表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

38/53

不運と幸運


 雨が降っている。

 四阿を雨の糸が包み込む。

 雨音が静かに満ちていく。


 足音がした。二人してそちらを見れば、傘をさしたカーライルだった。

「お話し中、申し訳ございません。旦那様、緊急の連絡がきております。」


 ルーファス様が苛立ちを込めてカーライルを睨む。

「後だ。」

 カーライルが静かに繰り返す。

「緊急ですが、よろしいですか。」


 ルーファス様が苛立ちを抑えるように立ち上がると、私の左手を取り指輪に口づけた。

「シェリル、本当に申し訳ない。」


 二人の姿が庭の小道に消える。

 その姿を見送って、私は大きく息をついた。


 信じられない。

 あの日、不幸と同時に幸運もあった。私が気づかなかっただけで。

 ええ、気づかなかったけれど、それは私の幸運になった。

 

 いいえ、それだけじゃないわ。

 もし、あの日の私が幸運でもあったなら。

 もしかしたら、婚約者だったあの人のあの台詞でさえ、私にとって運が良かったのかもしれない。

 いいえ、あれも確かに幸運だったのだと。今なら、それがわかる。


 “いっそ、人買いにでも売ってしまおうか。それとも、呪いの生贄にでもしてしまおうか。

 ああ、事故に見せかけて殺してしまうってものいいよな。それより魔獣に襲わせるほうが簡単か。”


 もしあれを聞かないまま結婚式になっていたら、花婿駆け落ちの知らせを聞いていたら、私はきっと動揺していた。絶望に近いほど動揺していた。

 情けなくて、不甲斐なくて、私にはここまで価値がなかったのかと。

 そしてきっと、あの人のことを恨んでいた。恨んで、重くどろどろした気持ちでいっぱいになっていた。


 そんな気持ちのままではきっと、ルーファス様の気遣いは分からなかった。

 もう結婚とか何もかもが嫌だと思っていた。

 丁重に接してくれても、使用人の誰もが私をあざ笑っているように感じたに違いない。

 ルーファス様が私を大切にしようとしてくださることも、憐れまれているからだと惨めな気持ちになったかもしれない。

 私がそんな態度ばかりしていたら、ルーファス様も私に嫌気がさしていたかもしれない。

 ここでの暮らしは、ただ辛くて苦しい、そう思うだけだったかもしれない。


 でも、そうはならなかった。

 だってあの時から結婚式までの間、私はあの人と結婚したくないと思った。

 私は心底、そう思った。

 心底、そう願った。


 願ったことで、私は変わった。


 だから、あの人が駆け落ちしても、私には嬉しいだけだった。

 結婚式でのルーファス様の気遣いが、有難いと思えた。ルーファス様に好意を感じた。

 奥様というものになっても、自分にできるやり方で何とかやっていこうと思えた。

 使用人の皆が私を尊重してくれているのも、気づくことができた。

 ルーファス様が私を大切にしようとしてくださるのも、よく分かった。

 ここでの暮らしが穏やかで幸せだと、そう感じることができた。


 私は幸運だわ。

 間違いなく、幸運だわ。


 でも。これを言ったら贅沢なのかしら。

 あの三日間は苦しかった。本当に苦しかった。苦しみたいわけではなかったのに。

 でも、この苦しさがなければ、私は変われなかったのかもしれない。

 でも、やっぱり苦しいのはイヤなのだけど。

 もしかしてあれは神様の粋な計らい、みたいなもの?

 神様が私の人生にふりかけたスパイス、みたいな?


 それなら、もっと早くにルーファス様と出会わせてくれたら良かったのに、そう思ってしまうけれど。

 いえ。

 いいえ。

 それだと私は、もっと苦しかったかもしれない。

 婚約者だったあの人との関係がこじれたもので、その上でルーファス様に出会ったら、私はきっと惹かれるのを止められない。

 でも子爵である父が、領主の後継者でもないルーファス様との結婚を許可するとは思えない。

 だから、もっと苦しかったに違いない。


 やっぱり私は幸運。

 偶然と偶然と、それぞれの思惑が混ざり合って、結婚式当日のあの状況が出来上がった。

 私にとって、これ以上ないほど幸運な状況が。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ