17.青い目の少年
『あの二人、そんなに似てるか?』
ふとフカセ・タイゾウの声が聞こえた。
ジャスミンが右耳につけているイヤホンから聞こえたそれは、レコを通じて届けられる通信だった。
『まー、そう言われたら、顔は似てなくもないかー。性格は違いそうやけどなー』
嘲笑うような彼の声。多分、彼はこの事態を、レコを通じて覗き見しているのだろう。
(似てるから気になってるんでしょ! あの根暗!)
ムカッとして、こっそりとフカセに毒づいたところで、ジャスミンは我にかえり、現実のフードコートに戻される。
目の前にいるのは、あの白衣の少年と医者でなくて、メカ好きなのほほんとした獄吏の青年タイロと、強面の獄卒ユーレッドだ。
「これで、できたよー。レコちゃん、どうかな?」
明るいタイロの声と、きゅっきゅと鳴くスワロとレコの声。
レコがぴかぴかと目の当たりを点滅させる。スワロが交信したらしく、スワロづてに会話を聞いているユーレッドがうなずく。
「お、直ったみたいだぞ。お前、意外と器用だよな。もっと詳しくなったら、スワロの改造やアップデートも頼めるのに」
「えへへー。任せてくださいよー。もうちょい勉強したら、全然余裕なはずですよっ!」
ユーレッドが誉めるので、タイロも嬉しそうだ。
(写真の男は、このユーレッドじゃない)
フカセはそう断言している。
その真実はわからないが、もし、彼が右目の視力を失う前の姿だとしても、なんとなく雰囲気も違う。それに、写真の白衣の男は間違いなく医療関係者。ユーレッドが元々そうだとは思えない。
タイロの方は。
(でも、これだって、タイロだって断定できる証拠はないのよね。タイロはメガネかけてたことないし、この年頃ならあたしとはもう出会ってる。施設であんな人がきた記憶ない。それに、この写真のことタイロが知ってるなら、あの人の顔みたらピンとくると思うし)
いっそのこと、この写真を二人に見せてしまおうか。
けれど、なんだか見せるのがちょっと怖い。
(あれ? でも、何か違和感……ある?)
ジャスミンは、目を瞬かせて改めて写真と目の前を見比べ、はっとした。
(そうか、もしかして……)
「ヤスミちゃーん!」
タイロの能天気な声で、ジャスミンは顔を上げた。
「レコちゃん直ったよ」
タイロが明るく声をかけてくる。
ひゅーっとレコが、ジャスミンのところに戻ってきた。レコも機嫌が良いらしく、ジャスミンに対してぴかぴかと目を点滅させてコンタクトを取ってくる。
しらじらしい! こいつ、あたしには調子悪いこと黙ってたくせに。
「ああ、ありがとう。流石タイロね」
「機械いじりは得意なんだよね!」
タイロが歩み寄ってくる。
「ヤスミちゃんも射撃訓練行く? 俺、前より上手くなったと思うんだけどっ! それにそのあとはフリーでさ」
タイロは、どうやら訓練の後、どこかにユーレッドも一緒に三人で、遊びに行きたいらしい。清々しいまでに、下心が滲み出ている。楽しそうな彼を見て、しかし、ジャスミンは首を振った。
「ダメよ。仕事中でしょ」
「そっかー。ヤスミちゃんまじめだなあ」
タイロも流石にその答えは予想できていた。残念そうに言って、気を取り直す。
「じゃ、また後で暇になってからね」
「ええ。連絡するわ」
「うん、待ってるよー」
タイロがひらりと手を振る。
ジャスミンはレコを連れて、フードコートを後にしようとした。
「あ、ちょっと待て」
意外なことにユーレッドが追いかけてきて、呼び止めてくる。思わずキョトンとしたところで、ユーレッドが抱えていた紙袋を差し出した。
「これ、持って行けよ」
「え?」
ユーレッドがちょっと苦笑する。
「昼飯食ってるとか嘘なんだろ。俺も飯食うの、面倒なやつだからわかるけどさ。でも、タイロが心配してたぜ。あんまり好きじゃねえかもだが、これ持っていけよ」
そう言って差し出された紙袋を見る。
(ドーナッツ?)
差し出してきたのは、フードコートにもあるドーナッツ店のロゴのある紙袋だ。ユーレッドには似合わないパステルカラーで、なんとなくファンシー。キャラクターも可愛い。
(ぐぬっ、ここにきて紳士!)
優しい。
しかし、ダメだ。これは彼の術だ!
(ドクターが本職っていってた意味わかったわ。このひと、こういう気遣い行動するんだ! こんな風体のなのに、こんな優しさ見せられたら、うっかり絆されるやつじゃない!)
だが、負けてはいけない。
こいつは危険極まりない獄卒の中でも、特に危険な要注意人物なのだ。ジャスミンだって、なんのかんのとタイロから離れてほしいといまだに考えているわけなのだから。
とはいえ。
(でも、まあ)
つんけんとここで断るのもなんなので、ドーナッツは素直に受け取ることにした。
あと、ジャスミンだって、ここのドーナッツは好きなのだ。指摘されたらお腹も空いてきた。
「ありがとうございます」
そう言って受け取ると、ユーレッドがどこか安堵した表情になる。普段強面な彼は、ちょっと隙のある表情を見せると、なんとなく可愛くみえるのだが。
(ぬう! そういうのいらないからっ!)
これも計算か? いや、ドクターは彼は無自覚だと言っていた。無自覚、それはそれでこわい。
「あー、それとな!」
絆される乙女心と警戒心の狭間。なにやら複雑な顔をしているジャスミンの前で、ユーレッドが付け加える。
「エイブ=タイ・ファは知ってるな」
「ええ」
急に聞かれてなんだろうと首を傾げると、ユーレッドは頷いた。
「俺、アイツに頼まれたんだよ。何かあったら守れって」
(エイブおじさん、変なとこだけ心配性だな)
むーとジャスミンは眉根を寄せる。もう子供じゃないのだ。そんなに心配しなくても。
しかし、ユーレッドはそんなジャスミンにちょっと苦笑して。
「気に入らねー気持ちはわかるがなー。あいつがジャスミン女史の心配する気持ち、俺、わかるぞ。お前さんみたいな娘っ子は、背伸びして無茶しやすいからよ。ま、俺だって、別にアイツの命令聞いたりする義理はないんだけど、ジャスミン女史はタイロの友人だろ。それなら話は別だから」
ユーレッドは、ちょっと柔らかい表情になっている。
「ジャスミン女史になにかあったらタイロも困るからよ。だから、なんかあったら、タイロに連絡しろ。俺が助けに行ってやるよ」
ジャスミンが即答しかねていると、ユーレッドの方が先に踵を返す。
「じゃあな。無理すんなよ」
「あ! ちょっ……」
いいかけてから、ちょっとためらう。
ここで会話を続けたら、絶対にほだされてしまう。
ジャスミンはため息をつき、心を鬼にすると、そのまま足をすすめる。
(あーダメダメ! これは絆されるやつ! やつの作戦!)
すたすたフードコートを後にしつつ、ジャスミンは自分に気合いを入れる。
(だめだめ、絶対好感とか持っちゃダメ! アイツはサイコなヤバイやつなんだからっ! この仕事終わったら、タイロからなんとしてでも、ひっぺがしてやるんだから!)
ぐぬぬ、と唸るジャスミンに、不意にフカセの声が聞こえる。
『はー、またネザアスのやつー。なんや変に気ぃ回して、甘いもん準備するとか。アイツほんま、女に甘いもん奢るの好きやな』
相変わらず遠慮会釈もない、傲慢な物言いが、片耳に突っ込んであるイヤホンから聞こえてくる。この辺り、なんというかTYRANTを名乗るだけある。
『しっかし、アイツ、つくづく無自覚女タラシやなァ。気ィつけや。あーいうギャップ萌え狙ってくる男が一番危ないねん。普段口悪いヤツとか、悪ぶってるヤツが一番あかんやつや』
(お前がそれをいうか)
思わずつっこんでしまうジャスミンだ。
『せやけど、お前、あの写真、なんで見せんかったんや?』
不意にフカセが尋ねてくる。
『見せたらなんかわかったかもしらんのに?』
「自分で解決したいからよ」
ジャスミンはぽつんと答えつつ、ふむとため息をつく。
「ま、それだけじゃないか。この写真の子、なんか違うわ。タイロじゃないか、タイロだとしたら、あの子が知らない何かなんだと思うの」
『は? なんやて?』
ジャスミンは、再び例の写真をスマートフォンに表示させた。
「この子、青い目をしてる。メガネで色が分かりづらくなってるけど、確実に左目が青い。タイロの目の色と違うわ」
確かに、その写真の少年の眼鏡の奥の目の色は青い。右目は眼鏡のレンズ偏光しているのか分かりづらいが、左目ははっきりと青い目をしていた。
「あたしが出会った時から、タイロが青い目だったことはない。カラーコンタクトをする理由もない。だったら、これはタイロじゃない。それかタイロだったとしたら、タイロ自身わからないなにかよ」
『自分でもわからん何かて、なんや?』
フカセに尋ねられて、ジャスミンは頷く。
「タイロは汚泥汚染事故の被害者だから、その前の記録や記憶がない。だから、もしかしたら、その変な事情があるのかもって思って」
『ふーん、なるほどなー。まあ可能性はないでもないか。まあまあの線やないか?』
フカセは肯定も否定もしなかった。
『しかしー、まーお前のカレシ候補のにーやん、ぼんやりして頼んないが、ネザアス、あんだけ手懐けられるとは、ただもんやないで。どうせ変なとこで肝据わってんねやろ? アイツはそういう餓鬼が昔から好きやからなァ』
フカセの声が笑い混じりになる。
『つくづく、お前らおもろいわ。しばらく、見物すりゃ、俺も暇せえへん。付き合ってやるわ』
タイラントことフカセ・タイゾウがクックと笑う。
「ふん、勝手に覗き見してるだけのくせに!」
そういうと、レコが同意するようにきゅっと鳴く。珍しく意見の一致を見た。
まあしかし、別にこの男から素直に答えが得られるとも思っていない。
ジャスミンは、ショッピングモールから出ていった。
*
「ヤスミちゃん、アッサリ帰っちゃったなー」
タイロは残念そうにスワロに話しかける。
「スワロちゃん、どう思う? 俺、ヤスミちゃんに嫌われてない?」
きゅきゅー? とスワロが首を傾げる。
「んー、わかんない? 俺もわかんないんだよねー。うーん、でも、マリナーブベイにいるなら、変な虫はつかないから、俺的にはちょっと安心要素もある」
ぶつぶつと言ったところで、ジャスミンを追いかけていったユーレッドが戻ってくる。
「あれ、ユーレッドさん、ヤスミちゃんに何か話でもあったんです?」
「あん? ちょっとタイ・ファのヤツに頼まれたからよー。挨拶を追加でしてたんだ。なんかあったら連絡よこせって」
ユーレッドは苦笑する。
「お前が心配する理由わかるぜ。あの子、しっかりしててなかなかの才媛みたいだけど、ぼんやりしてるお前と違って、鉄砲玉みたいなとこあるもんな。飛び出したら帰ってこなくなりそうで、不安なヤツだよ」
「ええー! 俺、ぼんやりしてます〜?」
そっちに引っかかって、タイロが不服そうにいう。
「してるしてる。ま、お前はあざといくせに、ちょっとぼんやりしてるのもいいとこだと思うけどよ」
「いいとこならいいんですけどー」
ちょっと褒められたので、機嫌を直しつつ、タイロはため息をつく。
「でもそうなんです。ヤスミちゃん、昔から危なっかしいんですよね。あっちに言わせると、俺がぼーっとして危ないっていうんでしょうけれど」
「ふふん、まぁそりゃあなあ。でも、俺から言わすとあの子のが怖いぜ。アマっ子は、度胸座ってっから、突然思いもよらん無茶しやがるからさー」
「そうなんですよー」
「ま、俺に助けられんのは、嫌かも知れねえが、一応連絡しろって言っといたからよ。なんかお前にヤバそうな連絡あったら俺に言え。レコとスワロは暗号で交信もできるから、すぐに居場所突き止めてやるよ」
「流石ユーレッドさんですね! えへへー、それなら安心です!」
こういう時はやたら面倒見が良いユーレッドだ。
ユーレッドは、別に善人でないから誰でも助けてくれるわけではない。これは彼がタイロを気に入ってくれていることの、副産物みたいなものなのだ。つくづく彼が味方で良かったと思いつつ、タイロはふと目を瞬かせた。
タイロの視線はユーレッドの胸元から腹の辺り。
「あれ? ユーレッドさん、そのネクタイピン」
「うおおっ!」
ユーレッドが慌てて飛び上がる。
タイロは気づかないが、ユーレッドのこの反応。どうやら、エイブ=タイ・ファからの通信が入って、ネクタイピンを試着したあと、しまい直すのを忘れたらしい反応だ。付き合いの長いスワロにはすぐわかる。
「あー、まー、これはー」
「早速してくれたんですか! お、似合ってますね! 思った通りだ! カッコいいですよ!」
「そそそ、そうか」
ユーレッドはやや動揺した様子で、引き攣った笑みを浮かべる。
「い、いや、その、し、してやんねえとお前が悲しむかなーって、気を遣ってやったんだぜ。ふふっ、ま、なんだ、俺、結構なんでも似合うから! 似合うってわかってたからよ。べ、別に試着しに行って、忘れてそのまま出てきたわけじゃねーぞ」
うっかり自白するユーレッド。タイロは、機嫌良くにこにこしている。
「へへー、気に入ってくれてよかったですー。俺、なかなかセンス良いでしょー?」
「ま、まーなー。お前にしてはやるよー」
スワロはかすかに首を振り、冷めた目で男二人を見ている。
やはりこいつらはダメだ。スワロがしっかりしてあげないと。
と、不意にスワロが着信を告げて、きゅっと鳴いた。
「お、なんだ。ウィスだな」
『こんにちは。ユーの旦那。お機嫌いかが』
ウィステリアが悪戯っぽく笑う。
『まー、機嫌いいんでしょうね? 今日は電話出てくれるの早かったものねーっ!』
「ちッ、余計なこと言うな」
ユーレッドは渋い顔になりながら、肩をすくめた。
「なんだよ。遊びなら切るぞ」
『遊びじゃないわ。情報が上がってきたから教えてあげようと思って』
「情報?」
『ええ。でも、直接話したほうが早いかしらね。今日はあたし、ステージがない日だから。今どこにいるの?』
頼んでいた情報に心当たりがあるらしい。ユーレッドが、嫌な顔もせずに場所を告げる。
「今は、なんだったか。ショッピングモールってやつ? 今からその近くの射撃場に向かうつもりだ」
『あら、タイロくんのお仕事で? ちょうどいいわね。その射撃場、あたし達も使う場所なの。"使いやすい"場所だから、そこで落ち合いましょう』
「ああ。わかった」
『それじゃあ後でね』
ウィステリアからの通信がきられる。
興味深そうにそれを聞いていたタイロが目を瞬かせた。
「ウィステリアさん、何か分かったんですか?」
「みたいだなー。どっちのどういう話かわかんねえけどよ」
ユーレッドは気だるくため息をつく。
「射撃場で落ちあうってよー。ま、丁度いいや。アイツが来るまでお前の射撃練習につきあってやる。お前、教官いないとサボりそうだからな」
「失礼なー。サボらないですよー。今までだって超真面目に練習してて!」
「本当か〜? ま、お前の上達具合見たらわかるんだけどな。はははっ」
ムッとするタイロをからかいつつ、ユーレッドはふと視線の先にあるドーナッツの店を見る。
そして、何か思い出したのか、ふむ、と唸る。
「ドーナツ? アイツ、そういやドーナツ、好きだったかな?」
ユーレッドはスワロを肩にのせてぼんやり呟く。
「お土産買っていくんですか?」
タイロが先回りしてトレイとトングを確保している。
「そんなんじゃねえよ」
ユーレッドは首を振るが、その反応は意外にも柔らかい。
「ま、でも、たまには、情報料ぐらいやろうかなってな」
ユーレッドは苦笑いする。
「ついでに俺のおやつも欲しいです。俺は、もちもちしてるヤツ好きです!」
「ふん、お前、食ったばかりなのに本当! 食い物のことはしっかりしてんなー」
ユーレッドは呆れ気味に肩をすくめつつ、珍しく穏やかに笑う。




