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問いかけ


 ルーファス様が、政略結婚の妻では満たせないものを恋人に求めるなら。

 もしルーファス様がそれを望まれるなら、私はそれを受け入れるべき?



 翌日は、朝から雨が降り出しそうな曇り空だった。瘴気で呼び出しが来たので、セルマさんと浄化に行って。戻れば軽くランチ。午後からエーメリーと帳簿の確認や、料理長も交えて次の晩餐会のメニューの打ち合わせを行って。そして、

「奥様、昨日は晩餐会、今朝は浄化で、お疲れなのでは。今日はこのくらいにいたしましょう。」

とエーメリーから心配そうに言われてしまった。


 疲れてはいないと思う。けれど、どこか疲れている気もしたので、私は自室のソファに座って背もたれに寄りかかった。そのままぼーっとしていると、雨の音がした。ぽつぽつと降り始めた小雨に、ふと四阿に行きたくなった。そうすれば気分が変わる気がして。

 

 傘をさすまでもない小雨のなか、四阿まで歩く。

 四阿に着いたところで、さあっと雨が降り始めた。あら、傘がない。

 でも、何だかどうでもいい気分になり、ベンチに腰を下ろした。

 夏の終わりの雨をただ眺める。

 ただ雨音を聴いている。

 いつもならそれで十分、気が晴れるのに。 


 ため息をつく。

 もし、ルーファス様が政略結婚の妻では満たせないものを、恋人に求めるなら。

 もしルーファス様がそれを望まれるなら、私は受け入れるべきなのかもしれない。


 それは例えば、こんな光景を目にするということかもしれない。

 私は妻として大切にするけれど、家族のように大切にするけれど、ルーファス様の隣に恋人がいる。 

 私ではない誰かが、ルーファス様のそばにいて。ルーファス様が笑いかける、私の知らない愛しさのこもった眼差しで。ルーファス様がその人に触れる、私の知らない親密さをこめて。


 ……あふれる。気持ちがあふれて。涙が頬を伝う。

 ただ想像しただけなのに。ただ妄想しただけなのに。

 でも、悲しい。

 耐えられないほど、かなしい。


 雨が降っている。四阿に雨が降っている。

 雨と雨音に囲まれて、誰にも見られることなく。

 私のこの気持ちも、雨といっしょに流れてしまえばいい。

 そんな未来が来たとしても、普通でいられるように、今まで通りでいられるように。

 この結婚は政略結婚、そう簡単に離婚はできないのだから。 


 でも、そう考えた途端、気づいてしまった。

 普通でいることも、今まで通りでいることも、私にはできない。できそうにない。私には、無理……。


「シェリル!」

 雨音の向こうから、ルーファス様の呼ぶ声がした。

 おそるおそる顔を上げれば、傘を手にルーファス様がゆっくりと歩いてくるところだった。


 四阿に着いたルーファス様が、傘を閉じて私に笑いかける。

「ここでしたか、皆が探していましたよ。

 あなたがこの四阿を気に入っているのは知っていますが、今日は雨でかなり涼しい。

 お茶にしませんか。シェリル?」


 いつもと違うと気づかれたかしら。それは困るわ。私は立ち上がり、いつもと同じになるよう笑みをつくる。

「はい。」


 不意にルーファス様が私の目元に触れた。

「シェリル、泣いていましたか?」


 そこは気づかないでほしかった。

「何となく、感傷的な気分になっただけなんです。」

 そう答えれば、ルーファス様がわずかに眉を寄せる。

 しまった、こんな曖昧な理由ではなく、はっきりとした理由を作るべきだった。今更、言い直せないけど。


 ルーファス様の手が私の手をそっと包む。

「シェリル、あなたが何か悩んでいるのなら、僕に話してはもらえませんか。」


 そんなことを言ってはダメ。話してしまいそうだから。いえ、いっそ話してしまえば。

 いいえ、ダメよ。頭の中で止める声がする、話してはダメだと。

 でも私は今、自棄になっている気分なの。やさぐれているというか。

 だから、話してしまいたくなる。


 本当は分かっている。

 ルーファス様が本当に幸せかどうか、それは本人に聞いてみなければわからない。

 ルーファス様に不満があるかどうか、それも本人に聞いてみなければわからない。

 ルーファス様が恋人を欲しいかどうか、それこそ本人に聞いてみなければわからない。


 いいえ、やっぱり、聞いては駄目。私の望む答えが返ってくると決まっているわけでもないのに。

 聞かなければ、しばらくの間、私に都合の良い未来を妄想することができるもの。

 そうね、都合の悪い未来になるかもしれない不安を抑えつけながら。

 

 やっぱり、私は自棄になっている。

 どこかで終わらせなければと。不安も、妄想も、希望も。

 

 ルーファス様の手から、私の手をするりと離す。

 一歩、ルーファス様から離れる。

 私は今、貴族の令嬢らしい笑みが作れているかしら。


「ルーファス様、最初にお聞きしておくべきでした。

 私たちは政略結婚です。今後、お互いに恋人をもつかどうかについて確認が必要だと考えていました。」


 言って、しまった。胸が苦しい。それを抑えて、私は慎重にルーファス様の様子をうかがう。

 ルーファス様の眉がはっきりと寄せられた、不機嫌とわかるほどに。


「……貴族社会ではそれが当然、という風潮があるのは知っていますが。

 僕はあなたを大切にしたいと伝えてきました。あなたの望みなら、僕は叶えたくなる。

 シェリル、あなたが恋人を持ちたいというのであれば、」


 ルーファス様が刺すような視線で私を見た。

「僕はそれを許可できない。

 あなたの夫は僕だ。

 あなたの一番近くにいる男も、僕だけです。」


 ルーファス様が一歩私に近づく。

「そもそも、あなたは自分から恋人を持ちたいというタイプには見えない。

 とすれば本当の望みは、離婚ですか。この話題を持ち出せば、僕が離婚を考えると思いましたか。

 ですが、それには応じられない。僕たちは政略結婚です。それは容易に変えられない。

 何より、僕はあなたを手放さない。

 それとも。」


 すっとルーファス様が目を細める。

「好きな男でも、できましたか。

 恋人にしたいほどの、あるいは離婚したいほどの。」


 ルーファス様の眼差しが困惑に変わった。その眼差しには、私への気づかいが浮かぶ。

「参りましたね。

 僕が話したことでは、あなたのその表情は変わらない。

 あなたが本当に聞きたかったことは何なのか、僕に教えてはもらえませんか?」


 私に恋人は許可しないというくらいだから、ルーファス様もまた同じ、そう思いたいけれど。

 私はもう一度問いかける。

「今後、ルーファス様が恋人を持つご予定は?」


 目に見えて狼狽えたルーファス様が、言葉に詰まった。




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