2.工場跡は鼠色-2
一瞬で空気が凍りつくが、ユーレッドは全く態度を崩さない。
「狭いんでな。荷物抱えてると通れねえんだよ」
といって、ずいと足を進めたところで、大男の方が壁にもたせていた背中を離して道をふさぐ。
ユーレッドもかなり背が高いのだが、男は彼をゆうに超えていた。
「聞こえなかったか。そこ、通るって言ったぜ?」
(どう考えても、お互い喧嘩売ってるよ)
記録映像だとわかっているが、タイロはなんだか冷や冷やしてしまう。
しばらく無言で睨み合った後、後ろにいた傭兵風の男が口を開いた。
「ユーレッド、何考えてやがる」
「は? なにを?」
ユーレッドは、左目を歪めるようにして笑う。
「別に何も考えてねえよ。お前らだって補給くらいすんだろ。食料頼んでたのを回収しにいっただけだぜ」
「それじゃねえよ」
大男が割って入る。
「あのお嬢さまのことだぞ」
すかさず続いたのは、細身の男だ。
「勝手は許さねえぞ」
三人がそれぞれ口を挟んできたところで、ユーレッドはちらとこちらに視線を一度やる。もちろんタイロに目配せするはずがないので、これはスワロを見たということだ。
「勝手? 別に勝手な行動を取った覚えはない」
ユーレッドは肩をすくめる。
「俺はあの娘に手を触れるなと言っただけだ。至極真っ当な話だぞ。大体、相手の依頼は中身を改めずに渡すこと。まあ、中身を見ちまったのまではもう仕方ねえが、傷をつけるのは契約違反だ」
ユーレッドは薄ら笑いを浮かべつつ、
「お前らが頭に血が上って何するかわかんねーから、俺があの娘の部屋の鍵を預かった、と、それだけの話だろ」
「どうだか。依頼主ともリヴベールとも連絡がとれねえ中、そんなことにこだわってるのはてめえだけじゃねえか」
大男が皮肉っぽく言うが、ユーレッドは肩をすくめる。
「ずいぶん短気な野郎だな。俺だって気は短いが、連絡が取れないっていっても、まだ一日、二日。焦る時間じゃねえやな」
ユーレッドはさらりと流す。
「逆にお前等、いったい何を焦ってる? 管理局なんて怖くねえからこの仕事受けたんだろうがよ? それとも、あの狂った過激派の奴らのことが怖いのか?」
ユーレッドはなんだかんだ煽るようなことをいう。
「まあ、別に俺だって”雇い主”に大した義理があるわけじゃねえ。リヴベールとは付き合いはあるが、奴だって人間的には褒められねえからな。だから、いざって時に、管理局の奴らや過激派の奴らと取引するってことになっても、それには反対しねえよ」
ただし、とユーレッドは、強調する。
「取引で重要なのはとにかくあの娘なんだ。エリート獄吏が特別に護衛についてたんだ。事情が全くわからねえにしろ、あの娘、やんごとないお方には違いないんだろうぜ? ってことは、大切にしときゃ、後でなんかしらの金にはなるだろう。どちらと取引しても構わねえが、あの娘が無傷なことが条件。だから、娘には絶対に傷をつけちゃならねえというわけだよ」
「それでお前が、あの娘を管理しているってか?」
「俺だって別にやりたくてやっているわけじゃあねえよ。お前らが強面だから、オヒメサマが怖がるからだよ」
ユーレッドは、しゃあしゃあとそんなことをいってのける。
「ということだ。とにかくあと一日様子をみろ」
ユーレッドの言葉に、後ろの二人がある程度の理解を示した気配がした。確かに、ユーレッドの言うことには一応理はあるのだった。
「どうだか、あの年端のいかねえ娘に欲情してんじゃねえのかよ。中で何してるわかりゃしねえからな」
そう声をかけてきたのは、大男の傭兵だ。
「なんだと?」
ユーレッドは反射的にぎらっと男をにらみつけた。が、大男はひるまない。
「大体、お前、そのダルマみてえなアシスタントに、人形遊びする女子供みてえに話しかけてるんだしな。趣味が合うんじゃねえのか?」
一瞬、ユーレッドの眉根がひくんと動く。が、すぐには表情に出さない。生あくびをかみ殺すようなしぐさをしつつ、ユーレッドは唇をひきつらせた。だが、妙な緊張感が走る。
付き合いの長くないタイロでも、この変化はすぐにわかる。
この感じ、こういう時のユーレッドは、キレる一歩手前なのだ。しかし、彼はちょっと歯噛みするように笑いつつ、表向きは平静さを保つ。
「ふん、スワロはてめえらが無駄メシ食わせてる玩具とは違うんだよ。話のわからねえ奴だな」
ユーレッドはケーキを持った左手で男の腕を軽く叩く。
「もう一度言うぞ。そこ、通るんだ。どけよ」
静かに口元を歪ませて笑いながら、しかし、瞳は笑っていない。血走ってもいなかったが、瞳の奥に明らかに殺意がちらついていた。
(これ、やっちゃうな)
息を詰まらせつつタイロがそう思った時、ざっと大男が動いた。と、同時にユーレッドが空中にケーキの箱を投げ、そのまま剣の柄に手を伸ばした。
と、その瞬間、硬質な音が響いた。
ユーレッドと大男の間を縫って、壁に短剣が飛んできていた。
コンクリートに傷をつけ、短剣はそのままはじかれて床に落ちる。
「ダメですよ。旦那様方」
やや高めの男の声だ。
そちらを見ると、猫背で小柄な男が壁に背を付けて立っている。
「ビンズ・ザントー!」
大男が苛立ったように声を上げた。
「てめえっ! 何しやがる!」
ビンズと言われた男は、猿に似た顔立ちをしている。やや醜悪な感じもあるが、にこにこしていると意外と親しみやすく見えていた。その妙な親しみやすさをもったまま、彼は平然と答えた。
「いえね。仲間割れはよくありませんよ。ここは、ユーレッドの旦那の言う通りです。焦ってもいいことはねえんですからね」
(あれ、四人目?)
タイロはきょとんとした。
(四人目、ビンズ? そんな人いたかな?)
報告書に書かれていて、なおかつ、ユーレッドの話にも出てきた”実行犯”はユーレッドを含めて『四人』なのだ。つまり、ユーレッド以外の獄卒は三人。
ビンズという男がいるというのは、ユーレッドの話の中にも出なかった。
では、この、ビンズとかいう妙に気になる男は何なのだろう。ラッキー・トムみたいなCTIZ出身の小間使いされている舎弟みたいなものなのだろうか。
けれど、それの割りには、ちょっと危ない感じもするし、不遜だ。
「それに、お互い不利でしょう?」
ビンズは、道化のように明るく言った。
「今の、ユーレッドの旦那のほうが速かったので、そのまま放置していたら首が飛んでいたかも?」
ビンズの指摘は的外れではない。事実、大男がまだ剣を抜いていないのに、ユーレッドは半分まで鞘から白刃が見えている。あとは彼は一歩距離を詰めるだけ。少なくとも、大男の喉元に切先を突き付ける準備はできていたということだ。大男もぐっと詰まる。
「一方、ユーレッドの旦那も、ここでもめ事を起こすと、あとのお二方ともやり合わなければなりません。それは、賢くないのでは?」
ユーレッドは無言。取り立てて表情も浮かべていない。
「ですからね。ここは喧嘩をするのは得策ではありませんよ。それに、まだ時間はある。もう少し仲良く待ちましょう」
ビンズ・ザントーの言葉で、ちょっと場の緊張感が崩れた。なんとなく、白々しくもあるが間延びした空気が流れる。
(そういえばケーキは?)
タイロは不意にそんなことを思い出してあたりを見回すと、スワロのちょうど目の前にケーキの箱が浮かんでいた。
(あ、なるほど、スワロさんが受け取ったのね)
ユーレッドの目配せは、つまり、投げたときにスワロに受け取れという合図だったのだろう。スワロは反重力装置を使って軽いモノなら浮かせることができる。
投げた瞬間にスワロが箱を受け止めて、浮かせていたのに違いない。
ユーレッドはふっと笑った。
「ビンズ。何か勘違いしているな。別に俺は揉め事は多勢に無勢のほうが燃える方だから、その辺はどーだっていいんだぜ」
ユーレッドは刺激するようなことをわざと吐くが、にやあと笑って肩をすくめた。
「でも、よく考えたらせっかく苦労して手に入れたものがあるんだった。テメエらの血で穢すのも気が引ける。まあ、どうしても気に入らねえというなら、勝負はこの仕事が終わったらいつでも……」
そういってユーレッドは刀を先におさめてしまった。
ちっと大男が舌打ちし、ほかの二人とともにぞろぞろと引き上げて、階段を上がっていく。おそらく、上にも部屋があるのだろう。
なんの工場跡かはわからないが、相当広い場所だ。
「スワロ。もういいぞ」
ユーレッドはそういって、スワロからケーキの箱を受け取る。
そして、そのままゆうゆうと歩き出したと思ったが、ビンズ・ザントーという例の男の前で足を止めた。
「おや、旦那、どうなさいました?」
きょとんと彼は小首をかしげたところで、ユーレッドがにやりとした。
「いや。テメエに返さなきゃならねえのがあったのを思い出したんでな」
ユーレッドはそういうと、いつの間にか左手の指に挟んでいたナイフをビンズの足元に投げた。から、と音が鳴る。
「さっき、俺の背中向けて投げてくれてたろ。返すぜ」
「おや、よくわかりましたね」
言い当てられても別に彼は悪びれない。
「スワロがちゃんと見てるからな。自律型アシスタント飼うっつーのは、後ろにも目があるみたいなもんなんだぜ。無駄飯食わせてるアイツらと一緒にすんな」
ユーレッドは冷たく笑いつつ、
「お陰で挙動が遅れたぜ。コイツ叩き落としたせいで、半分までしか抜けなかった。そうじゃなきゃ、アイツの首から血が噴いていたのによ」
「よかったではないですか。不死身の旦那方とはいえ、致命傷負わせたら揉め事は必至ですよ? 感謝してもらいたいものですね」
ビンズは全く悪びれない。
「それで、何か言いたいことがまだ?」
「お前は俺が避けることを、わかってて投げたろう?」
「さあどうでしょう。無我夢中で止めようとしただけです」
「へえ。ずいぶんと殊勝な心掛けだな。お前、ベールの紹介でここにいるんだったよな」
「はい。旦那方だけでは色々不便があるということで、お世話を仰せつかりましてね」
「そうだったな」
ユーレッドは剣呑な光を目にたたえていたが、別にその場で何かしようとするつもりはなかったようだ。
「気に入らねえな」
そう吐き捨てたが、そのままユーレッドは通り過ぎる。
「まあいい。今、お前とやる気ねえしな。だが、あんま、変な動きすんなよ」
「へえ、心掛けますよ」
ビンズは愛想笑いを浮かべる。ユーレッドは、振り返りもせず足音を響かせて廊下を進んだ。ビンズはもう声をかけてこなかった。
地下通路の奥に螺旋階段がある。そこから再び上階へのぼるようだった。
獄卒の三人ともビンズとも距離が取れたところで、きゅー、とスワロが気遣うように声をかける。
「ちッ、あのデカブツ」
誰も周りにいなくなったのを確認して、ユーレッドはスワロに語りかける。
「誰がロリコンだ? クソ、アイツ、この仕事が終わったら、最初に水路に沈めてやる!」
きゅきゅ、とスワロがなだめるように声を立てる。
(うお! なんかクールで渋いなと思ったら、やっぱりめっちゃ怒ってるじゃん!!)
その辺、なんのかんのでいつものユーレッドだ。タイロはちょっと安堵する。あまりカッコ良すぎても、ちょっと不安なのだ。
と、怒り心頭だったユーレッドだが、何かを思い出してちょっと不安になったらしく、眉根を寄せた。
「でもよ、箱の中身、大丈夫かな」
(それは俺も心配)
「勢いよく放り投げたろ。中身、崩れてたら……。せっかく買いに行かせたのに、ぐちゃっとなってたらやべえからな」
そんな心配をするユーレッドに、きゅきゅ、とスワロが鳴いた。
「本当か。うまく受けたって? タイミングもよかったってか?」
きゅー、ぴぴ、とスワロが鳴くと、ユーレッドは軽く笑い声をあげる。
「そうか」
ユーレッドが深々と頷いた。
「まあそうだよなあ。お前はかわいいだけじゃなく出来がいいからな。本当あいつらの最新式のアシスタントより、お前の方がよっぽど優秀だぜ」
きゅ、きゅ、とスワロが喜ぶ。
(おお、珍しいデレ発言!)
素直ではないユーレッドだが、たまには素直に褒めることもあるのである。まあ、多分、スワロ以外誰もいないからこうなのだろうが。
そんな風に雑談しながら進む先に鉄製の丈夫な、古めかしい扉のついた部屋があった。
どうやら、そこが目的地のようだった。