犬も食わない
ドラム缶風呂はシャオマオのお気に入りの一つだ。
この夜のフロアの満天の星空の中で、薪の香りを堪能しながら入るのだ。
「シャオマオ、湯加減はどう?」
「ちょうどいいよ、ねーね」
小さめのドラム缶で、底上げしてあるのでシャオマオでも溺れたりしない。
ライたちは先に調査に来た時に、ダンジョンの地下10階まで探索したらしい。
このダンジョンがまだ10階までしか育っていなかったので、そこまでは調べて、いろんな拾い物をしてこの夜のフロアで落ち着くことに決めたらしい。
「シャオマオ、さっきの、聞いていい?」
「さっきの?」
「覚えてない?ユエと、ちょっと、言い合ったでしょ?」
「あう・・・」
「最後、何言ったか覚えてる?」
「・・・・・・ユエ、代わりいないの」
「・・・そうね。ユエはシャオマオの片割れだからね。二人で一人ね」
「れも、ユエは、シャオマオのこと信じてない」
シャオマオの大きな目から、一粒涙がころりと落ちてお湯に溶けた。
「シャオマオ、そんなことないよ。シャオマオが大事すぎて」
「れも、れも、シャオマオがいうこと、全然聞いてくれない!」
「シャオマオ。落ち着いて」
コロコロとシャオマオの涙はお湯に落ちていく。
空気が揺れる。
シャオマオの気持ちと同じように、空気が、不安定だ。波のように揺れる。
シャオマオは最後の一言を覚えていないが、あの声は間違いなく大きな力を秘めている。それは妖精の力だけではない気がする。
「シャオマオ。ダイジョブよ。落ち着いて」
「ユ、ユエは、シャオマオなの・・・ううっ」
「そうね、二人は同じ魂を分けてるよ」
「さみしい、気持ちが、ユエの中に、いっぱいで、ひっく」
シャオマオは、しゃくりあげても話すのをやめない。
どんどんあふれる気持ちを言葉にしないと心が満タンになって破れてしまいそうだ。
「シャオマオなの、さみしい、うう、気持ちいっぱい、ひっく」
「シャオマオには友達いっぱいよ?ねーねもにーにもいるよ?ダァーディーもパァパになったね」
「い、いちばん、ゆえ、と、ち、ち、ちかいハズなのに・・・ひっく。ゆ、えが、ううっ。遠い」
「・・・シャオマオ」
「ゆ、ゆえには、しゃおまおしかないって・・・」
「ユエは、シャオマオの片割れだけれど、二人は別々の体で、魂を分けてしまったよ」
「・・・・」
「シャオマオとユエは二人に分かれた時点で、さみしくて、かなしいよ。ずっと、足りない気持ちあるよ。でも、自分の目で自分の魂を見ることができるよ」
シャオマオはにっこりと微笑んでくれるランランを見つめて、言われた言葉を理解しようとした。
「自分のこと、嫌いになったり、自信を持ったり、好きになったり、わからなくなったり、みんなするよ。でも、シャオマオとユエは目の前にいる『自分』を見ることができて、触れ合えて、笑いあったり、ケンカしたりしながら話し合って、お互いを理解できるよ。シャオマオが好きになったものをユエも好きになって、もっと二人の世界が広がるよ」
「ねーね、にーにと、ひっく。ケンカする?」
「する!毎日する!仲直りもすぐよ!」
「ほんと?」
「うふふ。せっかく『きれいなユエ』と出会ったんだから、ゆっくり二人の『さみしい』を埋めていけばいいよ。シャオマオとユエは、同じだけど、別々の違う二人よ。言葉がいる」
「あい・・・」
ドラム缶風呂の中に手を突っ込んでシャオマオを地面に立たせてタオルに包む。
「ユエはね、ずっとさみしいさみしいっていってね、ずっとシャオマオに会うのを待ってたの」
「あい」
「だから、浮かれてるのよ」
「うかれてる?」
「そ。やっと自分の片割れが見つかって、それが女の子で、しかも可愛くて、きれいで、みんなも好きになるからどうしていいのかわからないのよ。子供と一緒」
「う?ユエ、にじゅうーにー。おとな」
「年だけ重ねてても、中身は子供よ。みんなに取られないように、必死になって自分がずっと一番でいようと思ってるのよ」
「ユエは、誰にも比べられないのよ?」
「うん。みんなそう思ってる。片割れってそういうもんだと思ってるね。ユエはシャオマオに、恋してるのよ」
「恋!」
シャオマオの顔がお風呂上り以上に赤くなった。
「シャオマオが素敵な女の子だから、誰にもとられないように必死。見てて恥ずかしい」
「う?」
「素敵な女の子よ、シャオマオは。大丈夫。鏡見てごらん」
タオルを巻きつけた姿のまま、シャオマオはランランの差し出した鏡を覗き込んだ。
「あ」
「ほら、素敵な女の子よ」
シャオマオの姿がさっきまでの3歳児から成長している。
この世界に来た時の、4歳の姿でもない。もう少し成長しているように見える。
「シャオマオが急に大きくなったり小さくなったりしてももうびっくりしないよ」
こういう時のために、シャオマオの服はいろんなサイズで用意されている。
そもそも「大きくなるために来た」のだから、ちゃんと大きくなるのに備えてる。
テントに潜ったランランが、シャオマオの着替えをあーでもない、こーでもないとひっくり返す。
「うーん。どの服にしようか?」
「・・・・かわいいの、着たい」
「シャオマオは何着ても可愛いよ」
タオルをかぶって顔を赤くしながら小さな声で要求するシャオマオは本当にかわいい。
「このぶんだと、シャオマオの方がユエより大人になるの早いかもしれないよ」
広げられた黒のワンピースを選んで、シャオマオはぎゅっと服を抱きしめた。
「シャオマオ、ユエの横にいていいかしら」
「シャオマオ以外の誰も、ユエの隣に立てないよ」
ランランはシャオマオの髪をポンポンとタオルで叩いて乾かしてくれる。
「だから自信もって」
「ありがとう、ねーね」
「ちょっと赤ちゃん言葉、でなくなってしまったね。残念よ」
本当に残念そうに、ランランが笑う。
ユエは、一人、泉のそばで大の字になって天を仰いでいた。
シャオマオがランランと去ってしまった後、シャオマオの中にいた「何か」についてはみんなあれ以上のことは話さなかった。
自分たちの理の外にいるものだということだけは分かった。
そして、ユエはライとサリフェルシェリとダァーディーに怒られた。
いつも言われることは同じだ。
「妖精を独り占めするな」
「妖精を自由にさせろ」
「妖精はお前だけのものではない」
わかっている。
ユエはそんなことは理解している。
でも、違う。
ユエは「妖精」を恋しく思っているわけではない。
自分と魂を分け合った片割れだから。
それだけでもない。
片割れとして現れた女の子が、自分の体を人の形にしてくれたから。
虎として生きていた自分を人にしてくれたから。
それだけでもない。
生まれて初めての、「自分のもの」に感動した。
ユエは何も持っていなかった。
自分のものは、自分の肉体のみで、なにも。
でも、片割れは違った。
この世のすべての美しいものを集めて作ったような魂だった。
きらきらと何よりも輝いていて、燃えさかる火のような魂だった。
それが、目の前に現れただけで自分の体を苛んでいた魔力の塊を霧散させた。
幼気で、まじめで、かわいくて、素直で、すべすべで、触り心地がよくて、タオの実のいい香りがして、笑顔がまぶしくて、一生懸命で。柔らかい髪は素直にユエのいうことをきく。
気分がよくなって歌う声がすきだ。
名前を呼んでくれる声が好きだ。
見つめてくれる桃色の目が好きだ。
甘えてわがままを言う口が好きだ。
一生懸命に人の言うことを聞こうとする姿勢が好きだ。
自分にはわからない言葉を話しているところが好きだ。
手を差し出せば、抱き上げられると思って脱力するところが好きだ。
美味しいものを食べて、うっとりと目を細めるところが好きだ。
安心して、一緒に寝てくれるところが好きだ。
虎の姿のときに、ブラシを一生懸命掛けてくれるのが好きだ。
拗ねて、口をとがらせるところが好きだ。
シャオマオの頭の先からつま先まで、内面もすべて、嫌いなところが見当たらない。
初めて天から与えられた「自分のもの」がこんなに素敵な女の子の形をしているのだ。
好きにならないわけがない。
番だと決めた。
自分の心が、魂が、全部が全部、シャオマオを自分の番として認識している。
もう、誰にも触れられないように、誰にも見られないように、誰にも話しかけられないように、食べて自分の腹に収めてしまったらいいのではないかと思ってしまうことがある。
でも、自分を見てくれる瞳を、名前を呼んでくれる口を、体に触ってくれる手を失いたくない。
大人になったシャオマオを見たい。
自分を番として認識してほしい。
こんなに素敵な女の子を、誰もが好きになるに決まっている。
いろんな気持ちがぐちゃぐちゃになって、どうしても感情のコントロールが利かなくなる時がある。
「ああ・・・・・・・。好きだ」
ユエは基本、シャオマオのことしか考えてません。




