18.2人のダンス
二度目のデビュタントは、幸い大きな混乱なく進められた。
ルミナス王女は当然、前回と同じドレスを身につけていたけれど、登場で場がざわつくこともない。凛とした彼女に恥をかかせずに済んだことは、セレスティアにとっても喜ばしいことだった。
あっさりと式典が終わった後、セレスティアはテラスに出た。
アルミオはひっきりなしに話しかけられているので、邪魔になってはいけないと思ったからだ。
このデビュタントは、バーレー家の若い当主にとって大切な交流の場だ。回帰前にいなかったセレスティアは、関わるべきではない。
友達を作るつもりもないので、誰とも話さなくて済むよう、飲み物を片手にテラスへと逃げ込んだ。
しとしとと穏やかに降り続く雨空をそっと見上げる。雨の音は嫌いじゃない。ぼうっと眺めていると無心になれる。
ところが不意に、雨音に紛れて声がすることに気がついた。
どうやらセレスティアが端にいたので、存在に気が付かずにテラスにやってきた人たちが話をしているようだ。
「もう!あんたとはやってられないわ」
「おいおい、ベス、そんな言い方はあんまりじゃないか」
(男女のいざこざかしら……気まずすぎるわ)
どうして自分はこうも引きが悪いのだろう。ここは空気になって、二人が去るのを待つのが吉だ。
ところが口論は、どんどんエスカレートしていった。
「あんたが悪いんでしょ。この浮気者!私、飛び降りて死んでやるから」
あまりに熾烈な物言いに、ぎょっとする。
(冗談でしょ、こっちにこないでよ)
ただでさえ、盗み聞きのようになってしまって罪悪感があるのにこれ以上巻き込まないでほしい。
「死ぬなんて脅し、ひどくないか?」
「脅しだなんて最低!やっぱり私のことなんて最初から好きじゃなかったのね!2年間待ってたのに……」
「いやだって、待っててくれなんて頼んだわけじゃないし……」
(わー、そんな言い方はあんまりよ)
何があったかは分からないけれど、女の子のほうが寄り添ってほしそうなのは明らかだ。
けれど男の声には、悪びれる素振りが全くない。
「もう、知らないんだから!この後のダンス、1人でステップを踏めば!」
「おい……はぁ、なんなんだよ」
走り去る女に手の足音が遠ざかっていった。とりあえず目の前で飛び降りなくて、本当によかった。
あとは男の方もどこかへ行ってくれればと思ったのだけれど、男が頭をかきながら、テラスの奥側へとやってくる。
「ほんと、意味わかんねー」
(このままじゃ鉢合わせちゃう……)
テラスの柵によりかかり、なるべく身を縮めてみるものの、不機嫌そうな大男は目ざとくセレスティアを見つけた。
「なにあんた、盗み聞きなんて趣味が悪いな」
ダークブラウンの髪と切れ長の瞳に、健康的な褐色の肌、なんだか見たことがある気がする。
言いがかりのようなつっけんどんな態度に、セレスティアもつい言い返した。
「私は先に、ここで休んでいただけよ」
「なら存在をアピールするのがマナーじゃないのか?」
むすっとする男の胸元で小さく光る、カトレアのブローチを見つけ、この男が誰だか思い出した。
(ああそうだ、この人知っているわ。名はたしかカイエン・カトレールね)
歳は二つ上だけれど、隣国の士官学校に留学していて、今年のデビュタントに出ることになったはずだ。
直接的な知り合いではなかったが、回帰する前、カイエン・カトレールは有名だった。
「たしかに、不本意ながらプライベートな会話を聞いてしまったのは謝るわ。でも、言葉は時に剣よりも人を傷つけるものよ」
「なに、今度は説教か?」
「そういうつもりではないけれど……」
セレスティアが再び口を開こうとした時、テラスの入り口からアルミオの声が聞こえた。
「セレス?ここにいるの?遅くなってごめん、ダンスが始まるよ」
アルミオの呼びかけには答えずに、セレスティアは小さな声で名乗った。
「……私、セレスティア・ティエラよ」
「だから?ティエラ家といえば白薔薇だろ?圧をかけるつもりか?」
「私だけが知ってるのはフェアじゃないと思って。もしも機会があったら、また話しましょう。カイエン・カトレール」
すっとカイエンの横を抜け、セレスティアはアルミオのことを呼ぶ。
にこにこと笑顔を浮かべてやってきたアルミオが、顔をのぞかせた後、険悪な空気とカイエンの姿を見据えて目を細める。
「セレス、さぁ行こう」
あえてカイエンには声をかけず、アルミオはセレスティアの手を取りエスコートした。
ダンスホールの端についた時、不意にアルミオが尋ねた。
「セレスのいう"好きな人"って、あいつなの?」
「へっ?」
「カイエン・カトレール。さっき会ってた」
(そうだ私、嘘をついてたんだった)
「……涼んでたらたまたま会っただけよ」
およそ好き同士と言えるような空気ではなかったと思うけれど、アルミオはなぜかしつこく訊いた。
「ふぅん。なんの話してたの?」
「内緒よ」
人の噂話には興味がないアルミオにしては珍しい。幼馴染として心配してくれているんだろうか?
(まぁ、カイエンは客観的に見たらやめておけと思うかもね)
剣術の天才だが、女好きとの噂が絶えず1人の相手と定まることはなかったはずだ。
(しかも最後は……いえ、考えるのはやめましょう)
デビュタントでは、成人を迎えた貴族たちが最初のダンスを踊る。
戻ってきたダンスホールではすでに、花のような男女が手を取り合って音楽が始まるのを待っていた。
「セレスティア、僕と踊ってくれるかい?」
アルミオが恭しく手を差し出すので、セレスティアも礼をして彼の手を取る。
一瞬の静けさの後、優雅なバイオリンの音色がファーストダンスの始まりを告げた。
前回のデビュタントではダンスの前に帰ったので、こうして踊るのは初めてだ。
少し緊張したけれど、ゆったりとしたワルツが身体を包むと、自然とステップを踏む足が出る。
アルミオはなぜか、驚いたようにセレスティアの顔を見る。
それもそうだ、全く練習していないのに息がぴったりなんだから。
いつもは余裕たっぷりなアルミオがびっくりしているのは、なんだか可愛い。
くるりと回ると、セレスティアのスカートの裾が大きく広がる。白百合の花が咲いたみたいに。
思えば2人のはじめてのダンスは、何度も先送りになった。
一度目は10歳の時のミニ舞踏会。
指折り数えて楽しみにしていたダンスの機会は、バーレー夫妻の事故で無くなってしまい、アルミオとも離れ離れになった。
二度目は前回のデビュタント。
あの時はダンスの前に、セレスティアが逃げ出してしまった。
自分のことでいっぱいいっぱいで、アルミオのダンスのパートナーがいなくなることまで想像できず、申し訳なかった。
(結局、私たちの初めてのダンスは、父の喪が明けた後に行われた婚約披露のパーティーだったわね)
あの時は、合わせようと思えば思うほどステップが乱れて散々だった。
今はセレスティアの方に4年分の蓄積があるからか、心に余裕があるからか、身を任せているだけで呼吸が重なるみたいだ。
息ぴったりのダンスを披露する2人に、気がつけば周りの人たちの視線はアルミオとセレスティアに釘付けになっていた。
「アルミオ様とセレスティア嬢……素敵ね」
セレスティアはそんなことに気がつかないほど、夢中になった。
呼吸を忘れ、視線を交わし、手を取り合う。
回って踏み出して、また回る。
互いを思い合わないとダンスはうまくいかない。
アルミオがセレスティアのことを想ってくれているのが、ステップから伝わってくる。
(今だけは、この時間がずっと続いてほしい……)
曲はいよいよクライマックスを迎える。
テンポが少し速くなり、息が上がりそうになるけれど、脚も腰もなだらかに動き続ける。
これがきっと、アルミオと踊る最後のダンスだ。
曲が終わってしまうのが惜しい。
でも、2人の時間が美しくいい思い出で終われるように――
あと少しだけ、このままで――
その瞬間、ぐらりとセレスティアの体が大きく傾いた。
(どうして、ヒールが……)
ヒールが折れかけているらしい。
(転んじゃう……)
ファーストダンスで転んだら、また笑い物になるだろう。自分だけでなく、アルミオにも恥をかかせることになる。
せっかくアルミオと、いい思い出ができそうだったのに。
(ああ、やっぱり私はうまく行かないのね…)
セレスティアは、覚悟を決めてぎゅっと目を閉じた。




