最終話。 さよなら
「私、お話を書くことにしたんだ」
マリコさんは鞄からペンを取り出した。
「万年筆。ちょっと奮発したんだ。すてきでしょ」
緑の縦縞に黒のキャップ。くるっと回してキャップを外すと、ペン先が顔をのぞかせる。金と銀の組み合わせ。きらきらと輝くニブポイント。
「こっちがインク。ロイヤルブルー。これから入れま~す」
マリコさんは机の上にボトルを置いて、蓋を開く。中には黒っぽい液体がなみなみと入っている。
ペンのお尻にあるつまみをクルクルと回してから、ペン先をインクにどっぷりと浸した。
再びクルクルとお尻のつまみを回してから、ペンをインクビンから取り出す。余分なインクを白い布で丁寧にふき取った。
ボトルの中では黒っぽかったのに、布には鮮やかで深い青みが染みになって広がっていく。透き通るような色合いに見えて、きれいだった。どこまでも広がって行く、深くて。混じり気のない、透明な青。
「こっちが原稿用紙。いまどき、原稿用紙に万年筆で書くなんて、時代遅れだよね。ケイタイとかの方が、いいのかな。でも、私ね、こうしてちゃんとした形にしたかったんだ、どうしても。……忘れたくないから」
マリコさんはペンを手にした。
「主人公は、久瀬くんだよ。もちろん私も出てくるの。久瀬くんから見た、私の姿を書くんだよ。変なこと言って、バカやってる、謎の女の子、マリコさん……。久瀬くんに、見てほしかった私の姿。久瀬くんになりきって書くの。久瀬くんと私の、一緒にいた時間を、こんなおかしな二人がいたことを、書くんだよ。お話の中の久瀬くんはね、私のこと、すっごい好きなんだよ。大好きなんだよ。『好き』って絶対に口にはしないけれど、ちょっとしたことで私のこと、ほめてくれるの。でも、惚れた? なんて聞くと、恥ずかしがりながら、『好き』って言えないのに、『惚れた』って言ってくれるの。私がどんなばか言っても、変なことしても、意地悪しても、許してくれるの。だから私も、好きなだけ、ばか言ったり、変なことしたり、久瀬くん怒らせたり、困らせたりして、それでもずっと一緒にいるの。仕方ないなぁって笑いながら、久瀬くん、付き合ってくれるんだよ。久瀬くん、優しいんだ。だから、……好き。大好き。どうして……。どうして……」
ペンをもったまま、マリコさんは泣いている。
ちぇっ。俺はこういうお涙ちょうだい、嫌いなの知ってるだろう?
どうせなら、二人でどうでもいいことやってる話の方がいい。
「そうだよね。泣いてちゃ、だめだよね。久瀬くん、しみったれたのは嫌いだったし。おやじギャグの方が、好きだもんね。そう。おやじギャグ、たくさん出てくる話、書くから。私が、つまんないギャグ言って、久瀬くんが頭抱えてるお話、書くから。元気が出るようなお話、書くから……だから……、だから……」
マリコさんは顔を覆った。しばらくしてから、ゆっくりと顔を上げる。
「泣いてちゃ、つまんないよね。……そうだ。思いついた。第一話は『つまらない話』にする。つまんないと、詰まらないをかけた駄洒落、久瀬くんに聞かせて、久瀬くん、変な顔したこと、あったじゃない。それを書くの」
マリコさんは万年筆のキャップを外すと、原稿用紙に向かった。
マス目がきれいな文字で埋まっていく。
涙がこぼれた。
万年筆で書かれた文字が、滲む。
書き上げられていく原稿を、俺はぼんやり見ていた。
話の内容は他愛もない。
マリコさんがいて。俺がいて。
二人とも、仲良く話をして。
ただ、それだけで。
原稿用紙の上で、青い文字が乾いていく。
その間に、部屋の空気が、少しだけ軽くなる。
いつの間にか、
マリコさんはいなくなっていた。
俺は、原稿を閉じた。
雲が流れていく。
あの日と同じように。
すみません、もう10年以上最終話を掲載していませんでした。
これは、八百字程度で毎話まとめる、という条件だけつけて、好き勝手に書き散らした作品です。
実は、一話目の次に書いたのが最終話という、なんとも変な書き方で書き始めました。続きを書きながら、終わりが分かっているって不思議な気分だなぁ、なんて、毎回思いながらポツポツ書いていたのを思い出します。
最後までご覧いただき、ありがとうございました。




