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チューリップ咲いて


 私の朝はキャシーから始まる。まずは起こしに来てくれた彼女に挨拶。身支度を整えるのを手伝ってもらい、軽く化粧もして、髪はハーフアップに。

 それが終わるころエーメリーがやってきて、今日のスケジュールの確認が行われる。

 私の専属侍女は、一か月たっても条件に合う人が見つからないらしい。よって短期間、侍女を一人増やし、キャシーとエーメリーで私の世話をすることになったそうだ。

 

 それからルーファス様と朝食。

 一か月もたてば、少しは慣れる。ルーファス様と一緒に朝食をとることも、会話をすることも、会話が途切れてただ同じ時間を過ごすことも。でも、いまだ慣れないこともある。


 たいてい私が部屋に入れば、ルーファス様が先に着席して待っている。

 私は部屋着で、ルーファス様もまた上着を脱いで少しくつろいだ恰好で。その姿に、どきっとする。

 そして、ルーファス様が読みかけの手紙から顔を上げて、

「おはよう、シェリル。」

と言ってくれる。目元の雰囲気をやわらげ、口元に笑みが浮かべて。

「おはようございます、ルーファス様。」

と私も答える。

 時々とても、気恥ずかしくなる。



 今日の朝もキャシーから始まった。いつものように私の支度を手伝ってくれるその途中、キャシーがドレッサーの引き出しから腕輪を出してきた。

「奥様、気分を変えて、何か付けられませんか?」

 

 私はアクセサリーを身に付けるのが好きじゃない。単に落としたり壊したりするのが怖いからだけど。あと仰々しいデザインは苦手。だから時にはと、キャシーが気を効かせて提案してくれたのだと思う。ただ、その腕輪は。


「あら、そこに混ざっていたのね。それは魔導具なの。王立学園の魔法の授業で使っていたのよ。」

 そう、魔力制御のために。といっても、魔力の少ない私が使い過ぎないようにするため、という自慢にならない理由だけど。

「だから、デスクの引き出しに入れておいてくれる?」

 キャシーがまじまじと腕輪を見る。

「これ、魔導具なんですか。一見普通のシンプルな腕輪と変わりませんねえ、奥様。

 じゃあ、今日はこのペンダントなんていかがですか?」


 ……話題回避、失敗。

 そのペンダントは母が選び父に買ってもらったものだけど。子爵家ならこれくらいの石をお持ちになられてはと、子爵家ならこれくらいの価値のあるものは当然と、商人に言われて。大き目な宝石に、華やかできらびやかなデザイン。私はそういうのは苦手なのよ。日常生活では使えないし、しかも夜会のドレス姿でも私には似合わなかった。


「キャシー、ルーファス様が結婚指輪を用意してくださるという話を聞いている?

 私はそれがとても楽しみ。だから、ほかのアクセサリーを身に付けるのはやめておこうと思うの。」

「そうなんですか!それ、旦那様に話されました?旦那様がお聞きになったら、きっとお喜びになりますよ。」

「……そう?」


 そんな話の運びになるとは、思わなかったけど。もちろん、結婚指輪が楽しみなのは本当だから、嘘ではないけれど。

 とりあえずアクセサリー回避成功、当面はね。

 そうだわ。結婚指輪をいただいたら、これが気に入っているから、ほかのものは身に付けたくないのと言ってみることにしよう。


 今日の朝食は私の部屋でとる。ルーファス様とお義父様が商談で三日前から王都に行かれているから。予定では今日お戻りということだったけど。

 キャシーが朝食の用意をしている間に、エーメリーが今日のスケジュールを話してくれる。来客の予定はなし。外出や教会、孤児院の訪問の予定も今日はなし。午前中はレクチャー、午後は自由時間。新米奥様はまだまだ、できることが少ない。


 それでも一週間前までは、結婚の贈り物のお礼の手紙を書き、合わせてお返しの品の手配を午前中と午後の時間も使って少しずつやっていた。主にエーメリーの助けを借りて、バセットとカーライルにも話を聞きながら。

 今日は午後、何をしよう。広い敷地内の庭園を散歩?それとも四阿で読書?コンサバトリーでお茶をいただきながら、のんびり刺繍もいいかもしれない。


 美味しい朝食の後、ミルクティーをいただきながら思い出した。

 ルーファス様は出発前におみやげを買ってくるからと、わざわざそう言ってくれた。一か月たってもルーファス様の私を大切にしたいという行動は続いていて、私は不思議な気持ちになる。

 貴族社会では夫も妻も恋人をもつなんてことは、暗黙の了解だったりするのだけど、そんなこともなく。


 午前中はまず、庭の散歩。これは私の趣味。季節の花や、天気も楽しみながら四阿まで歩く。途中、庭師と一言、二言話すこともある。今日は花びらが一枚、きれいな形のまま落ちていたので拾い上げてじっと見ていたら、庭師がクロッカスだと教えてくれた。それから、その日の気分で小道を選んで館まで戻る。

 すると、侍女頭であるエーメリーか家令のバセットの手が空いたほうから、家政またはこの領地のことをレクチャーしてもらう。時には家令補佐、ベテラン侍女、ルーファス様の執事カーライルから話を聞くこともある。皆、私に礼儀正しい。ルーファス様が不在の一昨日も、昨日も、今日も。

 そういえば侍女や使用人とすれ違うけれど、皆、礼儀正しかった。ルーファス様もお義父様も不在だけど、それでも。


 ちなみに、舞踏会とか晩餐会とかが大変苦手であることは、最初に告白した。主催ができると思われたら困るし、一からいいえゼロから少しずつ教えてもらわなければと考えて。

 夜会などの采配をふるうのは、お母様の手伝いをしていたお姉様はそんなに難しくないわと言っていた。妹は楽しめばいいのよ、嫌いなことは頼むものと言っていた。私にはどちらのやり方も、難しい。采配をふるうのは決して簡単ではないし、そもそも舞踏会も晩餐会もあまり楽しくない。


 けれど、意を決して告白したものの、この館では次の夜会があるのは半年後。お義父様は、親戚や付き合いのある領主を招く大きな夜会は一年に二度で十分と、お考えとのことだった。なんて、なんて、素晴らしいの!

 そして、

「まあまあ、奥様、わたくし共におまかせくださいませ。」とエーメリー。

「もちろん奥様による最終決定が必要なところもございますが、こまごまとした個所はわたくしたちがお役に立てるかと。」とバセット。

 今まで私のような女主人的役割を果たす誰かがいなくても、バセットやエーメリーを始めとした使用人の皆で問題なく行ってきたので、おいおい慣れてくれれば十分とのことだった。確かにそのとおりね!なんて、有難い。


 ただ、日中の来客は週に何度か、少人数の晩餐会は月に何度かあるそうで。バセットとエーメリーから、それで慣れていきましょうと微笑まれた。……確かに、そのとおりね。せめて、それくらいはね。


 この一か月は、主にお義父様のお客様、近隣の領主夫妻だったこともあり、ルーファス様の妻として挨拶し、ルーファス様と共に同席するというのが私に与えられた役割だった。それでも、すごく緊張したけれど。そんな私の隣にルーファス様がいてくださって、さりげなくフォローしてもらったのだった。

 晩餐のメニューや使用する部屋の用意、そのほか必要なことについては説明を受け、バセットやエーメリーが指示するのをそばで見て学んだ。そんな私でも、二人は私を次期領主の奥様として立ててくれる。

 貴族の暮らしになじめなかった私だけど、ここでなら何とか役割を果たしていけそうだと思う。



 今日のレクチャーが終わったら、キャシーが待ちかまえていた。庭師にすすめられた場所に案内するとのことで、いつもとは違う方向に歩いていく。

 あら、こんな場所もあったのね。小道のそばの緩やかな斜面に、明るいオレンジ色が辺り一面咲いていた。

「奥様、いかがですか?」

 キャシーがにこにこしながら聞いてくる。私は見惚れながら答える。

「チューリップね。とても素敵だわ。」

「奥様の言葉、庭師が喜びますよ。」

「そう?では、キャシーからも伝えてね。」


 そこに従僕がキャシーを呼びに来た。キャシーは昼食の時間にまたお声がけしますと、一礼して去っていった。

 斜面の中ほどに細い道があるのを見つけた私は、そこを歩くことにする。

 チューリップに囲まれているみたい。小さなカップの形をした、たくさんのオレンジ色がゆるやかな風に揺れる。花の数だけ幸せがあるような、そんな気がしてくる。

 

 その時、おしゃべりする声が聞こえてきた。近くの木の後ろに侍女がいるようで、お仕着せのスカートのすそが見える。


「うちの奥様って、つまりは婚約者に逃げられたんでしょ?」

「そうそう、駆け落ちって聞いたわ。捨てられたのよ。

 ほら、ユースタス様がよくおっしゃってたじゃない、婚約者はつまらない女だって。」

「お貴族様のお嬢様といっても、たいしたことないわね。」


 クスクスと笑うその声、毒を含んだその声が。

 私の体にじわじわと染みて、ぞわぞわと広がって。


 でも。


 その通りではあるのよ。

 貴族の令嬢として出来の悪い私には、できなかった。

 婚約者を捕まえておくことができなかった私は、情けない。

 不甲斐ないことこの上ない。

 そんな私には価値がない。

 でも。


 捕まえておくことができなかった私は、今、どうなった?

 

 ルーファス様が求婚してくれて。結婚して。

 ルーファス様は私を大切にしたいと言ってくれる方で。そのとおりの行動をしてくれて。

 私の周りにいるほとんどの人たちは、私に礼儀正しく接してくれて。

 それはルーファス様やお義父様が使用人にそう言ったからだとしても、私の出自が貴族だからだとしても。

 キャシーが私の髪を結う時の慎重な手つき。エーメリーが私に合わせて淹れてくれる紅茶。バセットやカーライルの丁寧な振る舞い。奥様として尊重してくれるのは確かなことなのよ。


 これが、婚約者だったあの人が駆け落ちしてくれたおかげで、私の手に入ったもの。私が手に入れたもの。


 いいえ、これだけじゃない。

 私は今のこの暮らしが好き。ここで暮らし始めて一か月だけど、それでもわかる。貴族の令嬢であったときよりも、穏やかな気持ちでいられる。

 

 婚約者だったあの人といて、こんな気持ちになったことはなかった。

 私にとってあの人は、よく分からない人だった。

 私はあの人を、好きではなかった。

 好きも、愛情も、なかった。

 不思議ね、ルーファス様には自然に好意を持ったのに。初めて会った結婚式の時から。


 そう。そうなのよ。

 私は婚約者に逃げられ、捨てられ、愛されなかった。

 よく分からない人で、好きでもなくて、私をあざ笑ったあの人と、私は結婚できなかった。

 結婚したのは、私が好意を持つことができた人、私を大切にしたいと言い、そう行動してくれる人だった。


 私、運が良いのではないかしら。


 あの人が結婚式に来ないと分かったとき、その途轍もない幸運に感謝した。

 でも、幸運はそれだけじゃなかった。そうだと、今わかった。

 私はとても運が良い。一生分の幸運を使い果たしたのではないかと、思うくらい。

 でも、良かった。それで良かった。

 だって今、私はこんなにも穏やかな気分でいられる。

  

 一面のチューリップ、明るいオレンジ色をした小さな幸せが、私のまわりにある。

 私の胸のなかにも、あるから。



 いつの間にか、侍女達の声は聞こえなくなっていた。

 でも、どうでもいいわね、そんなことは。

 それよりも。


 私は、何ができるかしら。


 私の今の暮らしは、私が穏やかな気分でいられるのは、キャシーやエーメリー、支えてくれる皆のおかげ。私を受け入れてくれるお義父様のおかげ。

 何よりも、ルーファス様のおかげ。


 嬉しい。とても嬉しい。


 だから。

 どうしたら、この気持ちが伝わる?

 何をしたら、伝えることができる?


 何か、私ができることはない?

 私はここで、どんなことをしたらいい?


 私には何が、できるだろう。

 




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