1.獄卒管理課
黄色の警告票が目の前に映し出されていた。
タイロは、思わず笑いがこみ上げそうなのをこらえていた。普段は散々形のない電子の文書が直接来るくせに、こういうものはいまだもってアナログで、あとで直接手渡ししないといけないのだ。
通信でやればいいのにな。
(馬鹿馬鹿しい)
そんな風に思ったのが、ちょうど対象の相手にも伝わったのかもしれないが、”獄卒”の男がうっすら嘲笑的な笑みをその薄い唇に浮かべるのを見た。
タイロは、こういう獄卒達を管理する側の”獄吏”である。
獄吏、とは、管区の管理局につとめている者たちの総称で、いってみれば役人である。普通の住人を相手にしている獄吏もいるのだが、タイロみたいに”獄卒”を相手にする部署もある。
”獄卒管理課”と呼ばれるそれは、極悪非道の”獄卒”たちを統括する部署なだけに、苦労も多い。泣く子も黙るといえば聞こえはいいが、実際は、獄卒の顔色を見ながら仕事しているようなものだった。
それで、タイロはちらりと目の前の獄卒の顔を見やる。
目の前に示されている黄色の紙切れにはそれなりの威力があるのだが、どうも目の前の彼は、もうその黄色の紙を何度ももらっているので、今更何の感情もわいてこないらしく、まったく表情が変わらない。ゴミでも見るような目だ。いや、こういう人物なら、もしかしたら一番最初に警告された時も、何の感慨も持たなかったのかもしれない。
『UNDER-18-5-4、これが最後の警告だ。もう一度問題を起こすと、コキュートス基地への派遣が確定する』
ここに姿の見えない管理局獄吏の声が響く。ありきたりの定型文だ。
この部屋にいるとはそもそもタイロと彼の二人だけ。しかし、新米のタイロには特に発言権はないのである。
『しかし、本部は囚人ハンティングにおける成績は考慮すると言っている。その辺りを考えて今後の行動をしてほしい』
ふっと目の前の獄卒が皮肉っぽく笑う。
「了解した」
獄卒UNDER-18-5-4は、ため息をついてやや肩をすくめた。
「いや、俺も別に問題を起こそうとして起こしたのではないのだがな。向こうが襲ってきたもので、WARR出身者の常として返り討ちにした。そりゃあ、ちょっと”やりすぎた”かもしれないが」
しゃあしゃあとそんなことを言いながら、彼はうっすらと笑う。
「まァ、獄卒に喧嘩するなと言う方が無理な話。しかし、警告は重々受け止めておく」
そういうと、何やらと定型文の通信が聞こえて儀式は終了した。
となると、タイロが実際の黄色の紙切れを彼に渡す番なのである。
「終わりましたよ。お疲れ様でーす」
タイロは、こういう時はなるべく明るく声をかける。
というのも、相手が”獄卒”だからだ。
”獄卒”とは、獄吏の元で”囚人”を狩るために組織された者たちのことだ。
もともと彼らは罪人である。しかもただの罪人ではなく、それこそ死刑相当や無期懲役相当の重罪を犯した者たちも多く、それゆえに人格に問題の多い人間が多い。
しかし、異形の脅威である”囚人”を抑制するには、彼らのような命知らずでしかも使い捨てにできる戦力はどうしても必要であり、少なからず管区の平和には彼らの活躍が貢献していた。
”獄卒”はほぼ全員が”志願”した際に、ある種の肉体改造を受けている。
それでなくても、管区の住人は肉体よりもそれぞれが持っている”識別票”のほうが大切で、これがないと世界を認識することもできなければ、肉体の維持もできないわけなのだが、獄卒は”識別票”さえあれば体の修復はいつでも可能であり、基本的に”死亡”しない。
犯した罪を償うように彼らは年を取ることもなく永遠に、囚人と戦い続けなければならない。
それゆえにいつしか精神に重大な問題を抱え、自滅していく獄卒は少なくない。
という事情から、話の通用しないやつも多く、できれば危害をくわえられたくない。そういう時は敵意のないフリをしろ、とにかく明るくふるまって相手にされないようにしろ、と先輩から仰せつかったのだ。
「はい、これ。今度からは気を付けてくださいねー」
さて、目下の問題はこの獄卒UNDER-18-5-4だ。
彼は一級の危険人物だと報告を受けている。
どういう風に危険なのかはタイロはそれでも詳しくは知らないほうだが、とにかく、危険人物ファイル……通称ブラックリストに入っているのでアブナイのは間違いないのだ。
(おとなしく受け取って帰ってくれるといいんだけどなあ)
ちなみにタイロは警告票を何度か交付する役目を仰せつかったことが今までにもある。この間交付した獄卒の時も、なかなか怖かった。
無表情で受け取った獄卒は、タイロの目の前でそれを引き裂いてビリビリに破ってくれて、ついでにタイロの顔に紙切れをぶちまけた挙句、さんざん罵声を浴びせかけて去っていった。
合成樹脂製のはずの警告票を破る怪力も怖いが、話が通用しないのがもっと怖い。
タイロは殴られなくてよかったと思ったものだ。
ちなみにその男も、”ブラックリスト”に名前がきっちりのっていた。
で、問題の獄卒UNDER-18-5-4だが。
彼は長身で、間近で見ると、タイロより頭一つ分ほど背が高い。
やや病的に痩せて見えて顔色も悪く、白いジャケットを着ているせいだけでなく、なにかしら不吉な気配がして、幽鬼のような存在の不確かさのある男だった。
飾り立てた黒い襟に白いジャケット。中のシャツは赤。ちょっとだけイカレた感じのファッションセンス。普通ならヤクザものっぽくなるはずだが、彼の場合はガラの悪さより気持ち悪さが先に立つ。
タイロだって、今日役目を振られたときに資料をみたからこの男を一応なんとなく知ってはいたものの、それでも間近で対面するのは初めてだ。
(なんか、こう、空気が寒い感じ……)
ちらと顔を見ると、青ざめた顔の右側にひどい傷跡が走っていて、それが右目を潰している。白く濁った右目は失明しているのだろう。それだけでなく、歩くとゆらめく右袖からするに肩の先から右腕も失っているようだった。
一旦獄卒になると、たいていの体の負傷は治せると聞くけれど、そもそもが無理なことをしている彼らは獄卒になるまでにこうした傷を負っていることは珍しくはないのだ。
まじまじ見ると怒られるかもしれない、となるべく目を合わせないでおこうと思っていたが、つい目を合わせてしまう。
怒られると思った時、意外にも男は普通に警告票を受け取った。
「なんだ。見かけないな。新人か?」
男の声はしゃがれている。ちょっとハスキーで渋い感じ。
「あ、ええ」
あれ、普通の反応だ。と、思わずタイロは安心する。
タイロの運が悪いのもあってか、今まで話が通用する獄卒とは出会ったことがないので、こんなささやかであるが和やかな日常会話は彼らとの間になかった。
獄卒にロクな奴がいない前提があるのに、その中でも警告されるような奴はもっとヤバイということ。タイロもそろそろ現実を思い知り始めた矢先なので、この反応は意外だ。
「下っ端なんで今まで見習いでしたからね。最近こうやって獄卒の皆さんの前に出て、こういう仕事をするようになったんです。あ、でも、あなたのことは存じ上げていますよ。確か、何回か来てくれてるんですよね!」
「存じ上げている、に、来てくれている、か。ふふふ」
もしかしたら気に障ったかな、と思ったが、彼はふとニヤッとした。
「呼び出しくらった獄卒にそんなこと言う獄吏は初めてだな。おもしれえな、兄ちゃん」
「いやー、でも、あなたみたいに話を聞いてくれる人もあまりいなくて。そもそも、真面目に来てくれる人は少ないんですよ。こっちから出向いたりするんです」
「それもそうだな。俺も暇じゃなきゃ来ねえよ」
彼は薄く笑った。先ほどよりも言葉遣いが崩れている。
「こんなもんは通信で送ってくれりゃ済むんだぜ。紙の無駄だ。兄ちゃんからも上に伝えてくれよ」
「わかりました。ご意見ごもっともです」
心からそこに関しては同意したところ、男がふとにやりとした。
「なかなか話の分かる若造だな。気に入ったぞ」
獄卒に気に入られるのもちょっと怖い話だが、とりあえずは危害は加えられなさそうだ。
「面倒かけたな。帰る」
にっと笑うと、彼は左手をポケットに入れてそのままゆらりと歩き出す。
「俺もお前の仕事が増えねえように、コキュートス送りにならないようには努力するぜ」
「お願いしますよ」
タイロはそういって彼を見送ると、自分も事務所に戻ることにした。
大役を果たしたので急に気が抜けて、彼は通路で背伸びをしたものだ。
*
「無事帰ってきたのか、タイロ。ああ、そうそう、あとで急ぎの頼みがある。ちょっと使いにいってくれよ」
事務所に入ると早速そういわれる。今一つ仕事をこなしてきたばかりだというのに。
獄卒管理課の職員、特にタイロの部署は、直接獄卒とも対峙するせいか、何かとスレたクセのある人物が多い。
「はい。わかりました」
タイロはさっそくかよ、と内心思いながらも、一応素直に返事をした。
「タイロ。アイツ素直に帰ったか?」
デスクに戻ると、さっそく先輩獄吏がそう声をかけてくる。
「え、素直って、普通に帰っていきましたよ」
タイロは瞬きしながら返答した。
「なんだ、危険人物って聞いていましたが、意外とおとなしい人ですね。拍子抜けしちゃいました」
「なんだお前、そういうことを言うか?」
「そりゃ見かけはちょっと怖いけど、意外に話が通用するというか。ここんところ、話の通じない獄卒ばっかり相手にしていましたんで、ちょっと意外だなーと」
「こっちとしてはまたアイツかって感じだがな」
タイロはにっこりと笑いつつ、
「いやだって、俺、本当は獄卒用の戦闘用アシスタントとかナビゲーターの勉強してましたし、本音をいうと獄卒の人にそういうのの感想とかも聞きたいんですよ。なのに、ここで会える獄卒の人って、大体、話きいてくれないから」
タイロは無邪気に言う。
「そこいくと、あの人、真面目にここにかよってくれているだけでもマシそうですし。今度は、もうちょっと雑談できるかなって思います。あっちも、結構、友好的でしたよ。気に入ったって言ってもらいましたし」
「お前、無神経だな。あんな奴に気に入られたって言われたら怖いだろ」
ぞっとしねえ、といわんばかりに先輩が首を振る。
「そりゃ俺もちょっとは怖いなとは思いましたけど、いきなり殴られるよりマシですよ」
タイロはきょとんとして小首をかしげた。
「でも、あの人何をしたんです? 獄卒同士の喧嘩でしょ? よくあることじゃないですか」
「まあよくあることさ。喧嘩になって返り討ちにした。獄卒の同士討ちは”コキュートス送り”の最も多い原因だからな」
コキュートス送り、と獄卒たちにおそれられるソレは、”囚人”の大量発生個所である北部コキュートス基地への派遣のことである。かつて”汚泥”と呼ばれていた汚染物を貯蓄していたそこの事故により住人たちが汚染され、異形の”囚人”が続出した根源である。
そこに派遣されるということは、ほとんど見捨てられたようなもの。助けが来なければ、死なない彼らでも囚人に襲われて汚染されるわけなので、さすがの獄卒たちも恐れていることなのだった。
「だが、アイツはイカレてるからな。普通じゃない。万年”コキュートス一歩手前”の状態だ。黄色警告票の常連だぞ。何枚交付したのか覚えていないぜ」
ニュースを読んでいた別の先輩獄吏が、肩をすくめる。
「アイツはタチが悪いぞ。殺すのが楽しい異常者は獄卒にはさほど珍しくはないが、自分が殺りたい時に絡んでいって、相手に先に手を出させてから殺るからな」
「まぁ、獄卒は識別票さえ無事なら死なないので、殺人という訳ではないんですがねえ。それをわかっててやっているのでタチが悪いんですよ」
眼鏡をかけた獄吏が珈琲を飲みながら口をはさむ。
今時度入りの眼鏡をかけている変わり者の先輩だが、彼のことはメガネとあだ名されていた。獄吏同士でも本名はめったと使わない。本名で呼び合うのはよほど親しいものだけなのが、この世界のならわしだ。
「獄卒はそもそも人格に問題のある奴が多いからな。それにしても、アイツは危険人物だが」
「でもあの人、囚人ハンティングの成績が異常にいいんですよね。データ見たんですけど、この間も大物賞金首をあっさりととってきてるじゃないですか」
タイロは興味深そうに尋ねた。
「それなんで、おいそれとコキュートスには送れないんだよ。警告すると特級の大物囚人を狩ってくるので、どうせ今回もあの程度の問題はチャラになる。たまった警告票と囚人ハンティングの善行ポイントを交換しておわりさ」
ニュースを読んでいた獄吏がタブレットを置いて背伸びをする。
「ま、こっちは標的が住民じゃなきゃ構わないがな。どうせ獄卒は処刑相当の犯罪者を使い捨ての兵士に仕立てたモノ。反乱されるより、潰しあってくれたほうが本当はこっちも楽だ。アイツはこれといって徒党を組まないしな」
「今回だって縄張り勝手に作って、無差別に攻撃してた問題児だったからな。手を出すのも大変だったから、ぶっちゃけ、奴には感謝してる」
「本当だよ。”ユーレッド”のやつはみすみすコキュートス基地なんかに送って潰すより、シャロゥグの周囲にいて、生意気な獄卒を定期的に潰してくれていた方がありがたいよ」
タイロがきょとんとした。
「ユーレッド?」
「あれ、知らなかったか。アイツの通称名だ」
「登録名がUNDER-18-5-4だろ。獄卒は固有名詞が与えられないから、仲間内で本名か通称名で呼び合うんだ。奴は成績はいいが、素行不良で評価が万年UNDER。で、登録番号からアルファベットを拾い出しで出てくるのが R-E-D。で、U-R-E-D。だからユーレッド。あとなんとなくユーレイっぽいってのもかけてあるとか、不良獄卒の連中が言ってたな」
「確かに、目の前に立っているとなんとなく気温が、二、三度下がるような気がしましたねえ」
「目の前に立つとか。お前、意外と度胸あるな」
呆れたように先輩獄吏が言う。
「知らないんですよ。無知は罪ですね」
メガネ先輩が、その眼鏡のブリッジに指をやってかけなおす。タイロはその嫌味に対して反応せずに何か考えていた。
「あ、でもですよ。彼、よく腕自慢の獄卒や危険な囚人と戦って勝てるもんですね。背は高いけど痩せてるし、顔色悪いし。右腕が修復されていないし、右目も失明もしているんでしょう? だったら、戦闘には不利なのでは? だとしたら、囚人との戦闘なんて、どうやってるんでしょう? もしかして識別票を買ってるとかです? 獄卒の同士討ちやってしまうのも、そういうのでなにかと、争い事が絶えないとか」
タイロが今更そんなことを言うので、他の獄吏たちがざわりとする。
「お前、本当に知らないのかよ」
「はい。いや、だって、痩せてるし顔色悪くて弱そうじゃないですか。ひょろひょろっとしてるし」
あーあ、と言わんばかりにメガネが肩をすくめる。
「無知とは罪ですね」
「斬られる獄卒と同じだな、お前」
「一回アイツの動画資料に目を通せ。あれ見たら今度から目の前に立たれた時にゾッとするぞ。少なからず左手が届く範囲に近づきたくなくなるぜ」
先輩獄吏がため息をつく。
「アイツはつくづく普通じゃないんだよ」