10.ポテトは冷めないうちに-2
「そ、そこまでにしとけ」
「え?」
ユーレッドが珍しくちょっと周囲を伺う。
幸い、彼のアンテナに引っかかるものはなかったらしく、ふとため息をついて、彼は小声になった。
「その手の話するなら先に言えよ。フードコートだぞ? 誰に聞かれるかわかんねえぞ。スワロ、一応、消音モード展開しとけ」
ユーレッドがそう言うと、スワロがきゅっと鳴く。
「スワロは音関係はあんまり得意じゃねえけど、物理バリアの応用で音の響き方変えられるから。こうすれば、秘密の話も多少はできるんだが、完璧じゃねえんだからな」
と、ユーレッドはいまだにちょっと小声で、やや焦るが、タイロはわかっていない顔だ。
「なにか、俺、変なこと言いました?」
今までだって、お姫様の話など、割と際どい話をクラブなどの他の人もいる公共の場でしてきたものだが。いや、もしかしたら、あらかじめスワロに音を抑えさせていた可能性はあるのかも。
タイロはそう考えながら、きょとんとする。
「なにかってなー? お前、っ、囚人と獄卒のこと、どこで聞いた! 俺はそこまではお前にはっきり言ってないよな!」
「え、あー、さっきの、あのシャオ君に質問を」
タイロも一応声をひそめる。
「あ、でも質問の答えははっきり聞いてないなあ。ただ、シャオ君の反応とかユーレッドさんの話から、獄卒を作る時にも、黒物質っての使うんだろうなって、なんとなーく察しました」
「あの小僧かー。なるほど、エリート獄吏は流石に知ってるかぁ。黒物質は知ってるかと思ったが」
ユーレッドは、困惑気味にもそもそ言う。
「え、ヤバい話なんです?」
「ヤベエからお前に黙ってたんだろ。ま、スワロがおひいさま事件の映像見せた時、わかったろうけどな。黒物質のことは。ただ、お前、それを汚泥のモトで、囚人の材料とは思ってるだろ」
「ええ。んで、ユーレッドさんは、黒物質に反応するし、汚泥が特に獄卒の死体に群がるとかあって、だから獄卒のもそうかなーと」
「ま、そういうことだ。ただ、黒物質自体が本当は知られてないんだがな。知らせていないというか」
「え、それって、トップシークレット的な?」
タイロが、ポテトを口に入れつつ小首を傾げると、ユーレッドは苦笑しつつ、
「トップってほどではねえよ。そういう意味ではおひいさまの存在や能力の方が、極秘事項だ。ただ、アルルのことはお前が騒いだところで、信じるヤツの方が少ないし、他の獄吏にはどうでもいい話だろ。だが、黒物質もさることながら、獄卒の製造方法の真実についちゃ、実際知ってる方が稀なのさ」
ユーレッドはちょっと唇を歪めて、小声で囁くように言う。
「元から獄卒には人権なんざないんだが、バレると倫理的にやべーだけでなく、一般市民どころか獄吏からも嫌悪感が激しい話になるからだ。いくらなんでも、囚人の材料と獄卒の材料が一緒ってのは、乱暴がすぎるからなあ。ワザとそれを投与して改造してんだからよー」
ユーレッドは続ける。
「獄卒本人にもそうだぜ。流石に汚泥そのものや囚人に対する嫌悪感は強い。ほんで獄卒本人に知られると、叛乱を招きかねない。だからこそ、獄吏にも箝口令が敷かれて久しいんだ。それで、下っ端獄吏には伝えられねえんだよ。知らされるのは、獄卒化の為に投与されるとあるナノマシンがあるらしいということ。表向きにはナノマシンの商品名すら偽装されている。お前みたいに製造方法も知らねえ若えのも少なくない」
ユーレッドはふむとうなずく。
「まー、お前は知っちまったんだから、もうしょうがねえけどな」
「なんか、察してるところで止めた方がよかったんですか?」
おそるおそるタイロが尋ねると、ユーレッドが苦笑した。
「当たり前だろ。まー、こうなりゃもういいだろ。獄卒の作り方をもうちょい丁寧に教えてやる。黒物質っつーナノマシンを投与して既存の細胞と置き換えるのが手法。ほんの少ーし、注射されるだけで、多分改造された本人も気づかねえうちに終わる。自覚症状なく置き換わる。だから、本人はそんな大層なことだと思ってないんだよな。そもそも獄卒になるようなヤツは、刹那的な生き方してる奴しかいねえから」
「ほわー、そんなことなんですか?」
「とはいえ、どれくらい元の人間の部分が残るかは、個体により違うという感じかな。まー、しかし、黒物質自体が"そういう"ことだから」
「汚泥の、元とかに、なるから?」
「そう。流石に中身がモロだってわかると、連中だって拒否感強い。汚泥や囚人を見ているからよ、嫌だろ、あんなどろどろのやつ。だから、公には汚泥に耐性のある身体強化用ナノマシンを使う、ってことで済ませているが、薬剤パックの中身はモロだよな」
くっくとユーレッドは笑う。タイロは少し考える。
「あ、あの、黒物質ってなんなんですか?」
「んー」
ユーレッドは少し考えて、
「それはいくら消音措置してても、こんなとこじゃあ、あんま、詳しくは言わねえ方がいいな。しかも、黒物質がなんなのかってのは話がめちゃ長くなるし、まして、黒物質の詳細は、獄卒の作り方なんかより機密性が高い。だが、基本は、お前の想像しているようなことで、あってるぜ」
ユーレッドは片頬杖をついて笑う。
「そりゃなんかしたら、囚人化もしようもんだって話よ。ただ、そうすることで、通常の範囲では、汚染自体に強く、感染しない対汚泥強化兵士が出来上がる。そのメカニズムは、なんとなーく理解したろ」
「は、はい、それはもう」
タイロは思ったより話が闇深いので、ちょっと引きつつ、
「てことは、あの、ユーレッドさんも指摘してた、看守って……」
タイロはおそるおそる口にする。
「だから言ってるだろ。アレは囚人を改造したように見せかけた、獄卒を改造した兵士だって」
ユーレッドは平然と告げる。
「材料は一緒なんで、やり方によるけど、最終結果は似てくるって話。だから、俺がメガネ先生をキョーハクしたわけだよ。"倫理的に問題ある"って。先生、ビビってたろうが」
「えー、じゃあ、怪我をした獄卒の人たちってどこに行ったかわかんないけど、もしかして、材料にされてるとか?」
「可能性はゼロじゃねえなー。さっきも言ったが、あれは個体差が大きい。適合性の高い素体を見つけるには、サンプルは多い方がいい」
むむ、とタイロは難しい顔になる。
「E管区からワザワザ獄卒を派遣してきて、訓練させてるって素材集めのためなんでしょうか?」
「ははっ、流石にそれだけの目的はねえと思うな」
ユーレッドは苦笑する。
「いくらサンプルは多い方がいいと言っても、それならコキュートス行きのクズ性悪獄卒まとめて拉致ってくればいい話。あいつらこそ、存在する価値なしの、何してもいい存在なんだからよ。こんな面倒なことする必要ねえよ。だから、そこは違う目的がある。ただのついでに集めてるかもな、ってくらい」
「違う目的って? なんでしょうか?」
「それは俺も今、調べてるとこだよ。そろそろ、ウィスからも連絡あると思うんだけどな。わかったら、お前にも教えてやる」
ニヤッと笑うユーレッドだ。
そういう悪い雰囲気のユーレッドとの会話は、なんとなく不良の兄貴とちょっとした悪事の計画を練っている感じがして、ほんのり危険な香りがして楽しい。話す内容も、何か色々危ないし。
「うーん、でも、思ったより危ない話なんですね。シャオくん、俺なんかに話してくれてたけど、大丈夫かな。俺が詳しく知ってる人なんだって誤解させちゃってたかも」
あとで叱られていないか、と、ちょっと心配になるタイロだが、ユーレッドは首を振る。
「あの小僧は普通の獄吏じゃねえよ。お前が心配するようなことはねえって」
ユーレッドは、シャオにはとても好意的だったが、そこは冷静に見抜いている。
「お前に喋っていいか悪いか、判断できないようなボサっとした小僧じゃねぇよ?」
「そうですか?」
「ああ。なかなかどうして、普通の小僧っ子じゃねえよ、あいつ。素直で可愛い子だけどな」
ユーレッドは、サングラスの奥で目を細める。
「普通じゃねえと言えば、お前の上司のメガネ先生もそうだな。お前んとこの管理課のボスは知らねえかもだが、あのセンセイは間違いなく知ってるよ、獄卒の作り方のことも、おそらく黒物質のことも。もちろん強化兵士の中身も。ただ、J管区獄吏に対して、割と弱腰みてえだが。まーしかし、そんなメガネ先生と一緒にマリナーブベイに派遣されて、なおかつ、新型強化兵士なんてえ化け物みちまったお前は、もう部外者じゃねーんだろうな」
「えー、身の危険を感じるんですけど! もはや危険な香りしかしない!」
タイロは不安そうに眉根を寄せる。
「命狙われてる疑惑あるのに、今後はもっとやばそうなんです? 口止めされなかったのに」
「暗黙の了解っつーやつがあるだろうが」
ユーレッドは珈琲を啜りつつ、肩をすくめる。
「ま、お前もちったあ一人前認定されたってことだなあ。喜べ喜べ、新米卒業の一歩だぞー。ふははっ」
「なんですかー。そんな、他人事だとおもってー」
ちょっと面白がっているユーレッドに、タイロはむーっとしながら、
「あ、でも、ユーレッドさんはなんで知ってるんですか? フツーの獄卒は知らないことなんでしょ?」
ユーレッドはニヤリとして左目を細める。とん、と珈琲を脇に置く。
「お前、いまだに俺がフツーの獄卒だと思ってんのか?」
「え」
タイロは急に真面目になる。
ちょっと空気が変わって、タイロは居住まいを正した。
「いや、絶対フツーじゃないなとは、思ってました! ユーレッドさん、普通の獄卒じゃないんですか! やっぱり!」
ユーレッドは無言で、薄く笑っている。
「も、もしかして、ユーレッドさんも、その、調査員とか? いや、前からそうじゃないかって、俺、思ってて!」
「耳貸せ」
ユーレッドがちょいちょいと人差し指でまねく。そっと身を乗り出して、神妙な顔でごくりと喉を鳴らしたところで、ユーレッドが真面目な顔つきで、例のハスキーボイスで囁いてきた。
「そんなもん」
ん? ユーレッドの声が笑いを含む。
「こんなとこで言うわけねーだろ。バーカ!」
「はぁッ?」
思わず間抜けな声を上げて引き下がるタイロに、ユーレッドは堪えきれないといった様子でふきだした。
「はっはははー!」
「えー! そこでそれ! なんなんですかー!」
タイロの顔を見てユーレッドは、笑いが止まらない。
「お、お前、真に受けやがって! あ、あのなー、もし仮にそうだったとしたら、ますます話すわけねーだろ。秘密にするてーの! ふははっ、おま、本当、面白え顔! あー、マジで面白え!」
「絶対違うでしょ! わかってるんですからね! フツーの人じゃないんでしょー!」
「な、なにいってんだ、ひひひ、フツーの獄卒だよ、俺、はははー、あー、腹いてえ!」
「もう! 人をからかって!」
ひーひー笑いながら、明らかに嘘をついているユーレッドだ。
むむーっとしつつ、不機嫌そうにタイロはむくれる。
「あー! もう怒りましたよ! もう知らない! 金輪際、ユーレッドさんの心配なんてしないですからね! ポテトもやらないし、チキンナゲットも二人分食べる!」
「あー、悪い悪い。っふふ、で、でも、お前、怒ってやるのがそれって、ひひひ、面白いなー、お前」
ユーレッドは何かツボにハマったのか、涙が出るほど笑っている。
そんな二人は、傍目にはなんかの兄貴分っぽい白ジャケット男と、まだ少年に見える獄吏らしき青年が楽しく騒いでいるだけに見える。
スワロのバリアのせいで、音は完全には消えていないが、小さく抑えられてはいて、小声で話している内容は立ち聞きされてはいないだろう。
けれど。
この二人、何故こんなに子供っぽいんだろう。
テーブルの上のスワロは、思わず二人を冷めた目で交互に確認してしまっていた。
一体何をはしゃいでいるのか。しかも、つまらない内容で。
スワロはそんな二人に呆れていた。
この二人の波長が合うのは結構だし、ご主人も楽しそうなのも結構だが、二人ともどうも妙なところで子供っぽい。
自分が一番大人かもしれない。これは。
スワロは人知れずうなずく。
もうこいつらはダメだ。スワロがしっかりしなきゃ。
「悪かった、悪かったよー。ははは」
そんなアシスタントの思いも知らず、ユーレッドは目尻を拭いつつ、ようやく笑いを収め、不機嫌なタイロの機嫌を取りにかかる。
「そんな怒るとポテトが冷めちまうぜー。俺も少しご相伴にあずかってやるからさー。な、食べようぜ?」
「わかりましたよー! ただし、俺を怒らせたんだから、ちゃんと食べてくださいよ!」
「わかったって! タイロ様の買ってきたメシは、ジャンクフードでも特別に美味いよ! 本当、揚げたてでうまいぜ?」
「本当ですかあ?」
「本当だよ!」
笑いながら、大きな口にポテトを失敬してねじ込むユーレッドだ。
スワロはやれやれと、楽しそうなご主人を見上げる。
楽しくご飯を食べてくれるのだから、だめなところは目をつぶろう。
スワロはそう考えて、再び二人を観察しはじめる。
「あ、本当だ! このポテトうまいですね!」
ポテトを食べ始めたタイロは、もう機嫌を直していた。
なんだか騒がしいが、妙に楽しいランチタイムだ。