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U-RED in THE HELL ―ナラクノネザアス―  作者: 渡来亜輝彦
第二章-D:黄昏世界のお姫様
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27.チャコールグレイ・ロマンス-4


 そこは、静かな山の中だった。


 幽玄な竹林の奥、人の出入りもほとんどないその山の中に、きれいな庭園のある屋敷があった。

 屋敷の主は教授と呼ばれている物静かな男で、世俗の喧騒を嫌ってここに隠遁しているという。

 そこに何故か、まだ幼い少女が匿われていた。

 少女は、多分お姫様だった。実際、姫と呼ばれていた。みんなから大切にされて愛されていた。

 なぜお姫様なのかは彼女自身もよく知らないが、彼女は狙われているのは確かだった。匿われている理由はうっすらとしか知らなかった。

 お姫様は素直で優しく屈託がなく、教授にかわいがられていた。

 お姫様は大切にされていた。

 けれど、何者かに狙われていて、外に出るのはかなわなかった。


 そんなお姫様でも、年齢相応に好奇心はあった。

 けしてお転婆娘というわけではないが、お姫様は活発な娘だ。だから、こんな俗世から離れた屋敷は刺激が足りなくて退屈だ。

 なので、お姫様は庭を探索するのを日課にしていた。着物の裾をちょっとあげて、庭を回ると、限られた庭でも楽しく思える。


 その日もそうだった。

 お姫様は昼下がり、庭園を散策した。

 そして、竹林の奥から誰かの啜り泣く声をきいた。

(あの声は)

 お姫様は警戒していた。なぜなら、お姫様は何にでもなる黒い泥を操ることができたので、彼らに懐かれやすいのだ。それだけなら良いことだが、その黒い泥は、古い悪意と結びつくと感染力のある汚泥になり、人を取り込んで化け物になるからである。

 そうした化け物は啜り泣く声を立てて、お姫様の気を引くことがあった。襲われて逃げ惑うところを、教授が助けてくれることもしばしばだった。

(私、今日は騙されないもん!)

 お姫様はそう言って無視しようとした。が、その啜り泣く声はあまりにも悲しそうだった。

(なんで、泣いてるんだろ)

 悩んだ末、お姫様は結局見に行くことにした。


  ✳︎


 延々と続く竹林の中を、それは静かに進んでいた。それは逃げてきたのだ。ふもとの方から。

 傷を負うだけならどうにかなったが、体を崩壊させる毒を盛られてはどうにもならなかった。元から、うまく元の姿に戻れなくなっていたのだ。それは自分が何故そうなったのか覚えていなかったが、かろうじて体を保つ術を知っていた。しかし、毒の弾丸を撃ち込まれた今は、それも役に立ちそうもない。

 行き場のない哀しみと怒りに染まりながら、それは逃げていた。

 お、れ、は。

 それは唸ったがうまく声にならなかった。その声帯は既に潰されている。それは自分の濁った声が嫌いだった。

 お、れ、は、ただ……。

 動けなくなって力尽きる。あたりは暗い竹の林だった。

 それは、手を伸ばした。ふるえる黒く変色した手は、目の先で崩れていった。

 

 ✳︎


 お姫様がこっそり庭を降りて行き、竹林に入り込む。声を辿って歩いていくと、はたして、竹林の中で、そいつはいた。

 思った通りの黒いものが、林の中で溶けていた。

(そうだ!)

 とお姫様は思い出した。

 昨夜は麓の河原の方で戦闘があったのだ。何があったか、教授は知らずとも良いことだ、と言った。教授はもともとは、とても偉い人だったが、何らかの事情でここに隠棲しているのだ。色々な事情がわかる彼は、何が起こったのかも知っていたのだろう。

 お姫様の知る限り、戦闘は多分汚泥から派生した化け物を殺すためのものであることが多かった。だから、その化け物が川上のここに逃れてくるのもありえなくもない。ここまでやってきて力尽きて、溶けてしまったのだろう。

(どうしよう。このまま放置しても、多分、汚泥に戻るだけだけど、周りを汚染しちゃうかな、教授に報告して回収してもらわなきゃ)

 と思ったが、なんだかその化け物は変だった。

 お姫様は、そんな化け物や汚泥をたくさん見かけていたし、操る力もあったので、性質をよく知っている。だから、そいつはいつものと何か違うなぁと思ったのだ。その溶けた黒いやつは、外見はそれらとほとんど同じものなのに。

 そして、そいつは、攻撃してくることはなかった。お姫様の接近にも気づかずに、何故かただ悲しんでいた。

(どうして? 何がそんなに悲しいの?)

 お姫様は、そう思っておそるおそる近づいた。黒いタールが溜まっているようなそれは、手のようなものを伸ばしたまま動かなかった。

 お姫様はその手に触れようとした。そのとき、彼女にそいつの思念が映像として伝わった。


 お姫様の脳裏に、ふと、おぼろけな姿の男が浮かんだ。顔はわからないが、まだ若い方になるだろう。

 男は笑っていた。

 あははっ、ようやく、普通の人間になれた! これで、おれは幸せになれる!

 これなら家族も作れるし、みんなに辛い思いをさせないで済む。

 良かった。これで迎えに行ける!

 男は、子供のように無邪気に喜んでいた。

 しかし、両手を広げて、喜びに浸ったその時、右手が跡形もなく崩れて溶け出した。

 ああ。

 男は怯えたようにそれを見た。

 ああ、だめだ。やっぱり、だめだ。

 それどころか、右半身からどんどん形を失っていく。左手も砂のように崩れてしまう。

 ああ。やっぱり。どうして。

 男は、悲嘆と憤怒の混じった声を立てた。

 おれは高望みした覚えはない。ただ人並みの幸せを少しだけ手に入れたかっただけだ。

何もしてない。ようやく、小さい幸せを手に入れたと思ったのに、どうしておれが本当は怪物なんだって、知らしめる必要があるんだ!

 おれはお前の命令をきいて、ちゃんと"いい子"にしていた。なのに、なぜ、こんなことになる?

 おれは何も綺麗にしてくれなんて言わない。醜いのはつらいけれど、せめて、人の姿を保ってもらえればそれでよかった。なのに、おれにはそれも許されないとでも?

 幸せになる資格も与えられないのがわかっていて、だったら、お前は何のために俺なんかを造ったんだ?

 約束を守ることが幸せ?

 約束ってなんだよ? 約束は命令と同じだ。それが罪なら、おれはどうすればよかった?

 でもだ。罪とは言っても、おれが何をしたのかもわからない。何故か思い出せない。俺にはそんな記憶も残っちゃいない。何も覚えていないんだ。

 俺は、一体なんなんだ。何の目的で造られた?

 俺には何が許されるんだよ?

 俺はただ。

 俺は。

 おれは。

 おれは。


 男の目から黒い涙が溢れていた。


 弾けるように思念が途切れ、お姫様は我に返った。

 いつのまにかお姫様も泣いていた。

 しくしく。

 かすれた嗚咽する声が響く。悲しくて仕方がない。

 お姫様はそっと彼の手に触れた。

「ねえ。動ける? 私がわかる?」

 お姫様が声をかける。ずると手が反応する。微かに泥のような体が持ち上がった。一つだけ目があって、それが涙を流していた。

「泣かないで。私と一緒においで」

 そう言って手を引く。

「私が直してあげるから」

 彼は戸惑いながらついてきた。

 お姫様は、普段は使われていない離れに、教授に内緒で彼をそっと匿った。


✳︎


 うまく姿の取れない彼を元の姿に戻すのは造型の力を持つお姫様でも、骨の折れることだ。一度、どんな姿をしていたのか忘れてしまうと、そいつは不定形のものに戻ってしまう。

 近くに落ちていた、破かれた彼の衣服らしいものも、肉体を保つ為のデータが書き込まれていたので、きっと彼はもっと前から溶ける体と戦っていた。

 どうして、誰も助けてあげなかったんだろう。

 破れた服を包帯に混ぜて、失われた命令を定着するためのチップを使いながら、お姫様は彼の手当てをした。

 それでもすぐ、黒いままだが、うっすらと溶けかけた人の姿を取れるようになった。なので、お姫様は教授の箪笥から、あの教授にしては派手な着物をこっそり抜き出してきた。こんな着物着てるところをみたこともない。バレないはず。

 それを肩からかけてあげても、彼はまだ泣いていた。嗚咽の声が聞こえる。

「びっくりしちゃったのね」

 お姫様は手当てしながら慰める。

「あなたはね、今、体が安定してないの。だから、急に崩れてしまうことがあるんだって。前に教授が言ってたんだ。あ、教授っていうのは、私を守ってくれてる人なの。とってもいい人だけど、ちょっと変わってるって皆言うのよ。でも頼りになるのよ」

 黒く変色した腕に包帯を丁寧に巻く。所々で妙な形に歪んでいくのを、小さな手のひらがそっと撫でる。

 漏れる嗚咽は濁っていた。

 顔は目をのぞいて包帯が巻かれていたが、包帯に涙が染み透って、黒く汚れていた。

 その一つの目が、哀しみと怒りに満ちていた。


✳︎


 小娘に拾われた彼は、その小娘の正体をうっすらと理解していた。

 拒否することはできずに彼女に連れてこられたが、無邪気な彼女に内心腹が立った。


 なにを偉そうに! 何も知らぬ小賢しい小娘が!

 ちがう。お前の勘違いなんだ。

 おれは泣いてなんかいない。

 これは溶けているだけなんだ。

 おれのからだが溶け落ちて、そう見えているだけなんだ。

 おれが泣くはずなんかない。そんなふうに造られていない。

 第一、身勝手で傲慢な創造主カミの娘が、なにをえらそうに。

 そもそもおれがこんな姿になったのは、お前達のせいじゃねえか。おれを利用するだけ利用して捨てたお前の親父のせいさ!

 てめえらが地獄に落ちれば良かったんだ! てめえこそ地獄に堕ちろ! 呪われればいい!

 泣かないで? おれじゃなく、お前が泣いているだけだ。

 おれは。おれの熱いこれは、涙なんかじゃないんだ。

 これはおれへの呪いなんだ。とめどなく流れる溶け落ちる血肉の!

 でも、この溶け落ちる何かは、何故こんなに熱いんだろう。この熱は誰のものなんだ。

 おれは。

 おれは。おれのこれは。

 涙などではないんだ。

 おれは。なんで。

  

✳︎


「どうしたの?」

 彼は何か口にしかけたが、うまく声が出ないようだった。彼の声はかすれている。

「声、つぶされちゃったの? 大丈夫だよ。それも私が直してあげる。完全に元には戻らないかもだけれど」

 そっと喉に手を触れる。彼は顔を上げ、ほんの少し怯えたような目をした。

「怖がらないで。あのね。私、あなたが他人に思えなくて」

 お姫様はお姫様のくせに、変なことを言うのだ。

「私もね、元々は溶けちゃってたんだって」

 お姫様はふとそんな話をする。

「私は魔女だったんだって。魔女ってわかる? 悪い女の人のことじゃなくてね、本当はこの世界をきれいにするのに作られたんだよ」

 お姫様は彼の手をとって、プログラムを整える。

「当時、魔女はね、貴重な物質で作られてたの。それが兵器を作るのに向いてるって、後でわかった。魔女は黒い泥を操って浄化するでしょう? だからかなあ」

 お姫様は無邪気に言ったが、悲しげだった。

「でね、魔女は当時とても嫌われていたの。みんなのために働いてたのに、悲しいよね。でね、そのうち、役目を終えた魔女は火あぶりにしてもいいって、そんなこと言い出した人もいたのよ。そして、あるとき、偉い人の一人が、何かすごい物を作るんだって言い出した。それに魔女の材料が必要で、それで、私を呼び出して、突き落としてそのまま溶かしちゃったんだって?」

 ふと彼が一つだけの目を見開いた。お姫様の言い方はあどけなく、屈託ない。

「あ、でもでも、今は大丈夫なの。お父様が新しく体を作って直してくれたし、教授も助けてくれたんだ。そんな怖いこともちろん今は覚えてないし、大丈夫なんだよ」

 でもね、とお姫様はいう。

「でも、体が溶けちゃうのがこわいのはわかるよ。私も夢を見て、今でも泣いちゃうもん。だから、あなたの気持ちわかるんだ」

 お姫様はいつのまにか泣いている。ぐすぐす泣いて、しゃくり上げそうになるのを我慢する。

 だから、わたしがちゃんと直してあげる。

 だからね、もう泣かないで。泣かないで。


✳︎


 お姫様がふらりとしたのは、程なくのことだった。慌てて彼はようやく動くようになった手でお姫様を抱きとめた。

 お姫様は泣きながら寝てしまっていた。

 きっと力を使いすぎたのだろう。

 彼は驚いて目を丸くした。どうしたら良いのかわからなかったが、困った末にぎこちなく少女の頭を撫でてやる。

 お姫様の目元が濡れている。それをそっとぬぐってやり、彼は苦笑した。

 泣き虫だな、こいつ。

 なんでおれのことで泣く? おれは女泣かせるの嫌いなのに。

 少女の力がじんわりと伝わる。彼の中の壊れた情報を修復していく。

 ああ。

 彼は嘆息した。

 あたたかいな。

 これは、いつもの、急速に修復される時の発熱か、それともお姫様の力なのか、彼には判別がつかなかった。

 ただこんな風にあたたかくなったのは、いつぶりだろうと思った。昔は、多分、もっとこんな風な熱を感じられたのではなかったか。

 もし、この熱がこの娘のものなのなら。

 と、かれはふと思った。

 新しい約束をおれはしてやっても良いかもしれない。

 彼の、溶け落ちる涙がいつの間にか止まっていた。

 お姫様は彼の腕の中で眠ってしまっている。まだ小さい体なのに、力を使いすぎたお姫様の頬に、まだ涙が伝っていた。

 おまえはそんなにかなしいことがあるのか。

 それをじっと見つめてから、彼は口を開く。


 この熱が、お前の与えてくれるものであるゆえに。


 おれはお前を、


 守ってやろう、


 だから、お前はもう泣くな。


 眠っているお姫様に、彼はそっと、潰された喉でそう告げた。


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