3.藤色の歌姫
ざーっとユーレッドの顔が青ざめる。
いや、もともと顔色良くないのだが、血の気が引いている感じだ。
タイロがふりかえると、髪の毛を纏めて煌びやかなロングドレスを着た女が立っていた。妖艶な目つきをしていてグラマラスな美人だった。紅い口紅が店内の照明で映えて、どきりとするような魔性を感じさせる。
「おおお、お前え!」
ユーレッドはざっと身を引きつつ、女を見上げる。
「あら、ご挨拶ね。なによ、お化けでも出たみたいな」
「い、いきなり後ろから声かけんじゃねえ」
ユーレッドは表向き平静さを装おうとしていたようだが、明らかに顔に動揺が現れている。
(うわ、なんか毛の逆立った猫みたい……)
そう、シャーっと威嚇しているやつ。本人に言うと間違いなく怒られるが、そういう感じだ。
タイロはそんな感想を抱きつつ、二人を見比べる。
「お前、なんでここにいる?」
ユーレッドは、不機嫌そうに尋ねる。女はその反応は予想済みだったのか、ずいぶん余裕がある態度だ。
「あたしは旦那がここにいる方が謎だわね。貴方、管区外渡航できるようなご身分じゃないでしょ。まあ大方、ベールの旦那が絡んだ仕事で、何か色々裏があってってことなんでしょうけれどねえ」
「わかってんなら聞くな」
ユーレッドはすげなく吐き捨てる。
タイロは、ちょっと酒が入ったままの回らない頭で二人を見比べた。
(どういう関係なんだろ、この人たち)
ちらとスワロを伺うが、スワロはエネルギー玉を吸収し終えたのかどんぶりから出てはいたものの、別に反応していない。
いうなれば、スワロとしても、これはいつものやり取りなのかもしれない。
「あの……」
とタイロがそっと入る。
「お、お知り合いですか?」
「他人だな」
ユーレッドがボソッと吐き捨てるが、それを無視して女が言う。
「ああ、失礼したわ。お連れさんのことそっちのけでごめんなさい」
と女はタイロににこりと微笑みかける。
「あたしはウィステリア。見ての通り歌手をしているわ。今日もここで歌う予定なの。で、ユーレッドの旦那とはちょっとした腐れ縁なのよ」
にこりと笑うウィステリアは、タイロが酔っているからだけでなく、明らかに妖艶で美しい。まるで夢の中の人物みたいに綺麗なのだ。
見つめられて思わずタイロは顔が赤くなる。
「旦那があなたみたいな子を連れてるなんて珍しいわ。不良獄卒に付き合っているのはたまにみかけるけれどね」
「別に。好きで連れ歩いてるわけじゃねえよ」
ユーレッドときたら、ずいぶんと態度が悪い。そんなに邪険にしなくてもいいのに、とタイロは思わず思ってしまう。
「あの、俺、タイロっていいます。獄卒管理課の獄吏していて、それで……」
「ああ、それじゃあ引率の方なのね」
ウィステリアはその辺の事情に詳しいらしく、タイロが詳しく説明しないでも事情を察しているようだ。
「お若いのに、旦那なんか担当してたら大変でしょう? この人、無茶するし、わがままだからね」
「い、いえ、ユーレッドさんには良くしていただいてて」
タイロは慌ててフォローする。
「色々、教えてもらったりしているんです。俺、まだ、新米で、獄卒のこととかよく知りませんから」
「まあ。気を遣えるいい子じゃない」
ウィステリアはそういってユーレッドを見て、にやりとする。
「でも、遊びに連れまわしちゃダメでしょ」
「別に。俺はどうでも」
チッとユーレッドが舌打ちする。
「い、いえ、ユーレッドさんと遊ぶの、楽しいんですよ。俺が、お願いして遊んでもらっているんです。なので、ここも、俺から……」
タイロが慌ててそう言うと、ウィステリアは改めてにこりと笑う。
「そうなの? 良かったわねー。旦那」
ウィステリアは、妙ににやつきながら、
「こんなに懐かれればさぞかし可愛いんでしょうねー。懐かれるの、好きだから」
「う、う、うるせえなっ! お、お前仕事だろう。とっとと控室に戻りやがれ」
しっしっとばかりに手を振るユーレッドだ。
「あらお言葉ね。久しぶりに会ったのに」
ウィステリアはふんと笑う。
「せっかく、とっておきのお話があるから教えてあげようと思ったんだけれどねえ?」
「は? 俺にはお前と話なんかねえよ」
ユーレッドはあくまでそっけない。
「つれない人ね。あたしの話じゃないわ。インシュリーとかいうイケメンの話さ。驚いたわ、今日、あっちからここに来たのよ」
「何? あいつここにきたのか?」
ユーレッドは、はじめて体を半分彼女のほうにむける。
「まあ、貴方と会ったせいでしょうね。色々情報知りたがってたみたいだけれど」
と、ウィステリアは少し表情をかたくする。
「けれど、彼、何かあるわね。下手すると、あたしの調べ物にも関わりそうなのよ。それで、もっと詳しく調べたいんだけれど、あの人、下手に手を出すのはこっちも怖いから……」
とウィステリアは、ほんの少し笑う。
「それで、どうかしら。情報交換しない? どうせ旦那だって、何か知りたいこともあるでしょうし?」
「なんだよ、お前の調べ物は?」
ふふ、とウィステリアは微笑して、小声で告げる。
「アルルお嬢さんの件よ」
ユーレッドが、む、と眉根を寄せる。
「ほら、気になるんでしょ?」
「それは……」
ユーレッドが痛いところを突かれた、というような表情になった。
ウィステリアが勝ち誇った笑みを浮かべる。
「気になるなら、あたしのショーが終わった後、特別に話してあげる。お連れさんとあたしの控室にいて。そこでもショーを楽しめるようにしてあるし、何か飲んでくれててもいいわよ? もちろん、あたしの奢り」
ウィステリアはそういうと微笑んで、カードキーを渡してきた。
「これ、裏口から入れるの。特別待遇よ」
「チッ、もったいつけやがって!」
ばっとユーレッドがそれを乱暴にもぎ取る。
ウィステリアは嬉しそうに笑いつつ、
「それじゃあ、それまであたしの歌でも聴いていって。タイロくんも、是非ね」
「あ、はい。ありがとうございますー!」
タイロが愛想良くこたえると、ウィステリアはにこっと笑って軽く手を振って行ってしまった。
ユーレッドが舌打ちする。
「ちっ、気持ちよく酔ってたのに、酔いが一瞬で吹っとんじまったぜ」
「え、そうですか。俺は逆に、なんかまだ夢の続きみたいな……」
タイロは、まだぼーっとした様子でシャンデリアを眺めていた。
「あの人、すごーく綺麗でしたね」
「別に。あんなん珍しくもねえよ」
「そんなことないですってー! 俺、あんなきれいな人、芸能人以外で初めて見ましたよ!」
タイロはやや興奮気味にそういいつつ、
「もしかして、ユーレッドさんの、恋人さん的なものですか?」
「あアッ?」
軽く尋ねただけなのに、ギラっとユーレッドに本気で睨まれる。
ちょっと気安くして仲良くしていただけに、不意打ちでその視線を浴びせられるとびびる。思わずひっと声を上げたところで、ユーレッドに頭をがっと掴まれた。
「どこをどうみたらそう見えるんだ、てめーは!」
「す、すみません。いや、だって、すごい綺麗だし、親しそうだから」
「親しくねーよ。腐れ縁だ、ただの!」
ユーレッドはそう言って、頭から手を離して、どかっと椅子に座り直す。タイロは解放されてぐしゃぐしゃになった髪の毛を戻しつつ。
「そんな。本当にきれいな人じゃないですか。あの人」
「何がキレイだ。 あんなの、女の皮被ったバケモンじゃねーか」
ユーレッドは真面目に語る。
「ほとんど中身男と変わらねえよ」
「えええ、ど、どうかしてますよ。たとえ、中身が男っぽかったとしても、それって、めちゃくちゃいい女って感じになるだけじゃないですか!」
「ガワだけだ、ガワだけ」
ユーレッドは冷淡だ。
「ちッ、なーんか嫌な予感はしてたんだよな。しかし、流石に管区外にはいねえものだと……」
ユーレッドは、ブツクサと文句を言う。
「そんなあ、あんな素敵な女性捕まえてその態度は失礼ですよ」
「だから言ってるだろ。あれは女のうちに入らねえんだよ」
(んー、例のツンデレかと思いきや、この反応なんだろう。そもそも女子が苦手なのかなー)
タイロはちょっと考えつつ。
「あんなきれいな人をそんな風にいうとか、ユーレッドさんの好みの女性ってなんなんですか?」
などと聞いてみる。普段なら間違いなく怒られるが、今はユーレッドも酒が入っている。ドサクサに紛れていけそうだ。
「好みの女ァ?」
「むしろいないとか?」
「んー、そりゃあ俺だって男だからな。そりゃ、好きになる女ぐらいはいねえわけじゃあねえよ」
酒が入っているせいだろう。ユーレッドがうっかりと口を滑らせて話に乗ってくる。これならいけるかも、とタイロはそろそろっと尋ねてみる。
「じゃ、美人な方が好きですかね?」
「そ、そりゃまあ」
「ウィステリア姐さんへの反応を見ると、お色気おねえさんより清楚っぽい方がいいですよね?」
「う、うん、まあ、淑やかさは美徳だよな」
ユーレッドは考えながら頷く。
「でも、あんまりメソメソしてる大人しい子は好きじゃないですよね」
「そりゃあ、泣いてる女はうぜえからな」
「じゃ気の強さっていうか、芯の強さも欲しそうな」
「凛としてる女のが綺麗だよな」
「あー、あー、なるほど。なるほどー」
タイロはだんだん予想がついてきたらしく、一人で納得したようにうなずきつつ情報を整理する。
そんな二人を遠巻きに、スワロが軽くライトを点滅させつつ見ている。口に出しこそしないが、明らかにコイツら何してるんだ、という目をしていた。が、気にせずタイロはつづけた。
「そうだ! ユーレッドさん、絶対、お嬢様な感じのがすきでしょ? お姫様然とした子ね」
「ん、んん、ま、まあ、そういわれると、そうだな」
ちょっと動揺した気配があるが、ユーレッドはまだそれに応じる。
「んじゃ、まあまあ若い子のが庇護欲そそりますよね」
「お、おう、そ、そうだな、あんまり若すぎるのは困るけどな」
「なるほどー。わかりました!」
タイロは食い気味にズバッと、
「まとめると、ユーレッドさんは、若くて綺麗で凛として芯が強いお嬢様が好き」
「う、……」
ユーレッドが思わず反応できずに絶句する。
「ユーレッドさあーん、それは高嶺の花なのでは?」
きゅきゅ、とスワロが初めて同意するように鳴いてうなずく。
「うーん、ユーレッドさんぜいたくだなー」
「う、うるせえなっ! ど、どうでもいいだろ、そんなこと!」
ユーレッドはちょっと赤面しつつ、慌ててクールな雰囲気を醸し出すが、補いきれていない。慌てて酒を口にしつつ、
「だ、大体、てめえ、俺に何を言わせるんだ!」
「いや、今なら聞けるかなーって思ってですね。いや、こんな時にしか聞けないから」
えへへ、とタイロが楽しそうに笑う。
「クソ生意気だな、お前は!」
ユーレッドは忌々しそうにタイロを睨みつつ、まだちょっと照れを顔に残しながら、ぼそりと尋ねる。
「だ、大体、なんで俺がお嬢さんに弱いとかわかって……」
「それはその、怒られるかもですけど」
タイロは目の前にやってきていたスワロを撫でたりしつつ、
「あの、報告書の中でユーレッドさんが、女の子に親切にしていたって書いてあったから、そうかなーと。アルルさんって、お嬢さんだったんですよね。確か……」
とうっかり口にしてから、ふと我にかえる。タイロは慌てて弁解する。今のは口が滑ったのだ。
あの報告書のことは詳しくきかないようにしようと、思っていたのに。
「あ、いや、あの、その話は、俺も深く聞くつもりなくて……すみません。今のはなしで……」
「あのおひいさまは、そういうんじゃねえんだよ」
と、タイロを遮りつつ、ユーレッドが答える。
タイロは思わず口ごもり、ユーレッドを見やる。
「あの娘は、その、な。一言では説明できねえんだが……そういうんじゃねえんだ。そんなビビる話でもねえ」
ふと彼は苦笑する。
「あの話、お前になら話してやってもいいんだけどな」
ユーレッドはそういうと、ほんの少し意地悪ににやりと笑う。
唐突なことにタイロが答えずにいると、ユーレッドは俯いて酒を口にした。
「あの」
ちょっと慌てたタイロが居住まいを正す。
「あの、報告書の事件のことですか? で、でも、俺、本当に無理には……」
「俺が良いっていったら良いんだよ」
ユーレッドはそんなふうに乱暴に言うが、からかうような気配を含んでちょっと意地悪に唇をゆがめている。
「それとも聞きたくねえのか?」
「い、いえ、そりゃすごく聞きたいですよ、はい」
「だろうな」
ユーレッドは、頬杖をつきつつ、
「あれはな、そんな簡単な話じゃねえんだ。だから、当局だってデータ消しちまってるわけ。お前が読んだのは、差し支えのねえとこだけ知ってる木端役人の書いたものだ。だから、不正確だといったんだよ」
「それはなんとなくわかります。でも、そんなに大切な話なのって……」
タイロは目を瞬かせつつ、
「その、アルルさんってお嬢さんは何者なんですか」
「何者って? さっきから言ってるだろ。お姫さまだよ、あの娘は」
ユーレッドがまじめに言う。