11.白百合のドレス
アーノルドが主治医としてティエラ家に住み始めて、少し経った。
薬のおかげか、父はだんだんと顔色が良くなり、夜もぐっすり眠れているようだ。気心の知れたアーノルドが戻ってきてくれたというのも嬉しいのではないかとも思う。
(ドレスを探して駆け回ることもないし、これでお父様は助かるはずよ)
ひとまず父のことは大丈夫だろう。倒れる数ヶ月前から薬を飲み症状を緩和させることができた。何よりアーノルドもそばにいてくれる。
あとはデビュタント後の夜会はすべて断って、父から目を離さなければきっと大丈夫だ。
まだ油断はできないとはいえ、少し心が軽くなった一方で、セレスティアの悩みの種はデビュタントだ。
断りの手紙が送られてきた後も、セレスティアは、ユーミンに何度か手紙を送った。
他にパートナーの相手がいるのか?いないならば一度会って話をしたい――どれも答えはノーだったけれど。
普通はこんなふうにしつこく手紙を送るなんてマナー違反だろうが、セレスティアには彼以外にあてなどなく、諦めるわけにはいかなかったのだ。
「はあ、もう、どうしよう……」
「あのう、セレスティア様、これだと問題ありですか?」
(そうだった、お母様のドレスを手直ししているところだった)
仮留めした箇所のバランスを整えていたデイジーが、遠慮がちにこちらを見ている。セレスティアは慌てて首を振った。
「ああ、ごめんなさいデイジー。それで大丈夫よ」
「では、胸元の装飾は少し削りましょう。裾の形を改造して、体に巻き付くようなマーメイドラインに調整しますね」
デイジーが針を持ち、補修したところを綺麗に縫い合わせていく。細かい作業をするときの集中力が職人らしい。
デイジーに「お嬢様のデビュタントのドレスを修繕させてください」と言われた時は驚いた。
いま、『ハレイロ』は店自体は臨時休業としている。すでに入っている注文先にも、デイジーは状況を正直に説明して納期を伸ばしてもらい、進められる部分から工夫しながら製作しているそうだ。
デイジーも自分の仕事で手一杯だろうし、初めは断るつもりだったけれど、何度も頼み込まれたので、つい首を縦に振ってしまった。
しかもデイジーは修繕だけでなく、セレスティアに似合うように改造もしたいと申し出てくれた。
丈も足りない状態だったのに、作業が始まってみると魔法のような手際の良さには感動を覚えた。彼女の手を借りてよかった。
結局、ソルからの接触はないままだ。このままずるずると、『ハレイロ』は閉店になってしまうのだろうか?
でも、ドレス作りにこんなに心血を注いでいるデイジーが、資金が無くなったとはいえ顧客に何も告げないまま店を畳んで姿をくらますのだろうか?回帰前のデイジーの行動と、今の彼女の姿に小さな違和感があった。
借金がないと言うのも本当らしく、セレスティアが知っている情報と少し違う。やはり『ハレイロ』の倒産や、デイジーが行方をくらましたことにはソルが絡んでいるのでは?
それならばまだ、ソルと接触する機会はあるはず、というのがセレスティアの予想だったものの……。
音沙汰のないまま時間だけが過ぎた。
悩みの種はそれだけではない。ユーミンに断られたセレスティアは、なんとかパートナーを見つけようとしているものの、全く進展はない。
「では一度、試しに来てみましょうか」
できあがったドレスを着て、鏡の前に立つ。
思わず小さく声を漏らした。
「……すごいわ」
そこに映っているのは、純白の光を纏ったような美しいドレスに包まれた自分の姿だった。
母のドレスは大切に保管されていたのだろう。元々、長年眠っていたとは思えないほど白く美しく、状態の良いものだったが、デイジーの手でさらに蘇ったようだ。
全体はなめらかなサテンと軽やかなシフォンのレイヤーで、動くたびに柔らかな光沢が揺れた。
胸元にはリリエル家の象徴、白百合の花を模した刺繍が控えめに輝いている。
ウエストがぎゅっとすぼまり、膝下から広がる裾の先が、百合の花弁のような形に広がっているのが特徴的だ。
もともとは腰下からふんわり広がる形だったが、丈が足りず子どものような短さになってしまっていた。デイジーのアイデアで、布を自然に継ぎ足してシルエットも変更したのだ。セレスティアの身長に合うだけでなく、身体のラインがよく出る形になっていて、なんだかドキドキする。
「こんなドレス、着たことないわ……本当にありがとう」
図らずもデイジーの手直ししてくれた憧れのドレスを着る事ができて、胸が高鳴る。
セレスティアとキキだけではこんな大胆な変更はできなかったし、身体に合わせるだけで精一杯だっただろう。時間ももっとかかったはずだ。本当に助かった。
「お嬢様ならこのシルエットの方が似合うと思ったんですよね。これなら、パートナーの男性もイチコロですよ」
デイジーがウインクする。素晴らしいドレスに胸が踊る一方で、パートナーと聞いて、セレスティアの頭にはぽつりと矛盾した考えが浮かんだ。
(やっぱり、デビュタントには出ないほうがいいのかしら……)
回帰する前のデビュタントは散々だったし、チャンスがあるならやり直したいという気持ちは少なからずあったけれど……そんな気持ちに蓋をする。この二度目の人生は私だけのものではないのだから。
第一、パートナーが見つからない。
もしも本当にアルミオとパートナーになったとして、どんな顔で彼の手を取って踊ると言うのだろう。合わせる顔がない。
不意に、ガチャリと音がしてドアが開いた。
「ティア、やっぱりアルと――」
口をぽかんと開けて立っているのは、父だった。
よほど慌てていたのか、ノックもせずに入ってくるなんて珍しい。
「お父様?」
「あ、ああ……ティア。セリーナそっくりでびっくりしてしまったよ」
父が、懐かしむようにドレスを見つめた。
「お母様に?じゃあお父様は、惚れてしまうわね」
いたずらっぽく笑ったセレスティアは、くるりとサービスで一周してみる。
「少し形を変えたんだね、ティアによく似合ってるよ」
父は嬉しそうに笑った。母のことを思い出しているのだろう。なんだか恋する若者みたいだ。
「キミが手伝ってくれたんだね、綺麗に直してくれて本当にありがとう」
「旦那様、あの私、お礼を言われるどころかむしろ……」
デイジーは恐縮した様子で、言いかける――ドレス代をお返しできなくてすみません、なんて続きそうだったので、セレスティアは慌ててさえぎった。
父にドレス代が返ってきていない事がバレるのはまずい。
「むしろ?」
父はそんな二人を不思議そうな顔で見つめた。
「なんでもないわよ、ね。ところで、お父様は何を言いかけたの?」
「えっとなんだっけ、ああそうだよ。やっぱりデビュタントのパートナーは、アルになったんだね!」
父は手に持っていた封筒を軽く振りながら、満面の笑みで言った。
「えっ?」
本人は初耳なのだけれど。いつものことながら、やり取りが密すぎる。
「アルから手紙があったよ。ユーミンに断られたらパートナーになる約束をしていたんだってね」
「それは……」
確かにそう言った。まさか断られるなんて思ってもみなかったから。
セレスティアはがっくり肩を落とした。
(というか、なんでユーミンに断られたことを知ってるのかしら?)
秘密にしたまま、なんとかユーミンを頷かせようと画策していたというのに。
「ティアがセリーナのドレスを着てアルとデビュタントに行くなんて、夢のようだよ。楽しみにしてるね」
少年のようにキラキラした笑顔を見せる父。
「お父様、私、アルとは……」
「でもアルは、ティアと一緒に行きたいと思うよ?」
それはきっと、彼の母であるミレイヤが望んでいたからだろう。なおも浮かない表情のセレスティアに、父は言った。
「ティア、覚えているかい?6年前のミニ舞踏会のこと」
「バーレー家主催で行う予定だった舞踏会のこと?」
忘れるはずがない。アルミオの両親が亡くなる前に計画されていた、セレスティアにとってははじめての舞踏会だ。
「あの舞踏会の前、ティアはすごく一生懸命練習してたよね」
懐かしい、あの時はアルミオと一緒に踊れるのが嬉しくて、たどたどしいステップでこっそり練習したものだ。結局、二人で踊ることは叶わなかったのだけれど。
「あの時、ミレイヤだけじゃない、僕もティアとアルが手を取って踊る姿を楽しみにしていたんだよ」
「……」
「だからティアの気持ちを無視していいってことにはならないけど。幼馴染なんだし最後にデビュタントのパートナーになるくらいいいんじゃないかな」
父はまっすぐに、セレスティアを見つめた。セレスティアがあのミニ舞踏会を楽しみにしていたことも、父はきっとよく覚えているのだろう。
そこまで言われてしまうと、行かないなんていう選択肢は泡のように消えてしまう。
「……そうね、分かったわ。でも、アルとパートナーになるのはこれが最後よ」
こうなれば、むしろこの状況を利用しよう。
(逆にこれを機にアルに嫌われれば、疎遠になるチャンスだわ)
まぁ、回帰前の悲惨なデビュタントの後に婚約をしたくらいだから、そんな方法があるのかは分からないけれど。
(あのデビュタントは、ひどかったわ……)
セレスティアは、不幸のオンパレードといえるようなデビュタントの苦い思い出を、そっと思い出した。




