ユエとシャオマオ。また落ちる。
ユエが目を覚ました。
「・・・・・・・・・」
周りを見渡せばランプの光がほのかに揺らめく寝室だった。
布団から体を起こす。
すぐそばで小さな寝息が聞こえる。
「シャオマオ・・・。体が痛くなってしまうよ」
座布団というクッションを枕に、ユエの看病をしているうちに眠ってしまったのだろう。畳の上ですよすよと眠っている。
体にはタオルケットがかけられているのでシャオマオが放っておかれたわけではないとわかってほっとする。
タオルケットでシャオマオを包んで抱き上げて、自分の懐に入れてくんくん匂いを嗅いでみる。
この香りは番のユエだけが強く感じる香りなんだと思うと、心がはねる。
タオの実の園から現れた天女かと見紛う美しき顔。
ふさふさのまつ毛が閉じられているのが残念だ。いつまででもシャオマオを見つめていたい。しかし、見つめられるとそわそわする。あの美しい瞳に囚われるような気になってしまう。
とっくに囚われているのだから気にしなくともいいのに。もっとがんじがらめになってしまいたいという気持ちもあるのに。いっそのことシャオマオに取り込まれて一つになりたいと思っているのに。
この姿になったシャオマオには、自分の気持ちを素直にぶつけることが出来なくなってしまった。
ユエは今の気持ちを持て余している。
(どうしたことだ・・・)
ユエはこんなに自分の気持ちがねじ曲がっていることが理解できなかった。
シャオマオの頭に頬を摺り寄せて匂い付けをする。
自分にシャオマオの匂いが付くのが大好きだ。安心する。シャオマオが自分の腕の中にいることがすべてだ。
シャオマオが自分と並ぶくらいの見た目になった途端に心がねじ曲がってしまった。
素直に自分の気持ちを表現できなくなったのが不思議でしょうがない。
シャオマオの一挙手一投足が、以前よりもユエに衝撃を与えるのだ。
今までもシャオマオを大事に大切に愛していたのに、今のシャオマオは瞬き一つでユエの気持ちをパンクさせる。
「はあ。シャオマオ。大好きだよ。愛してる」
丸いおでこにちゅうと口づけする。
「シャオマオも。ユエ好きよ」
「!!」
「びっくりした?」
「・・・・・寝てるかと・・・」
ユエが真っ赤になっている姿を見てシャオマオはそわそわする。
ユエはいつもシャオマオをドキドキさせても余裕だった。
それが逆転しているかと思うと、シャオマオはそわそわするとともにうきうきした。
「ユエ。シャオマオの名前呼んで」
「桃花・・・」
「うん。月。桃花の月」
「愛してる、桃花」
「愛してる、月」
二人の顔が近づいた途端、
ぐらり
地面が揺れた。
「桃花!!」
「どうして?!飛べない」
信じられないことに二人の足元には地面が無くなり、急激な浮遊感とともに暗黒の地下へと落ちていく。
でも二人だ。
絶対に離れない。
ユエはシャオマオを失わないように落下しながらも強く抱きしめた。
「シャオマオ様!」
「妖精様!ユエ殿!」
ベラとラーラが二人が眠る部屋に入った時にはそこはもぬけの殻だった。
「シャオマオ様にかけていた肌掛けが無くなっています」
「ベラ、ばあ様に報告を」
「はい」
ベラは里長の所へ走っていった。
狼の里にある温泉はシャオマオのお気に入りだった。
掃除が終わり、湯が溜まったので案内しようとしたところ、ユエの部屋から急速な魔素の高まりを感じたので走って部屋に飛び込んだ。
「・・・ユエ殿が意図的にやったことではあるまい」
ユエが以前は高濃度魔素をまき散らしていたことはラーラも知っていたが、今ではシャオマオのお陰で無意識に魔素を動かしてしまうことがなくなっている。
シャオマオを連れて逃げる理由もない。
散歩というにはあまりにも不自然だ。
ユエの布団はまだ暖かい。
「ラーラ!この部屋の守りについていたものは、誰もユエ殿と妖精様が部屋から出たのを見ておりません」
「そうか。この狼の里から妖精様を連れ出すとは・・・・」
ラーラの沸々とした怒りに外から部屋の守りをしていた青年はガタガタと震えた。
「早急にギルドにいるライ殿へこのことを報告せよ」
「はっ!」
「ラーラ!どういうこと?!」
「ばあ様、妖精様とユエ殿が攫われた」
「この里に不届き者が侵入していると?」
「いや、魔素濃度が一瞬高まった」
「お前とベラだけが気づいた?」
「そうだ。俺は気づいた」
「そんな些細な魔素でシャオマオ様を攫うような何かを・・・?」
「ばあ様。兎に角このことはライ殿やサリフェルシェリ殿に連絡した。匂いで二人を追えない以上は通常の誘拐や二人でどこかへ逃げたということもあるまい」
「せっかく妖精様がこの里に滞在してくださっているというに・・・・何者にも邪魔されぬようにと厳命したであろう!ラーラ!!」
閉じた扇でラーラの頭をぴしゃりと打つ里長。
「イタタ、やめてくださいばあ様」
「どういうことよ!シャオマオ様はどこいったの!!!」
「里長、今はラーラを責めてもしょうがありません。ライ殿たちが戻ってくる前に現場検証をしましょう」
ベラがクリスを押さえてラーラを殴るのをやめさせる。
クリスの血圧が上がって倒れられたら面倒だ。
「ああ・・・シャオマオ様。ユエ殿も一緒にいたのに攫われるなどということがあるのか・・?」
よよよと袖口で涙をふく真似をする里長。
そうだ。ユエが一緒にいて、簡単に声も出さずに一瞬で攫われるようなことがあるのだろうか。
脅されたわけではあるまい。
「・・・・・・大神様」
ラーラの眼光が鋭くなった。
「ユエ。もう降ろして大丈夫よ」
「暗いこんなところを裸足で歩かせるわけにいかないよ」
ユエはシャオマオを肌掛けで包んだまま、抱き上げて歩いている。
兎に角、空気の流れてくる方向へと暗闇を歩いているが、それが正解かどうかはわからない。
「ユエったらこの暗いのに足元見えてるの?」
「全くの光がない状態じゃないからね。見えてるね」
すたすたと歩くスピードはしっかりと速い。
「お花の匂い・・・?」
「シャオマオにも感じた?」
「うん。すごくたくさんのみずみずしい香りがする」
「そうだね。ちょっと鼻が痛いくらいだ」
風に乗ってシャオマオにはかすかに香る程度だが、ユエには強烈に香るようだ。
くしょんっと可愛くくしゃみをした。
シャオマオは遠くに光を見つけた。
「ユエ。歩いて正解ね。光が見えてきた」
「あっちにむかっていいかな?」
「うん。悪い感じしないの」
しばらく歩くとぽっかりと開けた空間に出た。
地面はお花の絨毯のように色とりどりの花でいっぱいだ。
踏みつけてもいいものだろうかと少々気が引ける。
遠くに天井を支えるかのように黒光りする岩が見える。
シャオマオが大好きな星のおへそと同じ岩だ。
その近くに、背を預けて寝ている人影が見えた。
「・・・・・銀?」
銀髪を長く垂らしている姿は銀そのままだ。
「銀!!」
「シャオマオ!」
銀を見つけて走り出そうとするシャオマオを止めようとしたが、シャオマオは飛んで行ってしまった。
ユエはこの場所の雰囲気を敏感に感じ取っている。
シャオマオに対する悪意はない。
少し油断したために手をつかみ損ねた。
「銀!」
シャオマオは銀の傍らに座って、銀の肩に手を置こうとして引っ込めた。
「・・・?銀じゃない」
「銀狼じゃない?」
「うん。このこ、銀じゃないの」
しょんぼりしたシャオマオに、ユエが「銀の器か」と呟いた。
見た目は何度か見た銀狼とそっくりだが、金狼に作られた欠片を入れるための器だ。
(金狼はこれに愛されて嬉しいのか?)
ユエはシャオマオが大好きだ。
シャオマオが心変わりをしたら、シャオマオとそっくりなものを作ってしまおうと考えるだろうか?
とても不思議な感じだ。
そんなこと考えることじゃない。
シャオマオがいい。
どんな心を持っていても、シャオマオがいい。自分と魂を分けた片割れ。
シャオマオ以上にユエを喜ばせるものはないのだから。
シャオマオが心変わりをすればユエが死ねばいい。
それはユエには終わりの合図だからだ。
「・・・銀」
シャオマオが銀の器の頬をツンツンとつついた。
起きても起きなくてもいいと思っているようなおこしかただった。
「銀。起きれそう?」
ツンツンつついているシャオマオの指を、銀の器は目を開けないまま口に咥えた。
「きゃあ」
「噛まれた?」
「ううん。ちゅーちゅーしてる。赤ちゃんみたい」
反対の手で銀の器の頬を撫でてあげる。
ちゅぽっと口から指を離すと、眠そうな銀の器が目を覚ました。
「銀。起きたね」
銀は目を細めてシャオマオの胸に飛び込んで、ぐりぐりと頭を擦り付ける。
「シャオマオから離れろ」
「いいのよ。甘えてくれてるみたい。まだ赤ちゃんなんだよ」
シャオマオから引き離そうとしたユエの手が行き場を失う。
「おなか減ってるのかなぁ?」
シャオマオがポケットからユエに分けようと思っていたドーナツを取り出した。
「食べてみる?」
こくっと頷いた銀の器はシャオマオの手からドーナツを一口食べて、ニコッと笑った。
「銀にそっくり・・・」
二口目を食べようとしたところで、銀の器はシャオマオをぐいっと押した。
そして、魔素の壁を作ってユエとシャオマオを閉じ込める。
二人が黒い岩の影に隠れるように銀の器は移動して、座り直す。
「銀。こちらに誰か来なかったか?」
程なくしてやってきた金狼が銀を見つけて笑顔で尋ねた。
銀の器はうんともすんとも言わない。
「来たなら教えてくれ。関わってはいけないよ。私が潰すからね」
にこりと笑っているが、内容は非常に物騒だった。




