6.セピアの主従とAgent
ユーレッドは紅茶をカップに入れ直して、がぶがぶ飲んでいる。
(アフタヌーンティーとかの風情が全然ない……)
タイロは、先ほどからのユーレッドの様子をみやりながら、ちょっとだけにやにやしている。
不貞腐れたような態度の彼だが、ユーレッドの立場としてわからないでもない。
ユーレッドだって気まずいのだ。
急拵えの脱衣場にしたついたて。向こうのシャワールームからアルルの声がした。
「あ、恥ずかしいからこっち見ちゃダメだよ」
「は? 何言ってやがる馬鹿じゃねえか。おひいさまみてえな餓鬼覗く趣味はねえよ!」
ユーレッドはそうはいったが、普通に気まずそうだった。
(気持ちわかるなあ。これは俺も動揺しちゃいそう)
スワロはもちろんアルルのいる方向にカメラを向けていないのだが、シャワーの音が聞こえたりするわけで、別になんということはないものの、流石に二人きりなわけで、ユーレッドが気まずいのも落ち着かないのもわかる。
現に動画を覗き見ているだけのタイロも、なんだか気まずい。
その気まずさを改善するためか、ユーレッドが独り言を言う。
「ちッ、なんで俺が! アイツらが揃いも揃ってクズばかりなのが悪い! 誰だ覗いた奴は!」
きゅきゅ? とスワロが尋ねるように鳴くと、ユーレッドが軽く頷く。
そんな奴いるのか、と尋ねたらしい。
「うん、まあ、覗き自体は確かにあるかもなんだ。あいつら、特にビンズ・ザントーは、この部屋をこっそり伺っている」
きゅー、とスワロが小首をかしげるようにして鳴く。
(あれ、そういえばスワロさんの声が入ってないなあ)
これはスワロの録画した映像なのに。
スワロはユーレッドとだけは、完全に言語化コミニュケーションをとっている筈なのだ。タイロには機械音声に聞こえるスワロの声は、おそらくだがユーレッドにはもっと自然な人の声に聞こえていると思う。
獄卒とアシスタントとのやりとりは、戦術的な部分が大きい。ユーレッドのような男は特に他の獄卒と揉めることも多いので盗聴されないようにはしているので、彼らの間、特にスワロの伝える通信に暗号がかかっている。
なので、その気になれば、声を出さずに彼らは会話できるし、テレパシーのように指示を下せるはずだ。
ただ、ユーレッドは指示をわかりやすく伝えやすいからと、普段は自分の口で指示を飛ばすようにしているらしい。まああと、多分、彼、もともと独り言が多いのだろうと思う。これは言うと怒られそうだけれど。
ともあれ、このスワロの音声問題は、暗号化されて録音されていないのか、スワロがわざと消しているかのどちらかなのだろうが。
どちらにしろ、ある種の暗号化はされており、ユーレッド以外にスワロの声は聞き取りづらいのだろうから、動画を見るのに邪魔になるのだろう。
(んでも、しゃべってくれた方がわかりやすいし、俺も興味あるー)
タイロは素直にそんなことを考えてみる。
そんなタイロの思いなど知らないユーレッドは、いつもどおりスワロと人間と話すように自然に会話を続ける。
「アイツの覗きがスケベ目的かどうか? うん、それだよな。そっちだった方が寧ろろわかるんだが、アイツの場合はそうじゃない可能性も結構あってな。そうじゃなきゃあ、厄介でよ」
ユーレッドはため息をついて顎を撫でた。
「あの野郎、間違いなくほかの連中よりも厄介だ。できたら真っ先に消えてもらいたいぜ。何考えてるのかわからねえが、味方というカンジじゃねえからな。しかも、確かに腕も立つ。さっきも見たろ。お前もアイツには警戒しろ」
ぴ、とスワロが了解するが、同時に首を傾げた。
「ん? そんなに言う相手を、なんでさっき斬らなかったのかってか?」
確かにそうだ。あの時、他の獄卒の三人はいなくなっていた。厄介だ、消えてもらいたい、そう言いながら、手癖の悪いユーレッドが敢えて手を出さなかった。
ふむ、とうなり、ユーレッドはカップを置いて渋い顔になる。
「ビンズは腕は立つが、殺ろうと思えば殺れると思う」
いきなり真面目に剣呑なことを言い出すユーレッドだ。
「ただ、あいつを今斬ると、パワーバランスが崩れちまう。他の三人は元々俺の事をよく思っていねえ。しかも、おひいさまの件で余計にこじれちまったからな。あいつらはおひいさまを引き渡す気がないから、何しでかすかわからねえんだ。ビンズじゃねえけど、本当に変な目で見てる奴もいるみてえだしよ」
ユーレッドは忌々しげに言うと、眉根を寄せた。
「アイツらだって、ビンズがどっちの方向を見てるかわからねえ。それなもんで、安易に手を出してこねえんだ。俺達はアイツとおひいさまを真ん中にして、駆け引きしてんだよ」
ユーレッドはため息をつく。
「というところで、残念ながら万事休すだぜ。ここは素直に手を引きたいんだが。俺だってどこで"手を引くか"なんだがなあ」
ユーレッドは椅子を傾けながら、気だるげである。
「スワロにはドクターあたりからの連絡入らねえのか?」
きゅきゅ、とスワロが答えると、ユーレッドは前髪をぐしゃりとしつつため息をつく。
「んーー、それは困ったな。あのやぶ医者ぐらいしか、こういう事情は話づれえんだよ。ウィスの奴もこういう時に連絡つかねえし」
ユーレッドは真面目に困った様子になる。
「雇い主らしいやつも、過激派の奴らも大概だが、かといって追ってくる管理課の連中も何かしらありそうだし。信用のおけるやつに連絡つけてえんだがな。他に信頼できる奴? そりゃあ、そういうのもいなくはないんだが、中途半端なのや下っ端だと逆にヤバいんだよ」
ふーむ、とユーレッドは足を組んで頬杖をつく。
「しょうがねえなあ。もう一度、ドクターあたりに連絡してみるか」
(やっぱりユーレッドさん、この時点でお姫様を具体的に逃がそうと? 手を引くとかなんとか言ってるし)
ユーレッドは、紅茶も飲み飽きたのか、煙管をくわえて一服し始めていた。
(ユーレッドさんはなんでそんなに……?)
口から煙をぼんやり吐き出すユーレッドを見やりながら、タイロは疑問に駆られていた。
そしてその気持ちはスワロも同じだったのだろうか。
じっとスワロがその様子を無言で眺めているのに気づき、ユーレッドは苦笑した。
「何か言いたそうだな」
きゅ、とスワロは返事をするが、どうやら具体的には何も言わなかったようだ。
「気ィつかってんのか、スワロ。お前らしくねえな」
とユーレッドは笑って、膝の上にやってきたスワロを撫でやる。スワロが上を向いたらしく、ユーレッドがスワロを見下ろしていた。その視線が思いのほか柔らかい。
この男、こんな優しそうな顔もできたのか。
「お前の言いたいこと、わかってるよ。……俺だってな、こんな風に面倒なのは嫌だし、気まぐれや正義感でやるほどイイ性格じゃないって、お前だってわかるんだろ」
ユーレッドはスワロを手の上にのせて長い足を組む。
「なあ、スワロ」
ユーレッドは、小声で話しかける。きゅ、ぴ、とスワロが軽く鳴いて顔を上げる。
「俺にはな、あの娘は守らなきゃならねえなって事情があるんだ。お前がまだ知らない話で、理由は今度教えてやるよ。けれど、そのことについてはずいぶん前にそう決めているんだ。俺がそう決めたってことは、何がどうあってもやるって、お前はわかるだろ?」
きゅ、とスワロが鳴く。
「相手は間違いなく厄介だから、お前、黙って俺に手を貸してくれるか」
そんな顔で頼み込まれたら、スワロでなくても断れないだろう。きゅ、ぴぴぴ、とスワロがうなずいたようで、ユーレッドは優しく笑った。
「ありがとうな。頼りにしているぜ」
ごくまれに彼は素直だ。
煙管をふかしながらユーレッドは、そのままスワロを膝の上にのせたまま黙っている。
(スワロさんは、こういうユーレッドさんが好きなんだろうな)
タイロはそんな風に思う。
なんとなく、スワロが自分にこの映像を見せた理由が、わかるような気がした。
と、その時、ふと、スワロがぴぴっと声を立てる。
どうしたのか、慌ててユーレッドが立ち上がり、壁際に移動した。
「ウィス! てめえッ、なんで連絡したのに出ねえんだ」
ユーレッドが腕のあたりの端末に小声で話しかける。
(着信?)
基本的にユーレッドは、自分でスマートフォンなどの端末を持っているのをみかけない。彼のこと、スワロを介在させてその辺はうまくやっているのだろうと思っていたが、どうやらこの時ばかりはユーレッドも慌てているらしい。
スワロを完全に媒介していないらしく、ユーレッドの腕にある小さな時計型の端末から音声がかすかに漏れていて、スワロも把握できていないらしい。
「何回もかけたぞ、俺は!」
『だっ……、かたない……しょ。……、あたし忙しいのよ』
スワロが慌てて接続を開始したのか、遅れてとぎれとぎれに声が聞こえる。女の声。時計型の端末から漏れる音が消えて、クリアな音声に変わった。
『大体、見慣れない番号なんだもの。……悪戯かセールスの電話だと思うじゃないのよ』
この艶のある声はウィステリアだ。
(あ、ここで、ウィステリアさんが関わってるんだ)
タイロとしては、ユーレッドと彼女の関係にも興味はある。
ウィステリアは苦笑気味だ。
『まさか旦那から連絡来るとは思わなかったわ。普段、連絡しても無視するくせに』
「そ、それはそれだろ!」
ユーレッドはちょっと気まずくなりつつ、
『それで、なあに。そろそろトムあたりから状況確認しようと思っていたんだけれど?』
「何を悠長な……。緊急事態だから、連絡したんだ。そ、そうじゃなきゃあ、お前になんて……」
『緊急事態とは穏やかじゃないわね。もしかしてお姫様のこと?』
「そうだ。お前、あれの中身がおひいさまってわかってて俺に!」
ユーレッドは思わず声が大きくなりかけ、慌てて小声に戻す。
「いや、だからだな、お前、そのことをわかっていて俺をたきつけてこの仕事させたんじゃ……」
そんなユーレッドを半ば無視して、ウィステリアは冷静に話を続ける。
『ああ。そういうことね。ということは、旦那とお姫様は今一緒にいるのね。よかった。なるほど、予想通りだわ。保険かけといてよかった……』
ため息まじりでウィステリアはつぶやく。
「よ、予想通りってなんだよ。あれから二日経ってんだぞ。なんでお前が把握してねえんだ?」
ユーレッドがやや押され気味になる。
『こっちにも色々事情があるのよ。あたしのところには、お姫様は無事に管理局の護衛官が保護してるって情報が入ってるの。でも、実態が怪しいから調査していたところよ。ラッキー・トムの奴も、偽の情報つかまされてきているみたいだしね』
「偽? なんだそれは」
『しっ、ちょっと待って。ノイズがあるわ。傍受されている可能性がある。聞かれるとまずいわ。暗号化してみるけど、失敗するかもしれない。言葉を変えるわ』
ウィステリアが声をひそめた。
『Speak A 』
唐突にウィステリアがA共通語で話しかけてくる。ユーレッドがとまどった。
「な、なに? いきなりなんだよ。いや、俺は……」
『何をごまかしてるのさ。貴方、本当はべらべらにしゃべれるでしょ。あたし、知ってるのよ』
「Damn it!」
む、とユーレッドが、眉根を寄せて舌打ちし、A共通語に切り替えて、苛立ちからかまくしたてるように話し始めた。
(あわわ、まったくわかんないよ!!)
タイロには、間違いなく翻訳アプリが必要なレベル。
(何言っているか一番気になるところだよ)
と不安になっていたところで、ふと空間に字幕が映し出された。どうやらスワロが気を利かせてところどころ翻訳してくれているようだ。さすがはスワロさん、と後でほめようと思うタイロだった。
「お、お前、俺の言葉のことどこで聞いた? お前には話してないだろ!」
『あら、いい声じゃない』
ウィステリアも当然A共通語で返す。
『何よ、渋めで色気があっていい感じね。耳障り良くて素敵。普段からそれではなしたらどう?』
ふふふ、とウィステリアが少しうっとりした様子で笑う。
「な、何言ってんだ、馬鹿野郎。遊んでる場合じゃねえんだよ」
ユーレッドは完全に飲まれている様子だ。
「それより、お前、この事件が起こること、事前に知ってたな? リヴベールに義理立てして、やたらと俺に仕事受けろっていってくるし、女のことやら何やら工作してた時からおかしいとは思ったんだ。お前、過激派側の工作員かなにかなのか?」
『半分あたりで半分外れよ。大体、旦那、あたしが過激派の手先だって知ってたら、連絡してこないでしょ? 自分でわかってるくせに、カマかけないで頂戴』
ユーレッドがうぐと詰まる。
「だ、だったら、お前はなんだって……」
『あたしはただお姫様を守るためにいるだけさ。今回のお姫様が移動するにあたって、良からぬ輩が彼女を強奪しようとしていることを知っていた。ただ、あたしの調べでは、護送する側、つまり管理局側にも敵がいることが分かっていたわ。だから、管理局側を混乱させる手を打ったのよ』
「ああ、お前は、それがインシュリーだと? それでアイツの女の拉致に手を貸した?」
『ちょっと荒っぽい手法だったけれどね。グロリアの安全を保障した上でやったことよ。過激派の側にもあたし仲間が何かしら仕掛けているはずだったんだけど、でも、聞いていると話がどうも違うみたい。失敗したのかもしれないわ』
ウィステリアは軽く唸る。
『旦那の状況はわからなかったけれど、トムは貴方が無事だといってたからね。一方、お姫様は無事だと聞いていたけれど、その情報の割りに動きが怪しいので、それを探っていたところなの』
「おひいさまは、トランクの中に入れられていた。過激派の連中が詰め込んだって本人から聞いてるぜ」
『けれど彼らだけでは成功しないはず。ということは、協力者はインシュリーじゃなくて別にいたということかもしれないわ』
ウィステリアが深刻な声になる。
『でもよかった。こうなるかもしれないと思って、旦那をベールの作戦に参加させてて』
「は?」
ユーレッドが思わずきょとんとした。
『保険よ、保険。ベールの旦那が依頼した側、作戦上の通称はΩって呼んでるんだけど、彼の情報は全くなかったからね。それで、旦那なら、もし中身がお姫様だとわかったら守ってくれると思ったから、あたしからもお願いしたのよ。この事件が明るみにでても、貴方の身についてはあたしの所属組織から守られるようになってたし』
「保険だと? お、お前な。そういうことは先に俺に説明しろ」
ユーレッドが若干動揺した感じになった。
『何言ってるの、説明したら、絶対素直に受けてくれないでしょ。特にあたしのお願いなんてね』
「……そ、それは……。い、いや、時と場合と条件によるぜ」
ユーレッドはややたじたじだ。
このやり取りは、A共通語だからまだしも、普段の言葉でタイロにもニュアンスがわかったとしたら、もっとユーレッドがかわいそうな感じになっていたかもしれない。どう考えても無茶ぶりとしか思えない。
『でも、お姫様のことは助けてくれるでしょう。貴方と彼女の間にどういう事情があるかはあたしは知らないけれど、絶対に守ってくれるのはわかっていたからね』
「ふん。いいように利用しやがって!」
『いいじゃない。どうせあたしのプライベートのお願いなんてきいてくれないんだろうから、それならせめてお仕事のお願いだけでも聞いてほしいものだわ。それにオヒメサマのことじゃお互い利害一致してるでしょ』
ユーレッドが忌々し気に黙り込む。
不意に向こうでアルルがシャワーを止める音がした。ユーレッドは舌打ちした。
「チッ、しょうがねえ。ムカツクが分かった。あの娘は俺が逃がす。しかし、俺にもあまり時間がない。他の三人に気付かれている。合流地点を教えろ!」
『ええ、後で指示するわ。今の場所は?』
「おおよその場所はラッキー・トムが知ってるだろうが、正確な座標をスワロを通じて送っておく」
『了解。ふふ、ありがとう』
ウィステリアがふと声を和らげ、ふいに元の言葉に戻る。
『あたし、貴方のそう言うところが好きなのよ。こう見えても貴方のことを頼りにしてるの。だから、お姫様を守ってあげて』
「は、何言ってんだ! やるかどうかは俺の気分次第だぞ!」
ユーレッドは冷たくそういう。
「時間だ。切るぞ!」
ユーレッドが慌てて通信を切ると、アルルがシャワー室から出てくる気配がした。




