16.キキの苦悩
セレスティアは倉庫での一件の後、悶々とした日々を過ごしていた。
父の心労を増やしてはいけないので黙っておいたが、アルミオがうまく取り繕ってくれたので胸を撫で下ろす。
事件の翌日、セレスティアも治安隊のところへ出向き、見聞きしたことを話した。
デイジーが証明書の筆跡を鑑定に出したものの、書かれていた名前は偽名だし、見た目の特徴も細かく伝えたものの、ソルはどこの誰なのか、分からないままだった。
倉庫のものが盗まれたり壊されたわけでもなく、デイジーがお金を盗られたという証拠もなかったため、泣き寝入りするしかないかと思われた。ところが皮肉にも、アルミオが怪我をしてしまったせいで、貴族に対する傷害罪で調査がされることになった。
しかし、いまだに尻尾は掴めないままだ。
「アル……」
あの日以降、セレスティアは悪夢を見るようになった。過去に戻ってくる前の結婚式の夢、アルミオがシャンデリアの下敷きになる夢だ。
夢の中のセレスティアは無力で、いつも「ごめんなさい」と言って目が覚める。最悪だ。
アルミオのそばにいてはいけない。それなのに、あの時アルミオが来てくれて安心してしまったのだ。
(はあ、デビュタントでどんな顔して会えばいいのかしら……)
アルミオは今のセレスティアの距離感に慣れてくれたのか、以前のように執拗に会いにくることは辞めた。その代わりに頻繁に手紙と花を送ってくるようになった。
窓際に飾られた早咲きのひまわりを見て、少し心がざわざわとする。
慌ただしく過ごしているうちに、あっという間にデビュタントの前日になってしまった。
(できる準備はすべてやったわ)
ドレスも靴も、一通り準備は済んでいる。馬車の雨漏りも直しておいたし、傘とタオルも前もって積んでおいた。アーノルドが父には薬を飲ませ続けてくれている。
予期せぬトラブルが無ければなるようになる、はずだ。
「いよいよ明日が、デビュタントね」
綺麗に飾られた白百合のドレスを感慨深く見つめて、セレスティアは隣にいるキキに声をかけた。
「……」
珍しくぼうっとしているみたいだ。
「キキ?」
「ああ、はい!素敵なドレスに仕上がってよかったです。お嬢様を最高に美しく仕上げて送り出しますので!」
キキが笑みを浮かべて、腕まくりをする。いつも通りの仕草に見えるけれど、いつものキキのからりとした笑顔とは少し違う気がする。どこか無理をして笑っているみたいだ。
「キキ、あなたがいてくれて心強かったわ。ありがとうね」
「……お嬢様、身に余るお言葉です。私、一生お嬢様にお支えしますから!」
大袈裟に張り切っている様子もそうだ。無理して明るく振る舞っているような、そんなキキの姿に胸が痛む。
4年前、セレスティアはキキのいつもと違う姿に気がつけなかった。
「そんな風に言ってくれて嬉しいわ。でも――」
言わなければ、と思うのに。キキと離れる心細さに、ほんの少し喉が詰まってしまう。
「あなたは明日から、うちには来ないで」
一瞬、しんと沈黙が2人の間を走った。キキは人の良さそうな眉を下げて、困ったように言った。
「……お嬢様、どういうことですか?突然そんなのってひどいです。私が何か気に触ることをしましたか?」
「……キキ、あなたは家に帰りなさい」
キキがびくっと肩を震わせる。
こんなに熱心に勤めてくれていたキキが、どうして辞めてしまったのか――キキがセレスティアの元を去ったのは、デビュタントの1ヶ月ほど後のことだった。悲しみに浸る間もなく父が亡くなり、セレスティアも大変だったのだけど……。その頃、キキの身にも大変なことが降りかかっていた。
「弟の具合が悪いんでしょう?」
穏やかな声で、問いかけた。キキの弟は体が弱く、ずっと病に伏せていた。キキの他に家族はいないが、隣の家のおばさんが面倒を見てくれていたはずだ。その弟の容体が悪化したのは、セレスティアのデビュタントの頃だった。
そして回帰前のセレスティアは、キキが弟のことで悩んでいたことに気がつけなかった。
直前までバタバタとしていたセレスティアのデビュタントを心配して、隠していたのだ。
(結局、弟はキキに会えないまま亡くなってしまった……)
弟が亡くなって初めて家に戻ったキキは、悲しみと失意の中、そのまま仕事を辞めてしまう。彼女を支えるべきだった自分が、キキの惨状を知ったのは随分後のことだった。
キキはここにいては、いけない。本当はもう少し早く、家に帰してあげなければいけなかったのに……。
それでもキキは、なおも食い下がった。
「拾ってもらったのに、お嬢様の人生で一番大切な日に立ち会う事ができないなんて……そんなの自分を許せません」
キキもきっと悩んでいる。弟をとても愛しているけれど、セレスティアのことを思ってくれているから。だからセレスティアは、なるべく軽く聞こえるように言った。
「そんなに大切な日じゃないわよ。たかが成人の日じゃない。だから、デビュタントよりももっと大切な日に、いつか一緒にいてちょうだい」
ここで送り出したら、キキとはもう、二度と会えないかもしれない。彼女のいないデビュタントは正直少し心細い。それでも、キキがきちんと生きて、また会えるように。弟と時間を過ごすことができるように。
「これは休暇じゃないわよ。だから、これを持っていきなさい……」
セレスティアが引き出しから取り出して、キキに差し出したのはエメラルドのブローチだった。
幼い頃にセレスティアの瞳の色に似ているからと祖父に贈られたものだ。大きな宝石がついているわけではないけれど、少しくらいなら食べ物や薬を買えるだろう。
「お嬢様、いけません」
「退職金が出せない代わりよ」
まだ躊躇うキキの手に、無理やり押し付ける。回帰する前のキキには、何も渡せなかった。だからせめて、今のセレスティアにできる精一杯のことをしてあげたかった。
「さあ、荷物をまとめて行くのよ」
(いつか必ず、戻ってきてね)
心の中で思ったことは告げないようにした。キキを大切に思うからこそ、これはきっと離れるいい機会だ。
「お嬢様……ありがとうございます」
キキはうっすらと涙を浮かべながら、少ない荷物をまとめてティエラ家を後にした――
*
「私の侍女にならない?」
キキが去ってから、そう声をかけた時のことを思い出していた。
キキと出会ったのは、とある町のパン屋だった。そこでキキは、一人で弟の治療費を稼ぐためにボロボロになりながら働いていた。
たまたまパンを買いに行ったセレスティアが見かけたのは、彼女が裏口から店主に追い出される姿だった。
「うちの金を盗みやがって!二度と店に近寄るんじゃねえ!」
そう言って水をかけられていた少女がキキだった。
通り過ぎようとしたセレスティアは、冷たく閉ざされたドアを恨めしそうに見つめ、絶望するかのように歪んだ彼女の瞳と、タコだらけの指に目が止まった。
一生懸命に生地をこねていなければ、あんな指にはならないはずだ。思わず、声をかけてしまった。
「ねえあなた……本当にお金を盗んだの?」
唇を噛み締めながら、俯いた少女は、消え入りそうな小さな声でつぶやいた。
「……盗んで、ません」
何度もそう言ったのに、誰も信じてくれなかった。そんな諦めが滲んだ声だった。
「そうなのね……なら、私の侍女にならない?」
あの時、キキに他に選択肢がないと知りながら、彼女にそう声をかけた。
「え?」
ようやく少女が顔を上げる。
「ちょうど前の侍女が辞めてしまったところだし、誰かいてくれたらいいなって思っていたのよね。うちは貧乏だから、すごくたくさん給料をあげられるわけじゃないんだけど」
少し考え込んだ後、彼女はためらいがちに言った。
「……弟が、お腹の病気なんです。それでも構いませんか?」
「それは大変ね。看病で時間が必要?」
「いえ、隣のおばさんがみてくれているんですが……ここのパン屋は長かったんですが、菌が移るって、酷い扱いを受けていたので……」
なんてひどいことを言うんだろう。少女が過去に受けた悲しみには何もしてあげられないけれど、セレスティアはもうこのパン屋には二度と来ないことをひっそりと誓う。
弱りきった彼女の手を、あえて握ると少女はハッと顔を上げた。
「あなたはあなたでしょう、関係ないわ。まあ私、少し運が悪くてね。貴族だけど貧乏だし。私の侍女になると酷いこと言われるかもしれないけど。それでもいい?」
「お嬢様の、名前は?」
「セレスティアよ」
「お仕え、させてください」
そうしてキキは、セレスティアの侍女になった――
(ああ、また侍女を探さなくちゃね)
一人でも本当は、不自由はない。でも、誰かといる方が楽しいのだ。
(キキ、元気でね……)
キキがまたボロボロになる日が来ないよう願いながら、そっと瞼を閉じた。明日はいよいよ、デビュタントだ。




