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浄化の結果


 目が覚めた。部屋は明るい。

 体を起こせば、昨晩に比べてずいぶんと違うことに気づいた。思ったより回復が早い。

 熱も引いているし、体も軽い。魔力もほとんど戻っている。


 良かった。これで浄化の続きができる。

 そうほっとしたものの、膝にある違和感が気になった。昨晩は気にならなかったのに。

 魔法医に診せたそうだから、魔力枯渇からくる節々の痛みに軽い鎮痛剤が使われていたのかも。だから、膝の痛みも感じにくかったのかも。

 というか間抜けなことに、倒れるとき石畳に打ち付けた膝がはっきりと痛いわ。膝しか痛くないのは、ヘイデンさんがとっさに私の体をつかんでくれたからだけど。

 

「奥様、お目覚めでしたか!」

とドアが開いた。キャシーは元気がいい。何か良いことでもあったのかしら。

「奥様が元気になられて、嬉しいです。あたし、昨日はどうしようかと思いました。」

 それもそうね、目の前で人が倒れたらね。

「ごめんなさい、驚かせてしまって。」

 私がそう言えば、キャシーがタオルや部屋着の用意をしながら答えた。

「ええ、皆、驚いていましたよ。街では奥様の話で持ちきりです。」

 完全浄化もできずに倒れた、間抜けな奥様の話かしらね。

「あたし、街でもこの館でもあれこれ聞かれましたけど、奥様のことたくさん話しましたから!」


 待って。いったい、どんな話を!?

 ああ、それに尾ひれがついて噂話になるのよ。だいたい、おおむね、悪い噂に。

 こちらに来て一か月でこんなことになるとは……。


 部屋着に着替え、身支度を整えたところで、キャシーが言った。

「朝食には遅い時間ですけれど、旦那様がご一緒にとのことです。それから、この部屋まで迎えに来られるそうです。」

 ……なぜ?

 キャシーが部屋を出る。ソファに座って待っていると、ルーファス様が部屋に入って来た。

 その瞬間、私はどきっとして、昨晩の口づけを思い出してしまった。ルーファス様は昨晩のことなどなかったかのように、いつも通りなのに。


 私がソファから立ち上がろうとすると、

「そのままで。」

とルーファス様が隣に座る。じーっと私の顔を見る。ええと、そのくらいにしてほしい。昨日のことをすごく思い出してしまうから!


 ルーファス様が安堵のため息をついた。

「回復したようですね。念のため、今日もう一度、魔法医にみてもらいましょう。」

「単に魔力の使い過ぎですから、その必要はないかと。」

「ダメです、ちゃんと診てもらってください。」

 ルーファス様にしては強い語調。私はちょっと驚く。ルーファス様が立ち上がって手を差し出す。

「さあ、行きましょう。エーメリーが朝食の用意をしています。」

 その手を取り、今度は私も立ち上がる。次にルーファス様がしたことは。


 私を横抱きに、抱き上げてしまった。


 体がガチっと固まる。そんな私に比べ、ルーファス様はいつも通り。

「シェリル、膝が痛くありませんか。それも、ちゃんと魔法医に診てもらいましょう。」

「単に、打ち身と、擦り傷、ですから。」

 何とかそう言ったものの、ルーファス様のこんな押しの強い笑顔、初めて見た。

「ダメです、ちゃんと診てもらってください。ああ、そんなふうに体を離そうとしては危ないですね。僕の首に手を回して。そうです。」

 ……言われたとおりにしてしまった、その結果。


 どうしよう。ルーファス様が近い、近い、近すぎる。顔が近い。距離が近い。私の部屋着とルーファス様のシャツが、間に布地があるのにルーファス様の体を感じる。体温を感じる。お互い触れている部分がこんなにも多い。どうしよう!?


 けれど、それは少しの間で終わった。いつもの部屋に着けば、ルーファス様がゆっくりと私を椅子に降ろしてくれたから。

 けれど、私はまだドキドキしているのに、ルーファス様はいつも通り。ルーファス様にとっては何でもないことなの!?

 

「おはようございます、奥様。起きられるようにおなりになって、ようございました。」

とエーメリーが朝食の準備をしながら、ほっとした様子で私を見る。だから私も答える。

「ええ、単に魔力の使い過ぎで、ついでに膝を打っただけだから、たいしたことないのよ。」

「そのたいしたことないことに、僕はとても驚きましたよ、シェリル。」

 ルーファス様がにっこりと笑顔を作る。けれど眼鏡の奥の眼差しが笑っていない。エーメリーがおやおやと目を見張る。私はルーファス様のこんな顔も、初めて見た。

 それがいつもの穏やかな笑みに戻る。

「食欲はありますか?」

「ええと、はい。」

「奥様、それもようございました。料理長がはりきっておりましたから。」

 その時、私のお腹がくぅと小さく鳴ってしまった。恥ずかしさのあまりどうしようかと思ったけれど、この場は微笑ましい雰囲気に包まれてしまった。


 綺麗なナイフとフォークの使い方で朝食を食べ終えてしまったルーファス様の向かいで、私はゆっくりと朝食をいただく。エーメリーが紅茶の用意をしている。

 私がナイフとフォークを置けば、二つのカップに紅茶が注がれた。いい香り。ミルクを注ぐ。カップを手に取る。

 そうだ、これをお話しておかなくては。


「ルーファス様、浄化の続きをするため、午後から街に行きますので。」

 ルーファス様のカップを持つ手が止まった。エーメリーもこちらをうかがっている。どうしたのかしら。

「すみません。昨日、話しておくべきでした。」

 ルーファス様がカップを置く。

「浄化はもう済んでいます。」

 私の置いたカップがかちゃと音を立てた。私はぽかんとしてルーファス様を見返す。


 一瞬、意味が分からなかった。

 でも、そう、誰かが依頼を受けたのかもしれない。いえ、受けたのね。だから浄化された。だから浄化が終わった。だからもう私がする必要はない。何もする必要はない。それなら……。


「シェリル、昨日あなたが浄化に向かったあと、バセットが魔導便を送りました。王都のタウンハウスを出る直前に受け取れたので、急遽叔父上と話し合い、王都の冒険者ギルドに向かいました。こちらの方面に向かう聖魔法士がいれば捕まえて、寄ってもらえないかと考えましてね。」

 なるほど。

「それで、魔法士が見つかったのですね。」

「運よく。交通費をこちらで持つというと、引き受けてくれましたので助かりました。」

「その魔法士は?」

「こちらに着いたらすぐ浄化したいということでしたので、もう夜でしたが街の広場まで案内して、浄化の後はうちの馬車で行きたいという隣領まで送りました。」

 さすが。それくらいできなければ、やはり冒険者としてはやっていけない。

 ルーファス様がカップを手に取った。

「そして、館に戻ってみれば、あなたがあんな状態だったというわけです。」

 ……あんな?

「広場にいた護衛から、あなたのことを聞いてはいましたが。

 倒れたあなたを昼間のうちに魔法医に診察させても、まだ目を覚まさない。」

 ……魔力の使い過ぎだから、それはしょうがない。

「しかも、怪我までしたというではありませんか。」

 ……それは単なる両膝の打ち身と擦り傷。痛いけど。

「奥様、そうでした。後で膝の包帯を変えましょう。」

 壁際で控えていたエーメリーが口をはさむ。

「よろしくね。」

と私は答える。

 ルーファス様が静かに、けれど感情を抑えるようにお茶を飲んでいる。こんなルーファス様も初めて見た。


 私もカップを手に取り、静かにお茶を飲む。

 意気込んでいた気持ちを落ち着かせるように。もう、私がすることはなくなったのだから。


 それなのに私は何を考えているの。安全が第一よ。私だろうと、誰だろうと、浄化されればそれでいい。それが一番良い。

 でも、どうしてかしら。少し、とても、残念だわ。

 いえ、残念などと言える筋合いではないのよ。

 そもそもそんな魔法士がいるならば、私が何かをする必要も最初からなかった。

 そう、なかったのだから。


 コンコンと、ノックの音が静かな部屋に響いた。エーメリーが応対に出る。

「大旦那様、いかがなさいました?」

 そんな声が聞こえてきた。


 お義父様!?

 ピシッと背筋が伸びる。どうしよう、留守中に勝手なことをしたとか、余計なことをしたとか、そんな話になるのでは。  

 それに、ちょっと待って。部屋着でお義父様にお会いするのは少し恥ずかしい。それとも、貴族じゃないここではその辺がゆるやかということ?それとも私は病人扱いなの?

 エーメリーもルーファス様も何も言わないから、いいのかしら。恥ずかしいけど。


 お義父様が部屋に入る。ルーファス様がすぐに立ち上がった。

「叔父上、おはようございます。」

 私も立ち上がろうとしたけれど、お義父様にそのままでと手で制されてしまった。


「せっかくくつろいでいるところを、すまない。」

 椅子に座りながらお義父様が言えば、

「いえ、珍しいですね。何か急ぎでしたか?」

とルーファス様が答える。

 けれど、お義父様の様子は急ぎの要件には見えないし、何か悪いことが起こったようにも見えない。


「まずはお前に。」

とお義父様がルーファス様に封筒を渡す。

「ミルトンで祝祭があるだろう?私のほうには招待状が来ていたが、お前宛てだ。」

「珍しいですね。たいていは叔父上宛てのなかに、ついでに僕たちも一緒にで、まとめて済ませてあるのに。」


 お義父様が今度は私のほうを向く。

「そして、シェリルに。」

 渡された封筒を受け取る。何かしら、これ?ルーファス様がはっとしてお義父様を見返しているけれど。

「今朝、ミルトンの街代表が届けに来た。次期領主の奥方に、ぜひ祝祭へ来て欲しいそうだ。」

「はい、それはもちろん。」

 行くべきでしょうね。


 お義父様が慈しむような笑顔になる。

「シェリル、礼を言う。あなたが聖魔法を使えるとは知らなかったが、あなたがすぐに動いてくれたおかげで助かった。」

 そう言ってもらえるのは嬉しい。けれど、それは違うと思う。

「お義父様とルーファス様が聖魔法士をすでに手配されていたと聞きました。私はむしろ余計なことをしてしまったのではと。」


 なぜか、お義父様の笑顔は変わらなかった。

「そうではない。あなたががすぐに行動を起こしたことで、街の住民が安心したのだ。次期領主の妻が街を壊すのではなく、浄化を選んだことも住民を安心させた。」


 そう、なのかしら。

 私のしたことは無駄だった。けれど、全部が無駄というわけでもなかった。

 少しは、意味があったのだと。 

 それはほんの少しかもしれなくても。ほんの少しであったとしても。それでも。

 

 私の浄化で喜んでくれた人が、いたのね。





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