いたずらな妖精
目がかすむ。
目の前の白と赤がかすんで見えない。
どうしてなのか考えたが、自分の瞳からとめどなく流れる涙のせいだ。
「みーしゃぁ」
空中でミーシャの体を掴んだ。
全身から力が抜けているミーシャの頭を抱え込むように抱きすくめる。
シャオマオは混乱して、うまく飛ぶことが出来なくなっている。
ユエを抱きしめて飛ぶことが出来るような力があるのに、うまく使えない。
頂点まで登って、落下が始まっている。
自分が飛べることすら混乱しているため現実なのか夢なのかわからなくなっているからだ。
「みーしゃ、おきてええ、めをあけてよおお」
今は目をあけないミーシャのことで頭がいっぱいだ。
真っ逆さまに落ちながら、目線の先に水面が目に入った。
泉だ。
この高さから落下したら、水面と言っても地面と変わらない。
ミーシャを抱きしめて、自分が下になったとしてもミーシャにも衝撃が・・・
どうしよう、どうしよう、どうしよう・・・
「きっ!! キノーーーーーーーーーーーーーーー!!!!」
水面に向かって大きな声で叫んだ。
ザン!!
声に反応した水面が渦巻いてそのままぐるぐると回転しながら上昇して、水がシャオマオとミーシャ二人にまとめて蛇のように絡まりついて、優しく空中でキャッチしてくれた。
「シャオマオ様。海ではないところでは来るのが遅くなりますのでお気を付けくださいな」
また水面から水がこちらに伸びてきたと思ったら、先端から顔をのぞかせたキノが困ったように笑った。
「ありがとおおおお。来てくれたのねええええ」
涙をぼたぼたこぼしながら泣くシャオマオの涙をそっと拭うキノは、人魚の姿を水面から出して鱗をちかちか光らせて輝いている。
「声が聞こえたのになかなかたどり着けなかったのです。申し訳ありません」
「すぐ来てくれたにょ・・・」
「そうですか。海であれば叫ぶ前にお助けできたと思いますよ」
ざざざっと水がゆっくりと動いて泉のそばに二人を下ろしてくれた。
「これは・・・あの時の鳥族の、子供?ですか?」
海で助けてくれたチェキータのことを覚えていたのかもしれない。
きょとんとした顔でチェキータより小さな同じ顔のミーシャを覗き見る。
「ミーシャよ」
「シャオマオ様はお美しくなって、鳥の子供は大怪我。地上の魔素濃度はいつもとちがう。何かが起きたんですね」
「ど、ど、ど、どうしよう、こんなに血が・・・・」
キノに説明しなければという気持ちはあるが、抱えているミーシャの体からどんどん流れる血と蠟のように白い血の気のない肌を見ていたら、シャオマオの手はガタガタと震えるし、説明もうまくできない。
震える手を何とか動かして、ミーシャの傷口をポケットから出したハンカチでぐっと抑えるが、ミーシャはなにも反応しない。
自分の着ている服にもミーシャの血がたくさんにじんでいる。
「サリー・・・お願い早く来て・・・助けてよおおお」
きっとサリフェルシェリが駆けつけてくれるはずだ。
そうしたら助かる。
サリフェルシェリが助けてくれる。
「・・・ふむ。あの時のエルフか。遠いですね。虎猫に乗ってこちらへ走ってきていますが、少し時間がかかりそうだ」
「わ、わかる、の?」
遠くを見るように見つめているキノ。
地面の下の水に響く音を聞いて、周囲の様子が分かるのらしい。
「それに、この傷ではエルフの力を使っても、助からないでしょう」
「そんなことない!!サリーならきっとできるもん!!サリーなら、きっと・・・」
わーっとまた泣き出すシャオマオ。
「もうその鳥の子供の体には血が残っていません。ほとんどの血を流してしまっている」
もうキノの説明も聞こえないくらい自分の心臓の音がうるさい。
助からないなんて、そんなわけない。
「だって、だって、にーになのに、しゃおまおの、にーになの・・・」
頭の中がまとまらなくて、意味のない言葉しか出てこない。
「そうですか。では、私が何とかしましょう」
「・・・・へ?」
ニコッと笑うキノの顔をぽかんと見つめる。
「キノ、お医者さん?」
「いえ。私はただの長生きの海人族です」
話が全然分からない。
「シャオマオ様。覚えておられないですか?私がどうして長生きなのか」
「わかんない。前に会った時に教えてくれた?」
「いえ、以前の妖精様です。シャオマオ様になる前の。この星に生まれた私を育てた妖精様のことです」
「それも、シャオマオなんだよね。でも、わかんない」
「そうですか。別の星に飛ばされたせいで、記憶がどうにかなってしまったのかもしれませんね」
「キノ、どうやってミーシャを助けるの?」
「私の命をその鳥に」
「ダメ!」
間髪入れずに否定した。
どんな方法かはわからない。
でも、ミーシャを助けるために、キノを犠牲に?
ミーシャを助けられる?
でもキノの命を使う?
ミーシャが死ねばチェキータもニーカも悲しむ。
でも、だからってキノが死ぬ?
頭の中をいろんなことがぐるぐると回る。
「ダメではありません。私の命を使って、まずはその体が死ぬのを食い止めましょう。体が死ねば、エルフがどんな力を使おうとも助けることはかないません。それに、私のこの命はもとは私を育てた妖精様に分けて頂いたものです。お気になさらず」
「どういう・・・?」
「私に命を分け与えて、一緒に長生きする存在を作りたかったのでしょう。妖精様は何故かその後、一人で生まれ直してしまわれましたが、私はずっと生き続けていました」
「・・・・・・・・・そんな・・・」
「シャオマオ様。そんな顔しないでください。今のあなたじゃありません。前の妖精様の、ちょっとしたいたずらです」
「い、たずら・・・」
「そうです。妖精は自由。人の生き死にには基本的には関わりませんがそういう気分だったのでしょう」
なんてことないように話すキノだが、シャオマオは目の前がぐらぐらした。
(ちょっとしたいたずらで、人の死を遠ざけて、誰よりも長生きさせて・・・独りで・・・)
サリーもキノを長生きの海人族だと言っていた。
キノの周りの海人族たちは、長生きしていれば老人の姿をしていた。
キノは美しい人魚の姿だ。
青年の姿だけど、あのおじいちゃんたちより年上だといっていた。
「な・・・・・なんてことを・・・・・」
「シャオマオ様。命令を」
ガタガタと震えるシャオマオに、頭を下げるキノ。
「・・・命令?」
「はい。私に命を返して星に帰るように、と」
「星に・・・・・・帰りたい?」
「ええ。もう十分生きました。またシャオマオ様という飛び切り可愛い妖精様にも会えました。ですが貴方は私を育ててくれた妖精様とは別人です。私は私の妖精様の思い出とともに星に帰ります」
「もう、会えないの?」
「その鳥を見るたびに思い出してください」
「シャオマオの中の銀狼様の力を使って・・・」
「シャオマオ様。銀狼様は死を司ります。うまくいく保証がありません。それに、銀狼様の力は銀狼様が復活するために使って差し上げましょう」
ゆっくりと、微笑みながら髪を撫でられる。
本当に、本当に疲れた顔をしている。
キノはもう、疲れてるんだと理解した。
「キノ。ありがとう。大好き」
「これ以上ない言葉です」
キノはシャオマオの手を取って、指先に口づけて、自分の頭に乗せた。
「キノ――」
「ぐあううううう!」
「シャオマオ様!!」
サリフェルシェリとユエが駆けつけた時、シャオマオは泉のそばに静かに立っていた。
そのそばに、少し青白い顔をしたミーシャが横たわっていた。
「よく無事で!ミーシャ!シャオマオ様!」
急いでミーシャの体をサリフェルシェリが診察したが、大きな傷はなかった。
「傷が!?でも、血を失ってギリギリの状態のようです。ここで応急処置をします!」
サリフェルシェリは自分の腰に付けたカバンからたくさんの薬品を出して、精霊の力を借りて血を増やす治療を始めた。
「サリー。必ず助けて」
「もちろんです。脈もあります。体に血を戻してシャオマオ様の浄化魔素で包めばなんとかできます。任せてください!」
シャオマオはもう泣いていなかった。
ユエがそばに来ても泣かなかった。
力強くサリフェルシェリに指示をして、すっとしゃがんで足元の何かを拾い集めている。
「ぐるあ」
ユエの鼻は潮の香りをかぎ取った。
シャオマオの足元には数枚の鱗が落ちていた。
「きれいな鱗。本当にきれい」
ユエにはシャオマオが急に大人になったように感じられた。




