2.結婚式の悲劇
「こんなに急に雨になるなんて、さすが呪われた悪女の結婚式ね」
参列者の令嬢の1人が、ドレスの裾についた雨水を払いながら嫌味っぽくつぶやくと、彼女と年の近い取り巻きたちはそろって頷いた。ただでさえ気に入らない結婚式なのに、突然の雨で自慢の髪やドレスが濡れ、不機嫌なのだ。
「全くアルミオ様も、もう少しマシな相手を選ばれればよかったのに……」
リーダー格の令嬢が、大袈裟にため息をつく。
「セレスティア嬢があんな『可哀想な目』にあったからアルミオ様も同情したんですわ」
「でも本当に結婚してしまうなんて、アルミオ様ったら優しすぎるわよね」
「ふん、セレスティア嬢が汚い手を使ったに決まってるわ」
今日の結婚式に至るまで、お茶会でも散々話題になったことだけれど、妬みのこもった言葉が口々に交わされる。
王国有数の富豪でありながら、紳士的で人当たりもよいアルミオは、同世代の貴族令嬢から大変な人気があった。結婚は難しくてもせめて一度くらいダンスを踊ってみたいと思っていた令嬢たちは多い。
「せめて“赤薔薇”のローザ様が相手なら、諦めもついたのに」
そう言った1人が、含みをもった視線を最前列に座る令嬢に送る。
親族の座る長椅子に腰掛けているのは、アルミオの2つ歳下の従兄妹ローザ・ラグマだった。
急な雨でも乱れひとつない淡いピンク色の髪に、パッチリとした神秘的な赤い瞳。常に笑顔を絶やさず、天使のようだと称されているローザは、以前、アルミオと恋仲だという噂があった。
というのも10年前、アルミオの両親が馬車の事故で亡くなった後、未成年だったアルミオの後見人になったのが、ローザの父親で叔父のレイトス・ラグマだったのだ。
レイトスは、アルミオの父パトリックの異母弟にあたり、婿入りする形で“赤薔薇”と称され栄華を誇るラグマ家に入った。
それまでアルミオとの交流は少なかったものの、悲惨な事故で幼くして両親を失い、実家バーレー家の後継となった甥のことを心底心配した。
事故の直後に迷いなくアルミオを引き取り、後見人として家業を支援した手腕は見事で、おかげでバーレー家は弱体するどころかより繁栄しつつある。
そして従兄妹であるローザもまた、傷ついたアルミオを献身的に支えたという。
成人するまでの6年間、アルミオはラグマ家で過ごしており、成人すれば2人が結ばれるはずだと噂されていた。
にもかかわらず、いきなりセレスティアとの婚約が発表され、社交界は騒然となった。
アルミオに憧れていた貴族令嬢たちも、心優しいローザが相手ならばと身を引く者が多かっただけに、セレスティアに嫌がらせをする者まで現れた。
“呪われた悪女"が幼馴染の立場を利用して恋人たちの仲を引き裂いたのだ、許してはならない、と。
ところが、今度は嫌がらせをした令嬢がことごとくよくない目に遭ったため、“悪女の呪い”と恐れられた――
「ほら、そろそろ入ってくるみたいだわ」
パイプオルガンの音が厳かに鳴り響く。それを合図に、規則正しく並んだ参列席の後方で、大きな扉がゆっくりと開いた。
「新郎新婦のご入場です」
神官が高らかに宣言し、セレスティアはアルミオとともに式場の中へと足を踏み入れた。
扉が開く前に聞こえていたざわめきが、一瞬で静まりかえる。
これまでどんな会話がされていたのかは、なんとなく想像がついた。
セレスティアにとっては理解しがたいが、アルミオのちょっとした仕草に黄色い声をあげる貴族女子たちのことはよく知っている。
自分のような者が婚約者となってからは、特に怨恨の的だった。アルミオの前ではみんな猫をかぶっているので、彼は絶対に知らないだろうけれど。直接的に侮辱の言葉を浴びせられたことも数えきれない。
(気にしてはダメよ)
アルミオと腕を組み、突き刺さるような視線をくぐりぬけながら、セレスティアはしっかり前を向いて赤い絨毯の上を歩いた。
最前列の横を通りすぎる時に、一瞬、おしとかやに座るローザと目が合う。
大きな赤い瞳が細められ、淡いピンク色のドレスの上で握っている手が硬くなるのが見えた。その瞬間だけは少し胸が痛んだ。
「……」
隣のレイトスはそんな娘の様子に、少し慌てたように笑みを浮かべて「おめでとう」と言った。
アルミオはローザの様子に気がついているのかいないのか、その言葉に笑顔でうなずく。
ローザのことは全く見ない。
2人が恋仲という話は、この6年間あちこちで聞いた。セレスティアと婚約した後も関係が続いているとか、本命はローザだとか、色々と。
(でもアルは、ひどい噂ばかりの私を見捨てないでくれた)
セレスティアもアルミオも、両親を亡くしている。自分と同じ痛みをもつ幼馴染を放っておけなかったのだろう。ひとりぼっちになったセレスティアに、アルミオは婚約を申し込んでくれた。
きっと一時的に自分を守るためにとってくれた行動で、そのうち婚約破棄を言い渡されることも覚悟していた。
それでもアルミオは、全てを失ったセレスティアの手を離さないでいてくれた。
(アルに相応しくなれるように、強くならなくちゃ)
セレスティアは悪い考えを振り払うように、前を見つめた。
(私はアルと、幸せになるんだから)
その時、セレスティアを祝福するかのようなキラキラとした光が目に飛び込んできた。祭壇の上方で大きなシャンデリアが輝いているのだ。
この式場を勧められ初めて訪れた時、このシャンデリアに強く心惹かれたのを思い出す。
もし万が一、雨が降った時のことを考えると、少しでも晴れやかな場所で式を挙げられると思ったのだ。まあ本当にその通りになるとは思いもよらなかったけれど。
キラキラと光を反射しているシャンデリアの下に立つと、不思議と太陽の光が降り注いでいるように感じた。
周囲には、ティエラ家の象徴である白薔薇と、バーレー家の象徴であるひまわりが、調和するように飾られている。雨の陰湿さを吹き飛ばすような明るい花と光に、セレスティアの心も自然と晴れる。
(この教会を選んで、本当によかったわ)
神父が長い祈りの言葉を捧げる間、セレスティアはアルミオを見つめていた。
先ほどアルミオが言ってくれた『君を幸せにする』という言葉を思い出し、胸がじんわり温かくなる。
「……アルミオ」
「何だい、改まって?」
穏やかに微笑む優しい人。ああこの人は本当に、太陽みたいだ。
「いつもありがとうね」
どうしても感謝を伝えたかった。
「そこは『愛してる』とかでもいいと思うんだけどなあ」
すぐにふざけた調子になるアルミオに、セレスティアは小さく笑う。
「もう、私たちそういう関係じゃないでしょ」
アルミオのことは家族のように大切に思っているし、これから本物の家族になれることは純粋に嬉しい。
だが、アルミオとは兄弟のような関係で、愛を囁かれたことも、もちろんキスをしたことだってない。
アルミオは唇を尖らせ、小さくつぶやいた。
「……これから家族になるんだし、そういう関係になってもいいと思うんだけどな」
なんと言ったのか聞こえなかったので聞き返そうとした時。神父が長い祈りの言葉を終え、コホンと咳払いをした。
「では、誓いの言葉を」
神父はアルミオを見つめ、重々しく問うた。
「アルミオ・バーレー。汝は健やかなる時も、病める時も、幸福な時も、不幸な時も、汝の妻を支え共に乗り越えていくことを誓いますか」
アルミオは真剣な眼差しで応えた。
「はい、誓います」
にっこり笑みを浮かべた神父は、セレスティアに向き直って問うた。
「セレスティア・ティエラ。汝は健やかなる時も、病める時も、幸福な時も、不幸な時も、汝の夫を支え共に乗り越えていくことを誓いますか」
アルミオとのこれからの人生を、改めて思い描く。
穏やかで優しい幼馴染。
たとえ愛し合っていなくても、彼となら幸せな夫婦にきっとなれる。
「はい、――」
セレスティアが応えようとしたその瞬間、ジャラリという音とともに頭上で大きく影が揺れた。
「えっ?」
誓いの言葉をつい止めて、何事かと天井を見上げる。どうやらあの豪華なシャンデリアが揺れているらしい。
いや、揺れているどころか――
パラパラとガラスの破片のようなものが舞い落ちてくる。
「危ない!!」
人生で聞いたこともない、けたたましい音がしたのは、セレスティアの体がアルミオに弾き飛ばされるのと同時だった。
轟音の反動のせいか、一瞬、世界が静止したように無音に感じる。何が起きたのか分からない。
それはセレスティアだけでなく、式場にいた全員が同じだった。
さっきまでセレスティアが立っていた場所にある、シャンデリアだったものの残骸。粉々に飛び散ったガラス片の間から見える、血に染まった身体。
「アル……?」
やっと絞り出した声が、伸ばした手が、震える。そのまま必死にアルミオに触れた手が、赤く染まった。
嘘だ。こんなはずはない。
「……セレス、大丈夫?」
思いのほか、はっきりとした声が返ってきたけれど、セレスティアの胸をざわざわと嫌な感じが包んだ。
「アルのおかげで、私は大丈夫よ」
努めて穏やかな声で、何事もなかったかのように話しかける。大丈夫、何も怖いことはない。
「ねえ……アルは大丈夫?」
彼の手を握る手に、力を込めた。ところが返ってきたのは、消え入りそうなほど弱々しい声だった。
「……よかった」
小さなつぶやきを最後に、アルミオの手が力を失ったように動かなくなる。
「ねえ、アル」
返事がない。
誰かの叫び声のせいで、喉と耳がひどく痛んだ。
アルミオが駆け寄ってきた神官たちに囲まれる。走り寄ってきたレイトスが、セレスティアの肩を支え引き離そうとした。
けれどセレスティアは、アルミオの手を握りしめたまま動けなかった。体が石になったみたいだ。
「いやよ、どうして……私なんかのせいで」
激しい頭痛に呑まれ、混乱とともにセレスティアの意識が闇へと落ちていく。
「呪いだわ」とつぶやく誰かの声と、ざあざあという雨の音だけが響き続けた。




