6人目と7人目
「あなたは何人目ですか?」
短髪であまり特徴のない顔だちの男が質問をする。
「私は6人目です」
髪の毛の色は、アッシュで目は青色の男が答える。
「そうなんですね、私は7人目です。近い数字ですね」
「そうですね」
「ここに来てどのぐらい経ちます?」
「私もついさっき来たばかりですよ」
「ああ、そうなんですね」
あまり盛り上がらない会話。
言葉だけが虚空を彷徨って、煙のように消えていく。
「髪の毛、綺麗ですね」
「ありがとうございます。あなたの髪もさっぱりしていて良い感じですよ」
「ありがとうございます」
まるで機械のような無機質なやり取り。
感情が見えない、読み取れない、いや、感情を出していない、それとも出すことができないのかもしれない。
「この椅子、ちょっと座り心地が悪いですね」
「私もそう思っていました」
「気が合いますね」
「そうですね」
二人が座っている白い椅子は、おそらく有名なデザイナが作ったのだろう。
曲線の滑らかさが美しく、見た目こそ良いのだが、座るところが平らになっていて、鉄だろうか、少し硬い。
「1つ変な質問をしても良いですか?」
アッシュの髪色の男性が問いかける。
「ええ、かまいませんよ」
「私たちって、どうしてここにいるんでしょう?」
「ああ、ちょうど私も同じことを思っていました」
部屋は真っ白で、椅子が8つ置いてある。
2人とも白い入院患者のような服を来ていて、色白の肌というのもあるだろうか、なんだか、世界から色が失われてしまったような錯覚を覚える。
「なんとも、頭がはっきりしないんですよね」
「私もです。実は私、自分の名前がわからないんですよね」
「ああ、私もです」
「似てますね」
「はい」
理解しにくい状況であるにも関わらず、なぜか2人とも精神的には安定していた。
それは今の状況に動じていないというよりは、何も感じていないという方が正しいかもしれない。
《6人目の方、奥のドアにお入りください》
「何か、呼ばれたみたいです」
「そうですね」
「では、失礼します」
「ごきげんよう」
6人目と名乗ったアッシュの髪色の男は、部屋の奥にあるドアを開けて出ていった。
ドアの先がチラッと見えたのだが、その先も白い廊下になっている。
きっとこの建物を作った人は白が好きなのだろう。
もしくは、白のペンキしかなかったのかもしれない。
6人目が出ていくと直ぐに、手前側のドアが開いた。
背の高いスラッとした男性が入ってくる。
そして7人目の隣に座った。
「こんにちは」
「こんにちは」
「あなたは何人目ですか?」
「私は8人目ですね」
「あなたは?」
「私は7人目です」
「近い数字ですね」
「そうですね」
6人目と同じような会話。
8人目が来たということは、まったく同じではないわけで、繰り返される世界でもないのだろう。
「少しおかしな質問をしてもよろしいでしょうか?」
「ええ、どうぞ」
「どうして、この部屋は白いのでしょうか?」
「白が好きな人が建てたからじゃないですかね。もしくは白いペンキしかなかったんじゃないでしょうか」
「やっぱりそうですよね。私もそう思いました」
「気が合いますね」
「そうですね。」
《7人目の方、奥のドアにお入りください》
「ああ、私、呼ばれたみたいです。それでは失礼します」
「ごきげんよう」
「ごきげんよう」
7人目の男は奥のドアを開ける。
先ほど少しだけ見えた通り、白い廊下がまっすぐと続いていた。
ドアを閉めて、ゆっくりと歩く。
廊下は思ったほど長くはなく、20歩ほどで廊下の突き当りにあるドアに到着した。
特に疑問を感じることなく7人目の男はそのドアを開ける。
そこは先ほどいた部屋と同様、真っ白い部屋だった。
部屋の右側にドアがいくつもある。個室になっているようだ。
それらの個室の影響かもしれないが、部屋が少し狭く感じる。
《7人目の方、右側のCのドアにお入りください》
7人目の男は指示に従って、右から3番目にあるCと書かれたドアを開けて中に入る。
部屋に入ると、光が少し反射していたのもあって、中央に透明なアクリルの板があることに気づいた。
アクリル板の向こう側には、クリーム色の髪の毛をし、メガネをかけた女性が座っている。
その女性が7人目に声をかけた。
「おかけください」
「はい」
男は手前にあった白い椅子に座る。
椅子は先程と同じもので、少し硬めな触感だったが、ほんのり温かみがあるようにも感じた。
誰かが少し前に座っていたのだろう。
「お名前を教えてください」
目の前の女性が聞いてくる。
「それが、名前がわからないんです」
「正常です」
女性は淡々とした口調で答えて、手元のタブレットを触れた。
男は正常と言われたことに、ほんの少し安堵感を覚える。
少なくとも自分がおかしくなったわけではないということだけは確かなようだ。
「おいくつですか?」
「それもわからないんですよね」
「正常です」
また女性はタブレットにタッチをする。
「どうして、ここにいるかわかりますか?」
「わかりません」
「正常です」
そのあと、いくつか質問をされたのだが、男は何一つ答えることはできなかった。
そのたびに、女性は「正常です」と繰り返す。
「では、次にテストに移ります。5+13=?」
「18です」
「正常です」
「7×8=は?」
「56です」
「正常です」
その後、いくつか簡単な算数の質問があったが、どれも正解できた。
「では、次にこの文章を読んでください」
女性はアクリル板の向こう側で、女性の右手前にあるディスプレイを手で指し示した。
男はディスプレイの文字を淡々と読み上げる。
「今日はとても良い天気です」
「正常です」
「お爺さんは山へ芝刈りに、お婆さんは川へ洗濯に行きました」
「正常です」
「柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺」
「正常です」
その後、男は何個かの文章を読まされた。
「テストは終了しました。正常です」
女性は一体何回「正常です」と言ったのだろう。そんなことを男はぼんやりと思った。
「では、部屋を出て正面にある右側のドアから先におすすみください」
男はそれ以上何かを考えることもなく、席を立ち、部屋を出て、正面右側のドアを開けた。
その先は、また白い廊下。本当に白いペンキしか無かったのかもしれない。
廊下を進み、奥のドアを開ける。
また、白い部屋。先程の部屋と同様に右側に複数のドアがあった。
《7人目の方、右側のBのドアにお入りください》
男は言われるまま、Bのドアを開ける。
先ほどと同様に、個室の中央にアクリル板があった。
目の前には赤色の髪をした女性が座っている。
白い世界を見すぎたせいか、その赤毛に少し目がチカチカするように男は感じた。
「お座りください」
「はい」
また座り心地が悪い椅子だったのだが、慣れてきたせいだろうか、それほど嫌な気がしなかった。
「おめでとうございます」
「ありがとうございます」
何がおめでたいのかはよくわからなかったが、とっさに感謝の言葉を男は述べる。
「一体何が起きているのか、わからないと思いますので、ひとつひとつ説明していきますね」
「はい」
「まず、名前から決めましょう。7人目の方というのも呼びにくいですから」
「はい」
「ご希望のお名前はありますか?」
「特には・・・」
「かしこまりました。では、ディスプレイに表示された名前から1つを選んでください」
赤毛の女性は右手にあるディスプレイを手で指し示す。
そこには人の名前がいくつか表示されていた。
「名前は後から変更も可能ですので、ピンと来たものを適当に選んで大丈夫ですよ」
「わかりました」
男はディスプレイに表示された一番上の名前を指差す。高木亮太と表示されている。
「高木亮太で良いですね?」
「はい」
男には名前の良し悪しというのもよく理解はできなかったし、正直どれでも良かった。
「では、高木さんには、これから社会に出て働いて貰います」
「わかりました」
「前職は工場勤務をされていたようですね」
赤毛の女性は手元のタブレットを見ながら、話を続ける。
「それもよくわからないんですよね」
「そうですよね。でも、仕事を始めれば身体が覚えているもので、比較的すぐに慣れると思いますよ」
「そういうものなんですね」
「はい。引き続き、工場勤務をお願いしようと思いますが、よろしいですか?」
「かまいません」
男はずっと頭がぼんやりとしたままで、正直あまり考えることができていなかった。
言われるがままではあったものの、それが特に嫌ではなかったというのもあり、流れに身を任せる。
ただ、自分がどうしてここにいるのか?という疑問だけが、ずっと頭の中でまわっていた。
「あのう」
「何でしょうか?」
「1つ質問をしてもよろしいでしょうか?」
「はい。どうぞ」
女性は微笑みながら答える。
「私はどうしてここにいるのでしょう?」
「大変失礼いたしました。もしかして、ずっとモヤモヤしていましたか?」
「小骨が喉に引っかかって取れない程度ですが」
「では、説明しますね。ディスプレイをご覧ください」
男がディスプレイに視線を向けると、文字が表示された。
-人生再生プロジェクト-
「高木さんは人生再生プロジェクトに志願し、再生を終えて、これから社会復帰していただきます」
男は何のことだか、まったく理解できていなかった。
「びっくりされますよね。皆さん、同じ反応です。ですので、高木さんの反応も正常ですよ」
「はあ」
「人生再生プロジェクトとは、人生を再出発するために国が作った新しいプログラムです」
ディスプレイの表示が変わる。
「言語能力や計算能力など、基本的な能力を残したまま、過去の記憶を消去して、新しい場所で社会復帰してもらうのが目的です。合わせて社会復帰の障害になると思われる性格についても改変が行われます」
「そうなんですね」
「その副作用で、最初は無気力感があるかもしれませんが、そのうち慣れますよ」
「はあ」
「あと、こちらが高木さんが書いた同意書です。お名前の部分は見せられませんが」
ディスプレイに、人生再生プロジェクト 同意書という資料が表示される。
そこには高木と思わしき男の顔写真があった。
丸坊主で実直そうな顔立ち、右目の上に小さな傷のようなものがあったが、他に大きな特徴があるような顔ではない。
「何かご質問はありますか?」
質問と言われても、記憶が無いのと、情報が少なすぎるのもあって、そもそも何を質問すればよいのだろうと男は、いや高木は思った。
「特にありません」
「安心してください。皆さん同じような感じなので。では、社会復帰に向けて、いろいろとご説明させていただきますね」
「わかりました」
その後、赤毛の女性から、新しい職場や住まいなどについての説明があった。
そこで新しい生活が始まるのだろう。
普通、新しい船出というのは、少し高揚感があるものだろうが、今の高木にとっては、副作用の影響なのか、特に何も感じることはなかった。
一通り説明を終え、赤毛の女性が「お疲れ様でした」と微笑む。
高木は、ふと思ったことを口にする。
「あの、以前の私について知ることはできるのでしょうか?」
「申し訳ございません。過去の情報については、個人情報ですのでお伝えすることができないんです」
「そうですか」
「人生再生プログラムでは、犯罪者の方などもいますので、過去のことを知ってしまうと、絶望してしまう人もいるんですよね。ご理解いただけましたか?」
「はい」
それほど強く知りたいという意欲も無かったので、高木はそれ以上は聞かなった。
その後、高木は部屋を出て、次の部屋に移動する。
部屋に入ったときに、少し見覚えのある男の横顔が見えた。
アッシュの髪色が特徴的で、遠目からでも青い目が確認できる。
6人目の男だ。
ただ、6人目の男はすぐに部屋を出ていってしまったので、声をかけることはできなかった。
彼も正常と判断され、社会復帰するのだろう。
部屋にはいると再びアナウンスがある。
高木は指示されるままに、部屋に用意されていた服を着て、元着ていた白い服を水色のトラッシュボックスに押し込む。
そして、再び指示されるままに部屋を出る。
廊下を進んだ先には、自動ドアがあった。
その先に、緑の木々と青い空が確認できる。
ずっと少し圧迫感のある白い部屋にいたせいだろうか、外に出たときに少しだけ開放感を感じた。
一方で白い部屋に長いこと居たせいか、少し外の世界は薄暗くも感じる。
「高木さんは、こちらのバスにお乗りください」
青い警備員のような服を着た男が話しかけてきた。
男が指し示す方を見ると、複数のバスがあった。
高木が乗るのは、一番右側のバスらしい。
バスに乗り込むと、中は1人の男性が前の方の座席に座って、外を眺めていた。
6人目の男ではないことだけはすぐにわかった。
きっと別のバスだろう。そう高木は考えた。
特にその男と話をしたいという欲求も無かったので、適当に中程の席に座る。
することも無かったので、高木は前の席に座っていた男と同様にぼんやりと外を眺めるが、木々がたまに風のせいなのか、少し揺らぐ程度で代わり映えはしなかった。
その後、何人かの男がバスに乗ってくる。
全員、人生再生プロジェクトに応募したのだろう。
誰も言葉をかわさなかったが、そのこと自体、特に何も感じなかった。
日が暮れかかった頃、バスが発車する。
バスが目的地に到着し、促されるままに、男たちと一緒に高木はバスを降りた。
眼の前には、少し年季の入った、一部外壁に剥がれがある、コンクリートの施設があった。
説明されたときの写真よりも、ボロいような感じはしたが、それもさして問題のようには思えなかった。
施設に入るときに、部屋番号が書かれた鍵を渡される。
高木の部屋番号は203。2階の3号室という意味だろう。
バスから降りた男たちは、それぞれが急ぐわけでもなく、ゆっくりと部屋へ散っていく。
部屋にはユニットバス、簡易コンロ、ベッドが設置されていて、広さは6畳程度だろうか。
単身の1人用マンションという感じだ。
高木はそのままベッドに横になり、眠りについた。
翌日から、工場での勤務が始まった。
早朝にバスが到着し、そのバスで工場まで移動する。
朝食は工場内の食堂だ。当然、昼食と夕食も同じ食堂。
皆、黙々と食事をして働く。
工場の作業自体は、とても単純なものだった。
高木は、何かの部品を検品するという作業。
特に何かを考えるということもない。
与えられた指示通りに仕分けをしていく。
夕食を終えたら、バスに乗り、自分の部屋に戻って、シャワーを浴びて寝る。
そんな日々の繰り返し。
1ヶ月ほど経った頃だろうか。
新しい従業員が増えた。
高木はその中に見知った顔を見つける。
6人目の男だ。
他の工場から移動になったのだろうか。
高木は、昼食のときに、6人目の男の隣に座った。
アッシュの髪の毛、青い目。間違いなく6人目の男だ。
「久しぶりだね」
高木は6人目の男に声をかける。
6人目の男は、高木が声をかけたにも関わらず、無視してご飯を食べ続けていた。
「以前にお会いましたよね」
高木は気にせず、6人目の男に話しかける。
自分が話しかけられていることに気づいたのか、6人目の男が高木の方を向いた。
「初めてじゃないでしょうか?」
「6人目の人ですよね?」
男は少し怪訝そうな顔をする。
「私、7人目です。覚えていませんか?」
男は首をかしげた。
「申し訳ありません。記憶にありません」
「少ししか一緒にいませんでしたからね」
「それと・・・私は6人目ではなく、9人目でしたよ」
9人目?
高木は記憶を辿る。いや、6人目だったはずだ。
「記憶違いでは?」
「いえ、9人目で間違いありません。誰かと勘違いしているのでしょう」
そう言って、男はお椀に残った味噌汁を一気に飲み干し、席を去っていった。
(どういうことだろう?)
高木の中で、何かが引っかかったが、それが何かはわからなかった。
ただ、モヤッとした感情が心に残っていて、食欲がわかず、工場勤務をして初めて昼食を残す。
工場での作業を終え、高木はいつものように自室に戻った。
シャワーを浴びながら、6人目のことを考える。
本人は9人目だという。
何とも不思議な話だが、忘れてしまっただけかもしれないとも思う。
ただ、心の中に何とも言えない違和感だけがずっとあった。
高木はいつものように体を洗い、洗顔料で顔を洗う。
ツルリとしたすべすべの肌に洗顔料が馴染む。
すべすべの肌・・・。
高木は急いでシャワーで顔を洗い流し、ユニットバスに備え付けられている鏡を見た。
人生再生プロジェクトで見た写真の顔と一緒だ。
鏡にもっと近づいてみる。
(傷が無い・・・)
人生再生プロジェクトの写真には、右目の上に小さな傷があった。
その傷が無かったのだ。
高木は得も言われる感覚にとらわれる・・・。
とても嫌な考えが浮かぶ。
その考えが正しいのかどうか、確かめる方法はない。
もし、もしだ、記憶が消されたのではなく、そもそも記憶が無かったとしたら・・・。
と、外で物音がした。
そしてユニットバスのドアが開けられる。
緑色の制服を着た男が入ってきて、高木をいきなり拘束した。
「な、何をするんですか?」
「いいから従え」
高木は抵抗しようと思ったが、存外に相手の力が強かった。
加えて、他にも緑色の制服を着た男が2人いて、抵抗しても意味がないと悟る。
高木はそのまま拘束され、外に停まっていたワゴン車に乗せられた。
「つッ」
首筋にチクリという痛みを感じ、そのまま世界がぼんやりとしていく・・・。
***
部屋に入ると、白い部屋に座り心地が悪そうな椅子が8つあった。
すでに丸坊主の男が座っている。
立っていても、あまり意味は無いだろうと感じ、男は丸坊主の男の隣に座った。
と、丸坊主の男が話しかけてくる。
「あなたは何人目ですか?」
「8人目です」
「あなたは?」
「私は7人目です。近い数字ですね」
(了)