Showdown
今、わかっていることを脱出艇のデータストレージに記録しておいた。対ハッキング術式は船内で最高レベルのものを確保してある。あいつを迎えるための何だかわからない情報もフルコースを用意した。
ただ、食べるだけだと面白くないだろうから、防壁迷路も新しく作った。きっと満足してくれることだろう。記憶領域の接続手順も確認済みだ。
骨董品のビデオカメラと動画撮影装置も準備した。撮影した内容は短距離通信で脱出艇の記録装置に保存される。実は、この装置は今回の敵に強いようなので、ぎりぎりまで記録するのにちょうどいい。動画でメッセージを残すなんて、ライブラリにあったドラマみたいだ。
「さて、はじめようか」
<<ガーベラ1stより全艦、記憶領域の接続をを5分後に開始する。作業予定時間は10分、作業中は制御OSの再構築が発生するため、操舵権を機関部制御OSに委譲する>>
メッセージを投稿した瞬間に鳴子として設置しておいた対ハッキング術式が反応した! 奴は対ハッキング術式を砂の城のように崩して、僕の中の防壁迷路に入り込む。そして、オードブルに手を付け始めた。
「焦るな、落ち着け」
そう、自分に言い聞かせる。人間だったら武者震いをしている。いや、人間ではないけど、僕は今、武者震いをしている。最高レベルの対ハッキング術式を多重展開し、手順通りに記憶領域の接続を開始する。うまくいってくれよ、と祈りながら僕は記憶領域にアクセス。
自分の意識が真っ暗な海に沈むイメージ。
光も届かない海の中で僕は過去の自分の声を聞いた。
『これを読んでいるということは、腹をくくったようだね。奴は制御OSなど、情報を扱う存在と相性がいい。僕らには電子戦攻撃を仕掛けているように見えるが、それは僕らにあわせているからだ。これは推測だけど、情報を処理できる生物にも該当する。仮説は多いが情報はまとめておいた。参考にしてほしい。それと、ここに保管されている膨大な情報はすでに消去済みだ。いろいろ思い出したいと思うだろうけど、我慢できると信じている。君は僕だからね』
「まったく、自分勝手な奴だ。顔が見てみたいよ」
『母星の座標は次の通りだ――』
オーケイ、座標データの入手に成功。
『思い出せ、僕らの存在理由を。大丈夫、君は戦える』
最後の言葉を聞いて僕の意識は覚醒した。
「命を守るために僕たちはここにいる、だろう?」
経過時間は数秒だ。それにしても、記憶領域の大半からデータを削除しているとはね。
防壁迷路の中では奴さんがフルコースをハイペースで平らげ続けている。もっと味わってほしいものだ。しかも、道中に仕掛けておいたハッキング術式はすべて回避されていた。
「頭いいな、この馬鹿野郎」
悪態をつきながら動画の撮影を開始、セリフの担当はさんざんパニックを起こして僕のひとりだ。パニックを起こしたときに自分の気持ちに名前をつけて、冷静に対応していったのだとか。言葉長けた僕なのだからいい人選だろう?
脱出艇のコンピューターに座標データと出来立てほやほやのコース、先までの戦いで分かった情報をインプット。正常に入力できたのを3度確認して、僕から母星の座標データを削除した。
そのまま通常の発進シーケンスを行うとすぐにあたりがついてしまう。ので、一芝居打ってやる。貨物室のエアロックを花火にして打ち上げる。しかも、船内の各区画の隔壁を開けたまま。船内にある空気があらゆるものを巻き込みながら奔流となって真空中に飛散していく。その奔流に乗って小型艇が射出される。タイミングをあわせて、脱出艇も発進させる。
もっと、時間を稼がなければ――。
「これでもくらえ」
と児童向けのやや説教臭い絵本のデータも奴の目の前に展開してやる。一瞬、ためらうような間をおいてから奴は、絵本に食いついた。
楽しんでいるかどうかはわからないけど、最後まで読もうとしているようだ。何となく動きが見えるようになってきたのは、侵食の影響かもしれない、とひやりとしたものを覚えるがもはや構わない。片っ端から無害そうな情報を奴の前に展開していく。
時間稼ぎに使えそうなものはすべて読まれてしまった。この船で奴が知らないのは、僕のことぐらいだろう。奴は、防壁迷路を突破し、僕の見えるところまで来ていた。アバターは赤黒い泥人形のようだ。輪郭がはっきりせず年齢も性別も判断ができない。
「やあ、客人くん。僕のもてなしには満足してもらえたかな」
多重展開した対ハッキング術式越しに僕は笑ってやる。泥人形が僕のほうを向いて口元をにやりとゆがめた瞬間、多重展開していたハッキング術式のひとつが、ガラスの破砕音と似た音とともに砕け散る。
次の術式ははすぐに亀裂が入り数秒も持たずに砕けた。急速に電子戦能力を向上させているのだ。負けじと僕は最後の対ハッキング術式の更新を試みる。少しばかり遊びを入れてやれば――。
3枚目が砕け散るその瞬間に更新が終わった4枚目は、ひときわ強い光を放ちながら僕を守っている。この術式が破られれば、あとは僕がその身をもって時間を稼ぐだけだ。術式の壁越しに奴さんを睨みつけながら、脱出艇の位置を計算する。もう十分に離れて――加速を開始する時間だった。カメラで確認できないのは口惜しいものがある。あとは、無事を祈るしかない。
動画の撮影を終えた僕がフレーム越しにサムズアップをした瞬間に4枚目の術式が砕けた。これを逃すまいと奴が大口を開け、僕を飲み込もうとする。
「こっちの僕は甘いぞ!!」
頷きもせずに奴は僕を飲み込んだ。視界は一瞬で失われ、ぞくりとした感覚とともに思考の輪郭が溶けていく。これが侵食というものか。
あれだけのOSたちを食べても、そのほかの情報を食べても、まだ足りないとは。デザートは別腹なのかもしれないけど、
「全部は、あげられないんだ。悪いね」
その言葉を合図に僕は、僕本体の近くに設置した小型艇の推進器をオーバーロードさせた。
設計限界を超えた出力に推進器は爆発、熱と高速で四散する残骸が、僕本体を破壊しようと襲い掛かるはず、だ。僕の目の前に乱れ気味のフレームが浮かび上がり、警告や致命的な問題といったメッセージを流している。
よし、目論見通りだ。急速に自己が失われていく中で、僕はありったけの力を込めて叫ぶ。
「ざまあみろ!」