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五月の祝祭


 “これは、あなたの瞳の色ですから。”

 

 ドレッサーに飾った巻貝の形の魔石を見れば、ルーファス様の言葉を思い出す。それはまるで恋人に言う台詞。

 

「奥様、いかがでしょうか?」

 鏡の中のキャシーが私を見ている。

「いいわ、ありがとう。」

 キャシーは髪をまとめるのが上手。ちょうど良く結い上げてくれる。


 今日はミルトンの街で行われる祝祭の日。

 いつもより少し華やかな色合いのドレスを着て、リボンとコサージュの飾りのついた帽子をかぶる。房飾りのついた小さな手提げ袋も持たされて。

 ドレスも帽子もバッグも、エーメリーが選んだ。祝祭だからこれくらいはと。私は、こういうもの苦手なのだけど。


 支度が終わったので、階段に向かう。

 階下には、すでに準備の整ったルーファス様の姿。フロックコートに、いつもより華やかなタイとベスト。そんなルーファス様が私を見上げる。ただまっすぐに私だけを見る。どきっとする。


 階段を降りていく。その最後の3段目、ルーファス様が私に手を差し出してくれる。その手を取り降りれば、ルーファス様が目を細めるようにしてこう言った。

「シェリル、綺麗です。」


 それはやはり、恋人にいう台詞ではないかしら。妻にも言うものかしら、政略結婚の妻でも。 


 

 ミルトンの街に入ってしばらく行った所で馬車を降りる。ルーファス様が私の手を腕にかけさせる。私はルーファス様に寄り添うように立ち、ただその光景に驚いた。

 メインストリートに立ち並ぶ露店、どこを歩けばいいのかと思うほど着飾った人たちが行き交い、そのなかを子どもたちが駆け抜ける。

 初めてだわ、こんなのは。私は物珍しさと人の多さに立ち尽くしてしまった。


 ルーファス様が苦笑している。

「シェリル、戸惑いますか。戸惑うばかりなら、戻りましょうか?」

 ルーファス様が聞いてくれるけれど。戸惑うというよりは苦手。夜会もそうだけど、人が多いのは。

 でも、ここは夜会とは違う。それとは違った活気がある。戸惑うけれど、嫌かどうかはわからない。

 それに、私はあの噴水を見てみたい。キャシーが教えてくれたから、祝祭の日には噴水の特別な仕掛けが見られるのだと。


「噴水を見てみたいので。」

 見上げれば、ルーファス様が小さく笑った。

「わかりました。」

「でも、あの、ここをどう通り抜ければいいのか……。」

 ルーファス様が自信たっぷりに大きくうなずいた。

「まかせてください。」 


 ルーファス様の腕に手をかけ、ルーファス様に身を寄せるようにして、ゆっくりとメインストリートを歩く。私がちょっとよろけても、ルーファス様がしっかりと支えてくれるから、安心。

 振り返れば、アントニーとキャシーが後ろからついて来ていた、何の問題もないみたいに。驚いているのは私ばかり。でもあまりの人の多さに、私はルーファス様の腕にきゅっとつかまってしまった。

 

「聖魔法の奥様だ!」

 指さした子供が走っていく。子どもは正直だわ。確かに、ほんの少しだろうと聖魔法が使える奥様には違いない。

 私を見てちょっと頭を下げる街の人がいる。手を振る子供たちがいる。人込みで私は何かを返すどころではないけれど、私を好意的に迎える人がいることはわかる。

 それ以上に感じたのは、ルーファス様に向けれられる信頼。道行く人に次々に声をかけられたり、頭を下げられたり。私はルーファス様のついでね。ついででも、ルーファス様のおかげで私が受け入れられているのは確かだわ。


 少し人波に慣れてきたら、露店が気になった。これも物珍しくてちらちら見ていたら、気になる店を見つけて足が止まってしまった。

「シェリル?」

「あれを見ても良いでしょうか。」

 指させば、

「ああ、あそこならフォレット商会が出している店です。」

との答え。けれど、ルーファス様が憂慮する面持ちになる。

「ただ、それでも、子爵令嬢のあなたに合うものがあるかどうか。」

 ……そう?

 

 人波を横切るようにしてその露店に向かえば、見ているだけで心躍るような、レース、リボン、布地がぎゅっと並べられていた。


「おや、坊ちゃんではないですか。なるほど。

 これはスランから直接仕入れた品ですよ。質もけっこう良いものです。

 奥様へのちょっとした贈り物にぴったりだ!

 このレース、なかなかでしょう、この中で一番上等なもので。

 リボンならこれがおすすめ。奥様にお似合いになりますよ……。」


 ルーファス様を知っているらしい店主が、途切れることなく話し続ける。 

 私はこういうもの初めてで、何だか楽しい気分になる。

 そんな気分のまま商品を眺めていたら、見つけた。華やかなワインレッドの幅広のリボンはお姉様に。鮮やかな赤の薄地のリボンは妹に。手紙に添えて贈るなら、ちょうど良いと思う。

 いえ、待って。

 肝心なことを忘れていた。ふだんお金など持ち歩かない私には、買い方がわからない!


「シェリル、何か気に入ったものがあれば、僕に贈らせてください。」

 ルーファス様が言ってくれる。どうしよう。といっても、正直に話すしかないのだけど。

「あの、お姉様と妹に贈りたいのですが。」

「奥様、そりゃあいいですね!どれでも明日、領主館にお届けしますよ。」

 さあ、どれにしますと言わんばかりの店主の様子に、少ししか買わないのが申し訳なくなる。そして支払いの仕方がわからない。

 

 店主の期待に満ちた視線に、とりあえず指さす。

「これとこれを、3ヨルドずつ。」

「あなたが気に入ったものは、ありませんでしたか?」

 ルーファス様がわざわざ聞いてくれる。ここぞとばかりに店主が勧めてくる。

「リボンでしたら、やっぱりこれとか、これとか、これとか。レースならこれも!」

 ど、どうしよう。とりあえず勧められたものを見てみる。その一つがなぜか気になって、手を伸ばす。触れてみれば、淡い桃色の柔らかな手触り。

「シェリル、それを贈っても良いですか?」

「ええ、はい。」

 思わずそう答えて、その答えで良かったのかと考え、考えているうちにただ嬉しくなって。

「ありがとうございます。」

 そう伝えたら、ルーファス様も何だか嬉しそうに見えた。結局、支払いがどうなったのかは謎だけど。


 再びゆっくり歩きながら中央広場に向かい、ようやく噴水の近くまでたどりついた。

 時刻はもう夕方、向こうにお義父様と街代表の姿が見える。 


 人はますます多くなり、私はルーファス様に身を寄せる。ぎゅっと腕をつかめば、耳元でルーファス様の声。

「大丈夫ですから。ほら、始まりますよ。」


 五月のこの祝祭は、豊穣を祈る祭。

 花冠をのせた真っ白なドレス姿の少女が、手に鈴を持って噴水の周りを歩く。シャラン、シャランと鈴の音が、噴水の水音と響き合う。

 夕闇のなか、舞うような白いドレスと、涼やかな音色。そして。


 噴水から光が、数えきれないほどのシャボン玉のような光が吹き出された。光の玉は、ふわふわと広場に舞い降りる。

 噴水から落ちる水と光の泡が混ざり合い、リン、シャリンと硝子が触れ合うような音を立てて、水盤に落ちていく。

 街の人たちがそれを見ている。大人も、子どもも、みんな。


 ヘイデンさんが噴水を壊したくなかったわけね。

 私の浄化は確かに少し、役に立った。例え少しであったとしても。

 それでも、胸に満ちてくるものがある。私の胸を満たしていくものがある。


 私はまた、ルーファス様の腕をきゅっとつかんでしまった。

「シェリル?」

 ルーファス様が私を覗き込むように聞いてくれる。

「とても、きれいです。」

 答えれば、耳元でルーファス様の声がした

「ええ、あなたと一緒に見ることができて良かった。」

 

 それはやはり恋人に言うべき台詞のような気がするけれど。その言葉を受け入れてしまいたい気持ちになった。私たちの関係は政略結婚で、恋人ではないけれど、でも。

 私も、ルーファス様と一緒に見ることができて良かったと思うから。


 噴水の最後の光が消えてゆく。すると、かがり火がともされ大道芸が始まった。歓声が上がる。

 人波が動き始める。ルーファス様が指さす。私もそれを見て、笑い合う。


 その時だった。

「……駆け落ちした坊ちゃんは、戻ってくるのかね?」


 そんな一言が耳に入った。

 その言葉だけがなぜか鮮明に聞こえて。

 私は思わず振り向いてしまい。

 でも言葉はもう人波に消え。

 あとには呆然とした私だけが残った。 


「シェリル、どうしました、疲れましたか?」

 それはルーファス様の声、ただ私を気遣う表情で。

 そう、ルーファス様には聞こえなかったのね。


 でも、私には聞こえてしまった。




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