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不幸の悪女と呼ばれても、あなたを幸せにしたいんです  作者: 息吹 紡


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4.目覚め

 水飛沫が上がって、大きな音が響く。深く深く、体が湖の底へと沈んでいく。


(苦しくない……)


 セレスティアの頭の片隅に、ぽつんとそんな考えが浮かんだ。


 冷たい水に飲み込まれて、湖と一体になっていくような不思議な感覚に包まれる。身体が溶けていくみたいで、それが心地よかった。


 一瞬のような、永遠のような時間が経ち、全てがどうでも良くなる。意識がとろけそうになったその時。不意に強く、腕を引かれた。


(何?)


 どうやら誰かに引っ張られているらしい。


(嫌よ、離して)


 戻りたくない。セレスティアは必死に暴れた。

 

(やめて……!)


 水の中でなければ悲鳴が上がっていただろう。けれど自分の意思に反して、体はみるみる上へと引き寄せられる。物凄い力だ。


 ざば、という音と太陽の眩しさに、一瞬遅れて水の外に出たと気がつく。


 息が苦しくて咳が出た。さっきまであんなに気持ちがよかったのに。


 セレスティアの意思とは関係なしに、飲んでしまった水を吐き出そうと、身体は懸命にもがいた。


(私には、全てを終わらせることすらできないというの?)


 苦しさのせいか情けなさのせいか、じわりと目尻に涙が浮かんだ。


「……もう、死なせてよ……」


 息も絶え絶えにつぶやくと。


「何でそんなこと言うんだよ!」


 いきなり飛んできた声に、セレスティアは濡れた瞳を丸くした。強い口調が返ってきたせいではない。


 聞き間違えるはずがない。確かに知っている声だったからだ。


(どういうこと……?)


 戸惑いながら顔をあげたセレスティアの目に飛び込んできたのは、成人前後の青年だった。

 キラキラと太陽の光を反射して、光っているような黄金色の髪と湖よりも蒼い海のような瞳。


(うそでしょ……)


 引き込まれるようなその目と、セレスティアの緑色の目が合う。


「……アル」


 自分自身もずぶ濡れになりながら、セレスティアを引っ張りあげたのは、アルミオだった。


「一体どうしたんだよ。急に死にたいだなんて……」


 アルミオは泣きそうな顔をして、セレスティアを見つめている。


(夢を見ているのかしら?それとも、願いが叶ったというの?)


 アルミオに伝えたいことがたくさんあるのに……。熱いものが込み上げてきて、言葉が出てこない。


「セレス、泣いてるの?」


 もう、どうだっていい。


 答えにつまったまま、セレスティアはアルミオを抱きしめた。すがるように、目の前にいる彼の存在を確かめるように、強く。


「セレス?いきなり……って、すごい熱じゃないか」


 言われてはじめて、自分の身体の熱さに気がついた。


(あれ、からだが……)


 腕に力が入らない。


 セレスティアから抱きついたはずなのに、いつの間にかアルミオのほうが、抱きしめるように体を支えてくれていた。


(アルの匂い、いいにおい……)


 アルミオの腕の中で、重いまぶたを閉じながら願った。


(どうかこれが、夢じゃありませんように――)



 *


 頭が痛くて、ううっと声が出た。見慣れた天井が目に飛び込んでくる。


 頭の中にもやがかかっているみたいに、何があったのかよく思い出せない。


「お嬢様、大丈夫ですか?」


 セレスティアが目覚めたことに気がついたらしく、侍女が顔を覗きこんできた。少し慌てた表情を浮かべた侍女を見て、セレスティアは驚いた。


 赤髪にそばかす、心配そうに眉をよせた人のよさそうな丸顔は、ひどく懐かしい。


「……あなた、キキ?」


 キキはセレスティアの2つ年下だ。おしゃべり好きな明るい性格で、セレスティアもキキと話すのが好きだった。でもキキは4年も前にセレスティアの侍女を辞めたはずだ。


「帰ってきてくれたの?」


 人懐っこい性格の彼女は妹のような存在だった。そんな彼女が、また自分の元に戻ってきてくれたというなら嬉しい。


「はい、キキですよ。ひどく混乱されているようですね……。なんせお嬢様は4日も眠っていたんですもの」


(4日も眠っていたなんて。それに、あの花は……)


 花瓶にいけられた一輪の花が目に留まる。珍しい星の形をした、銀色の花。見覚えのある花に、セレスティアはゆっくりと全てを思い出した。


 結婚式のこと、葬式のこと、そして湖のこと――


 顔から血の気が引いていく。


「お嬢様?お顔が真っ青ですよ……覚えていますか?お嬢様はあの花を取ろうとして、バーレー家の裏の湖に落ちてしまったんですよ」


(どういうこと?)


 セレスティアがあの花を摘もうとして湖に落ちたのは、たしか16歳の頃だったはずだ。

 デビュタントの前なのに風邪が長引いてしまい、準備が大変だったことをよく覚えている。


(それとも湖に飛び込んだことを、そんなふうに紐づけたの?)


 ふと、改めてキキの容姿を見て違和感を覚えた。年頃の娘が4年も経ったとは思えないほど、キキの姿は記憶のままだ。


 まさか、という思いが大きく膨らむ。


「とにかく、お医者様を呼んできますね。それからアルミオ様にもお知らせしなくちゃ。毎日お見舞いに来ていたんですよ」


 戸惑いの中、アルミオという名前を聞いて息をのんだ。


「……アルミオが、毎日来てくれたの?」


「そうですよ。湖に落ちたお嬢様を助けて、屋敷まで運んでくれたのもアルミオ様です。お嬢様のことをとっても心配していたんですから 」


 もう、疑いようがなかった。


(私、本当に過去に戻ってきたのね……)


 信じられない気持ちで、胸がいっぱいになる。自分の身に何が起きたのかは分からない。むしろこれまでのことが悪い夢だったのかもしれない。


 それでも、アルミオが生きている。


 それに、自分の予想が正しければ――


「……アルには、目が覚めたけれど体調が良くないからしばらく会えないと伝えてくれる?」

 

 一瞬思案した後、セレスティアは部屋を出ようとするキキにそう言った。


「分かりました。お医者様を呼んでくるのでゆっくり休んでいてくださ……ってお嬢様?どこに行かれるんですか」


 戸惑うキキの脇をすり抜けて、セレスティアはパジャマのまま廊下に走り出た。


 心臓の音が、ドキドキと大きく速くなる。すれ違った使用人が、何事かと振り返っても、構わずに走り続けた。

 自分の考えが正しいのかどうか、キキに尋ねて確かめることは、どうしようもなく怖くてできなかった。


(ここが本当に4年前だというのなら――)


 自分の目と耳で、きちんと確かめたい。


 だって本当にそうなら、アルミオだけじゃない。


 セレスティアにはもう1人、助けたい人がいるのだから。


(この部屋に……本当にいるのかしら)


 ようやく辿り着いたのは、古めかしい立派なドアを携えた当主の執務室だった。ノックの返事も聞かぬまま重厚なドアを開け放つ。


 普段なら行儀の悪さをとがめられるような態度だが、焦る気持ちを抑えられなかった。


 大きなドアの隙間から、光が差し込む。


「――ティア、体調はもういいのかい?」


 動揺するセレスティアをよそに、ほんわりと尋ねられる。

 古めかしい椅子に腰掛ける、灰色の髪と、セレスティアより深い緑の瞳の男性。


「お父さま……」


「4日も眠り続けるなんて心配したんだよ。でも、走って会いに来れるくらい元気になったなら安心だね」


 優しげに垂れ下がった眉と、低く心地いい声。


 ああ、父はこんな声だった。


 セレスティアはその胸に、思わず飛び込んだ。


 大きな手が、セレスティアが飛び込んでくることを知っていたかのように揺らぎなく、優しく包み込んでくれる。


「あと3ヶ月で成人式だっていうのに、ティアもまだまだ子どもだなあ」


 笑いながらも頭をぽんぽんと撫でてくれる温かい手が、泣きたくなるくらいに嬉しかった。

 セレスティアの心はもちろん、4年前の姿だってもう幼子ではないのに。


 子ども返りしてしまったみたいに、セレスティアは父の胸に顔を埋めた。


 セレスティアの父、エドワード・ティエラは4年後の世界にはいない人間だ。

 

 4年後どころか4ヶ月後。父はセレスティアのデビュタントの直後に、心臓の発作で突然亡くなる。


(再会の余韻に浸っている時間はないわ)


 小さく息を吸って気持ちを落ち着かせた。


 そもそもアルミオと婚約することになったきっかけは、父が亡くなったことだ。


 なら、もしも父が死なずに済んだら?


 何も知らずに穏やかに微笑む父の顔を見て、セレスティアは胸に誓った。


(アルのこともお父様のことも、どんな手を使ってでも助けてみせるわ)


 そのためには、まず、これから迎えるであろうデビィタントをどうにかしなくてはならない。

 無邪気な子どもに聞こえるように、セレスティアは努めて明るく問いかけた。


「お父様、デビュタントのドレスのことなのですが……どこまで進めていましたっけ?」

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