11.不死身の代償
大通りに出てすぐ、橋の近くにベンチがあった。言われた通りに、ユーレッドをそこに下ろす。
敵に襲われる危険がなくなって安心したせいか、急に痛みが強くなったらしく、ユーレッドは右腕のあたりをぎゅっと掴んで蹲るようにする。青ざめた顔からは脂汗が滴り、息が荒い。
ユーレッドの膝のあたりから彼を見上げて、スワロが小さくきゅーと心配そうに鳴いている。
「ユーレッドさん」
思わずそっと声をかけると、ユーレッドは歯を噛みしめながらひきつった笑みを浮かべた。
「悪い。胸ポケットに、ピルケースがあるからよ。中身、手に出してくれないか」
「はい」
言われるままにジャケットの胸ポケットを探ると、髑髏をあしらったなにやら物騒なピルケースが入っていた。毒薬でも入ってそうで不穏なのだが、おそらく、ユーレッドの趣味なのだろう。
素直に中身をユーレッドの手にあけると、白い錠剤がいくつか転がり出た。
「水くれ」
「は、はい」
かすれた声でユーレッドがそういうので、慌ててタイロは近くの自動販売機で水をかってきて、ペットボトルを差し出した。
それを受け取って薬を流し込んだらしく、彼は目を閉じてしばらく右腕のあたりをおさえていた。
スワロが心配そうに、ゆっくりと電子音を立てつつ彼の膝の上で主人を伺う。
タイロも声をかけていいのかわからず、水入りのペットボトルを手に彼の前で様子を見ていた。
そうやってしばらく経つと、ユーレッドは少し顔を上げてタイロのほうを見た。
「あの、大丈夫ですか?」
「ああ。多少マシになった」
ユーレッドはため息をついて、苦笑した。 しかし、まだ全快しているわけでもなさそうだ。上体を起こしてベンチに背をもたせかける。
「悪かったな。色々頼み事してよ」
「いえ」
ユーレッドの膝の上で、スワロがまだ気遣わしげに見上げていたが、少し安堵したようだった。
「だが、完全には治らねえよ。もう少しジャマーの影響が抜けるまではな。この痛みにはクスリは大して効かねえ。これは、いってみりゃ代償だからな」
「代償?」
「俺は、無理矢理神経いじってるから」
ふっとユーレッドは自嘲する。
「神経? さっきも、ドレイクさんがそんなこといってましたね?」
「ああ。獄卒の体ってのは色々ややこしいんだ」
そういってユーレッドは、背をさらに深くもたせかける。
長身のユーレッドはそうしてみると、自分の体を持て余しているようにみえた。相変わらず右腕のあたりをおさえていて、タイロはおそるおそる声をかける。
「神経痛もあるんでしょうが、あの、やっぱり、さっきので怪我してたんじゃないんですか? さっき、俺を庇ってくれた時、壁に……」
ふんとユーレッドは鼻で笑う。
「怪我じゃねえよ。そんなにヤワにできてる訳ねえだろうが」
「でも。ずっと右腕……」
「だから、右腕だろ?」
ため息をつきながらユーレッドはようやく手を離す。ユーレッドの抑えていたのは右の二の腕あたりだが、中身のない袖がぐしゃぐしゃにしわになっているだけだ。タイロが改めてそれに気づいて目を見開く。
「こんなとこ、今更どうやって怪我するってんだ」
皮肉っぽく笑うユーレッドは、まだ普段よりも顔色が悪いが少し余裕が出たみたいだった。
タイロは目を瞬かせる。
「あの、もしかして、幻肢痛とかいうやつですか?」
そう尋ねると、ユーレッドはしばらく彼を見やっていたが、
「言っただろう。神経いじってるってな。それにドレイクのやつが頼みもしねえのに言ってたろうが。俺の右側の神経管理部分に修復不能な箇所があるって」
「はい」
そういえば、なんだか、妙な表現だと思っていた。獄卒とは言え人の体の表現なのに、なんだか機械の話をしているようで。ユーレッドはその考えを見透かしたようにいった。
「獄卒の仕組みなんて、獄卒本人も下っ端の獄吏もしらねえだろうな。まあ、俺もそれほど詳しくはないんだが、ほかの連中よりは詳しい。だから、お前の違和感はさほど遠からずってところかな」
ユーレッドは、身を寄せるスワロをそっと撫でやる。
「全部の獄卒の体がどうだかしらねえが、大体の獄卒は獄卒になるときに、一部組織を別の物質に置き換えられる。それが汚泥に強くなったり、識別票を移動させたり、はたまた痛覚の遮断が意識喪失につながっているわけだ。……俺の場合はちょっと違うけど、結局、似たようなもの。だから、半分機械みてえなもんで、お前らとは体の構造からして違うんだよ」
ふっとユーレッドは笑う。
「それと、もともと、俺は幻肢痛持ちなんだよ。別にそれ自体は不思議でもなんでもねえことだろう。それで、スワロに神経系等を管理させているんだよ。だからスワロと接続が切れてる時に、一発くらうとはずみでこうなることがある」
と話し始めた。
「接続? そういえば、前もメンテナンスがいるっていってたんでしたね」
「そう、このところ、コイツ、調子が悪いんだ。時々接続が切れてな。再起動してもしばらくつながらねえことがある……っツ、てえなあ、畜生」
痛みが走ったのか、ユーレッドは歯噛みしながら苦笑いした。タイロは心配そうに言った。
「ユーレッドさん、話さないほうがいいのでは?」
「いや、……今はな、軽口叩いてた方が気がまぎれるんだよ。うっすら薬も効いてるから、気をそらしたい。それぐらいしかできねえからな、今」
ユーレッドはため息をついて笑った。
「だからちょっと話につきあえよ。それとも、嫌かな?」
「嫌なんかじゃないですよ。俺でいいなら、きかせてください」
「そうか、悪いな」
タイロは目を瞬かせる。
「それじゃ、今もスワロさんと、接続が切れてるんですか? さっき煙出てたし、もしかして、それで余計に壊れたとか」
ユーレッドはうなずいた。
「ああ。さっきので、無理させちまったからな。元々不調だった通信機が溶けちまったかもしれねえな」
「で、でも、それで痛みが続くのは困りますね。あ! さっきみたいに直接つないでもらったら?」
タイロが思いついたとばかりにそういうと、スワロがはっと反応する。きゅ、と、そうすればと言わんばかりの視線を向けるが、ユーレッドは首を振る。
「ダメだ。コイツが万全の状態じゃねえからな。今、スワロに管理させたら、もう一度、オーバーヒート起こして他の部品が溶けかねない。そうすりゃ、戻らねえぞ」
ため息をついてユーレッドは言った。きゅ、ぴぴ、とスワロが明らかに落ち込んだ様子になる。スワロは、どうやら自分が管理できていないせいで主人に発作を起こさせたことを、気にしているようだった。うつむくスワロに、ユーレッドは諭すようにかすれた声で言う。
「俺のは痛いだけで、別に死ぬわけじゃねえよ」
ユーレッドがスワロの頭をそっと撫でやる。
「ほんの、一、二時間、俺が耐えりゃいいだけの話。どうせジャマーの影響が抜けりゃあ、次第に落ち着く」
だからな、とユーレッドはため息をついた。
「ポンコツと言っても、こいつにいなくなられる方が困るんだ」
ユーレッドの言葉がほんの少し優しい。
「あのう、これ、失礼なことだったらすみません」
タイロはそう前おいて、
「ユーレッドさん、もしかして、かなり無理な設定してるんじゃないですか? あの、神経いじってるって言ってましたけど、単にアシスタントとつなげているだけでしたら、医療用でもつかわれてるはずですから、そんな副作用ないと思うんです」
ユーレッドが静かに視線を向けてくる。
「あの、処方箋を見ました。ユーレッドさんにたくさん薬が出てましたが、今のお話きいてわかりました。あれ、幻肢痛の治療薬でしょう?」
「ちゃんとチェックしてんじゃねえか」
「でも、アシスタントと接続してる人にあんなに出るのおかしいなって思ってて……。ユーレッドさんは、なにか、他にも無理なことをしてて……、それでひどくなったとか?」
ユーレッドはタイロを見やって、薄く笑った。
「お前、変なところで勘が鋭いのな」
ユーレッドは、スワロを撫でやりながらため息をついた。
「お前が引く話になるぜ」
ユーレッドは、一度そう前おいた。
「お前、獄卒の体のこと、どれだけ知ってる?」
ユーレッドは尋ねる。
「どれだけ? って、さっきユーレッドさんに教えてもらったぐらいしか。識別票が丈夫で、不死身で、でも、大けがをすると意識が飛ぶって……」
「それだろう。獄卒ってのは、不死身といえば聞こえはいいが、結局、識別票が丈夫で回復が早いだけにすぎねえ。想定外のダメージを受けると簡単に意識が飛んじまうようにできている。元から精神的に傷みやすいから、無理させられねえんだ。しかし、相手が囚人だった場合は、その間に大体汚染されて終わり。戦闘継続できないのが欠点だ」
タイロがうなずくとユーレッドは、真面目な顔になった。
「それに関係する話だよ」
タイロが黙って聞いているので、ユーレッドはこう告げた。
「さっきの、お前が見ていた報告書の話な……」
「はい」
「お前の予想通り、俺は全部忘れているわけじゃねえよ。記憶が吹っ飛んだところもあるんだけどな」
「やっぱりなんですか」
「ただ、誤解は解いておくぜ。俺はな、インシュリーのことについては、本当に何も知らねえんだ……」
「そうなんですか?」
「ああ。アイツはどうせ幸せになってるんだろうと思っていた。だから失踪しただなんだと聞かれて俺もわからねえとしか」
「それじゃあ、あの話、ユーレッドさんも巻き込まれたみたいなもんなんですね」
タイロはちょっと安心したような顔で笑う。
「あんな報告書書かれて、ユーレッドさんも迷惑でしたね。まるで黒幕みたいに言われて……」
そういうと、ユーレッドは苦笑した。
「お前、簡単に信じるんだな」
「今のはだって嘘じゃないでしょ? ユーレッドさん、めっちゃいい人ってわけじゃないですけど、あんまり嘘つくの上手くなさそうだし。その辺のことは、俺でもわかりますよ」
「生意気なこと言いやがって」
口とは裏腹に、ユーレッドは嬉しそうな顔をするが、ふとため息をついた。
「ことの発端は、その報告書のな、インシュリーと最後に戦った時だった」
真面目な顔になり、ユーレッドは続ける。
「あの戦闘で、最後にインシュリーは上層部の命令に従って、俺に対獄卒用ショックウェイブを使った。さっきの対獄卒用ジャマーどころでない、本物の制圧用のやつをな」
「ドレイクさんも言っていた、痛覚を混乱させるって獄卒の特性を利用した、でも、ヤバすぎて使えないっていうやつですか?」
「そうだ。一定以上のショックを受けると、簡単に気絶するってやつ。低度にしてあるジャマーなら、動きが制限される程度の不快感だが、本物のショックウェイブは下手したら死ぬからな」
ユーレッドは苦笑した。
「まあ、死ぬっつーか、心臓が止まったりする程度だが」
「いや大事ですよ」
タイロが慌てて突っ込む。
「でも、そんなもの、三回も使うなんて、大丈夫なんですか、あの人」
「大丈夫じゃねえよ。上に言われただかなんだかしらねえが、アレをそんな連用するようなやつ、まともなわけねえだろうが」
ユーレッドはさらりと答える。
「とにかく、アイツはアレを俺に使ったんだ。俺は受けて立つつもりはあった。で、俺は二発まではなんとか耐えて立っていられたんだがな。三発目で無理だった。体の方が言うこと聞かなくてよ。吐き気が止まらなくなって、足がもつれて、立っていられなくなった。で、最終的に意識が飛んじまってな……」
「あの、それで、制圧されたって報告書の……」
「ああ」
ユーレッドは苦く笑う。
「俺はな、アイツより腕は上のつもりだったぜ。ま、インシュリーもかなりのもんなんだが、まだ若造だし。だから、正面から戦えば負ける気はしなかったが……。あんなふうなことで戦えなくなるとは……勝敗以前の問題じゃねえか」
ユーレッドは目を細めた。
「精神力でなんとかなるとか言う奴がいるが、獄卒の体でいる限り、あれには絶対に抗えねえよ。体の方が崩壊しちまう。根性とかでどうにかなるもんじゃねえ。だが、俺はな、あんな風に不戦敗するのだけは堪えられねえと思ったもんだ」
とユーレッドの目が怪しい光を帯びる。
「だから、いざって時に自分で痛覚ブチ切れるようにしてやったんだよ、俺は」
タイロの反応を待たず、ユーレッドは続けた。
「あれは痛みを逆手に取って、意識を吹っ飛ばす方法だ。だから、逆に痛覚遮断さえしてしまえば、無効化できる。そうすりゃ、限界まで意識飛ばさずにとことん戦える。ま、それでも、頭吹っ飛んだら終わりだがな」
ユーレッドはスワロに目を落とした。
「俺は元から右側の神経管理がイカレてるから、それもあって、そもそも、スワロに簡単に管理させていた。右側の感覚も強くねえから、何かと便利だし、機械を覚える必要もねえしな。で、”それ”にちょっと”オプション”を追加した」
ユーレッドは目を軽く閉じた。
「そんなにすげえオプションじゃねえよ。ただ、それやると、俺の側に来る反動も半端ねえのは知っていた。それに、アシスタントなしでは、まともに生活送れねえってこともな。どうせ獄卒なんざ長生きできねえが、それでも神経直接触れさせるのを嫌がるやつは多い。まして俺みたいに全部委ねちまうのに抵抗を持つ奴は多い。こういう反動が来るのも知ってるしな」
「さっきみたいに痛くなるってことですか」
「厳密には、アシスタントとの接続が遮断されたら、なんかの拍子に感覚が混乱しやすくなるってことだ。幻肢痛もおこれば、麻痺って足が動かねえなんてのもある。左右の感覚が真逆になったりしてな。ふふ、俺は、もとから壊れてるからよ、予想外の副作用が出て大変なんだぜ」
ユーレッドは自嘲する。
「だが、不戦敗するよりマシだろ。それに、どうせ死ぬなら、ちゃんと戦って死にたいぜ……、納得できねえような負け方じゃなくな」
そういってから、ユーレッドは黙り込んだタイロを一瞥して目を伏せた。
「お前も俺がイカレてるって思ってんだろ。この話すると大体のやつは引くからな」
タイロは答えない。
「いいぜ。わかってもらおうとか、別に俺も思っちゃいねえよ。でも、俺には”それ”しかできねえから。結局それしか価値がないんだ。だが、獄卒でいると、その価値を持てなくなる。一発食らった程度で戦闘不能なんて、情けねえにもほどがあるだろ」
ユーレッドは吐き出すようにしていった。
「だからな、徹底的に戦うためには、そこまでしねえと獄卒ってのはダメなんだ。囚人相手にしか戦えねえようなのは、つまり、一人前の戦士にもなれねえ欠陥品だ。そんなもん、本当、ただの操り人形、ゴミみたいなもんだぜ」
ふとため息をついて、軽く右の袖を引っ張る、
ぴぴ、とスワロが不安げに膝の上でユーレッドを見上げる。
「前まではな、痛えなら痛えで、誰か斬りたくなるだけで、それで済んでたんだ。だが、ここんとこのは、発作が起きると商売にならねえ程度に痛みやがる。おそらく、スワロの不調と関係があるんだろう。俺が無理させたからな」
ユーレッドは、スワロを気遣うように撫でる。
「早いとこ金稼いでコイツを直さねえとなあ」
タイロがそっと声をかける。
「ユーレッドさん、でも、それ、一度、医療棟で治療した方が」
「俺みたいなやつ、医療棟に入れられたら下手したら外に出られねえぞ。色々やらかしてるからな」
ユーレッドが皮肉っぽく言う。
「それに、スワロには違法改造してるし、もう旧型って言われてな。アップデートするには大掛かりな改造を伴う。獄卒の医療費はタダだが、アシスタントの費用は違う。修理とアップデートには新品買うより金がかかる。そんなもん認めちゃくれねえよ。医療棟にいけばスワロは没収されて、その代わりにナビゲーションのついた、流行りの最新式の端末を貰って終わり……。こいつはスクラップにされるだろう」
ユーレッドはスワロに目を向けつつ、刀の柄に手を這わせた。
「だが、アシスタントはただの道具じゃねえ。そう簡単にとっかえひっかえするもんじゃねえから」
ユーレッドはため息をつく。
「俺にはこいつが必要なんだ」
タイロはそれを黙って聞いていたが、ちょっと微笑みかけていった。
「ユーレッドさん、スワロさんのことが大切なんですね」
「そんなんじゃねえよ。必要なだけだ」
とユーレッドは素直には認めない。
「ただ、俺が最初から持ってるモノは、こいつぐらいなもんだからな……。俺にはもともと何もないから」
「そうなんですか」
タイロはそう呟くと、何やら考えていたようだったが、ふと顔を上げた。
「あの、これ、水です」
「あ、ああ?」
あっけに取られるユーレッドにペットボトルを押し付けるように渡しつつ、タイロは笑って言う。
「ユーレッドさん、ここで待っててくれませんか? 十分くらいで帰ってきますから!」
「は?」
唐突にそんなことを言われて、彼が思わずきょとんとしてしまう。タイロは構わずに駆け出した。
「絶対どっか行っちゃダメですよー!」
そう声をかけて手を振ると、タイロの背中はあっという間に見えなくなった。