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伝えたいこと


 昨晩はまた眠れなかった。ずっと、ずっと、考えていて。


 ルーファス様のお気持ちも、わからないでもない。

 たぶんルーファス様は、ご自身の生き方に不満はなかったのではないかと思う。この領地で魔石の仕事に関わり、お義父様の仕事を補佐されているように次期領主のサポートができれば、本当にそれで良かったのでないかと。けれど結婚式の数日前、その生き方を覆すようなことが起こった。

 あの時のルーファス様の求婚には、どれほどの覚悟がこめられていたのか。その覚悟の裏に抱えなければならなかったものも、どれほどあったのか。


 同時に、私からすればルーファス様が何を気にされているのか、よくわからない。

 貴族であれば当然すぎること、例え貴族でなくても、家の存続は重要だわ。長男が継ぐものではあるけれど、継がせるに不適切なら挿げ替えられる。それも当然のこと。

 領主の跡継ぎでいたいなら、そそのかされる元婚約者はどうかしている。あの人がそそのかされるほうを選んだのならそれは、あの人が選んだ道だわ。ルーファス様がとやかく言うことではない。



 ヘレンに手伝ってもらい朝の着替えをしている最中、キャシーが伝えに来た。

「旦那様は護衛の方たちと訓練されるとのことで、今日も朝食は先にお一人ですませてほしいとのことでした。奥様、どうかされましたか?」

「いいえ、何でもないわ。」

 キャシーはルーファス様の予定について普通だと思っている様子。朝の訓練が続いているだけ、そんな口調の伝言だから。

 待っていれば、ルーファス様はそのうち内面の葛藤を克服されるかもしれない。ただ待ち続ける、それが必要な場合もあると思う。それを望まれている場合も、あると思う。


 でも私は、少しだけ行動してみようと思う。そう決めた。

 だって、私は。


 身支度を終えてすぐ、ルーファス様の書斎に向かった。

 ノックをすれば、ドアを開けたカーライルが驚きを隠さず一礼した。

「奥様、私にどのようなご用件でしょうか?」

「ありがとう、ルーファス様に私が心配していると話してくれたのね。おかげで、何をお考えなのか聞くことができたわ。

 ところで、ルーファス様と一緒にミルトンに行きたいの。できれば今日、今日が無理ならばできるだけ早く。」

「かしこまりました。今日の夕方でよろしければ、予定を調整いたします。」

 あっさりとカーライルがそう言うので、かえって私は慌ててしまった。

「ええと、本当に良いのね?それなら理由は、本棚を注文したいからと、ルーファス様に伝えてくれる?」

「奥様、本棚の件は、旦那様がすでにフォレット商会に話を通されています。」

「……そうなの。」


 ルーファス様は忘れないでいてくれた、私が喜んだことを、私が望んだことを。

 たった三日だけど、ルーファス様と一緒に過ごす時間がほとんどなくなって。私は避けられているのでないかと、私は邪魔になってしまったのではないかと、思ったりしたけれど。そうではなかったのかもしれない。

 ただ、この場合どうしよう。


「カーライル、困ったわ。ルーファス様を誘う口実、私はほかに思いつかなくて。何かいい理由がないかしら?」

「それならば、噴水を見に誘われてはいかがでしょうか。今日も少し暑くなりそうです。夕涼みにちょうどよろしいかと。」

「確かにそうね。では、よろしく頼むわね。」

「かしこまりました。」

と執事が綺麗に一礼した。


 私はぎゅっと両手を握る。上手くいくかもしれない。上手くいかないかもしれない。今日でダメなら、また誘ってみればいい。結果がどうなるかわからなくても、私は、私にできることをしたい。



 夕方、カーライルは滞りなく準備してくれたようで、無事ルーファス様と馬車に乗って出発することができた。

 予めお願いしていたとおり、今日はヘレンもキャシーもアントニーもいない。馬車の中には私とルーファス様の二人だけ。

 けれど、思った以上に緊張する。隣のルーファス様が苦笑する気配がした。

「僕と一緒では、気が休まりませんか。カーライルが無理矢理、あなたにお願いしたのでは?」

 違う。けれどそう伝える前に、ルーファス様の手が私に伸びる。頬に触れる寸前で止まり、降ろされた。

「シェリル、また眠れませんでしたか。」

「いいえ。眠れなかったのではなく、考えていたんです。」

 ルーファス様が小さくため息をついた。

「参りましたね。僕の重荷を、あなたに背負わせるつもりはなかったのですが。昨夜、あんなことを話すのではなかったか。」

「私は、聞くことができて良かったです。」


 会話が途切れる。馬車の振動と蹄の音が続く。

 しばらくして、馬車が止まった。

 

 ルーファス様が先に降り、私に手を差し出してくれる。その手を取って降りれば、そのまま私の手をルーファス様の腕にかけさせられた。そのまま、ゆっくりと噴水に向かう。

 夕方の街は家路を急ぐ人も多い。けれど、ルーファス様に気づいた人が、帽子を取ってちょっと頭を下げる。挨拶をしてくる人がいる。魔石の話や、羊の話や、畑の話に続くこともある。天気や瘴気の話になることもある。子どもが手を振って走って行った。

 

 中央広場に入れば、噴水が夕暮れに涼やかな音を響かせていた。

「少し座りますか。」

とルーファス様に手を引かれ、噴水の縁に腰を下ろす。ルーファス様と並んで座る。

 途切れることのない噴水の水音が心地よい。目を閉じて耳を傾ける。

 ふと目を開ければ、ルーファス様が私を見ていた。

「あなたのそんな表情が見られるなら、ここに来て良かった。」

 やはり疲れているようなルーファス様の雰囲気だけど、目元が和らいでいるようにも見える。


「ルーファス様、噴水は口実です。カーライルに何か理由になるものはないか尋ねてみたら、噴水をすすめられました。でも、来て良かった。」

 ルーファス様が少し笑った。

「ではシェリル、あなたの本当の目的は?」


 私は震える手を握り、小さく息を吸って口を開く。

「仕事帰りの方でしょうか、噴水のそばで集まって話をしています。恋人か夫婦か、私たちと同じように座っている人もいます。のんびりと歩いている人もいます。それができるのは、この領地の暮らしが安心だから。

 ここに来るまでも、ルーファス様は何度も挨拶されていました。世間話だとしても、いろんな話題が振られて。次期領主として、皆がルーファス様を頼りにしていることがわかります。頼りにされるほどルーファス様が領地のために行動なさっていることも、わかります。


 では、もしもユースタス様が次期領主のままだったら、どうなっていたと思われますか?」


「それは……。」

 ルーファス様が言い淀む。代わりに私が答える。

「それは分からないんです。ユースタス様はその未来を選ばなかった。だから、分かりません。

 ユースタス様だったら、もっと良くなっていたかもしれない、あるいは、もっと悪くなっていたかもしれない。もっと違う何かになったかもしれない。でも、それはもう分からない。その未来はありませんから。」


「シェリル、それは……。」

 ルーファス様が言い淀む。だから私は続ける。

「見てください。ちゃんと、見てみてください。

 今、噴水の周りにいる人たちはどんな表情をしていますか。広場に来るまでの街の人たちは、どんな表情をしていましたか?どんな顔でルーファス様と話しましたか?

 私には皆、嫌そうにも不幸そうにも見えませんでした。その逆だと思いました。そう、思いませんか?」


「シェリル……。」

 ルーファス様が言い淀む。だから私はもう少し続ける。

「私も同じです。

 私は今、幸せです。あなたが夫で本当に幸せです。」


 夕暮れが夜に変わっていく。ルーファス様の表情は眼鏡に隠れて、よくわからない。

 広場にぽっと街灯が灯った。

「そろそろ戻りましょうか。晩餐の時間になります。」

 そう言って立ち上がったルーファス様の声は、固かった。 



 再び馬車に乗り込む。

 夕闇のなか、馬車が走り出す。蹄と車輪の音だけが響く。


 行きと同じように並んで座れば、隣でルーファス様が苛立ちを抑えているのがよくわかった。

 私が話したことは、あまり意味がなかったのかもしれない。私の行動も、意味がなかったのかもしれない。

 それでも、私は伝えたかった。今日は上手くいかなかったけれど。でも、きっとまた伝えたくなる。明日は無理でも、また。


 その時、ルーファス様がゆっくりと私の肩に触れた。

「シェリル、お礼を言います。あなたが僕に伝えようとしてくれたこと、その意味が分からないわけではない。

 ですが、シェリル。」

 ルーファス様の手にぐっと力が入り、私の肩を押す。私はあっと思う間もなくそのまま倒れ、そして瞬きして見返した。ルーファス様が覆いかぶさるように見下ろしている、座面に押し倒した私を。


「あなたは、お人好し過ぎますよ。

 僕はあなたを利用することに決めました。利用することにしたんです。

 あなたにこの意味が分からないとは思えない。あなたは気づいているはずだ。

 僕と結婚するより悪い状況になるのと同様に、僕と結婚するよりずっと良い状況になる可能性もあったことに。

 もしも僕が求婚しなければ、子爵令嬢のあなたにふさわしい嫁ぎ先が用意され、貴族の夫人として何不自由ない暮らしができた、その可能性も十分あったことに。

 あなたが望む相手と、今より幸せになっていたかもしれないということに!」


 私はもう一度瞬きする。そうかしら?私、本当に格式高い暮らしって苦手なんだけど。

 それに私が望んでも、相手がどう思うかはわからないし。何不自由ない暮らしでも、男爵家や子爵家に嫁げば、やらなければならない義務は多い。今より幸せかどうかなんてわからないのに。

 そこまで考えて、私はルーファス様の言葉に嬉しくなってしまった。もしかしたら笑ってしまったのかもしれない。


「シェリル!」

とルーファス様がなじるように私を見下ろす。

「あなたはいつもそうだ。相手の事情を考え、それに合わせようと。だから僕は……。

 シェリル、なぜ、あなたは自分の幸せを考えようとしない!?」

 

 私は本当に嬉しい気持ちでいっぱいになって、ゆっくりと身体を起こした。

「ありがとうございます。

 ルーファス様は、私の幸せを思ってくださるのですね。

 もしもの話でも、私が幸せになるよう考えてくださるのですね。 

 でも、今の暮らしと、もしもの暮らしと、どちらを選ぶかは私が決めます。」

 

 ルーファス様がはっとして私を見返す、反論したいというでもいうように。


「こればかりはルーファス様には決められません。決めるのは私です。

 ルーファス様、私は今の暮らしを選びます。私はここが好きだから。

 キャシーにエーメリー、ヘレン、アントニーにカーライル、バセット、そしてお義父様。

 館に庭、街も村も温泉も、羊も丘も。

 何より、私はルーファス様が大好きなんです。」


 動揺と戸惑いと、ルーファス様のそんな表情を見返して、私はもう一言付け加える。

 誠実さがあるからこそ、罪悪感はそう簡単には消せない。でも、これだけは知ってほしいから。

「あなたを責めている人は誰もいない。皆、ルーファス様が好きですよ。」

   

 不意に、ルーファス様に引き寄せられた。

 そっと私の前髪を払ったルーファス様が押し当てる熱、額への口づけ。



 

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