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不安と動揺


 なぜかしら。怖い。怖くなる。

 じっとしていられないような、怖さ。


 “駆け落ちした坊ちゃんは、戻ってくるのかね?”


 その言葉が頭から離れない。

 私が今まで考えなかったこと。気にしたくなかったこと。それよりも目の前のことでいっぱいで。それだけで十分で。それだけで良かったのに。

 だから排除したかったこと。

 

 あの人は、婚約者だったあの人は、どうなったのか。


 周りの人たちは、私に気をつかってそんな話はしない。

 だから、動向がまるでわからない。

 駆け落ちしたというあの人が、結局どうなったのか。


 怖い。

 怖いわ。すごく怖い。

 怖さがもやもやと湧き出す。まるで瘴気のように。


 でも、私は何がこんなに怖いというの。


 もしもあの人が、結婚した妻を連れてここに戻ってきたら。 

 それは怖くない。


 もしもあの人が、妻を連れてここに戻ってきて、跡継があの人に戻ったら。

 私は次期領主の妻ではなくなる。女主人の役割も私の手から離れるでしょうね。

 でも、それも怖くない。スキルを身に付けているところだから残念ではあるけど。

 私が領主館から追い出されたとしても、悲しいし、寂しいけれど、怖くはない。


 では、もしもあの人が、駆け落ちしたものの結婚はせずここに戻ってきたとしたら。

 そして、跡継ぎがあの人に戻ったとしたら。それは怖くない、けれど。 

 その結果、あの人と私が結婚しなければならなくなったとしたら。

 

 離婚させられるかもしれない。

 ルーファス様がそれに同意してしまったら。


 どうしよう。同意してほしくない。絶対にしてほしくない。

 でも、ルーファス様はこの領地のことを真っ先に考える方だから、それが最善と思えばそうするかもしれない。

 でも、それはイヤ。すごく嫌。

 でも、私に何ができるというの。ルーファス様がそう決めてしまったら、私にはどうにもできない……。


 いいえ、いいえ。

 まだ、そうと決まったわけではないわ。

 あの人が帰ってくるかどうか、わからないし。

 あの人が結婚しているかどうかも、わからないし。

 あの人が次期領主の座を求めたとしても、お義父様が退けられるかもしれないし。

 あの人が次期領主に戻ったとしても、私と結婚する必要はないかもしれないし。

 あの人と私が結婚という話が出ても、ルーファス様は離婚に同意しないかもしれないし。


 もしかしたら、同意するかもしれないし。

 

 どうしよう、不安でたまらなくなった。たったこれだけの推測で。

 私は今の暮らしが好きだわ。奥様の仕事に、浄化を少し、庭や部屋でくつろぐ時間。お義父様、キャシー、エーメリー、バセット、カーライル、アントニー、私の周りにいる人たちと過ごす日々。

 貴族の生活になじめない私が、貴族の娘として出来の悪い私が手に入れた暮らし。失いたくない。失うのは嫌。


 何より、ルーファス様がそばにいてくれるから。

 ルーファス様は穏やかな方、そばにいると私も穏やかな気持ちでいられる。今まで感じなかったほどの穏やかさを。

 ルーファス様と一緒に過ごすこの暮らしを、毎日を、失いたくない。失うなど考えたくない。

 今の幸せを手放したくない。


 いいえ、待って。落ち着かないと。推測だけで、こんなに不安になっている。

 私が考えていることは単なる推測よ、だから。

 まずは確認をしなければ。


 ……誰に、どの点について?


 エーメリーは知っているかもしれないけれど、尋ねたら、かえって私を気遣って心配するわ。

 お義父様はご存知でしょうね。でも、駆け落ちだけでも心を痛めていらっしゃったから、その後のことまで聞きにくい。

 家令のバセットは知っている可能性が高いわ。きっと気をつかい過ぎることもなく、心を痛めすぎることにもなく、教えてくれる。ただし、なぜ私がそれを聞くのか、そこを考えるでしょうね。

 ルーファス様は、お義父様がご存知ならたぶんご存知ね。でも、もしも、この領地のためなら私と離婚すると、そう答えられてしまったら私は……。


 待って。すべて、推測よ。私の怖れからくる推測だわ。

 とにかく確かめてみなければ。

 確かめるのが怖くても、それでも確かめられるところまでは。



 今日、ルーファス様はお義父様と早朝から外出中。

 昨晩ほとんど眠れなかった私は、眠いどころか眼が冴えている。

 最近は使用人の動きも、だいぶ分かってきた。だから館の廊下を歩いていれば、見つけられる。


「バセット、ちょっといいかしら。」

 呼び止めれば、バセットが礼儀正しくこちらを向いて一礼する。

「奥様、お呼びいただければ、参りましたのに。」


 そうしたいけれど、そうもいかないのよ。近くに誰もいないことを確認して、私は声をひそめる。

「内密な話なの。」

 目を見張ったバセットが、それでも落ち着いて答える。

「なんでございましょうか。」

「皆、私の前では気をつかって話さないから、少しばかり聞きたいの。」

 それだけで、バセットは内容に見当がついたようだった。


 私は両手を組んで、視線をそらす。窓の外を見ているふりをする。

「あの人、ユースタス様が今どうされているか、知っている?」

「大旦那様から、少し聞かされております。」

「それは、私が聞いても良いことかしら?」

「特に口止めはされておりません。奥様なら問題ないかと。」

 バセットの声は落ち着いている。私は手をぎゅっと握り締める。


「あの人は、戻ってくるのかしら?」

「今の時点で、そのような話は出ていないようでございます。奥様が気にかけられることは、何もないかと存じます。」

 私は大きく息をつく。

「ありがとう、話してくれて。」

 バセットに向き直れば、家令は物柔らかな仕草で一礼した。

 

 私室に戻り、独りソファーに座る。

 今、あの人がこちらに戻る予定はないらしい。これは良かった。

 あの人のことで、私が気にかけるようなこともないらしい。これも良かった。


 でも、結局これでは、私の不安は解消されないのよ。

 今、あの人がこちらに戻らなくても、これからは?

 

 私はソファの上で膝を抱える。

 幸運とは、手に入れると怖くなるものでもあったのね。

 それを失う怖れも、ついてくるものだったのね。


 私は欲深いかしら。手に入れた幸運を手放したくないと、駄々をこねる愚かな娘かしら。

 それでも私は、今の暮らしが続くようにと願わずにいられない。

 ルーファス様と共にある、レイウォルズでの暮らしが続くようにと。

 何よりルーファス様と一緒にいられるようにと。

 私はそう、願ってしまう。


 けれど、もしもルーファス様が私と離婚したいと願うなら、私はその意思を尊重するべき?

 それは苦しい、考えただけで苦しい気持ちになる。

 それでもルーファス様の望みが、領地のためなら私と離婚するであるならば。

 私は、私の願いを知ってほしい。ルーファス様のそばにいたいと。あなたと一緒にいたいと。

 

 ああ、でも。と、私はさらに想像してしまう。

 もしもルーファス様が、私とあの人との結婚を願ったら?

 それはムリ。


 それでもルーファス様と離婚することになったら?

 私はあの人と結婚させられ、ルーファス様は私ではない誰かと再婚するかもしれない。たぶんする。ルーファス様はきっとその方を大切にする……。

 やっぱり私は欲深い。妄想だけで、もやもやとした嫌な気分になった。

 

 そうね。私の不安は止まらない。ルーファス様の望みを確認しない限りは。

 それがどれだけ、怖くても。 



 お義父様とルーファス様がお帰りになったというので、出迎える。そこでルーファス様をお茶にお誘いしようとしたけれど、お二人とも忙しそうにお義父様の書斎に入られてしまった。

 とりあえず私はほっとする、まだルーファス様の気持ちを聞かずにすんだから。


 次のチャンスは晩餐前。今日はお義父様とルーファス様と三人で晩餐の予定だから、その前の仕事が終わった頃を見計らい、話す時間をつくろうと画策する。

 晩餐の少し前にルーファス様の書斎に行けば、ちょうど従者のアントニーが出てくるところだった。アントニーは書斎のドアを開けようとしたけれど、聞いてみればルーファス様はまだ仕事中とのこと。

 私はにっこり笑って私室に戻った、とりあえずほっとして。まだルーファス様の気持ちを聞かずにすんだから。

  

 次のチャンスは晩餐後。階段を上がり二階の部屋へ、いつもならルーファス様と共に歩くけれど。今日、ルーファス様はお義父様とまた書斎に向かわれてしまった。

 もちろん私はほっとした、まだルーファス様の気持ちを聞かずにすんだから。

 

 私室に戻って、また独りソファに座る。

 私、何をしているのかしら。

 でも、怖い。

 不安は解消されない。不安は止まらない。ますます怖くなる。

 それでも、聞きたくない。怖い。そしてさらに不安になる。


 困ったわ。これ、どうしよう……。





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