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夫の私室に行くまでのいくつかのこと


 村からの帰り、夕暮れのなかを馬車が走る。

 ただ蹄と車輪の音が繰り返す。


 私はきつく抱きしめられていた、共に馬車に乗り込んだルーファス様に。


 ルーファス様は無言だった、ただ私を抱きしめて。

 私は迷って、でも、ルーファス様の背中にゆっくりと腕を回した。

 ルーファス様が小さく息をつくのがわかった。

「……あなたが無事で、本当に良かった。」


 こんなに、心配させてしまったの。

「あの、申し訳ありませ、」

 そう言いかけ、それはルーファス様の人差し指に遮られた。

 その指が私の頬をなでる。

 その手が私の髪をなでる。

「僕は後悔していますよ。たとえ館からミルトンまでのいつもの行き先でも、護衛を付けさせるべきだった。あなたを怖がらせたいわけではありませんが。数少ない聖属性持ちの魔法士を狙った誘拐があることは、あなたもご存知でしょう?」


 知ってはいるけれど。魔力量が少ない私では誘拐のしがいもないと、思うのだけれど。でもルーファス様は、そうは考えなかった。私は今更ながらに気づく。浄化に行くとき護衛が二人付くのは、そういう意味もあったのかと。

 私はルーファス様の胸に顔を寄せたまま、ただ伝えたくなった。

「ありがとうございます。きっと見つけてくださると、思っていました。」

 ルーファス様から小さく笑う声がした。

「ええ、見つけ出しますよ、必ず。」


 と、ルーファス様がすっと私から離れた。もう少し今のままでも良かったのにと、私はがっかりする。けれどルーファス様はなぜか気まずそうで。

「シェリル、申し訳ない。

 先ほど、あいつと手合わせをしたせいで。いやその前も、馬を走らせて。埃っぽいうえに、汗も。」

 ルーファス様がやはり気まずそうに続けた。

「ですが、ですが。

 もし、あなたがあまり気にならないというのなら、館に着くまで僕に寄りかかってください。」


 ルーファス様がためらいながら続ける。

「先ほど抱きしめておいて今更ですが、今の僕が綺麗なあなたに触れるのは、それでも。

 突然こんなことになって、シェリルも驚いたのではありませんか?」

 ええ、そうね。驚いた。本当に驚いた。


「あなたには、積極的にユースタスと和解する必要がない。話し合う必要もない。

 にもかかわらず、不愉快に思う相手と会うよう仕向けられた。」

 ええ、そうね。私には会わなければならない理由がない。

 でも、ユースタス様の過去に決着がついたのなら、それは私も同じ。

 話がすれ違っても、噛み合わない会話でも、それでも言い合えたことは良かった。

 いくつかの疑問に答えが出て、私もまた前に進めるから。


 ルーファス様がため息をつく。

「それなのにあなたは、わざわざユースタスに便宜を図り、あいつの気持ちまでなだめ、領地のことまで気を回し、さらには場を収めようと。」

 ええと、それは違う。少しはユースタス様のために、ヴィオラさんのために、領地のためになったかもしれないけれど。何より私のためだもの。


「それに、僕はまだ怒っていますよ。あなたは何も言いませんが、かなり強引に連れていかれたのでは。ベイリーは、あれは目的のためなら手段を選ばない性質だ。あなたに心理的負担がかかったのではないかと。」

 ええと、それは、そうね。本当にどうしょうかと思った。気を張って。気を張って。

 元婚約者との会話だって、やはり気を張って。気を張り続けて。


「シェリル、せめて戻るまでは、僕に寄りかかっていてくれませんか。疲れたのなら眠っても。」

「はい。」

 そう言って、私はゆっくりとルーファス様に寄りかかった。

 すぐさま肩にルーファス様の手がまわされる。

 

 ……ようやく、ほっとした。ほっとして、安心して。

 眠くはないけれど、目を閉じる。しっかりと私の肩を抱く、ルーファス様の腕を感じながら。

 

 

 微睡みから覚めれば、馬車が止まったところだった。

 ぼんやりと目を開ければ、ルーファス様の声がした。

「寝ていても大丈夫ですよ。部屋まで僕が抱き上げて。」


 パチッと目が覚めた。

「あの、大丈夫です。」

「晩餐の時間には間に合いましたが。僕は伯父上に報告もあるので、一緒に晩餐を取ります。

 あなたの食事は部屋に運ばせましょうか。」

「あの、大丈夫です。」

「では、晩餐の後、僕の部屋に来てくれますか?」

 ……そうだった。そんな話だった。

「あの、」

 大丈夫では、ないかも。

「ではシェリル、あなたが疲れていなければ、晩餐の後に来てください。」

「……はい。」

 


 晩餐では主に、ルーファス様がお義父様に事の顛末を話した。もちろん、私とユースタス様が何を話したかの詳細はご存じないので、それ以外のことを。


 まず、フォレット商会から時間になっても奥様が来ないと連絡があり。そこから、誘拐か、それ以外の事件か、はたまた私の意思か、三つの線で捜索が始まり。ただ、領主館の馬車は目立つので情報はすぐに得られ、その馬車に私が乗っていたという目撃情報もあり、ルーファス様が護衛と共に跡を追ったところ。着いた村でも比較的簡単に奥様情報をつかむことができ、あの宿の主人に確認すればあっさり私だけでなくユースタス様たちもいることが判明し、部屋に乗り込んだということだった。


 その後のユースタス様とのやり取りや、何とか領主館に来させるよう説得したこと、私の提案なども話題にのぼり。

 最後までじっくり聞いていたお義父様が、ルーファス様をねぎらった。

「あれのことで手間をかけさせたな、ルーファス。」 

「いいえ、伯父上。」

 ルーファス様が答える。ルーファス様にはお義父様のひとことで十分なようで、満足そうに。 


「シェリル。」

と、お義父様が今度は私の方を向く。

「無事で何よりだった。」

 その声音は心から私の無事を喜んでくださっていて、私は胸が温かくなった。

「あなたにとって、愚息のことは不愉快なことでしかないと思うが、礼を言う。

 あれと話し合ったり、説得や提案までしてくれたとは。」

 それは、確かにユースタス様のためでもあるけれど。何より私が、これ以上ヴィオラさんに利用されないためなのだけど。それに。

「私は、ユースタス様に不幸になってほしいと、思っているわけではありませんので。」

 なぜか、そんな言葉が出てしまった。

 でも、そんな自分に気づいて、ほっとした。

 

 もし、恨みで、憎しみでいっぱいになった私なら、きっとユースタス様の不幸を願っていた。駆け落ちをしたユースタス様もその相手も、不幸になってしまえばいいと。そんな考えに取り憑かれ、きっと呪うようにそれを願ってしまっていた。そう願えば、心はますます恨みでいっぱいになり、私もまた幸せからも穏やかさからも遠ざかり。そうなったとしても、ますます憎しみはつのって。

 それはきっと苦しい。毎日が苦しくて、苦しくて仕方ないだろう。一歩違えば、私はそうなっていた。


 

 晩餐の後は、気づけば、どうぞとばかりにルーファス様の部屋に招き入れられていた。

 落ち着いた家具のこの部屋は、私の部屋とは雰囲気が違って、などと思う間もなく。

 気づけばソファに座らされ、その隣にはルーファス様が。

 ……。

 もちろん、イヤなわけではなくて。ただ、どきどきして。やっぱり、どきどきするでしょ。

 

 晩餐の前に着替えたルーファス様はその前にシャワーも浴びられたようで、私に触れるのをためらわない。今も。

 ルーファス様の手が頬に触れる。その指が耳をかすめ、私はどきっとする。

 ルーファス様がただ真剣に気づかう表情で、私を見ている。


「ユースタスが、あなたを傷つけるようなことを言いませんでしたか?」

 ……ルーファス様はこれを気にされていたの。

 そうね、人買いに売るだの、魔獣に襲わせるだの、言った人だものね。

「ユースタス様はもうそんなことを言う必要がないほど、充実した毎日を送っていらっしゃるようです。

 私もまた、あの時とは違いますから。」

 そう、私は変わった。ほんの少しだとしても、私も変わった。


「それならば、良いのですが。」

 ルーファス様はまだ気にかかる様子。

「あの、本当に、そんなことはなかったので。」

 付け加えれば、ルーファス様がため息をついて苦笑した。

「僕は嫉妬深い夫となって、あなたを困らせたくはないのですが。

 あなたがいた宿の部屋の外には、ドアを背にベイリーが立っていました。ベイリーは僕を目にすると、予想より到着が早かった、だが二人の話し合いが終わったところでちょうど良かった、などと言ってくれましたよ。

 ですが、妻が元婚約者と会っていたからといって、密室というほどでもないと頭では理解していても……。」

 

 待って、待って。あの会話、もしかしてヴィオラさんには筒抜けだったということ!?いえ、問題はないはず。聞かれて困るような内容ではなかった。むしろ、ヴィオラさんなら馬鹿馬鹿しさのあまり笑うんじゃないかしら。ではなくて!


 嫉妬。そのルーファス様の言葉に驚いた。してしまうものかしら、ルーファス様が嫉妬を。

 でも、もし逆の立場だったら。ルーファス様とルーファス様の元恋人みたいな人が密室に近い状況で会っていたら、私は。きっと心がざわついてしまう。

「あの、ルーファス様、元婚約者とはただ話していただけで。いえ、話すというより、噛み合わない会話をしていただけなので。」

 ルーファス様の手が私の頬を包む。

「シェリル、あなたを疑っているわけではない。僕が狭量なだけです。」

「いえ、ルーファス様が私を疑っていると思っているわけではありません。でも、お話しします。

 聞いてもらえますか?」

 けれど、ルーファス様はためらった。

「あなたが望むのなら、そうしたい。けれど、話すことであなたがつらくなるようなら、僕はそんなことはさせたくない。

 すみません、少し調べさせたんです。ユースタス付きの従者や侍女から、あいつがあなたにどんな行動をしていたかを。」


 ……………………………………。これは恥ずかしい。床にめりこみそうなほど、恥ずかしい。つまり、私がどれほど情けなくて、不甲斐ないかという話を、よりによってルーファス様に詳細に知られてしまっているということ!?ああ、もう、穴を掘って埋まってしまいたい。


「ごめん、シェリル。あなたがそれほど動揺するとは思わず。」

 うつむく私に、ルーファス様のあせった声が聞こえた。

 逆に私は、もう知られてしまったものはもうしょうがない、という気分になってきた。失敗は隠すと苦しくなるだけ、暴露したほうがマシだわ。


「ルーファス様、やはり聞いてください。」

 そう言えば、ルーファス様は気づかわしそうにしながらも、うなずいてくれた。なので私は、覚えている限りのことをざっと話してみた。その間、ルーファス様はずっとそばで聞いてくれて。

 ユースタス様と会話していた時は、深刻な何かを話していた気がしたけれど。今言葉にしてしてみれば、シリアスは半分、残りはコメディだわ。


「シェリル、ありがとう。

 ユースタスは単なる未熟な阿呆ですが。あなたについて、もっと知ることができた。」

 ……そんなものかしら?


 包み込むようにルーファス様が私の背に腕を回す。

「僕は、あなたが愛しい。」

 ……こんな話を聞いても、ルーファス様はそう言ってくださるの。


 私の背中をルーファス様の手が優しく撫でる。

 どきどきする。

 どきどきするのに。体を預けてしまいたくなって、力を抜いて寄りかかった。

 ルーファス様から短く息を呑む音がした。

 見上げれば、口づけられた。目を閉じる。唇が触れあう。ついばむように何度も。

「シェリル……。」

 ルーファス様が私の名を呼ぶ、何か求めるように。

 閉じていた目を開ければ、ルーファス様の強い眼差し。


「シェリル、今晩、寝室に来てくれませんか?」


 それは、つまり……。意味を理解したら、ピッと背が固まった。

 ルーファス様の手がそっと私の髪を撫でる。

「無理強いはしません。あなたが良いと思ったら、来てください。」




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