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満足と不満 ~晩餐会の後で~


 来客をお見送りした後、エーメリーが神妙な顔で私に耳打ちしてきた。 

「奥様、大変でございましたね。」

 そうね。誰にもバレないよう嫌味を言ったつもりでも、使用人は見ているのよね、聞いているのよね。

「今日のお嬢様は、レイウォルズの次期領主との結婚を狙っていたそうですが、それが叶わなくなり、新たな結婚相手をずっと探されていたとか。綺麗なお嬢様ですので求婚者は多かったものの、かなりえり好みされて今まで婚約者が決まらず。ようやくこれならというお相手と出会い、婚約間近かと思われたのですが、つい先日フラれたそうでございます。お相手に婚約者ができて。」


 ……おや、まあ。

 私より三歳年上らしいから、結婚適齢期の期限が見えてくる。焦るわね。せめて婚約はしておきたいと余計に焦るでしょうね。そんな時、婚約者が駆け落ちしたにも関わらず、すぐ別の相手と結婚して幸せそうな私を見たら、腹が立つでしょうね。羨ましくて。しかもそれがレイウォルズの次期領主夫人なら、羨ましすぎるでしょうね。


 私もエーメリーにこっそり聞き返す。

「その情報、出回っているの?」

「そこまでは。世間では、ご領主夫妻が可愛いお嬢様のために婚約者を選んでいると。ですが、同伴したお付きの侍女の口が軽く、いろいろしゃべってくれました。」

 そうだったわね。使用人は使用人で、主人を待つ間それなりにもてなすものね。やはり使用人の口が軽いのは問題ね。聞きだしたエーメリーもすごいけれど。



 こんな日の夜は、ルーファス様に居間に誘われる。

「シェリル、お疲れさまでした。」

と、カップにハーブティーのポット、チョコレートひと粒のトレーを持って。


 ランプシェードのほのかな灯りのなか、カップに注がれたハーブティーをこくんと飲む。いい香り。ルーファス様がエーメリーに言って、エーメリーが用意してくれたこのセット。その心遣いが嬉しい。

 晩餐でお腹いっぱいでも、チョコレートなら食べらる私は、喜んでパクっと食べてしまう。口の中でとろける甘さを味わっていたら、ルーファス様が手のひらに乗せた石を見せてくれた。硝子のような、花のつぼみのような魔石。

「ブルーメ・ブリューエン。」

 ルーファス様が呪文を唱えれば、その手のひらで、つぼみが花のように開いていく。開き切る瞬間、その硝子のような花びらが虹色に輝いた。

 きれい。思わずじっと見つめていたら、ルーファス様がこの石について話してくれた。どんなところで採れるのか、採集するときの注意点とか。太陽光を浴びると真っ黒になってしまうので、月の光で探すのだとか。

 楽しい気分になったところで、ルーファス様が言った。


「シェリル、申し訳ない。エーメリーからも話を聞きました。

 あなたに不愉快な思いをさせるような客を、招待してしまった。」


 そうね、でも私は。

 婚約者に逃げられた娘と結婚しなければならなくなったルーファス様可哀そう、という話ならまだ良いと思うのよ。跡継ぎでもないのに次期領主の座をまんまと手に入れたと、ルーファス様が悪く言われる話ではないもの。

 それに私は、嫌味を言われるのは慣れている。父にも、母にも、元婚約者にも。


 ルーファス様が謝る必要はないと思うのだけど。これも社交の一環だし。招待してみるまで、嫌味を言われるかは分からないのだし。私は確かに、人から羨ましがられる立場にあるのだし。だから、ムカつく気持ちもわからないでもないし。この程度、簡単にあしらえなくてどうするの、という感じだし。


「シェリル、不満があれば話してください。」

 ルーファス様がそう言ってくれる。でも。

「……いいえ。」

 私は小さく首を振って答える。

 あの程度の嫌味、たいしたことはない。それは分かっている。

 

 それでも。

 ぶつけられた負の感情が気持ちよいわけもなく。心地よいわけもなく。

 たいした嫌味ではないと頭で分かっていても、分かっているのに、身体がじわじわと蝕まれるような気がする。


 ハーブティーを少しずつ飲んでいる私の髪を、ルーファス様がなでた。

「僕はあなたが大切ですから。」

 ルーファス様に見つめられる。言葉通りの眼差しで見つめられている。

 私だけ特別。そう、錯覚しそうなほどに。

 だから、わからない……。


 


 真夜中、自室のベッドで私はため息をつく。あの台詞を思い出してしまって。


 “婚約者に逃げられたにも関わらず、まだここに居座ろうとするなんて、図々しい。さすが貴族のお嬢様、私だったら恥ずかしくてそんなことはできないわ。ルーファス様もこんな女と結婚しなければならないなんて、内心どれほどご不満なことか。”

 

 この言い方。お前が妻でなければ、次期領主にふさわしくないお前が離婚してしまえば、自分なら確実に次期領主夫人になれるのに、自分こそがそれにふさわしいのに、ルーファス様だってそのほうが満足されるのに、そうならないのはお前のせいだ、全部お前が悪いのだ、という言い方。


 見事な嫌味だわ。でもね、ルーファス様はそういう言い方は好まれない。自分の行動を棚に上げ、自分の不遇をすべて他人のせいにする、そんな言い方わね。ルーファス様の周りにいる人たちを見ればわかるわ。嫌味を言い合うような、責任転嫁し合うような使用人はいないもの。

 

 結婚相手を選り好むのが悪いとは思わない。だって、人生がかかっているのだもの。けれど、私に嫌味を言ったところで、現状は何も変わらない。嫌味を言って、ちょっといい気分になれたかもしれないけれど、現状はやはり変わらないのよ。

 だからそういうやり方では、欲しいものは手に入りにくいでしょうね。


 まあ、何か言い返した方が良かったのだとも思う。でも、嫌味に嫌味で言い返しても、私はつまらないと思うのよ。それでは単なる嫌味合戦だもの。よりデキのいい嫌味を言った方が勝ちなんて、楽しくないし面倒なだけだわ。

 そうね。こんな場合、例えば、心の底から善意で言ってあげるの。婚約者に逃げられた私ですが、ルーファス様に妻にと望まれて、とても幸せです。あなたも幸せな結婚につながる相手と出会えるよう、心から祈っていますと。いっそ、手紙に書いて送ろうかしら。


 でも、考えても考えても、胸がざわざわする。

 こんな嫌味に引っかかりたくはないのに。こんな嫌味に引きずられたくはないのに。

 でも私は、引っかかってしまう。引きずられてしまう。


 “婚約者に逃げられたにも関わらず、まだここに居座ろうとするなんて、図々しい。”

 これはどうでもいいわ。だって政略結婚なのだし。

 “さすが貴族のお嬢様、私だったら恥ずかしくてそんなことはできないわ。”

 これもどうでもいいわ。だって政略結婚なのだもの。

 “ルーファス様もこんな女と結婚しなければならないなんて。”

 これもね。この言い方だと、結婚に対するルーファス様の覚悟も、どんな女だろうと私に求婚したルーファス様の行動も、馬鹿にすることになってしまうわ。

 “内心どれほどご不満なことか。”

 ……ため息をつきたい。やっぱり、これね。


 ルーファス様は私が妻で幸せだと言ってくれた。

 でもそれは、本当に幸せなの?

 政略結婚の妻を大切にする夫は、幸せなの?

 ルーファス様に不満はないの?


 わからない。

 だから、こんなことが思い浮かんでしまった。


 ルーファス様は政略結婚の妻で満足だろうかと。

 政略結婚の妻を大切にするだけで、満足だろうかと。

 もし満足できなければ、どうなるだろうかと。


 政略結婚が主流の貴族社会では、夫も妻もそれぞれ恋人を持ったりする、暗黙の了解のもとに、当たり前のように。

 ならば。

 例えば、ルーファス様が恋人を持ちたいと、そう望むこともあるのではないかと。

 例えば、政略結婚の妻では満たせないものを、恋人に求める。そんなこともあるのではないかと。


 ルーファス様がそれを望まれるなら、私は受け入れるべきなのかと。

 私がこれだけ大切にされているならば、私もルーファス様の望みを尊重すべきなのだろうかと。


 


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