ユエとライ
そこからは長く、音のない世界だった。
雪が多くを覆い隠してしまうからだ。
虎姿のシュエが、2匹の魔人を相手に戦った。
シュエはユエと一緒に過ごすうちに、高濃度魔素にさらされ続けて肉体が弱ると思われたが、自分の魔素耐性が上がっているのを感じていた。
虎姿で戦うことが苦ではなくなっていた。
ユエを妊娠中に、何度も魔素中毒で倒れていた。
ただ、それを誰にも言わなかった。
自分の子供の魔素が高濃度である場合に起きる中毒症状であることは分かっていた。
それは母親の命を奪う重大な症状であることも。
それが発覚すればティエンがシュエを選ぶことも。
シュエはどうしてもユエをあきらめたくなかった。
運命のようなものを感じていたからかもしれない。
いまならわかる。
ユエをあきらめていれば、ユエの片割れも死んでいた。
ユエは生きて、片割れを探さなければならない。
これは星に決められた運命なのだ。
「ユエ。ユエには必ず片割れがいるのよ。もしかしたら、ちょっと時間差があっていま生まれてるかも。でもユエが生きていることが片割れのいる証よ」
「ユエ。私ね、なんだかその片割れが、すごくあなたの大切な人になると思うの」
「ユエ。片割れと一生懸命生きてね。優しくしてあげて」
「ユエ。女の子には優しくするのよ。好きな子なら、大切に守ってあげてね」
「ユエ。片割れを探し続けて。きっと、出会えるから」
「ユエ。私のかわいい子。ティエンとそっくり。きっと強くなるわ」
ユエが眠る前にはシュエは必ずたくさんの話を聞かせてくれた。
ユエが言葉を忘れないように。
ユエがたくさんのことを覚えていられるように。
シュエは体中傷だらけにして血を流し、倒れて雪を溶かした。
魔人はシュエに殺されたわけではない。
シュエの攻撃によって、いくつかの体に巻き付けた呪いが壊れたのだ。
一体は内側から爆発するように膨れ上がって消えた。
一体は燃えた後の紙のようにぼろぼろになって消えた。
「・・・・・・・・・・・・ゆ・・え」
ユエはシュエに近づいた。
「・・・・・・・・・・生きて・・・・あいし・・・」
シュエの目から光がなくなった。
ユエは傍らに座って、シュエと血に染まった地面が雪に覆い隠されていくのを見守った。
自分の体にも雪は積もる。
体はガタガタ震える。
しかし、シュエは動かない。
シュエの体には雪が積もって、まるで白い虎のようだ。
自分にも雪は積もるが、体の熱で水になって滴っていく。
「にゃー」
ユエは呼びかけた。
「にゃー」
いつもはすぐに振り向いてくれるが、シュエはもう動かない。
ユエは知っている。
何度も獲物をとって生きていたのだ。
命が尽きる場面を、何度も何度も何度も見ている。
「にゃー」
ユエは最後に一言泣いて、シュエと向かうはずだったダンジョンに向かった。
そこからユエは何日も何日も、一人っきりでダンジョンを探検して、安全な場所を見つけた。
一人で獲物をとって、一人で寝て、一人で起きて、一人で食べて、一人で戦った。
ティエンとシュエが教えてくれた人の言葉が少し遠くなり始めた頃、ユエのダンジョンに人が踏み入るようになった。
「父さん、母さん。レンレンとランランがずっとぐずってる!」
「ははは。甘えてるんだよ。それはお腹が減ったのとは違う鳴き方だね」
「そうね。おしめじゃないし、二人ともお兄ちゃんに遊んでほしいのよ」
背中側とおなか側に赤ん坊を括り付けて抱いている少年が、ぶつぶつ文句を言いながら黒ヒョウの半獣人の赤ん坊をあやしていた。
「ライ。お兄ちゃん。いつもありがとうね。お陰でダンジョンの研究に戻れたわ」
にこにこする母親は、ライの頭をすりすり撫でて感謝した。
「そうだねぇ。母さんの復帰はだいぶ遅れると思っていたんだけど。ライが面倒を見ると言ってくれたおかげだよ」
「あんなに毎日悲しそうに父さんを送るんなら、俺が手伝ったほうがいいと思っただけだよ」
「優しいわ~。うちの子ほんとに優しいんだから!」
ぎゅうぎゅうとライに抱き着いて感謝を述べる母親。
何日かはその親子がキャンプしている近くに居たユエ。
親子の様子を見ては、同じように食べたり寝たり、起きて狩りをした。
親子はダンジョンの研究をしているようで、罠を紐解くのを楽しそうに行っていた。
どんどん地下に潜っていくが、戦闘能力は高く、だれも怪我をせずにどんどん進んでいく。
ユエも見ているのが楽しくて、一緒について行っていた。
そして、ここでもまた事件が起きた。
大きくダンジョンが揺れた。
立っていられないくらいの巨大な地震だ。
「ライ!!!」
母親が赤ん坊をいつものように抱きしめているライを突き飛ばした。
パニックになっていたライは、突き飛ばされるままに後ろの壁にぶつかった。
今日はたまたま双子を抱きしめていたため、二人にけがはない。
「かあさん?」
大きな音がしたあと、砂煙で視界を奪われた。
「かあさん?」
こわごわと声をかけるが、誰の声もしない。
「ふあああああん」
「にゃああああん」
双子の声がこだまする。
「母さん?父さん?」
どれだけ声をかけても、誰も返事をしない。
「母さん!!父さん!!」
先程まで開けた場所だったと思ったが、巨大な天井の岩が落ちていて、向こう側に行くことが出来なくなっていた。
「母さん!父さん!」
ライは大きな岩に縋りついて叫んだ。
「・・・ラ・・・イ」
「無事か?」
ライを心配する両親の声が小さく小さく聞こえた。
「無事!俺とレンレンとランランも怪我してない!」
「よかった・・・」
両親の声にも安心したが、心配なのは両親の方だ。
この岩の向こうでどうなっているんだ。
「父さんと母さんは?怪我してない?」
「ああ。俺はダメだな。母さんも、同じような状況だ」
「何言って・・・!!」
「ライ。いいから聞きなさい。レンレンとランランを連れて逃げるんだ。父さんたちを助ける必要はない」
「ど、どうして・・・」
「反論はいい。二次被害が出るかもしれない。今すぐダンジョンを出ろ。そして里のマリーナを頼るんだ」
「マリーナおばさん?」
「そうだ。マリーナがお前たちの後見をしてくれる」
「里まで・・・俺たちだけで・・・」
「できるな?」
「・・・・・・・・・・うん」
「ライ。愛してるわ。こんなこと頼んでごめんね」
「ライ。辛い思いさせてすまない。愛している」
「父さん。母さん。俺も愛しているよ」
「レンレンとランランにも、大きくなったら伝えてくれ。父さんも母さんもレンレンとランランを愛していたと」
「わかったよ」
「さあ、もう行って」
「食料や地図の入ったカバンの場所は分かるな?」
「うん」
ライはレンレンとランランを抱いて、荷物を持って、振り返った。
「父さん。母さん。愛してる」
もう二人の返事はなかった。
ライは歩いた。
レンレンとランランの世話をしながら歩いた。
地下から戦いながら歩いた。
食料の配分も、戦いの配分も、レンレンとランランをかばうことも、世話することも、すべて自分の采配で行わなければならない。
辛い。
何度も足が止まった。
レンレンとランランも雰囲気を感じ取っているのかあまり無茶な甘えはしない。
しかし、夜の見張りだけは何ともならない。
ライはなんとか起きて二人を寝かせて魔物からの襲撃に備えたが、そんなものが3日も4日も続くわけがない。
うとうとし始めた時、気が付いたら火のそばに虎の子供がいた。
「・・・魔物、じゃないのか?」
「にゃあ」
「猫族・・・か?」
「にゃあ」
目の下のクマが真っ黒になったころ、しゃがんだままうとうとしていたライは、そのままの姿勢で火のそばに寝そべる虎に話しかけた。
「火の番をして、魔物が・・・来たら、起こしてくれ・・・」
「にゃあ」
虎の子供の声を聞いていたら、目が閉じてしまった。
朝まで起きなかったライは、慌ててレンレンとランランの様子を見た。
続いて荷物の確認をした。
火は、小さくなっているが燃え続けていたようだ。
誰かが焚き木を足してくれている。
「夢じゃなかったのか・・・・?」
今はその虎がいた場所を見てもまったく跡形もない。
それからは夜になると子供の虎が現れて、夜の火の番をしてくれるようになった。
昼間はどこにいるのか知らない。
夜になると現れるようだ。
魔物ではない様だが、人の姿にはならない。
なにがなんだかわからないが、ライは夜安心して眠れるようになった。
食事を食べた後、虎の子供の分も残しておくと、朝にはなくなっている。
礼にはなっているようだ。




