めざめた二人
「誰かいるか?!」
ライが走って狼の里に向かうと、むうっとした魔素圧力が体に纏わりつくような異様な空間が広がっていた。まるで灼熱の太陽に照らされているように、浴びるだけで体力がそがれる。
「ライ殿!神殿へ」
「わかった」
入り口近くを歩いていた半獣姿の犬獣人に招かれて神殿と呼ばれる場所へ向かうと、体に纏わりついていた魔素がふっと和らぐ。
避難場所になっている神殿には、子供や年寄りが身を寄せ合っている。
「魔道具が作動しているので外よりも体が楽だと思います」
「ああ。ありがとう」
水を出してもらい、一気に飲み干した。
「ライ殿。すみません。妖精様とユエ殿が・・・」
「勝手に出ていくわけないし、あなたたちも二人を放置していたわけではないはずだ」
シャオマオのことだから、出かけるときにはきちんと挨拶するか置手紙をするはずだ。家じゃないんだから。自分がどういう立場なのか、あの子はちゃんと理解している。
「ええ。それはもちろんです」
「二人がいなくなった時の様子と、今の状況を教えてもらえますか?」
「わかりました」
差し出された二杯目の水を飲み干して、ライは口元を手で乱暴に拭った。
移動したライは二人が寝ていたというユエの部屋に立ち入った。
布団にはユエが寝ていて、横の座布団には最初シャオマオが座っていたが、しばらくして様子を見に行くとシャオマオは座布団を枕に眠っていたのだという。確認したものは起こすのはかわいそうだし、食事の時間まであと少しだからと肌掛けをかけたとのことだった。
ユエの寝ていた布団は乱れている。
シャオマオの座布団はある。でも肌掛けはない。
「小さな地震があって、二人の部屋へ駆けつけると二人ともいなくなっておりました。物は肌掛けだけなくなっていたそうです」
「シャオマオちゃんにかけたまま連れ去った?いや、出て行った・・・?」
「3人の『影』と呼ばれるものがこの部屋を見守り、妖精様をお守りしておりました。部屋の出入りはありませんでした」
犬族の『影』。聞いたことがある。
本当に認められた実力のある者たちが集められ、ラーラたち犬族の戦士とはまた違った里長の持ち物なのらしい。
「影を撒いて本人たちの意思で出かけたわけでもなさそうなんだよな」
「どうしてですか?」
「あのユエが出かけるときに自分の服を貸しても、自分の匂いが付いてない肌掛けをかけたままシャオマオちゃんを連れ出すと思えないんだよね」
「番に対してだと思えば、そうですね」
「・・・これ、花?」
「どれですか?」
「ほら、これ。花びら?」
ユエの布団をめくったところに、白の花びらが落ちていた。
「菊・・・ですかね?」
スンスンと匂いを確かめる。すこし萎れてて匂いは薄くなっている。
「そこかしこに咲いてる花か?」
「いいえ、他の色はこの辺りにも咲きますが、白は・・・聖地の岩の周りに咲いてます」
「あの里から離れた広場か」
「いま、里の男たちが聖地に向かっています。この魔素の出どころもそこです」
「わかった。俺も向かうよ」
「案内します」
「いや、俺は速い。一人で向かうよ」
「犬族よりも足が速いと?」
「勝負するかい?」
ライがにたりと牙を出して笑う。
「う・・・?」
「ミーシャ!」
「ミーシャ!」
ミーシャが目を開けると、左右から抱きしめられた。
「父さん。母さん・・・」
しばらくしてから視界がはっきりする。自分を抱きしめてるのは両親だ。
「ミーシャ!頑張ったね!」
ニーカが泣きながら抱きしめる。
「ミーシャ」
「サリー先生・・・」
手に盆を持ったサリフェルシェリは、目を覚ましたらしいミーシャの顔をみてほっとした顔をした。
ミーシャの顔色は赤みがさしてよくなっている。ここに運び込まれたときは血の気が失せて白かった。
あまりにも生命反応が弱くなっていたために、両親を呼び出したのだ。
ミーシャのリューは入り口の近くまで姿を保ったままだったが、最後まではミーシャの意識が持たずにエルフの大森林の入り口近くの木にぶつかるようにして姿を消した。
そして、ミーシャを抱いて走ろうとしたサリフェルシェリを助けに来てくれたのがハリスラメーヤとシルヴェルヤーナの姉弟だった。二人は外の魔素の動きに敏感に反応して、異変がありそうなところを重点的に見張っていたというのだ。
魔素の動きに敏感だった二人のお陰でもうエルフの大森林は武装を終えているという。
「よかった。魔素酔いの薬が効いたようです。気分は?どこか痛いところは?」
「大丈夫、です。しいていえば、のどが、乾いて・・・」
きょろきょろするミーシャはここがあまり見たことのない場所だと思ったのかもしれない。少し不安そうだ。
「では、この水と薬を飲みましょう。体内魔素が外部から叩かれてバランスを崩して揺らいでいます」
「例の、薬ですね・・・」
くすっと笑ったミーシャ。
あの泥の薬を最近よく飲んでいる。それだけ危ない目にあっているということだ。
サリフェルシェリから薬を受け取ったチェキータが、スプーンの泥(薬)をミーシャの口に入れる。
味は美味しいのだ。味は。息を鼻でしないよう水で飲みこむ。
「ミーシャ。このまましばらくここで療養です」
「ここは、エルフの大森林ですか?」
「そうです。しばらくは魔素の影響が大きいと思います。大きな避難が始まるまではここで療養を」
「・・・大きな避難?やはり魔素が漏れ出ているんですか?」
「目に見えて狼の里から高濃度魔素が流れているのは確かです」
「シャオマオ!!」
「こらミーシャ!」
立ち上がろうとしたミーシャをニーカが取り押さえる。
「まだ薬を飲んでいるような状況で、何しようってのさ」
「妖精様にはユエやライが一緒にいるんだろう?」
ニーカとチェキータがミーシャが行くことないと止める。
「そのシャオマオがいま行方不明なんだ・・・ユエ先生と」
「なんだって!?」
「妖精様!」
今度はニーカとチェキータが立ち上がろうとするのをサリフェルシェリが抑える。
「二人が行ってもできることはありません!!」
二人はミーシャよりもよっぽど魔素に弱い。身を危険にさらしても、本当にできることは限られているだろう。
しかし、妖精様のこととなると動きたくなるのがこの星の住人だ。
「だって、サリフェルシェリ。ユエが妖精様から離れるなんて、絶対あり得ないんだから。それなのに行方知れずって・・・ユエを連れて妖精様を攫うなんて・・・あり得ないよ」
「妖精様が行き先を言わずに出かけるなんてありえない。あの品行方正で思いやりのある妖精様が人が心配することを考えないわけがないんだから」
二人はあわあわと口々に「あり得ない」を繰り返している。
それくらい、ユエやライというのは妖精様にとって、鉄壁の守りだったのだ。妖精様の保護者として二人が選ばれたのも、二人の力が飛びぬけて強いというのもあった。
「いまはユエがシャオマオ様と一緒に攫われた可能性が高い、という段階ですが、二人一緒なのですからきっとユエはシャオマオ様を守ります。それこそ命を賭けて」
サリフェルシェリは確信している。必ずユエがシャオマオ様を守る、と。
「大精霊『光』」
シャオマオの呼びかけに、大精霊は花園を照らした。
何故だか二人のいた場所は血が染みていると思っていたが、きれいなままだった。
そういえば、いつの間にか二人の服もきれいになっている。
本当に気づかないうちにいろいろ変わっているのだろう。シャオマオはふと自分の手首を見た。
(よかった・・・。傷ない)
傷があってもシャオマオは気にしないが、ユエが悲しむ。ライだって。みんなみんなシャオマオを好きでいてくれる人はシャオマオが怪我をするのをとても怖がっている。だからシャオマオは怪我をしないようにしている。
「シャオマオ」
ユエがさっと手を出してきたので条件反射で手を差し出した。
「自分で傷つけた?」
「・・・う」
言葉に詰まる。
「シャオマオの血の匂いがしたよ。どこか傷をつけた?それとも、つけられた?」
「じ、自分でつけたの!自分でしたから・・・あの。ごめん、なさい」
さっき、シャオマオが手首を見てほっとしているのを見られていたんだろう。ユエは表も裏も、念入りにシャオマオの手を確認する。
「シャオマオに俺のナイフの場所を覚えられていたなんてびっくりだ」
「シャオマオだって、ユエのこと見てるもん。ごめんね。勝手に使って・・・」
「俺のものはシャオマオのものだから何を使ってもいいけど、俺のナイフがシャオマオを傷つけたなんて許せないな」
「そのおかげでシャオマオはユエを失わずに済んだの。シャオマオったらそれが一番大事なことなの」
自分の命を分けるくらい、シャオマオはユエが大事だ。
みんなを悲しませるのは分かっていたが、シャオマオはどうしてもユエを手放せなかった。
そう思うと「そうすること」はとても自然なことに思えたのだ。
「俺のお姫様。今回だけだ。必ず俺はシャオマオを守るから。傷をつけるようなことは今回だけだ」
シャオマオが付けた傷はもう治って痕もないくらいだったのに、ユエは正確にそこを見つけて口づけをした。
「・・・ユエ。王子様ね」
「?」
「シャオマオがお姫様だったら、ユエは王子様なの」
真っ赤になったシャオマオがため息交じりにいうと、ユエも少し目元を赤くして微笑んだ。
「シャオマオと一緒にいられるなら何でも嬉しい」
「シャオマオも、ユエと居られるなら妖精じゃなくてもいい。なんでもいい」
二人は深く抱擁を交わした。




