1.雨の日の花嫁
「嘘でしょ、急に雨になるなんて……」
結婚式の朝のこと。
純白のドレスに身を包んだセレスティア・ティエラは、窓の外を二度見、いや三度見した。それでもどうやら気のせいではないらしい。
先ほどまでの晴天が嘘のように、窓には大きな雨粒が打ちつけている。
「雨?そんなわけございませんよ。今朝は晴天だったじゃないですか」
すぐ後ろで編み込みを作っていた侍女が、顔もあげずにセレスティアの言葉に反応する。
長かった支度も大詰めにさしかかり、髪を結ってもらっているところだった。やたら気合の入った豪華な編み下ろしも仕上げに入り、手元から目を離すわけにはいかないのだ。
「でも……」
その瞬間、ゴロゴロという大きな音が響き、青白い光が空を走った。雷だ。
あまりの轟音に思わず顔を上げた侍女は、「ひっ」と小さく息を呑んだ。先ほどまで青空だった空には真っ黒な暗雲が覆い、激しい雨が打ちつけている。雷まで轟き始めた光景は確かに異様だ。
侍女の掌から、緻密に編まれかけていたセレスティアの白銀の髪がはらりと落ちた。
「ああっ!せっかく編みあげたのに……申し訳ございません」
慌ててやり直す彼女を、セレスティアは鏡越しに静かに見つめた。これはまだまだ時間がかかりそうだ。
セレスティアは心の中でため息をついた。
(ああやっぱり、こうなってしまった)
心のどこかでは、こうなるかもしれないと思っていた。でも、いざ雨が降ってみると気分は落ち込む。
というのも、結婚式はガーデンウエディングを予定していたのだ。
ここカユラ王国は『花の王国』と呼ばれている。一年を通じて温暖な気候が、四季折々の特色ある花を育み、いつの時期も街中が華やかに彩られているからだ。そのため貴族たちは、教会の庭園で結婚式を挙げるのが慣例だった。
セレスティアが選んだこの教会では今、無数の白薔薇が美しく咲き誇っている。ティエラ家の象徴花だからと、新郎の叔父がおすすめしてくれたのだ。
(今日こそはいけると思ったのに……)
この時期、雨はあまり降らないし、予報士たちも数日前から「絶対に晴れます」と太鼓判を押してくれていた。実際、先ほどまでは気持ちのいい晴天だった。
にもかかわらず、やっぱり、やっぱり雨になってしまった。
突然の大粒の雨はどんどんと勢いを増し、庭園に並んだアーチやベンチをあっという間に濡らした。関係者だけでなく、庭師たちは悲鳴をあげた。
バージンロードとなる小道の端石まで光を放つように磨き上げ、白薔薇一本一本が咲き誇るように最後の手入れを終えたばかりだったのだ。流れてしまった労力を思うと、非常に申し訳ない。
(花に囲まれた結婚式が憧れだったのにな……)
今になっては、潔くガーデンウエディングは諦めるべきだったのだろうかとさえ思う。
昔から、ここぞという時には決まって雨が降る。今日のように晴れていたのに突然――ということも何度もあった。といっても、セレスティアは単に雨女というわけではない。
湖に出かけると強風でボートが転覆しかけるほど揺れ、ひどい船酔いになったこともある。木陰で休んでいると後ろの木に雷が落ちたこともあった。
アクセサリーが切れたり、馬車がぬかるみにはまったり、ティーカップが割れたり――偶然の重なりに思えるような小さな不運は日常茶飯事。雇った侍女は次々とセレスティアの元を去り、頼れる家族もいない。
母親はセレスティアを産んだ時に命を落とし、優しく育ててくれた父親までも、ある日突然、心臓の病で亡くなってしまったからだ。
周りに何と言われようと、ただ少し運が悪いだけだと、なるべくポジティブに考えていたが……。
世間で噂されているあだ名がちらりと頭をかすめる。悲惨な形で社交界にデビューした頃からというもの、セレスティアは"呪われた悪女"と呼ばれていた。
結婚式は仕方がなく、庭園から屋内の祭儀場へと場を移して行われることになった。
支度の終わったセレスティアは、新婦の控室で一人、打ちつける雨粒をぼんやり見つめていた。
突然の雨で準備が一部やり直しとなり、挙式の開始が遅れているのだ。引き締められたコルセットがほんの少し息苦しい。
「やっぱり私、呪われてるのかしら……」
こういうことには慣れっこで、普段ならここまで悲観的にはならなかったはずだ。でも、楽しみにしていた日が台無しになってしまったという悲しみが、一人になると押し寄せてくる。
「本当に、ついてないわ……」
「まあまあ、『雨の日に結婚した花嫁は幸せになれる』っていう言い伝えがあるらしいよ」
突然、セレスティアのため息をかき消すように、柔らかい声で誰かがそう言った。
セレスティアにとっては聞き馴染みの深い声に、顔を見る前に声の主が分かる。
「アル、迎えにきてくれたのね」
いつの間に入ってきたのか、純白のタキシードをすらりと着こなした青年が扉のそばに立っている。
セレスティアの幼馴染であり、今日のもう1人の主役。新郎のアルミオ・バーレーだった。
少しかきあげられた小麦色の髪のせいか、なんだか普段よりも凛々しい。そんなアルミオの海のように澄んだ青い瞳が、振り返ったセレスティアを見た途端に丸く見開かれた。
「どうして変な顔をしているの?」
せっかく服装が決まっているのに、これでは間が抜けて見えてしまう。
「セレスが女神様みたいだから」
アルミオは表情を引き締めると、真顔でそう言った。キザに思えるセリフも、アルミオが言うと妙にさまになる。この幼馴染は、いつもそうやってセレスティアのことをからかってきた。
「アルったら、冗談ばっかりなんだから」
呆れながら言うと、アルミオは自覚がないのか、きょとんとした表情を浮かべた。
「そんなことないよ、20年間見てきた中で今日が一番綺麗だ」
さらりと言われると、冗談なのか真剣なのか判別がつかない。それが何だか照れ臭く、少し居心地が悪い。
アルミオとセレスティアはただの幼馴染。そういう関係ではないのだから。
「はぁ……こんな豪華なドレスを着ている姿が珍しいから、大げさに褒めてるんでしょう?」
照れ臭さを誤魔化すように茶化して言ったけれど、それは本心でもあった。
この日のためにアルミオがオーダーしてくれたウエディングドレスは、特別なものだった。
隣国産の高級シルクで作られた布地は光を放っているのかと思うくらいに純白で、胸元から裾にかけては職人が緻密に縫った白薔薇のレースがあしらわれている。そこに縫い付けられた無数の宝石が、星のようだ。
身体のラインに沿ったデザインはすっきりとした腰回りと鎖骨を強調していて、セレスティア自身も鏡を見た時、自分じゃないみたいと見惚れたほどだ。
それだけではない。こんな風に身体に合ったドレスを着ることも初めてだった。
セレスティアの生まれたティエラ家は、“白薔薇”と呼ばれ、王国の四大家門に数えられるほど由緒正しい家門だ。しかし栄華を誇っていたのも数十年前まで。王家の不興をかった曽祖父の代に粛清にあい、セレスティアが生まれた頃にはすでに困窮の一途を辿っていた。
おかげでとにかく貧乏で、ドレスはいつも貰い物や安く手に入る型落ちのものばかり。デビュタントの時でさえ、人伝てに間に合わせのドレスを借りたほどだ。しかもその時は、借りたドレスのせいで大変な目に遭った。
対するアルミオのバーレー家は、アルミオの祖父の代に貿易で築き上げた富をもとに生まれた新興貴族ではあるものの、王国3本の指に入るほど裕福な家門だ。
10年前にアルミオの両親が馬車の事故で亡くなり、アルミオが跡を継いで当主となってからも、その富は栄える一方。アルミオは後見人である叔父の助けを借りながら新事業を立ち上げて成功を収め続けている。
今回の結婚に際しても、ウエディングドレスをはじめ、ティエラ家はバーレー家から多額の援助を受けていた。
(私には、アルに返せるものが何もないのに)
暗くなりかけるセレスティアの気持ちを断ち切るように、アルミオはきっぱりと言った。
「ドレスだけのせいじゃないよ。さあ、そろそろ行こう」
アルミオは、セレスティアを優しく見つめて、にっこり笑うと手を差し出した。幼い頃から幾度となく差し出されてきた彼の手を、セレスティアは躊躇いながら取った。
富も才能も、何も持たない自分が幼馴染というだけで彼の結婚相手となる。
それでもアルミオは、いつもセレスティアの心を和らげてくれる。アルミオがいたから、悲しい出来事も乗り越えてこれた。愛し合ってはいなくても、そんな彼と家族になれることは心強い。だからセレスティアは、今日を楽しみにしてきた。
式場へと向かう廊下を歩きながら、セレスティアはふと思い出して、アルミオに尋ねた。
「さっきの話だけれど、どうして雨の日の花嫁は幸せになれるの?」
アルミオはセレスティアと歩調を合わせながら、どこか嬉しそうに答えた。
「結婚式の日に降る雨は、花嫁が流す一生分の涙を神様が代わりに流してくれているんだ。だから、雨の日の花嫁は、涙とは無縁の幸せな人生を送れるんだってさ」
「そう、涙を代わりに……」
セレスティアは窓の外で降り続く雨を見つめた。残念な雨とばかり思っていたけれど、アルミオの話を聞いた後だと少し違って見える。
(アルの言う通り、幸せになれるといいな)
そんな心の声が聞こえたかのように、アルミオは唐突に足を止めてセレスティアを見つめた。
「――セレスティア・ティエラ。君を必ず幸せにするよ」
ハッとするような青い瞳に優しい眼差しをたたえて、彼は言った。真剣にそう思ってくれていることが、掌から伝わってくる。繋いだ手に力を込め、セレスティアは頷いた。
ああ、この人は、本当に太陽のような人だ
アルミオとならきっと全てがうまくいく。
白い花々に彩られた今日から、幸せに満ちた新しい人生が始まる。
そう、信じていたのに。
幸せの絶頂となるはずだったその日。セレスティアは、彼を失うことになった。




