きしめてくれる。
「分かったよ。ティアも、僕にとって命よりも大切な宝物だよ」
鼻の奥がツンとして、涙が出そうになる。
(これできっと、お父様は助かるはずよ)
少し湿っぽくなってしまったので、温かい紅茶を父が淹れてくれ仕切り直すことにした。ふわりと柔らかな香りが2人を包む。
「それから、デビュタントのパートナーのことなんだけどね」
この柔らかい空気なら、あっさり受け入れられるかもしれない。
「私、アルと一緒にデビュタントには出ないわ」
「どういうことだい?申し込みが来たときは喜んでたじゃないか。それに返事ももう済ませているし」
先ほどまでにこにことカーブを描いていた父の目尻がぴくっと動く。
もちろん失礼なのは承知の上だ。むしろ今更断ることで非礼な自分のことを嫌ってもらえればとさえ思っているのだが。
「お父様の従兄弟のベアトリスおばさまの甥っ子のユーミンが遠縁にあたるでしょ?彼と行こうと思って」
(ユーミンはアルの他に唯一申し込みをくれたし、親戚の彼なら変な噂も立たないでしょう)
ユーミンはひょろっとした内気な青年で、親しくない遠縁のセレスティアに頼らざるをえないほど、パートナーに困っていた。
「親族だからって、わざわざ大して交流のない相手といかなくても……それともユーミンを気遣ってアルの申し出を断るのかい?」
「気遣うというわけじゃないけど……」
ふと、父の言い方があんまりな気がした。父は人のことを貶めるタイプではないのに。
(私とアルに絶対デビュタントに行かせたいような、そんな感じなのよね)
「まさかお父様、勝手に縁談なんて進めてないよね?」
そういえば、父がアルミオに生前しつこく婚約を申し込んでいたと言う噂を思い出す。あれはセレスティアを貶める目的の噂だと思っていたけれど、あながちあり得る話かもしれない。
そうなると、セレスティアが思っていたよりも事態は進んでいる可能性がある。
「そ、そんなことはないよ。ティアの意思が一番だし、でもティアだって、『アルと結婚するんだ!』って言っていたよね?」
「それって10年近く前のことよね?」
なんてことだろう、子どもの頃の冗談を間に受けて婚約を迫るなんて。
セレスティアは頭を抱えた。
(仕方がないわ。もう、これしかない)
「……お父様、私、好きな人ができたの」
ガッシャーン。
父が手に持っていたティーカップが割れて、破片が飛び散る。
(あれって、ひいお祖父様の代から使っていたとかいうものじゃなかったかしら)
「……どこの誰だい?」
父は、低い声で聞いた。
温かいお茶を飲んでいたはずなのに、部屋の温度がぐっと低くなったような気がする。
「今はまだ教えられないわ。でもその人に誤解されたくないから、ユーミンと行こうと思うの」
もちろん好きな人ができたなんて、ただの口実だ。普通はこんなわがままが通るはずはない。
でも父は、デビュタントで母と出会い恋に落ち、周囲の反対を押し切って結婚した。
政略結婚が当たり前な貴族社会において、誰かを好きになることの意味を知っている。
「ティアの気持ちは分かったよ。でも二人のデビュタントは、ミレイヤとパトリックの願いでもある」
アルミオの両親の顔が思い浮かび、胸がぎゅっとなる。
(ミレイヤおばさんやパトリックおじさんも、アルの幸せのためなら分かってくれるわ……)
「分かったわ」
「分かってくれてよかった」
「アルに直接話してみる」
「ティア……」
*
まさか父が縁談まで進めようとしているとは思いもよらなかった。どうりで回帰前にアルミオと婚約するまで一瞬だったわけだ。
(やっぱりデビュタントのパートナーは、絶対に回避しなくちゃ)
幼馴染の義務としてデビュタントのパートナーを申し込んだだけなのに、婚約の申し込みなんかされたらアルミオにも変な気を遣わせてしまう。
優しいアルミオのことだから、身寄りを無くしたセレスティアに対する責任感のようなものを感じて、婚約を申し込むことになったのかもしれない。
(ローザのことが好きなのに、アル、ごめんね)
明日になったら、アルミオに手紙でパートナー解消のお願いを入れよう、そんなことを考えながらセレスティアは眠りについた。
妙な物音がしたのは、その夜のことだった。
コン、コンコン――
使用人たちも寝静まったころだし、気のせいかと思いきや、何度かそんな音がする、
(風かしら?それとも、鳥か何か?)
ティエラ家の邸宅は古く風がよく通るし物音も響きやすい。
すぐに収まるかと思いきや、何度か繰り返し聞こえる。人を呼ぼうかとも思ったが、こんな夜更けに忍びない。
恐る恐る燭台に火を灯したセレスティアは、大きな窓に近づいた。外にはバルコニーがあり、庭を一望できる。
(やっぱり鳥でもいて、飛んで行ったのかしら)
そう思った瞬間――
窓の向こうに大きな人影が見えた。
セレスティアの部屋は屋敷の2階。窓の外はバルコニーになっているけれど、こんなところまで普通の人が来れるわけがない。
(泥棒だわ、早く知らせないと!)
こんな家に、金目のものはないのに。
相手を刺激しないよう、声を出さないように後ずさる。その瞬間、雲間から差し込んだ光に照らされ、侵入者の顔がはっきりと見える。
「えっ?」
思いがけない人物に、間抜けな声が出た。
「セレス、びっくりさせてごめん」
開いた窓から差し込む月明かりを反射して、黄金色に輝く髪。
「アル?」
申し訳なさそうな顔をしたアルミオが、そこにはいた。




