抱っことバイク
高文連に出したものを修正してみました。
見たことがある方はそういないと思いますが、一応疑いなどかからないように。
木枯らしが、着ている薄いジャンパーをはためかせる音だけがやたらと響く。
中年の有本耕助には、堪える風だ。
ついでに言わせて貰えば、一端の会社員でしかないため、財布の中も暖かくない。
時間帯が時間帯で、今は食べ物屋の席が空いてないと思うけれど、どうしようか、と横にいる少女に問いかけた。
すると、お腹が空いていないので、好きなようにして下さい。と素っ気ない言葉だけが返ってきた。
まぁ、当然と言えばそうなのだ。彼女の記憶の片隅にすら存在していなかったそれなりの年齢の男。
所謂『オヤジ』と連休を過ごせと言われるのは、この年頃の女の子には厳しいものがあるだろう。
逆の立場を考えても、嫌だった。
耕助だって、ほとんど面識のないおばさんに連れ回されても、いい気分はしない。
それでも、帰っていいと言うことができない理由があった。横にいる彼女は、耕助の娘だからだ。
名前は菜々美。
これは耕助が彼女につけた名前だ。
菜の花が好きな元妻が、自分の名前の篤美から一文字とってほしい、と言ったことから名付けた。
「価値観の違い」と言う至極曖昧な上に、理解できない理由で離婚してからすぐに、娘とのコンタクトはとらないで、と言う電話がかかってきた。
もちろん、そんなことをするつもりは耕助には全くない。
離婚した当時、娘の年齢は一歳にも満たなかったからだ。
篤美の実家がそれなりの家だったからか、慰謝料こそ請求されなかったが、心の中には小さな針で突かれたような無数の空洞があった。
それがなぜ今になってこんな状況なのか。
それは先月の末に突然、会ってあげてという電話がかかってきたからだ。
菜々美たっての、希望らしい。
五分ほどを道なりに沿って歩き、見つけた小さな喫茶店で暖と食事を取ろうと、ドアノブに手をかけた。
軽快なベルの音はしたが、中の客の少ない寂しさに拍車をかけるだけのような気もした。
とりあえずは、席に着く。
初老の店主がメニューと冷や水の入ったグラスだけを置いて
「ご注文が決まりましたら、呼んで下さい」と言い、カウンターへ消えていった。
「飲み物はどうしようか……。ジュースの方がいいよな?」
そういってメニューのページを捲っていると、相変わらず抑揚のない口調で答えが返ってきた。
「紅茶の方が好きです」
確かに。相手はもう高校生だった。
迂闊だったかな、と頭に手をやり少しだらしなく笑ってみたが、あまり効果はなかったようだ。
「はは、そっか。ごめんごめん」
捲っていた手を止めて、自分の食べるものを選ぶ。
無難に珈琲とスパゲティを頼むことに決めて、耕助はもう一度問いかける。
「デザートは? 色々あるみたいだけど」
俺は甘いもの苦手で食べられないんだけどね、と余計なことも付け加えてみる。
菜々美の表情に動きはほとんど見られない。
だが、視線は確かにメニューを見つめていた。
「チョコレートパフェと、ガトーショコラでお願いします」
その言葉がでたことに、耕助は内心驚いた。
そして、最近の女子高生の胃袋にも、驚いた。
お腹が空いてなくとも、デザートを二つ平らげる余裕はあるらしい。
生返事をしながら、店主に声をかけ、メニューを告げる。
待っている間の沈黙が辛い。
元からあまり口下手ではない筈なのに、相手によるといったところだろうか。
少ししてから、珈琲と紅茶が運ばれてきた。
先に持ってくるよう頼んで良かった、と思いながら持ってきた菜々美と同い年の女の子を見て耕助は『バイトがいるのか』と失礼な考えを巡らせた。
そのままぼんやりと思考を続けて、熱い珈琲を啜る。
熱すぎて舌を火傷しそうになる。
ふと前を見ると、菜々美は猫舌なのかわからないが、冷めるのを待つように紅茶を放置していた。
「もしかして、熱いの苦手だったりするのかい」
何となく思ったことでも、言葉にすれば会話が繋がるかもしれない、と淡い期待を抱いて聞いてみる。
「猫舌なんです、小さい頃甘やかされて育ったので」
小さい頃。
その言葉に耕助の心が締め付けられた。
耕助の知らない娘の姿が、酷くぼんやりと浮かんで、すぐに消えた。
「そうか。俺の兄貴もそうだったな」
自分は目の前で熱い珈琲を啜っていたために嘘がつけないが。
菜々美が、この先も見ることが無いだろう兄を、話を弾ませるための嘘に使わせて貰う。
これくらいなら、かわいい嘘だろう、と思いながら。
「有本さんも、兄弟いらっしゃるんですね」
実の娘が他人と話す敬語口調で、父親を名字にさんづけで呼ぶなんて、情けない話だと思う。
その原因は誰にあるのだろう、と考えれば耕助自身にしか行き着かないのは目に見えているので、考えないことにした。
それより、「有本さんも」と言うなら、彼女自身にも兄弟がいる話になる。
「君にも、兄弟いるの?」
もしそうだとしたら、なんて考えると少しだけ切なさが心を覆う。
それと同時に元妻の幸せそうな結婚生活がかいま見えるようで、どことなく嬉しさも心の中にあった。
「弟と妹が、一人ずついます」
菜々美の話によると、二人とも母親似であること。
彼女が母親にも父親にも似ていない全く違う顔立ちをしていること。
そして、微妙な訛りがあることについて、中学生の弟が疑問を抱き始めたらしい。
確かに、菜々美はどちらかというと耕助の方に顔立ちが似ている。
その上彼女の訛りは、耕助の実家で祖父母に育てられた時期があったからだ。
祖父母はどちらも東北訛りで、その期間が短かろうと、いくら彼女が今はそこで暮らしていなくとも、
幼い頃の彼女を可愛がって何度も何度も話しかけた祖父母の訛りは抜けきらないようだった。
そんな話をしている最中に、頼んでいたスパゲティが、チョコレートパフェと一緒に運ばれてくる。
「あ、じゃぁ食べてもいいかな?」
もう一品頼んでいたガトーショコラが運ばれてこないことに少し疑問はあったが、とりあえず暖かいうちに目の前の食事を平らげてしまおうと思った。
別に耕助が菜々美に食べることの了解を取る必要はないのかもしれない。
なんとなく、聞いてみたいだけだった。
「それじゃぁ、私もいただきます」
菜々美は丁寧に手を合わせた後、パフェのアイスに長くて先がやたら小さいスプーンを突き立てた。
少しだけ頬が緩んでいる。
なるほど、女というものは甘いものを目の前にすると表情が和らぐらしい。
黙々と食べるその音だけが、喫茶店内の大半の音を占めていた。
流れている音楽は古い洋楽で、耕助にわからなかった。ブルースだと思うのだけれども。
だが、菜々美は食べる手を時折止めながら、曲に会わせてスプーンを動かしていた。
「こういう曲、好きなの?」
思ったことを口にすれば、後は何となく会話が弾んでいく気がした。今なら。
まるで、出会って間もない頃の篤美とのデートを思い出すようで少し気恥ずかしかったが、目の前の娘は照れくさそうにはにかみながら頷いた。
そんな顔も、よく見るとやはり自分に似ている。
こりゃデートは無理そうだ、と耕助は抱いた全く持ってくだらない考えをすぐ捨てた。
意外に量が多く、うまかったスパゲティを平らげ汗をかいたグラスの水をあおっている時だった。
まるで自分が食べ終わるのを待っていたかのように、ガトーショコラが運ばれてくる。
耕助は少し気まずさを感じながら、目の前に置かれる重々しい色のケーキを見つめていた。
店主がカウンターへと下がっていく最中に、器を菜々美の目の前へと移動させる。
菜々美はフォークで丁寧に半分に分けた後、自分は片方を口に含み、器と共に残ったもう半分を耕助に差し出した。
行儀が良い訳では、なさそうだ。
やはり俺の娘なのか、と耕助は心の中で呟いた。
「甘いもの苦手だって、言ったと思うけど……」
舌にも得意不得意は存在する。事実兄は耕助と正反対で、甘いものは大好きだが、カレーは未だに中辛を卒業できない。
これは、嘘じゃない。
すると、その言葉を簡単に受け流して答えが返ってきた。
「甘くないですし、母さんもこれなら大丈夫って言ってました」
思い返すと、確かに篤美も甘いものが得意でなかった。
だからこういった店に来ると、二人で珈琲を片手に、たいしたことのない話題だけで、幾時間も過ごしたものだ。
耕助は眉間に皺を作った。
苦手なものを自分の金で試されているので、あまりいい気はしない。
しかし何度も断るのも、悪い気がする。
おそるおそる、スパゲティを食べていた大きめのフォークでそれをとらえる。
不安な表情を隠さず、口元まで運び、一気に放り込んだ。恐らく顔の筋肉が引きつっているだろう。
食べ物でこんな表情になるなんて、耕助自身思いもしなかった。
その姿を、鳶色の比較的大きな瞳で覗き込まれる。
噛みしめたそれは、思いの外苦みと息が詰まらない程度の甘みがちょうど良かった。
驚いた表情の耕助に、目の前の菜々美がまたはにかむ。
「おいしいですか?」
耕助は素直に頷く。これは文句なしに食べられる、いやうまいのだ。
すると菜々美はふしぎと、安堵した表情を浮かべた。
「さっきの女の子のお姉ちゃんと同級生なんです、私」
ということは、と耕助は思案する。
菜々美のクラスメートの祖父が趣味で気まぐれに経営する店に、耕助は足を運んだのだ。
そして、孫娘がそれを手伝っていた。
「そっかそっか」
ようやく、熱心にケーキを食べることを進めてくれた理由が、耕助にもわかった。
店主に礼を言い、代金を置いて店の外に出ると寒空の下をまた歩き出すことになる。
食事で温まった体に、いっそう寒さが滲みる。
とりあえず家まで一旦帰るのがいいだろう。駅まで送り届けるには、まだ早い。
歩きながらの会話は、どうでもいいことしかなかった。
大半は耕助が喋ったが、菜々美も笑ったし話だってしてくれた。
十五分ほどかけてアパートにたどり着き、あまり片づいていない部屋に入るよう促す。
必要最低限の生活用品と薄暗い明かりが耕助の今を如実に表していて、恥ずかしいものだった。
少し部屋を見渡した後、菜々美はおもむろに台所へと向かっていった。
今日の昼食で使った皿が、洗われないまま置き去りにされている。
丁寧に洗うその姿を見ていると、普段の生活が垣間見えるようで耕助にとって嬉しい姿だった。
「そろそろ、駅まで送ろうか」
一時間半くらいたっただろうか。
耕助は立ち上がり、いつもアパートの近くに停めているバイクへと歩み出す。
その姿を菜々美がふしぎそうに、見つめていた。
ヘルメットを投げ渡して、無言のままバイクの後ろへ乗るように指示する。
ちなみに耕助は、篤美とのデートでこんなキザったらしいことは一切したことがない。
するとヘルメットを握りしめた菜々美が、疑問を投げかけてきた。
「あの、バイクって二人乗り大丈夫なんですか?」
ヘルメットの微妙なズレを直しながら、耕助が振り返る。どこか不安そうな表情で見つめ返された。
確かにバイクの二人乗りなんてしたことないだろうな、と幸助は思う。
ヘルメットを指さして、一言。
「それしてれば大丈夫だから」
早く乗ってくれ、とぶっきらぼうに告げると、慣れない手つきでヘルメットをつけた菜々美が後ろに座る。
手が、ジャンパーを遠慮がちに掴んでいる。また振り返って、一言。
「ちゃんと掴まってないと、落ちちゃうよ」
それを聞いて、おずおずと上半身に腕が回る。
抱きつかれた腕が思ったよりも細くて、耕助は不覚にも自分の娘のそんなところに、心臓が跳ね上がるのを覚えた。
なんだかそれがとても不埒で、いやらしい感じもしたが、走り出すと同時にその感覚は薄れていった。
まるで自分が、なんにも知らない深窓のご令嬢を、夜に連れ出す不良みたいに思えてきて、耕助は心の中でそれを否定する。
いくら半分とは言え、一口でケーキを平らげる子が深窓のご令嬢には見えない。
それに、自分みたいな冴えない『オヤジ』じゃぁ、どう頑張っても不良のパシリにしか見えないだろう。
ずいぶん不恰好な感じだ。
慣れないバイクの振動や傾きに驚くたびに、抱きつく腕や体に力がこもる。
その感触に妙な感覚を覚える。
まったくしょうもない男だ、と耕助は心の中で思った。
最近の高校生は、栄養に恵まれているせいだろうか、発育が良いらしい。
口には出さないが、今の状況ではスケベだと思われても仕方ない気がする。
少し走っていると、後ろから問いかけられた。
風と周囲の車の音で聞こえにくかったが、かろうじて聞き取る。
「あの、もしかしてタバコすってますか?」
意外な質問に驚きながら、あぁー。と間抜けな声の後に答える。
「今は禁煙中。……匂いするかい?」
同時に、篤美が自分のタバコを嫌がっていたことも思い出す。
すってない側も肺がんになる可能性が高いとか、何より衣服や髪に臭いがついて耐え切れない、と癇癪を起こされた思い出がある。
しかし、そんなことは知らずに追い風にのって返ってきたのは「少し……」という言葉だった。
ずいぶんな進展だと思う。最初は何を聞いても無表情で単調な言葉遣いでしか返事をしなかった彼女に。
どうでもいいような会話をしながらも、盛り上がるような感情の色がつきはじめていた。
菜々美は父親というよりも、仲の良い友達と話しているような感じで耕助と話している。
慣れるまでに、三日間。
思っていたより早く。しかし、二人で過ごせる三日間の中では遅いときに、ようやく出来上がった状態だった。
十分後に駅へつき、菜々美の脱いだヘルメットを受け取る。
このまま送っても良かったが、篤美が知った際にひどく嫌がりそうだったので、提案しなかった。
人の往来も、ラッシュ時ほど激しくはないが、高校生をこの時間に一人で帰らせるのもいい気はしない。
というか、娘である彼女になにかあったら。
そんな思いが沸いてきて、気が気でない。
『後三十分我慢できるなら、バイクで送ろうか』
そう言えたなら、苦労しなかった。
今までろくすっぽデートの送り迎えもしたことのない耕助に、言うタイミングなどわかるわけもない。
すると、突然耕助の方を振り返った菜々美が手からヘルメットを奪い取り、先ほどよりずいぶんと手馴れた手つきで身に着け始めた。
終えると悪戯っぽく笑うようなしぐさを見せる菜々美が、さっきの自分と同じように無言で伝えようとすることが、わかった。
耕助は、もしかしたら俺の心が読めるのかな、などと変な考えを心の中で抱きながら、ヘルメットをつけ、バイクに跨る。
篤美とのデートより、よほどデートらしいことをしている。
ゆっくりと、追い風に押されながらバイクが進む。
くだらない話をしながら、二人で笑う。
そして、言葉数が次第に少なくなると、菜々美は小さな声でふしぎなことを言い出した。
「今の父さんは、赤ん坊だった私を抱っこしてないんですよね」
あ、そうか。と耕助は納得した。篤美が再婚したのは菜々美が三歳のときで、赤ん坊の彼女を抱っこした父親は自分だけだったらしい。
「あの人も、とっても優しいし、しっかりしてますよ」
母さんとも仲が良いし、と付け足すように呟く。その声は、自慢なんかではなく不満げな声に聞こえた。
きっと菜々美は小さいころから赤ん坊の弟や妹が抱っこされる姿を見てきただろう。
そして心のどこかで、いつも疑問を抱いていたのかも知れない。
菜々美には、下の二人と自分への父親の対応がどことなく違う気がすることも、気になっているらしかった。
「俺は、君を抱っこしたことがあるな……。まぁ、当たり前か」
耕助としては、こういう時にうまい言葉で諭したり慰めたりするのが苦手なので、たいしたことは言わないようにしている。
「男ってさ、初めての赤ん坊がかなり苦手……」
そこまで言った時に、菜々美の自分を掴む腕の力が、妙な緊張の仕方をしたように耕助は感じた。
菜々美の父親であるにも関わらず、不味いことを言った、と耕助は思って、あぁ、だの。えぇと、だの。
言いよどんだ後に、また情けないような声で呟いた。
「違うか。好きで好きで仕方なくて、どうしていいかわかんないだけだよな」
だから君の今のお父さんも、初めての子供は君なわけで、接し方を探し続けている最中なだけだよ。
そう言うと、菜々美の腕が、より一層力を込めて、抱きついてきた。
その後の十分間は、ぼんやりとバイクを走らせるだけになってしまった。
会話はなくなったままだったが、耕助は別段急ぐわけでもなくのんびりと運転し続けた。
そこで、ふと思い出す。
そういえば篤美に見つかった場合の言い訳を一切考えていなかった。
家に一番近いらしい公園の前で急にバイクを止める。
驚いた菜々美が、抱きついたまま耕助を覗き込む。
耕助はヘルメットを脱ぐように言って、バイクから降り二人で歩くように提案した。
自分は、ヘルメットをそのままにしている。
「あの……、どうかしたんですか」
申し訳なさそうに菜々美が耕助に問いかける。
耕助はヘルメットのまま頭を振って、理由を情けない声でまた細々としゃべる。
すると菜々美は妙に納得したような声を出して、その後は特に何事もなかったように歩き続けた。
「あそこです、私の家」
指差した先には、一軒家の立ち並ぶ中でもひときわ違った雰囲気の住宅街に差し掛かったところの家だった。
洋風のつくりで頑丈そうな概観と、カーテンの向こう側から感じる暖かそうな明かりのついた家だ。
白色だった壁が灰色っぽくなって時折隣の部屋から妙な音が聞こえてくるような、耕助のアパートとは正反対だ。
人影が見えて、耕助が目を凝らしてみてみると、篤美のようだ。
耕助は一瞬足を止めた。
菜々美がふしぎそうな顔をしたので、しかたなくもう一度足を踏み出す。
まるで付き合っていることが彼女の親に知られると気まずい、と思っている彼氏の心境がよくわかる、などと考える。
結局家の前まで別れるタイミングもつかめないまま、送ってきてしまった。
「じゃぁ、そろそろ……」
そう言った瞬間に、玄関のドアが開いて、耕助はあせってバイクに跨る。
菜々美が大して気にもしないで、耕助の傍まで寄ってくる。
「また、バイクに乗せてね」
そうささやくと、急に頭を寄せてきて、ヘルメット越しの頬に触れるだけのキスをした。
驚いた耕助が横を向くとちょうど出てきた篤美が、固まっているのが見える。
狼狽えながらバイクのハンドルを握って、菜々美に「じゃぁ、また!」とだけ、別れの挨拶を告げると、一目散に走り出した。
片手を大きく振る菜々美と、駆け寄って何か問い詰めている篤美が、ミラー越しに小さく見えて、耕助は熱いままの頬を気にしながら、ヘルメット越しに何度もその辺りをさする。
もしかすると、本当に。
耕助はそこまでかんがえて、思いを振り切るようにスピードを上げて、夜の街中を妙な気持ちのまま走っていった。
「おいおい……」
第一親等だぞ。父親だぞ、実の娘だぞ。
俺は、あの子を抱っこした父親じゃないか、と耕助が思う時に。
原因ともいえよう菜々美は、問い詰める母親に笑いながら言う。
「ヘルメット越しだもの、きっとわかってないよ」
したかしてないかなんてね、と。
抱っことバイクの、ミスマッチな追いかけっこが始まったようだ。