ユエの白昼夢
ユエは泉のそばで濡れたまま大の字のまま目を閉じた。
気が付いていなかったが、シャオマオが初めてこの世界に来た時と同じようなポーズだ。
そして、眠ってしまった感覚はないのに自分の意識が遠のくのを感じた。
真っ白な部屋で、ユエは眠るとも、起きているともつかないような朦朧とした感覚で周りを見回した。
見たこともない部屋。
嗅いだことのない匂い。
聞いたことのない規則的な音。
魔石で灯した魔道具の明りとは違う照明。
(白いな)とぼんやり思った時に、虎の時に味わったあの体の痛みに気が付いた。
自分の体を高熱が襲っているのがわかる。
息が苦しく、空気が足りないと感じる。
(魔素が、薄い・・・?いや、ないのか?)
ユエはそんな場所を知らなかった。
体を動かそうとしたが、自分の体をたくさんの管が取り巻いているのに気が付いた。
視線を送ると先端には針がついていて、自分の体に何かを送り込んでいるようだ。
魔素がなくて苦しむことなんて、生まれてから一度もない。
息を吸い込もうとしたが、吸い込む力はない。
体を動かそうとしたが、細い体が鉛のように重く感じる。
動かす筋肉がないのだ。
この体はやけに細い。
そしてその薄くて細い体を、熱が内側からじわじわと焼いているような気がする。
「―さん。解熱剤を投与しましたので、少し様子を見ましょうね」
話している言葉がわからない。
でも、柔らかく、子供に話すように、安心するように、と見知らぬ女性が声をかけてくれたのはわかった。
額の汗を拭いてくれてる。
礼を言おうとしたが、声を出すことができない。
これ以上息を吸い込んだら、確実に咳が出て苦しむことになるとわかっているので、薄く、薄くしか呼吸をすることができなかった。
見知らぬ女性は部屋と同じように真っ白な服をきて、きれいに髪をまとめ上げていた。
にっこり微笑んでから、ユエの体の周りの道具を点検して部屋から出て行った。
静かだ。
何の物音もしない。
でも、部屋の外から声が聞こえる。
「―さんのご家族とは?」
「相変わらずよ。連絡がつかない」
「豪華な個室用意しても、一回もお見舞いに来ないなんて・・・」
声は何を言ってるのかわからなかったが、誰かと話しながら去っていった。
(ああ、これ、シャオマオの体だ)
ぼんやりとした意識の中で、ユエは気が付いた。
嗅いだことのないツンとした匂いの中に、ほんの少し嗅ぎ慣れたタオの実の香りがする。
(シャオマオ)
シャオマオは今のシャオマオになる前はもっと大人だったと言っていた。
年齢は大人かもしれないが、やせ細っていて、子供にも見える。
体がだめになったと言っていた。
数日でそうなったとは思えない。
ずっとずっと、小さなときからこのような苦しさを味わっていたのだろうと思う。
(この白い部屋で、ずっと過ごしていたんだろうか)
世話をしてくれる女性は優しくシャオマオに触れていたが、特別な間柄ではないようだった。
家族ではなく、医者か何かだろう。
清潔な部屋には生き物の気配がなにもない。
シャオマオの熱い呼吸だけが細く吐き出されている。
規則的な音がずっと続いているが、自分の呼吸がいつまで続くのかはわからない。
急に止まるかもしれない。
それを待っている気持ちもある。
「なあ虎よ。妖精を閉じ込めるのはここにまた戻すのと同じよ。かわいそうだろ?」
急に誰かに話しかけられた。
と思ったら、真っ白な何もない部屋にユエはユエとして立っていた。
本当に何もない。
床もない。天井もない。ただの白い空間だ。
誰もいないが声は聞こえる。
「さっきのシャオマオの口を借りた者か?」
「そうだ。あまりにもお前が似てるもので、懐かしかった」
声は少し嬉しそうだった。
「シャオマオを害するか?」
「とんでもない」
「シャオマオにとって悪いものではないか?」
「それは見る方向による」
「シャオマオを利用するつもりか?」
「そうだな」
「シャオマオが好きか?」
「もちろん」
ユエの質問に、声は嬉しそうに即答していく。
「シャオマオが別の星に生まれたのは何故だ」
「さあ。何故だろうな。星が決めたのだ」
「星が愛し子を魔素のない星に飛ばしたのは何故だ」
「それは・・・」
「ユエ」
シャオマオの声に、ユエは目を開けた。
仰向けの自分の目の前はさっきまでの白さがない。
満天の星が広がっている。
近づいてきたシャオマオを抱き寄せた。
「またきれいになった」
黒のワンピースはひざ丈で、足がいつもより見えてしまっている。
「ほかの人に見せないで」
ユエは素早く上半身を起こすと、自分の脱いでいた上着をシャオマオの膝にかけて足を隠してそのまま自分の膝の上に座らせた。
長くなった髪に唇を寄せて、シャオマオの桃色の瞳を覗き込む。
まだ子供ではあるが、整った顔は見惚れてしまうほどだ。
健康そうだ。4歳と言われれば納得できるくらいに大きくなっている。
「本当にきれいだ。俺の桃花」
「あ、ありがとう」
抱きしめたシャオマオの香りを吸い込んで、大きく息を吐き出した。
「シャオマオ。この星は好き?」
「うん。まだ見てないところもあるけど、ユエがいるここ、すきよ」
「俺がいなければ?」
「きっと探す。ユエに出会えるまでずっと」
「俺もきっと命が尽きるまで探す。そして、命が尽きたら別の星に生まれてまた見つかるまで探してた」
ユエの言葉に、シャオマオは少し昔を思い出した。
命が尽きたからここに来れた。
ユエがユエとして生きているこの星にちゃんと来ることができた。
そして、ユエにちゃんと見つけてもらえた。ついた途端に。
ユエと一緒にいると、やっと自分としての形がはっきりしたように感じられる。
「ユエ。ユエを安心させてあげられなくてごめんね」
「ううん。シャオマオを自由にさせてあげられなくてごめんね」
お互いに額をつけて謝る。
同じ魂が分かれて別の体を持ってしまった悲劇、ともいえるが、出会ってしまえば人生で最大の幸運だと感じる自分もいる。
ここまで愛おしいと思える存在に出会えるなんて。
「ねーねに、話し合いなさいって言われたの」
「そうだね」
「ユエ。シャオマオ、ずっと二人きりで生きてもいいよ」
「・・・シャオマオ」
「二人で誰にも会わないところまで行って、見つからないように隠れてみようか」
「いいの?」
「うん。ユエがそれで安心するならいいよ」
シャオマオはきれいな顔で笑って見せた。
「シャオマオはそれで幸せなの?」
「ユエが望むことを、シャオマオも叶えたいよ」
「そうか。ありがとう」
ユエはシャオマオをきゅっと抱きしめた。
「シャオマオ。たくさんのことを体験して、たくさんのことを感じて、たくさん愛するものを見つけて」
「ユエ」
「その中で、片割れという理由以上に、シャオマオに愛されるように努力するよ」
確かに、シャオマオはまだユエに恋をしているかと問われるとはっきりと「うん」と返事できない。
結婚しようと言われても、結婚に実感がないせいもあるかもしれない。
シャオマオになる前も、恋人もいなかったし、家庭も家族も縁遠かった。
そもそも友人と呼べる存在もいなかったのだ。
恋人として、家族として、ユエを愛してるかと問われれば、まだシャオマオには「恋」が足りなかった。
ユエはそのことをちゃんとわかっていた。
それが少しの隙間になって、ユエを不安にさせていたのかもしれない。
「シャオマオが死ぬまで一生俺は離れないんだから」
「う?」
「ん?シャオマオが誰を好きになろうと、俺は離れるつもりないよ?」
「う?そうなの?」
「そうだよ?」
何を当たり前のことを、と言わんばかりの顔でユエは微笑んだ。
「まあ他の誰かが近づく隙なんて与えないけど。俺の番に手を出そうなんて、ねえ?」
ふふふっと笑ったユエは、剣呑な雰囲気だ。
「ユエ。みんな仲良くしようね」
「わかってるよ」
遠くで二人の話し合いを見守っていたレンレンとランラン、ライの三人は
「ユエのあの独占欲は、もうどうにもならない」
と話し合って、諦めた。
事実、もうどうにもならないのだから。
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