まだ言ってなかったの!?
「ユエ。今のままでは良くないことをわかっているでしょう?」
「わからない」
「いや、わかっているのにわからないふりをしてはいけません」
食堂から談話室に移動した一同。鳥族夫婦は仕事に行ってしまった。
ギルド寮の1階は自由に使える談話室がある。
談話室といえば聞こえはいいが、たまり場である。
ギルドの寮では所属の上位者のみが自室を持っており、独身者は拠点としているものも多い。
さすがに結婚したものは街に住んだり、自分のエリアに戻って暮らしていたりする。
今まではユエの草原のゲルを利用していたので使ったことはなかったが、食事の用意も簡単でシャオマオにも不便がないためしばらくはここで生活するのも悪くないと思っていたところだ。
談話室の大きなソファに座って、シャオマオを膝に乗せたユエはそっけない返事と威圧をサリフェルシェリに浴びせた。
「何故つがいと引き離されなければならない」
「妖精様は女性ですよ。プライベートな時間も必要です。それにまだつがいではありません」
「まだ子供だ」
「子供といえども4才ならもう少し自分でできることもあるはずです」
「こんなに小さくて弱くてかわいくて・・・」
「それは認めますが、妖精様を囲い込んではいけません。貴方が不利になる」
「誰に何と言われてもいい。俺のつがいがたまたま妖精だっただけだ」
「それが通用すると思いますか?」
「通す。そのための俺の力だ」
最近サリフェルシェリやチェキータたちに「妖精様」と呼ばれているのが自分のことだとわかり始めたシャオマオ。
たぶん自分のことについて話しているのだろうな、と思った。
思ったので、自分のことを私に聞かないで話し合うというのはどういうことだろうか、と考えた。
(私、ここにいられないのかな?それともユエとライが離れるのかな?)
ユエがイライラしているのも伝わってくる。
「ユエ。ゆっくりはなちて」
「シャオマオ」
「シャオマオのはなち?」
「シャオマオ・・・」
二人はやっと、シャオマオの意見も聞かずに話を進めていることに気が付いた。
「妖精様。不安にさせてしまいましたね」
しゃがんで目線を合わせて来るサリフェルシェリ。
「シャオマオ、名前、シャオマオ。よーせーなに?」
そもそもユエとライは「シャオマオ」と呼び、その他の人たちが「妖精様」と呼び名が違うのからわからない。もう一つの桃花という名前は普段は隠しておかないといけないようだし。
名前が多すぎてよくわからない。
「妖精様の説明は難しいですね。この星の愛し子ですからね」
「・・・いとしご」
愛し子ってなに?とまた続けそうになったのをぐっとこらえた。
これはかみ砕いて説明されても永遠に「なに?」を続けていく未来しか見えなかった。
まだ語彙が足りないし、難しそうな予感がする。
「シャオマオ、ここ、いくない?」
「いえ。妖精様ではなくてユエがよくないのです」
「う?」
「朝から夜までずっと一緒でしょう?」
「あい」
返事がかわいいので、ユエがすりすりと頬を撫でて来る。「一緒」というのはよくユエが言うので覚えた。
「妖精様のプライベートも必要でしょう?」
「う?」
プライベートがわからない。
「必要ない。つがいには隠し事など何もない」
「まだつがいではありません。成人もしていなければ、ユエを選んでいない」
サリフェルシェリの言い分に、ユエはぐっと言葉に詰まった。
「ということで、ユエの隣がライの部屋ですが、ユエにもう一つ隣の部屋に移動していただいて、ユエとライの部屋の真ん中を妖精様の部屋にしてはどうですか?」
「ぐうう」とうなるユエ。
「同じフロアに女性の冒険者のレイアの部屋もありますし、安心ですよ」
「レイアはがさつだからなぁ」
ずっと口を挟まなかったライが声をあげて笑った。
「レイア!」
レイアはきりりとした瞳の勝気な女性で、宴会でもあれこれ世話を焼いてくれた。
大浴場で「泳いでみろ」とバタ足をさせて遊んでくれた楽しい人だ。
しっかりほかのギルド職員には怒られていたが。
「シャオマオちゃんは遊んでくれるレイアが好きだよなぁ」
「う?しゅき?なに?」
全員の顔が固まった。
「・・・・・・・好きを知らない???」
全員の目がユエに集まった。
「好きって言ってないの?」
ライが恐る恐る聞く。
「愛してる、のほうですかね?」
サリフェルシェリは恐ろし気に尋ねる。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・まだ」
真っ赤になったユエが声を絞り出した。
そのあとの二人の「え!?」という声と、大笑いする声はギルド長室まで届いてしまったが、ギルド長は聞こえないふりをして書類にサインをしていた。
「つがいだなんだと言っておきながら、まだ好きだとも言ってないのかよ!どういう思考回路してんだ」とおなかを抱えて笑うライ。
サリフェルシェリは上品に大笑いしていたが、落ち着いたら食堂からお菓子を何種類か持ってきて、「どっちがいいですか?」と順番にシャオマオに選ばせて、最後に残ったものを「これが一番好きなんですよ」と説明して、シャオマオに食べさせた。
「しゅき」
これがいいってことか。
好きかぁ。
真っ赤になったユエから離れて、紙とペンを取り出して書く準備をする。
「しゅき」
舌はちゃんと動かないが、文字ではちゃんと「すき」と書く。
「ああ。耳がいいんですね。ちゃんと聞き取れてる」
サリフェルシェリはニコニコしながらこちらの文字で「すき」と付け足した。
なにげにもう日本語のひらがなを覚えてしまったサリフェルシェリ。
「しゅ。きぃ」
発音が甘いようなので繰り返し練習していたら、ユエが真っ赤な顔で涙ぐんでいた。
『え!なんで泣いてるの?!』
はらはらと涙を流すユエは、真っ赤な顔を手で押さえてぷるぷる震えていた。
「・・・・・・・す、すき」
おずおずと好きという言葉をいうユエに、いつもの言葉の練習だろうと思ったシャオマオが繰り返す。
「しゅき」
「す」
「しゅ」
「すー」
「しー、しゅー、」
「す!」
「す!」
勢いをつけると言える!
ライとサリフェルシェリの「おお!」という言葉が聞こえる。
「すき」
「すきぃ!」
大きな声でいうと「す」が言えるので結構な音量で叫んだ。
言えた!
更にユエが「好き」と繰り返すので、シャオマオも何度も練習した。
「シャオマオが・・・・・すき」
真っ赤な顔のまま、いつになく小さな声でユエがもごもごと話した。
「ありがとうユエ!シャオマオ、ユエ、しゅき!」
長く話すとまた「しゅ」に戻ってしまうが、それを聞いて「それ以上赤くなれるの?」というくらい赤くなったユエがしゃくりあげるほど泣き出してしまった。
「な、なにを見せられてるのかわかりませんが、感動的ですね」
「また一つ、ユエに感情が芽生えたんだよ。成長したんだ。お祝いしないと・・・」
ユエが泣いてしまったので、頭を撫でて慰めるシャオマオ。
それを見ながらサリフェルシェリとライはそれぞれ小さな頃より感情豊かなユエに感動していた。
小さな頃のユエは本当に虎だった。
獣人として生きていなかったのでしょうがない。
山の中で一人、逃げ回っているところをライに拾われて、色々あってサリフェルシェリと出会った。
小さいユエには好きも嫌いもなかった。
やったら死ぬのか、やらなければ死ぬのか。生きるために選択はそれだけだった。
シャオマオという片割れが見つかって、自分の腕の中にいる。
男女で出会って一目で「つがい」であることが分かった。
魂の片割れ。
ふたりで一つ。
選択肢は「ふたりはずっと一緒にいること」しかないのである。
なので、なぜそんなにライやサリフェルシェリに「まだつがいではない」「まだこどもだから」と一緒にいることを止められるのかわからないでいたユエ。
ちゃんと子供なのは知っているしわきまえている。
その将来しかないのだから、今もつがいで、今から一緒にいることしかないと思っていた。
獣人はつがいを決めたらそれを動かすことができない。もう決定された未来だ。
でも、サリフェルシェリと菓子を順番に選ぶシャオマオをみて、当たり前のことに気づいた。
「シャオマオには選択肢が無数にあって、自分で選ぶことができるのだ」と。
それこそ「好き」という感情で、選択が変わる。
好きなんて言わなくてもわかってもらってると思ってた。
好きなんて言葉では説明できないくらいの巨大な感情をお互いに持ってると思ってた。
好きも嫌いもなく、相手も自分を心から欲していると思っていた。
まったく理解していなかったのだ。
自分の気持ちが受け入れられないことがあることも。
ライが何度も「シャオマオは獣人じゃない」と当たり前のことを繰り返すのも。
言わなくてもわかっていると思い込んでいたが、受け入れられないかもしれないという予感が少しでもあったから、「好き」という言葉を口にできなかったのだ。
シャオマオの気持ち一つで、シャオマオが自分と一緒にいない未来があると思うだけで恐ろしかった。
いま、思い切って練習のつもりで、ユエも「好き」と言葉を声にして出してみた。
反芻してくれていただけだけれど、何度も何度も好きという言葉をお互いの目を見て言い合えた。
ユエの心臓はいつもより早く動く。
好きな人に自分が好きという気持ちを受け入れてもらえることの喜び。
相手にも好きだと言ってもらえる喜び。
初めて心を満たした感情が、琥珀色の瞳からあふれてあふれて止まらない。
「シャオマオちゃん。ユエと一緒にお昼寝しておいで」
ライはユエにシャオマオを抱かせて、そのまま談話室からいつもの寮の部屋に向かった。
シャオマオのおなかにぐりぐりと顔を押し付けて来るので、服がユエの涙でびしょびしょだ。
いつもの部屋ではなくて、その隣の部屋だったので「あれ?」っと思ったが、ライもユエも何も言わずに入るのでシャオマオも従った。
従ったというより、ユエに抱かれているからそのまま連れていかれただけだけれど。
そこも殺風景な部屋で、ベッド!カーテン!以上!みないな簡素な部屋だった。
ユエはシャオマオを抱きしめたまま靴を脱いでベッドに入って、タオルケットの中に潜りこんだ。
こんもりとした布団の中で、シャオマオがユエのおでこにキスをした。
『ユエ。大丈夫よ。ずっといるから。怖くないから。悪い夢も見ないよ』
「俺のつがい。俺の、俺の・・・」
寝ながら向かい合って、あとからあとからこぼれるユエの涙を見る。
窓から入ってくる光が、二人の薄い布団の世界の中まで照らしてくれる。
おかげで光と涙で美しい琥珀の瞳がゆらゆらと揺れているのが見える。
『ユエは私がいればいいのね』
シャオマオはユエに腕枕をして、顔に抱き着いた。
ユエから自分をいとしいと思ってくれている感情がどんどん流れ込んでくる。
『お昼寝が終わるまで一緒にいるよ』
ゆっくりと、ゆっくりと、シャオマオが暖かい気持ちを流すと、ユエの瞳もゆっくり閉じられる。
『ユエ。いい子にねんねしてね』
こんもりした布団の中の、二人だけの空間。
秘密基地みたいだなぁと思いながら、シャオマオも目を閉じた。
子供二人を見守って、寝息が二つ聞こえ始めてからそっと外に出たライ。
ほんと、二人を一人にしてしまえばバランスが取れそうだなと思いながら、元ユエの部屋をシャオマオ用に改装してしまったので、起きたユエにしばらく口をきいてもらえなくなったのはまた別の話だ。
シャオマオはだんだんしゃべれるようになってきましたね。
どうも発音は難しいけれどちゃんと聞き取れてはいるようなので、覚えるたびにメモをとって辞書を作ってます。
フォローはサリフェルシェリ。
ユエは字を書くのが少し苦手です。
でも、シャオマオのためなら頑張れるのでひそかに練習しています。
それをみて感動するライ。
毎日がそんな感じです。




