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5.囚人(プリズナー)

「畜生、なんだよう! みんな俺のこと馬鹿にして!」

 タイロの咆哮……というには、弱々しい声が人気のいない道に響く。


 早番だったタイロは、その日直帰を許されていた。

 あのあと、ユーレッドは早々に賭博場に戻って行ってしまうし、とりあえずタイロもベール16の前からは帰ったのだが、収まりきらないタイロがもやもやしていると、いつのまにかラッキー・トムが隣に来ていた。

「どうしたんですか? 何か話を聞きましょうか?」

 と言われると、つい彼に警戒していたタイロも絆されてしまった。

「それはお気の毒に。どうです? ちょいとそこで一杯。気晴らしに飲みましょう」

 という話に自然となって、またラッキー・トムの人懐っこさにもうっかり気を許してしまい、そのまま居酒屋に向かった。

 獄卒の街にも、比較的まともな居酒屋はあるようで、流石のトムはタイロを妙な店には連れて行かなかった。ラッキー・トムに連れて来れられたのは、比較的まともな焼き鳥屋で、客の獄卒もベールのビルにいる連中と比べて上品である。

「ではなんですかい、まだ赴任したばっかりのあなた様にそんな汚れ仕事を」

「ひどいよねえ。俺なんて、ここにくるのも初めてなのに」

 タイロは酒が弱いわけではないが、ついつい勧められたレモンサワーで多少口が軽くなる。情報漏洩にならない程度に仕事の愚痴を漏らしたつもりだが、先ほどのベールの封書の話をうっかりと口にしていた。

「しかし、ベールの旦那に渡した書類って、そりゃあ中身はなんなんです?」

「それは知りませんよう。俺みたいな若造には知り得ないことだもん」

 そこは流石にタイロもはぐらかし、焼き鳥を貪っていたが、ふとトムが愛想笑いを浮かべつつ、

「もしや、それ、移動許可証ねえんスか?」

「あれっ、もしかして誰かから聞いてたんです?」

「いやぁ、うっすらとねえ。俺は情報が早いんで〜。獄卒の旦那方にはまずもって旅行が無理ですからね。移動許可証は旅行の許可みてえなもの。そりゃあ、喜びますわなあ」

 トムが目を細めて尋ねる。

「どこ行きかわかります?」

「さあ、マリナーブベイがどうとか。俺が引率するんだとか、なんだとかさ。でも俺、この管区どころか、シャロゥグから出たことないんだよねー。ふざけんなっつー話ですよ。しかも、出発は向こう任せで決まってないとか。いきなり明日行けって言われても文句言えないんですからねっ」

「それはまたすげえところに行くもんだなあ」

 と、そこまで聞いたところで、ラッキー・トムは思い立ったように席を立つ。

「ちょっと手洗いへ。まあのんびりなさいまし」

 思わせぶりなことを言ったのが最後、彼はそのまま戻ってこなかった。

 いい加減そうな彼に全部聞いてほしいとも思っていたわけではないし、信用していたわけではない。

 あの辺の危ない獄卒と付き合うようなやつなので、ロクなやつじゃないのはわかっている。別にそこは失望していない。ただ、ちょっと彼の分の酒代をいつのまにかつけられていたのは腹が立つが。

 変なところで適応能力の高いタイロは、今度は店の大将や常連客と話が合い、なんかと世間話をしながらだらだら飲み、気がついたらすっかり夜がふけていた。

 流石に帰らなきゃ、となってふわふわしたまま夜道に出る。

 ここからはきた時と同じく、公共交通機関では帰れないが、幸い、タイロの住んでいるアパートから、ここはさほど遠くない。歩いていけば良い話だ。

 ということで、タイロはなにかと怒りつつ、道を歩くことにしたのだった。

 その時のタイロの怒りは主に上司に向けられていた。特に教育係のあの眼鏡野郎である。涼しい顔してなんてことをしやがるんだ。

「くそう、俺が新米だからってえ! なんの相談もなしにマリナーブベイとかッ! なんなんだよ、管区違うといろいろ大変だってのに、いきなり獄卒の引率とか、馬鹿じゃねえ! ってか、あのメガネ、メガネの奴、絶対知ってた! あー、もう許さね!」

 彼にしては珍しく荒れた言葉を吐きながら、気勢を上げて帰る。


 しかし。

 まだ、ここは獄卒の街。

 場所によっては売春婦もたっていて、表には怖い連中も歩いている。

 タイロが帰り道として選んだのは、ネオンサイン煌めく街の裏側の、売春婦の蠢く怪しげな通りのまた裏にある道だった。そこは居住区の端にあたり、打ち捨てられたような建物の向こうに煌々と輝く光が見えている。そこは、居住区の最端を示すフェンス、そして一際明るいのは獄卒が外に出て仕事をするために使うゲートのある場所だ。

 すでにこのあたり、人が住んでいないらしい。団地のような建物群はいっそのこと廃墟のようで、人っ子一人いない。それどころか、生き物の気配がなかった。

 まるで捨てられた建物の墓場。

 整然と整えられた建物の壊れかけたコンクリートの壁があちらこちらではがれて落ちている。

 かつてここにも人は住んでいたらしいが、囚人の脅威が増し、獄卒の居住人数が増えるにつれて見捨てられたのだろう。共同住宅らしい、同じ形の建物が延々と続いていく、終わった街。

(なんか、寂しいな)

 街灯だけは整備されていて、間隔はあいているがうっすらと明かりがついている。


 実は、タイロが気勢を上げて帰るのは、ここがやたらと寂しい通りであることと無関係ではなかった。

 獄卒に絡まれるのも、売春婦に絡まれるのも嫌だから、タイロは酔っ払いなりにちゃんと手持ちの端末でマップを調べている。ここをまっすぐ通っていけば、タイロの住居のあるシャロゥグの住宅地に出るはずなのだ。しかもショートカットできる。

 端末は進む道を正確に教えてくれている。

 選択は間違っていないはず。

 大丈夫、そう遠くはない。単に、人気がないだけ。

 だが。

(でも、改めて通ると怖いな、ここ)

 酒で温まった体もひんやりとする。タイロは思わず身震いをした。

 でも、誰にも会わないならそれはそれでいいのである。ここで、誰かに会う方が怖いじゃないか。

 そう言い聞かせる。

(でも、まるでこの廃墟な感じ、荒野みたいだな)

 タイロはうっすらと思った。建物の廃墟の向こうの光を見て、思わずゾッとする。

(ここ、荒野からもずいぶん近いんだっけ)

 ”居住区”はフェンスと壁で守られ、”荒野”と隔てられている。



 ”荒野”は単なる荒れ地をいうのでなくて、かつての街の残骸だ。

 ”囚人”をはじめとする異形達が跋扈して、何もなくなった場所だった。今では荒野によって隔てられた居住区と居住区の移動は簡単ではない。武装した獄卒なら歩いて渡ることもできるらしいが、普通の一般人は公営の鉄道でしか移動できない。それには許可が必要であるが、許可が下りるかどうかは管理局次第で、そうそう簡単なものではない。居住区の間でもそんな移動制限があるのだから、管区すら違うマリナーブベイへの移動許可が不良獄卒に簡単に出されるのは異常なことなのは自明の理。

 あの渡航許可証、絶対に何かある。……のは間違いないが、タイロはそこまで正義感の塊ではないし、メガネの言う通り、関わらない方が無難そうな話で、深入りしてまで調べようなどとは思わなかった。

 ただ、タイロは獄卒を引率してマリナーブベイに渡航しなければならない。それだけは余分だった。自分はそんな後ろ暗い話に関わりを持ちたくなかった。

 ただですら舐められやすいのに、どうして獄卒の引率を務めなければならないのか。

 しかも、こんな訳ありな話。

 そんなことを考えると、酒が醒めてきた。いっそう廃墟の寒さが身に染みる。

(荒野みたいってのもあるけど、こんなのだと囚人が出そうで嫌だな)

 タイロは思わずそんなことを考えた。

 そう、荒野にいるのは”囚人プリズナー”である。

 獄卒が組織された原因となった、異形の存在。タールのような黒い汚泥に包まれた、触れてはいけないモノである。汚泥は伝染するのだ。

 その脅威に晒されて廃墟となった街が荒野となったと聞かされる。

 しかし、囚人は元々は居住区の一般人だったとも聞いた。それの生まれた原因は、北部にあるコキュートスの"汚泥スラッジ"の漏洩だった。

 この世界の存在がみんな持つとされている識別票と言われるものは、負のエネルギーである汚泥に晒されると、うまく働かなくなり、伝達中の情報が書き換えられてしまうのだという。

 この世界は”識別票”が全てだ。識別票で照会できる情報をもとに肉体を形作っている。タイロはその仕組みを実感したわけではないが、そういうものだと教えられてきた。自分の中の識別票を意識したこともないが、そうなのだと。

 だが、汚泥に触れて書き換えられた肉体は異形の姿を取り、汚泥を纏って人を襲って増えていく。

 それのことを囚人という。

 汚泥に触れてはいけない、囚人が恐ろしいのはそういう理由だった。襲われれば、一般人なら助からない。

 だからこそ、汚泥に対抗する肉体改造を施した獄卒が、この世界の平穏の維持のために必要不可欠なのだった。


 タイロだって囚人をみたことぐらいはある。あの、黒いタールのようなものに包まれた人型や不定形の化物は、何度もみたいものではない。

 と、そんなことを思い出したとき、不意に目の前がゆらゆらとした。黒い闇の中で、もっと黒いものがうごめく。

 タイロは思わずぞっとして、足を止めた。

(み、見間違い?)

 と思ったが、ゆらゆらしたものはどんどん黒さを増していく。夜の僅かな光を吸収するように黒いものが、うねうねと蠢いていた。

「囚人?」

 ぞっとして、タイロは思わず所持していたテーザー銃に手を伸ばす。

 けれどテーザーなんかで立ち向かうことができるんだろうか。第一、これは対獄卒用のものだ。威力はそれほどない。

 と、ずるりと湿った音をたて、黒いものが近づいてくる。

「う、撃つぞ! 近づいたら撃つんだからなっ!」

 タイロはそう口にしてテーザー銃を構えたが、すでに足がふるえていた。

 目の前にいる囚人らしきものは、一体ではないらしく、数が増えている。

 その一体がぬるうと人型の姿を取る。いつの間にかその手に剣のようなものが握られているが、それまで黒い。

(そういえば)

 とタイロは思い出していた。

 汚泥の汚染の犠牲になったのは、当初は一般市民だった。汚泥に侵されても、彼らは不定形のスライム状の形や、ゾンビのような人型をとっていたが、動きは遅く脅威ではなかった。

 しかし、囚人対応に当たっていた戦闘員コマンドが犠牲になり始めてから、話が変わってきた。彼らは人の姿をとり、汚染される前に手にしていた武器を模した変形をして襲ってくるようになった。訓練された戦士の囚人は非常に強力で危険だった。

 それに対応するべく投入されたのが獄卒だが、彼らも汚染されると同様に強い囚人となり、手を焼かせた。

 居住区が脅威に晒されるようになったのは、そうして強化された囚人が原因でもあった。囚人が強くなればなるほど、獄卒の耐用年数は低くなり、そして新たな囚人が生み出されるのである。

 タイロの前に現れた囚人は、多分そうした戦士達を元にした囚人なのだろう。動きが早い。

「わあっ!」

 タイロはテーザーを撃つが、囚人には大したダメージを与えられない。電撃を纏いながら、剣のようなものをもった黒い人の形のものが襲いかかってくる。

「うわあっ!」

 テーザーが弾き飛ばされ、タイロは反射的に逃げる。

 しかし、足を掴まれたようでその場に転んでしまった。

「うわあ……」

 タイロは怯えた目で振り返った。

 黒いものには目がない。ただ全身黒い人の形をしたものが、何体か並んでいる。掴まれた足が熱く痛い。

(ど、どうなるんだ、俺。たしか、囚人の汚泥につつまれたら……)

 囚人に襲われて喰われると、その汚泥に識別票が侵される。そうして識別票が侵されれば、情報が書き換えられてしまう。

(俺も囚人になるのか?)

「嫌だっ!」

 タイロは悲鳴をあげて足をばたつかせる。何か武器になるものはないかと周りを見やるが、落とされたテーザーは、別の不定形な囚人の体に飲み込まれていった。

 怯えた彼の瞳に、飛びかかろうとする囚人の黒い体が広がるのが見えた。

 タイロは思わず目をつぶったが、その時、濁った悲鳴のようなものが響いた。

 思わず目を開くと、不意に白いものが見えた。まるで幽霊みたいでぞっとする。

「ふふふ、思った通りだな、スワロ」

 なんとなく聞き覚えのあるしゃがれ声。

 ゆらめくのは白いジャケットの右袖らしい。その右袖の上の方に、赤くて丸いアシスタントロボットが乗っている。

 いつのまにか、タイロと囚人の間に立っていたその男は、無造作に左手に刀をさげていた。

 不思議と引きこまれるような雰囲気のある刀だ。ただの刀ではないらしい。

「俺の見立てもたまには当たる」

 刀を振ってからくるりと回して彼は片手で器用に腰の鞘に刀を収める。

 囚人の黒い塊は、彼の一寸手前で静止していたが、鞘に刀が収まるぱちんとした音が響いた途端、じわりと崩壊していく。そのまま、囚人の体が蕩けるようにして砂のように崩れ落ちる。

「あ、……あの……」

 タイロがようやく声を出すと、その男はちらと振り向いた。右側の顔の傷が暗い中にいっそう暗く見える。

 タイロは、それでようやく男が今日管理局の建物で出会った例の獄卒、ユーレッドだと気付いた。

「おい、さっさと立て、新米。お前、喰われてえのか?」

「あ、い、いえっ!」

 いつのまにか足を掴んでいたものが溶けている。タイロは残骸を振り払うようにして立ち上がった。


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