雛子の魂
「目をつぶっていてもこんなにかわいいなんて、罪だ」
うっとりと見惚れる美しい獣。
「早く目覚めてほしい。少しだけ見たんだ。シャオマオの瞳は髪と同じでタオの実色だった」
うるうると機嫌よさそうに喉を鳴らすユエ。
「早くこの可愛い口で俺の名前を呼んでくれないだろうか。どんな可愛い声だろう」
虎姿のユエはスンスンとシャオマオの首のあたりの香りを嗅いだ。
「ああ。ちゃんと胸が上下してる。息をしているんだ。俺の片割れ。俺の番。かわいい」
自分の口ひげを微かに揺らすシャオマオの寝息がかわいいのだ。
シャオマオの顎のあたりをちょっとだけ舐める。
甘い。なんて甘いんだ。
初めて食べたタオの実の甘さにも驚いたが、それくらい甘い。
俺のシャオマオはタオの実の精霊だったのだろうか?とちょっと考えて首を傾げた。
体温もほんのり暖かくて可愛い。
耳の形も可愛い。
ふさふさのまつ毛がくるりとしているところも可愛い。
どれだけ見ていても飽きない。
たまーに鼻がぷうぷういうのなんて可愛すぎる。
風が吹いて髪がさらりと流れる様子はすべてが輝いて見える。
ほんの少し身じろぎしただけで雷が落ちたかのような衝撃を受けた。
こんなにかわいいものを俺の下に贈ってくれた神に感謝する。
今まで神なんて信じたことがなかったけれど、これが運命だというなら感謝しかない。
「息するのも忘れるくらい、ずっとお前のことを見ていたんだ」
何度か食事をしろ、水を飲めとライに怒られたが、空腹ものどの渇きも肉体の苦痛でしかない。
魂が欠けていた苦痛に比べれば気にならない程度ですぐ忘れてしまう。
それよりも、シャオマオがそこにいるのに目を離すことの方が苦痛だ。
シャオマオが目を開いた瞬間が見たい。
どんな顔をして自分を見てくれるのかと考えるだけで胸が高鳴る。
きれいでかわいくて素敵でふわふわで小さくてキラキラしていて上等の、ユエだけの片割れ。ユエの番。
なんてすばらしい贈り物なんだ。
シャオマオを抱いているだけでいままでの苦痛に満ちた人生が一瞬にして報われた。
気を抜くと泣いてしまいそうだ。
ユエは人生で初めて安らかな眠りというものを手に入れた。
「シャオマオ・・・」
目の前にいるシャオマオを抱きしめようとして、ユエは夢から覚めた。
上げた手は当然何もつかめなかった。
「ユエ。起きたか?携帯食ちょっと食べたほうがいいよ」
むなしく手を下ろしたところでレンレンに声をかけられた。
レンレンは高カロリーに固められた携帯食のナッツバーをユエに渡したが、ユエは仰向けで呆然としたまま空を見つめていた。
「・・・・・ここは?」
「え?もしかして何も覚えてないの?ダリア姫に連れて行ってもらってるところだよ、シャオマオのいるところに」
「シャオマオ!」
シャオマオの一言でユエは覚醒して上半身を起こした。
全く揺れていないので、ここが高速で飛ぶドラゴン、ダリア姫の背中の上だということもすっかり忘れていた。
「ユエは寝てばかりだったから、状況がきちんと把握できてないね。レンレンとランランで一生懸命説明するよ」
ランランは水筒の水を一口飲んでから、ナッツバーをがっつくユエに渡した。
レンレンとランランの話は覚えているところもあったが、ほとんど初めて聞くような気持ちになった。
ただ、シャオマオがそばにいないということで、ユエは息がうまくできない。
こんなに心臓は大きく動いていただろうか。
息は意識しなければ吸えなかっただろうか。
ホトホトと涙があとからあとからこぼれてくる。
「シャオマオ・・・どこに行ってしまったんだ・・・」
「ユエは自分の魔素器官のこと、どのくらい把握してるね?」
「ちょ!ランラン!?」
「レンレン。こういうのは早めに確認するね」
「デリカシー。女の子なんだからデリカシーって言葉覚えてよ!」
「男の子なんだから、単刀直入、前置き無しで腹割って話すの大事よ?」
ひそひそ声で言い合いする双子。
「ユエ。お前の魔素器官はいま完全だ。シャオマオちゃんに依存しないで生きている」
サンドイッチを咀嚼しながら、ライがユエに話しかけた。
「・・・?」
「感じないか?」
「わから、ない」
「そうか。サリフェルシェリの見立てだから間違いない。シャオマオちゃんはお前の枷を一つ外したな」
ユエはじっと自分の胸元を見つめている。
「枷」
「そうだ。お前とシャオマオちゃんの間にはたくさんあったが、まずは魔素器官の依存が無くなった。お前はシャオマオちゃんがいなくても生きていける」
浄化した魔素を体内に巡らせる。汚染された魔素を体外へ出す。それがユエの体だけで他の人と同じようにできるようになっている。
それが出来たから、シャオマオは一人でどこかへ行ってしまったのだろうか?
一人で生きられるからとユエを一人ぼっちにしようとしたんだろうか?
生きられるわけがない。
生きられるわけがないのだ。
例え魔素器官の依存がなくなったとしても、シャオマオはユエの番だ。
番と、シャオマオと出会ってしまったからにはもうユエはシャオマオの物で、シャオマオはユエの物だ。
「・・・桃花・・・」
ユエは瞳を閉じたがあとからあとから涙が流れた。
「シャオマオ。これから最後の欠片の回収に行くぞ」
「最後?もう他の欠片は回収しちゃったの?」
「うむ。何故か欠片はこの星で定着しにくかったようだ。人生を終える前に欠片が人の魂から勝手に離れることもあった。私はその欠片の人生をひとつずつ確認して楽しんでおったのだがな」
持っている欠片の力を使い果たせば人生を終える前に離れることもあるようだ。
例えば大きな交通事故にあってぎりぎりで助かった、なんて時には欠片が使い果たされたようだ。使われた欠片は最期を迎えた魂のように、自動的に銀の所へ帰ってくる。
「最後の欠片の持ち主はな、たった90年しか生きられなかったのだが、一族みんなに愛されて寿命を終えるらしい」
「たった」
「うむ。この星の中では長生きしている方みたいだがなぁ。90年で老いて死んでしまうのは早いなぁ」
うーんと考え込んでいる銀。
たった90年ということは、銀の星では違うということだ。
「銀の星の人ってみんなどれくらい生きるの?」
「ん?種族がたくさんおるから難しいが、一番寿命が短い人族でも150年は生きるな」
「150年!?」
初めて知った事実に、シャオマオは目を丸くした。
「うむ。エルフが力を貸しておったろ?そのおかげで病で死ぬものも少なくなったしな。だいだいそれくらいは生きる」
エリティファリスのお陰で人族も確実に寿命を延ばしたということだ。
「獣人は?」
「獣人は種族によって違うし、個体の強さにもよるからなぁ。お前の虎のように完全獣体になれるものなら300から400年くらいか?いや、もしかすると500年は生きるかもしれんな」
「ご!ごひゃく!?」
あまりの人生の長さに驚いて、声がひっくり返ってしまった。
「それくらい体内をめぐる魔素は我らの星では大事なのだ。それを自由に扱う妖精よ。シャオマオはどれくらい長生きできるかな?」
にこにこと笑う銀に、気が遠くなるシャオマオだった。
「さて、最後の欠片だ」
宇宙から地球を見ている映像そのままの場所から、地図アプリのようにきゅうきゅうと拡大していくと家族に囲まれた黒人女性のベッドルームにたどり着く。
最期の瞬間に胸元からきらきらと輝く小さな欠片が浮かび上がって、銀の所へすすすっと近づいてきた。
「おお。なんという幸せな人生だろうか。満足しているんだな」
チカチカと輝く欠片を手に握った銀が嬉しそうに言う。
ベッドを囲む人たちは悲しそうだが、半面嬉しそうでもある。「大往生」とはこういう時につかう言葉なのだろうなと思わせるような病も苦しみもない穏やかな旅立ちであった。
「では、シャオマオ。私の星への案内を頼んでもいいかな?」
「うん。一緒に帰ろうね」
シャオマオは屋根の上で銀の手を握り、体が変化するのを感じた。
髪はタオの実色のままじわじわと腰まで伸びた。
同じ色の毛の長い尾がふさふさふわふわと地面まで伸びる。
耳はエルフのようにとがり耳になった。
背は以前の雛子だった頃まで伸びた。
しなやかな四肢に美しい毛並みの尾。つやつやの髪。染み一つない肌。美しい顔。
妖精として成長したシャオマオは銀狼を連れて空へと飛んだ。
銀狼とシャオマオが持っている欠片は、金狼に奪われたことでずいぶんと少なくなっている。
今回集めきった欠片が銀狼の最後の力である。
当然、銀狼は星に帰る道がないため自力で星に帰ることが出来ない。
そこでシャオマオが雛子の魂を使って迎えに来たのである。
シャオマオは雛子の魂で地球へと戻り、妖精の魂で星へと帰るのだ。
「雛子の魂。ここでバイバイだね」
シャオマオの胸から丸い光の玉が飛び出す。
雛子の魂は少しだけシャオマオの前に留まってから宇宙へと帰っていった。
「地球の輪廻に帰っていったな」
「うん。雛子、次は健康に生きられるといいな」
「幸せに長生きするさ!さっきの家族みたいに幸せな大家族になって、いっぱいいっぱい楽しいことを経験して、ずっと笑ってる人生さ!銀が保証する!!」
銀の自信満々の声を聞いていたら本当にそうなる気がする。
「ありがとう。銀」
少しの喪失感はあるものの、雛子の魂が地球の輪廻に帰れたことは嬉しいことだ。
そして、自分は妖精として最後まで星を見守るのだと気持ちを新たにした。




