3.タイロの受難
「ああー、マジかぁ」
獄吏タイロ・ユーサは、つくづく今日の自分は幸運とは縁がないなどと思って、深々とため息をつく。
タイロは、”お使い”を頼まれて街に足を運んでいるところだった。しかも、よりによって獄卒の街である。
「やだなぁ。絡まれたりしないかなあ」
タイロはそういって、何度目かのため息をつくのだった。
獄卒の溜まり場は、タイロにとっては怖い場所だった。
何かと治安も悪く、トラブルも多いし、第一、タイロはどちらかというと大人しいほうの一般人。当然ながら、仕事でなければ足を運ばない。
今まで来たことがないわけではないが、それだって、つい先日に仕事で訪れただけ。土地勘すらない。
ただ、比較的大きな居住区であるシャロゥグの街でも、獄卒の街と呼ばれている区域は、都合、獄卒管理課の詰所から近く、歩いては行けた。
「もー、なんなの。俺のこと信用してるの、してないの? あの人たち」
タイロは、不満げに口を尖らせた。
新米だなんだと先輩たちにさんざん言われているというのに、こういうときだけ彼らは「修行だ」などと言ってタイロを一人で、こんな危険なところに送り込むのだ。
今日、タイロはベール16という通称で呼ばれているSTANDARD-2-5-16の所有物件に向かわされていた。
先ほどは、あのユーレッドとかいう獄卒に警告票を交付する仕事を仰せつかって、それをどうにかこなしたと思ったら、次にこんな仕事を唐突に入れてくる。
やはり、獄卒管理課は、管理される獄卒にも大変な人物がおおいけれど、管理する側の人間も曲者が多い。何かと分かり合えない感じである。
(ぶっちゃけ、俺、さっきの獄卒の人のがまだ話が合う気がするんだよねー)
と、タイロは、思わず考える。
後々聞くと、あのユーレッド、やはり相当の問題児ではあったらしい。しかし、動画資料を見る時間もなかったし、彼がどんな風に問題なのかがいまいちわかっていないタイロにとっては、害を与えてこなかった分、彼のほうがいくらかマシな気がする。
それにしても、治安が悪い。
すでに、タイロはもう二回ほど絡まれているのだ。
そのあたりの路上を縄張りにしていそうな、不穏な感じの獄卒にどこからきたのかなどと絡まれそうになり、慌てて獄吏のIDカードを示す。
そうすると、さすがの相手も獄吏には表立っては絡んでこない。舌打ちして遠ざかるのをみてほっとする。そんな感じでどうにか切り抜けてきた。
一応、タイロだって新米といっても獄吏だから、武器の携帯ぐらいはしている。
タイロの場合は、至急された対獄卒用のテーザー銃というやつをもらっているのだが、実際、これを人に対して使ったことはなかった。
ただ、銃火器の携帯は獄卒に対しては有利に働くことであるらしい。彼らは銃火器などの定められた武器の携帯が禁じられているのだ。特に飛び道具については厳しいという。
新米獄吏のためのハンドブックにだって書いてある。
――獄卒には火器の携帯を禁ずる。
特に銃の携帯が必要なものは許可申請が必要である。評価、成績を鑑みて許可を下す。これは獄卒の反乱を避けるための措置である。
ただし、囚人との戦闘業務を鑑み、強化武器の携帯については許可している。銃器については、その戦闘能力や評価により、個別に許可する――
そういう縛りがあるので、獄卒は刃物の武器を携帯することが多い。特にWARR階級出身の獄卒は、帯剣について非常にこだわりがあるらしいときいていた。
とはいえ、実際のところ、タイロは実戦経験もないし、やはりIDをちらつかせてどうにか切り抜けるのが一番安全なのだった。対獄卒用武器がどれほど効くのかも知らないのだし、不必要に相手を刺激もしたくない。
タイロはそんな好戦的な青年ではないのであった。
それなもので、タイロはこの街とは相性自体がよくない。とにかく、家に帰りたくて仕方がない。
(なんで、俺、獄卒管理課なんかに所属しちゃったんだろう)
などと思わず思ってしまう。
そういえば、希望はもっと別の部署だったはずなのだ。
もともとタイロは、どちらかというと技術系の勉強をしてきたので、機械いじりをしていたかった。が、何故かしらないが蓋を開けてみると、こんなところに。
さっくり辞表でも出して、別の仕事を考えようか。
しかし、”獄吏”は、一応エリートではあるし、なんといっても生活が安定している。それに、今後希望を出し続けたら、別の平穏な部署に送ってもらえるかもしれない。
可能性の話としては。
そんなことを考えながらあるいていると、いつの間にか、目的の建物に近づいているようだった。
タイロは治安の悪さから気にしながらも、スマートフォンで地図を表示しつつ進んでいるのだが、ふと進んだところで角をまがるように腕時計型端末のほうに指示があった。
「ベール16とかいう人のビル、ちゃんとした建物かなあ」
タイロが歩いている道は、裏通りとまではいかないものの、怪しげなネオンに彩られた表側ではない。中には真昼間から売春婦が立っているようなところもあるので、その辺を避けてとおってきたのだが、なんとなく古ぼけた建物が多い場所だった。
ということで、それはそれで、気持ち的にちょっと憂鬱である。
人通りが少ないのはありがたい反面、廃墟の中で取り残された感じすらしてしまう。
彼が向かっているベール16のビル。ベール16、つまり、STANDARD-2-5-16という登録名のある獄卒は、ここ周辺の獄卒のリーダー的な存在である。
いや、少し語弊がある。彼は自分の所有ビルを開放することで、この周囲の獄卒の管理者として君臨しているという立場なのだった。
いってみれば”模範囚”のようなものである良い獄卒とされるOVER評価になるには身持が悪く、せいぜいSTANDARDの評価どまり。
だが、タイロが出かけるまでにうっすら程度に調べた記録だけでも、ベールは相当の悪党であり、本来ならUNDERぐらいの評価をされてしかるべきの男のようだった。
彼がそれでもSTANDARDの評価身分を保てているのは、旧身分制階級の慣習と切り離せないらしい。彼はWARR-HIGHと元武官の家柄としてはかなり良い家柄の出らしい。すでに廃止されて久しい旧身分制であるが、とじた世界である獄卒の間ではいまだに強い意味を持つ。
それゆえに、WARR出身の獄卒は、チンピラ同然のCTIZ出身の獄卒たちの地下組織には絡みたがらない。WARR出身者は軍人の家柄だけに、独自の美学がありプライドが高い。
ともあれ、そんなWARRの獄卒は武装して徒党を組むと厄介なので、家柄のいい獄卒に一括して管理させておいたほうが楽なのだ。
ベールが実際やっているのは、所有ビルを賭博を中心とした遊興に貸し出すことであるが、そうすると一定の獄卒は彼のもとに集まってきており、連絡を取るにしろ、彼らの行動を知るにしろ、管理側からすると動向がつかみやすくて楽らしい。
それを考えると、ベール16の存在は確かにシャロゥグの不良獄卒の管理に、一応有益に働いているようである。
さて、てくてくと歩いてきたタイロの目の前には、くだんの建物があった。
「やっぱりかあ。随分古い建物だなあ。ヒトなんか住んでるのか?」
タイロがつぶやくのももっともだ。
ベール所有のビルはずいぶんと古く、ほかの表のネオン輝く怪しげな建物と比べても、不気味なお化け屋敷のような印象があった。
あちらこちらにツタみたいなのが茂っているし、なんだかじっとりとしていて、湿っている気配がある。廃墟みたいで入り込むと倒壊しそうで怖い。
(やだなあ。帰りたい……)
タイロはそんな弱音を思わず吐きそうになる。
(早く書類渡して帰ろ……)
今日のタイロの仕事は、ここの主人ベール16に文書を手渡すことである。何やら重要な文書だというのだが、こういうものは本当にEメールか何かでさっくり送ってほしいものだ。
本当に変なところだけアナログで困る。第一、郵送でもよさそうなものなのに、何故に手渡しなのか。
しかし、その点については、ちょっと思い当たるフシがある。
この仕事を彼に頼んだのは、部署のチーフだったが、実際、一人でいくようにけしかけてきたのは、あのメガネ先輩だった。
チーフは一応困ったらメガネの奴に相談しろ、というので、メガネにも一緒にいってもらえないかと聞いてみたのだったが。
「これも修行ですよ。獄卒の街に一人で入れないようでは、獄卒管理課の獄吏は務まりません」
と、つめたーい言葉が返ってきた。しかも、余計なことをいう。
「しかし、今のご時世に、わざわざ”手渡し”とはね。多分中身はロクなものではないんでしょう」
「どういう意味でしょう?」
「ベール16のような獄卒は、その特性上、獄吏と癒着しているのが常です。表に出せないような便宜を図ったモノでしょう」
「ええ、ダメじゃないですか。そんなの。僕、そんなのもっていくの嫌なんですが」
「いやといっても、これも仕事ですからね。今後、ここにいればそんなことはいくらでも起こる。ああでも、一つ教えてあげます。身の安全を図りたいなら、中身は見ないほうがいいですよ、タイロ君。詮索しないことが肝要ですから」
とかなんとかいって、やや気障なしぐさで眼鏡を直すのがムカツクメガネ先輩だった。
中に入ると、いかにも身持ちの悪そうな男たちが会話をしていた。
「あ、あのう……」
そう声をかけると、一人の男がこちらを見る。遊び人風の男は、にっと笑いつつ声をかけてきた。
「なんだい、兄ちゃん。あんまり用事があるようにみえねえけど」
「いや、私は獄卒管理課の獄吏で……、STANDARD……えっとなんだっけ、あー、ベール16さんに会いに来たんです」
獄卒の登録名の数字なんて覚えていられない。思わずタイロは通称の方で聞いてみる。獄吏の身分証を見せると、彼らはふーむとうなった。
「あー、なるほど旦那に、獄吏のお方がねえ」
男は軽くいいつつも、ちょっと追従交じりだ。
さすがに獄卒管理課の獄吏の身分証は強い。タイロにとっては、お守りそのものである。
「ベールの旦那は奥の部屋だぜ。おれが案内しましょ」
へへへっと軽く笑って愛想良く振る舞ってくる。ちょっと信用できない感じの男だが、この際、頼らざるを得ない。
しかし、ここはWARRの獄卒の溜まり場と聞いていたが、その男は武器と言ってもせいぜい短剣を差しているくらい。周りの獄卒とは雰囲気が違う。たぶんCTIZ出身の一般人、ヤクザものというよりせいぜいちんぴら。と、男の方が察したのか、にこっと笑う。
「俺はラッキー・トムって言うケチな野郎なんス。獄卒の旦那方には可愛がってもらってましてねえ。トムトムトムトムって旦那方に可愛がってもらって、ここに溜まらせてもらってるんスよ。ベールの旦那にゃ、ずいぶんお世話になってまして」
「はあ。そうなんですかー」
頼まれもしないのにべらべらしゃべってくれる。あまり信用しないほうがよさそうだ。タイロは気のない返事をするが、男のほうが一方的に話し続ける。
「獄卒の旦那方っつったら、アレでしょ。すぐキレて剣抜いたりとか、なんせ、おっかねえ方が多いんで、気をつかうもんですが、こちらの方はなんだかんだ気の良い方が多いんで助かりますよ。まあ、獄卒管理の獄吏の旦那にとっちゃ、怖いことなんてねえんでしゃうけどね。なんせ、鬼の獄卒も怖がる管理獄吏って呼ばれてンですからね」
「はあ。そういう人もいますよねー」
適当にタイロは相槌を打っておく。
男はそのあともべらべら何か話していたが、それを聞き流しつつ、ふと気づくと、会議室に使うような大きな部屋の前にいた。
そこの扉が開いていて、たばこの煙が漏れている。思わずむせかえりそうになる。
「ここで皆さんで遊ぶんですよ。へへへ、本当は賭博も”ハンザイ”ですけど、獄卒の旦那方の娯楽ってことで、お目こぼしいただいてるんですよねえ」
確かにトムとかいう男の言う通りだ。
タイロみたいな下っ端であるとはいえ、獄吏の目の前で平気で博打ができるぐらい、それはオープンなことである。
賭博はご法度。しかし、それは周知の事実。把握している獄卒管理課でもまずもって取り締まることはない。
それは獄卒の連中の貴重なガス抜きの場として利用されているからでもある。
「お邪魔しますー」
気後れしながらもそっと覗くと、十数人の男たちがソファに身を持たせかけながら、酒を飲んだり煙草をふかしながら、カードゲームに興じているのが見えた。
(めっちゃ普通に賭け事してるなあ……)
と、素直な感想を漏らしていたタイロは一人の男に目を止めた。
「あれっ?」
赤っぽい髪の長身の男が、煙管をくわえながらトランプを左手で握って、何か隣の男と話をしている。
派手な赤いシャツと、白いジャケット。何やら魂柄というかゾウリムシ柄というかなネクタイを几帳面にしめている。ちょっとファッションセンスがどうかと思えるその男に見覚えがあった。