4.紫煙くゆらす身元調査-2
「といっても、タイロくんについては、期待してもらうほどの情報はないんだけれどね」
高まった緊張をほぐすように、ウィステリアが前おく。
「タイロくんのことも、もちろんちゃんと調べたわ。でも、その時救助されてからの情報しかないのよね」
「えー? そうなんですかー?」
タイロは拍子抜けしてしまう。
「あ、じゃあ、俺、そんなに構えなくていい話ですか?」
「そうとも言い切れないんだけれどね」
ウィステリアは真面目な顔で続ける。
「推測はできると思うわよ。だから、まあまあ、覚悟しておいて」
ウィステリアはそう断ってから話す。
「ユーの旦那は、マリナーブベイへの獄卒派遣は、獄吏の事情が絡んでいるかもって考えているのよ。それで、獄卒派遣について調べてみたわ」
「今までも結構あるんですか?」
「お前は聞いてねえのかよ」
突っ込まれてタイロは頭を掻きやる。
「だって、俺、新米なんですよ? 同じ課の人に聞いても、教えてくれないんですもん」
「お前の所属してるとこ、なんかやべー場所だもんな」
ユーレッドがふとにやつく。
「まあ、獄卒と直接やりとりするようなとこだ。ろくなやつ集まってねえよ。あいつら大概、袖の下貰ってるしな。お前、まあまあ頑張ってる方じゃね?」
「タイロくんのところ、コミニュケーション最悪みたいだものねえ」
ウィステリアは苦笑しつつ、
「それでね、E管区からの獄卒派遣は、当然初めてではないのよね。シャロウグ以外の地区からこの半年間で定期的にあって、表向きは引率獄吏同士の交流と研修目的で行われているわ。内実は、E管区由来の囚人討伐のための獄卒戦力が必要があるからということもある。今のところ、今回含めて十回ほどね。ごく短期間のものもあるの。で、派遣される側の獄卒の方は、てんでバラバラで共通点はあまりない。途中で行方不明になってるやつも多いので、行きと帰りの人数が違うわね」
「その人たちが実験台に?」
「いや、実際どうなってんのか知らねえが、逃亡する奴も多いからな。一概にどうかは言えねえな」
ユーレッドがそう断る。
「共通点はないけど、強いて言うなら、ことさら極悪な前科持ちでUNDER評価のが多いってくらい? ある程度の強さが必要だし、使い捨て要員なんだから、まあ悪党が多いのは予想されたことなので、おかしくはないわねえ」
ただ、と、ウィステリアはタブレットにデータを表示させる。
「一方、引率の獄吏の側に共通点がある。皆、比較的年齢が若いのよね。全員、三十歳以下」
「え? でも、それって、ただ下っ端が来てるってだけなんじゃないですか?」
タイロはそばにきたスワロを撫でつつ、一緒にタブレットを覗き込む。自分を含めた引率獄吏のIDが並んでいるようだ。
「それだけなら変じゃねえんだがな」
ユーレッドが口を挟む。いつのまにか、彼はまた煙管をふかしていたが、今回はふかすという表現がぴったりだ。煙を吸う気配がない。手持ち無沙汰なだけなのかもしれない。ユーレッドもほんの少し、緊張している気配だ。
煙だけが真っ直ぐにのぼっている。
「そうなの。それだけなら変じゃないけど、ちょっと気になって調べたわ。タイロくんは、確か、十数年前に起きている北部コキュートスの汚泥漏洩事故の生存者だったわよね」
「はい。そのせいで、それ以前の記憶も記録もないんですよね」
「それよ」
ウィステリアは、すっとタブレットをスワイプする。顔写真付きの獄吏達の人事データが現れる。そこにはどうやら、彼らの素性が書かれているようだった。
「この獄吏達は、皆、北部コキュートスの汚泥漏洩事故の時、コキュートス周辺の街にいた子供達よ。救助の記録が全員残っている」
「え?」
タイロは目を丸くする。
「タイロくんだけじゃなくてね。皆、あの汚泥漏洩事故に、多かれ少なかれ関わりがあるの」
「で、でも、知ってる顔いないですよ。俺と同年代の子供は、シャロウグにもあまりいなかったですし。同地区居住なら大体知ってるくらい」
タイロは、タブレットに並ぶ名前や小さな顔写真を見てそういう。その中に自分の顔写真と名前もあった。
「知らないと思うわよ。彼ら、その後バラバラの支部の施設に引き取られているもの。わざと遠方の支部にさせてあるし、きっとタイロくんも顔を合わせたことはないはず」
「ウィス」
動揺を隠せないタイロを尻目に、ユーレッドが静かに割り込む。
「あのメガネのやつについても、調べられたのか?」
「ええ。旦那、なんでか彼については特によく調べろって言ってたわよね」
「ああ。気になることがあるんでな。あの先生、絶対になにかある」
ユーレッドは、どうもタイロのことよりもメガネのことが気になっているらしい。
「アイツ、獄卒と少なからず因縁がある。あと、元はかなり上層部の部署にいたはずだ。なぜここにいるのか含めて気になるんだよ」
「流石ね。ユーの旦那の言う通りよ」
ウィステリアは頷く。
「彼、元はすごいエリートなのよ。学校だって上層関連。学卒後もJ管区留学とかもしてるし、語学なんかにも秀でていてね。それで、新卒の時の配置は中央局の獄卒対応の政策を決める、獄卒管理関係のかなり花形の部署にいたんだけど、なぜか、途中で出世コースから外れて、今のシャロゥグ支部の獄卒対応部隊に派遣されてるのよね。やらかした記録もないんだけどな」
「あ、あのー。獄卒管理課の俺の部署って、やっぱり出世できないコースなんです?」
タイロが今更そんなことを気にする。
「そんなの、わかりきってるだろ。底辺獄卒としか関われねえんだぞ。お前の同僚のヤバさみたら見当つくだろが」
「そんな気はしていましたけどー。いや、でも、ハッキリ言われるとショックー」
「お前は前向きな奴だからなあ。なんでも、ポジティブに変換するんだよな。ははは」
ユーレッドがけらけらっと笑いつつ、不意に真面目な顔になりふむと唸った。
「しかし、やっぱりな。あのメガネ、知りすぎてると思ってたんだ。獄卒管理のアイツらの中でも浮いてたし、元々、かなりやべー情報扱う部署にいたんだろうよ」
「え、あの?」
タイロは目を丸くする。
「ってことは、メガネ先輩も、なんですか? その俺と同じ時にコキュートスにいたのって?」
「もちろんよ。まあ、彼は貴方よりもかなり年上で、そこにいた子供の中では最年長クラスだけどね」
「えっ、マジですか? 俺、そんな話聞いたことないですよ。俺の身の上話はなんとなーくしてるんですけどね。聞いてくれてなかったのかな?」
「聞かないふりなんじゃないかしらね。気になってたはずだと思うわよ。貴方のこと」
ウィステリアは、タイロの管理局の人事データの近くにあった、メガネのデータを表示する。
彼の無愛想な顔写真が現れる。そこにはいつも聞いている、例のあだ名のような通称とは違う名前が、書かれていた。
「彼の本当の通称名は、ヒロト・マツノマ。彼についてはタイロくんと違って、本来の保護者の名前や出身が判明している。彼の保護者はCTIZ-HIGH。つまり一般市民だけれど、かなり裕福で有力な人間てことね。けれど、それだけではないわ」
ウィステリアが、ふと目を細めた。
「彼の両親とされている人物、二人とも、過激派とされるα崇拝派オメガラインの重要人物だったのよ。例の事故で亡くなるまではね」
「おう、オメガラインか」
ユーレッドが反応して、嘆息をつく。
「また、厄介なところの出だな。あの先生」
「あるふぁー崇拝派? お、おめがらいん?」
耳慣れない言葉にタイロがきょとんとする。
「この世界の設立に携わったとされる、創造主αを崇拝する連中だ」
ユーレッドが答える。
「あー。創造主ってのは、聞いたことあります。実在するかわかんないけど、管理者の上にいるという偉い人ですよね。このハローグローブ創設に関わったとかいう?」
「ええ。いってみれば、科学者で政治家ってところかしら」
ウィステリアをユーレッドが継ぐ。
「そいつを過剰に崇拝する奴等がいるんだよ。ま、それ自体は珍しくないが、オメガラインはその中でも狂信的と言っていい。あれは個人崇拝も行きすぎて、もはや宗教だからな。カルトな組織だぜぇ? アレは」
ユーレッドは肩をすくめた。
「あたしたち調査員の中では、不穏分子Ωとも繋がっていると言われている組織なの。不穏分子Ωは、管理局上級幹部や上層市民に多い、いきすぎたα崇拝派を指すわ。お姫様の時も暗躍してたわよね。ビンズ・ザントーあたり、繋がりが疑われていたわ。その過激派の一つがオメガラインよ」
「なるほど。なんか既に不穏な感じですね」
タイロは若干引き気味になりつつ、
「あれ、でも? なんで、αなのに、Ωなんですか? AなのにZってことですよね」
「αとΩは繋がってるってこと。昔っからそういう」
ユーレッドが、苦く犬歯を見せて笑う。
「あと、カルトだと言ったろ? オメガから連想される通り、終末思想が他のα崇拝の連中に比べても異常に強い。とっととこんな腐った世界滅ぼして、創造主様の元で新しい幸せな世界に生まれ変わろうとか、そういう思想な。だからオメガラインって名乗ってる」
「うわー、なんかいよいよヤバい組織感すごい」
「やべえさ。しかも、構成員はほとんど上級市民。管理局内部にいる連中だ。だが、いくら創造主とはいえ、行きすぎた個人崇拝は、管理局の他の管理者にとっては危険。思想的にも、黄昏の世界ながらも、せっかく安定しはじめたハローグローブを壊すもの。普通なら全力で叩き潰されてしかるべきだ。普段の管理局の冷徹さを思えば、そこまでやる相手だ、が」
ユーレッドは煙管を口から抜き取って、目を細めていた。
「しかし、どうにも、相手が悪い。崇拝される側も悪い気はしねえらしくて、お気に入りなんだとさ。で、相手が相手だけに厄介で、表立って取り締まりにくいらしいぜ。普通の一般市民には存在も伏せられてる話だよ。情報統制下にいるお前らが知らないのは当然だ」
ユーレッドが顎を撫でやりながら、ぼんやりという。その唇がほんの少し皮肉に歪む。
「なにせ、創造主様の直接の"ご加護"があるもんでな。なんかあっても、大抵のことは隠蔽される」
「うわあ。なんか聞いてはいけない話を聞いた感じ」
タイロは、スワロを抱き抱えつつ、むーと眉根を寄せる。
「でも、それがメガネ先輩のご両親と関わりがあるってことなんですね。でも、なんでそんな人たちがコキュートスみたいな辺鄙なとこに? 当時はあそこは開拓中ってきいてたんです。俺もだからそういう人の子供かなって」
「コキュートスは、今でこそ単なる流刑地だけど、汚泥が漏洩するまでは、それなりの場所だったの。開拓民名目で集められた人も多くて、それなりの都市だったし、中央の力が及びにくいから、オメガラインの集会場所にはまあよかったのよ」
ウィステリアは続けた。
「あの北部コキュートス漏洩事件の日も、オメガラインは、コキュートスのとある施設で集会を開いていた」
ウィステリアが続ける。
「漏洩の起こった場所は、集会していた施設のすぐそばだった。だからあの時の犠牲者には、オメガラインの構成員がかなり多く含まれていたわ。しかも、その中でも子供の数が多かったの。何故なら、あの日、とある目的のため、あの場所には、人目を避けるようにして、彼らの子供が集められていたのよ」
ウィステリアは、少し声を低めた。
「だからね。タイロくん」
タイロは目を瞬かせる。
「おそらく、あなたもその一人なの。貴方はオメガラインの構成員の子供だった可能性が非常に高い」
ユーレッドが黙って、視線だけをタイロに向けている。手に取った煙管から、まだ煙だけが上がっていた。